冒険者と変化
かくしてトゥラの脱出を終えた。夜行性の魔物に襲われないわけではなかったが、ほとんど魔弾でビビらせればどうにかできた。
他人の武器を壊すわけにもいかない。なるべく使わないように意識していたが、問題なさそうだった。
「キミら、当てあるの?」
レニーが問いかけると、二人とも首を振った。
「ギルドロゼアに向かうところだったんです。ついでに魔物討伐の依頼もこなそうって話になって」
受理証明書さえあればどのギルドでも依頼達成の報告はできる。ただし、依頼を受けたギルドへの確認作業が入る為、多少報酬が減るのと時間がかかるというデメリットがあるのだが。
まぁ、報告をするギルドがどこでもいいというのは、旅をする冒険者にはそれ以上のメリットになる。
土地に縛られることを嫌うものも多い。
「それで、土地勘がなくてクゥーガハイナの縄張りに入ったと」
「はい……思ったよりも広くて」
トパーズになるとほとんどの依頼を受けられることもあり、滅多なことでは魔物に殺されそうになるという状況が起きにくくなる。
ルビー級以上の魔物なんて遭遇を考える方が珍しい。それが油断に繋がり、致命的な失敗を生むことになるのだが。
「次からは慎重に行くといい」
「肝に銘じます」
シュンと縮こまるアルリィ。
「この近くに村があってね。馬車を待たせてるんだ。それでロゼアまで行こう」
支払う料金が増すが、命には変えられないだろう。エルは少しでも早く、適切な場所でみてもらったほうがいい。ポーションで出来ることは限られている。重傷を完治までもっていく便利な薬というわけではないのだ。
生態系やトゥラの状態に特別異常が見られなかったので現地調査でやるべきことも終わっている。二人の目的地がロゼアというのなら、ついでに自分も帰ってしまおう。
「あの、どうしてそこまでしてくれるんですか」
不安げに聞いてくるアルリィに、レニーはこう答えた。
「急ぐ旅じゃないんでね」
○●○●
フリジットはイスに座りながら暇をもて余していた。
仕事中なのでこの表現が実際正しいかは別として、空白時間があるのは間違いない。その原因は隣にあった。
「……何か顔についてます?」
にこやかに話してくるのは最近入った受付嬢だった。
「いえ。何もなさすぎて怖いくらいです」
「そうですか。この業界を離れてからブランクがあったのでどうしようかと思いましたが良かったです」
ほぼ閉じている細目と、常に柔和な笑顔を浮かべているせいで不安など一切感じさせない姿がそこにあった。新入りとはいえフリジットより断然歳上だ。
彼女は元トパーズ冒険者だった。光の反射具合で金にも見える明るい茶髪は現役時代短かったという。
彼女が引退した理由は左手の薬指で光る指輪が物語っていた。
「モーンさんが手際がいいので教えることがほぼないですね」
視線をモーンに向けながら話す。こうして話をしているとフリジットの目線は必ず彼女のある部位に向けられていた。
……この人。
胸、おっきいな。
受付嬢の制服はあまり体のラインがはっきりするようなものではないが、それでも服の上から曲線美がわかるほどだった。果実のようであるというのはまさにこのことだろう。
男女問わず結構な数の冒険者が一度は彼女の胸に視線を向けていた。
自分の胸に視線を落とす。
どうせ肩こりで悩むなら、もっと自分にもほしかった…………。
「はぁ」
ため息を吐いてしまう。
こんなことを考えて勝手に落ち込むぐらいには業務に余裕がある状態だった。
「もうすぐ休憩時間ですね」
「そうですねー」
手を組んで腕を上に伸ばしながらフリジットは返答する。
……そういえば、順調に依頼をこなしていればレニーが帰ってくる頃合いだろう。
モーンとはまだ会ってない。初対面でどう反応をするのだろうか。
やっぱり胸に視線が吸い込まれたりするのだろうか。
……なんか嫌だな。
確かに自分も目がいってしまうほどのモノだが、だからといって男のレニーがそこに視線を向けるのはそういった女性に魅力を感じているのであって、あれだけ好いてくれているルミナがいるのにそれを差し置いてそこに目線が行ってしまうのはなんだか良くない気がしてしまうというか何というか。
「あの……やっぱりわたくしの顔に何かついてます」
「いえ、顔には何もついてませんよ」
顔には。
ギルドの扉が開く。
数日ぶりのレニー・ユーアーンだった。
片手に報告書の束を持ちながら入ってくる。その隣には小柄な少女がいた。
前髪が長く目隠れしているものの、容姿からして可愛らしい雰囲気の少女だ。ロゼアでは見たことのない顔であるし、背中に鎌を背負っていることから外から来た冒険者のようだった。
レニーが通常の受付を指差しながら少女に語りかける。
少女は何度も頭を下げると通常の受付に小走りで向かっていった。
……誰だろう。
レニーは真っ直ぐに支援課の方に歩いてきて、そしてフリジットの前に報告書を置いた。
「久しぶりレニーくん」
「あぁ久しぶり」
レニーは姿勢を低めてぐっと顔を近づけてくる。そうして、ゆっくりこういった。
「あの人の名前って何? 支援課の人だよね、オレ全然覚えてないんだけど」
「……へ?」
額に人差し指を当てながら真剣に悩んでいるレニー。
そういえば名前を覚えるのが苦手と言っていた気がする。
完全に初対面だが、自分が忘れているだけだと思っているらしい。
支援課は人員不足……というかフリジットとギルド所属の冒険者で成り立っていたので滅多なことでは人が増えないと考えてのことだろう。人が増えないならもとからいたという思考になる。
フリジットは笑いそうになる口元を抑えながら言った。
「あれぇあんなにお世話になったのに覚えてないの?」
小さな声でからかう。しかしレニーは焦るでもなく、眉を少し上げるだけだった。
レニーの視線がモーンに向く。
顔に目線が行き、そして降りていった。
「……あぁ」
レニーは納得したように頷いた。
「はじめまして。オレはレニー・ユーアーン。カットルビー冒険者で、ここの所属になってる。よろしく」
レニーが自己紹介するとモーンは微笑んだ。
「あら。カットルビーだなんて羨ましいわ。元トパーズ冒険者でした、今は受付嬢のモーン・メレイスです。よろしくお願いします」
てっきり少しは慌てると思ったのに、レニーはあっさり初対面であることに気づいたようだ。
「なんで?」
「わっかりやすいウソだったから」
それに、と。レニーはモーンの胸……よりも下にある細い手を指差した。
より正確に言えば指輪だ。
「結婚してる受付嬢はこのギルドに二人か三人だろ。支援課にはフリジット以外に受付嬢がいないし、フリジットが付き添ってるから新人かなって」
「正解です。スカウトされてきました~」
間延びした話し方でモーンが拍手する。
「新人にしては貫禄ありすぎるけどね」
苦笑交じりのレニーの言葉に思わず頷いてしまう。
報告書に目を通しながら、フリジットは頬をふくらませた。
「ちぇっ、からかいがいのない」
「悪いね」
ウソの付き方を学ぶべきか。ウソが得意な医者に聞いてみようか。
そう思いながら報告書を読んでいると、ある魔物の名前が目に留まった。
「クゥーガハイナ? レニーくんが倒したの」
「証明できないけどね。角すら取る時間なかったし」
「……いえ、カットルビーだから撃退くらいの報酬と救助報酬はもらえると思うけど」
レニーの体を観察する。
「怪我はない?」
「ないよ」
確かに元気そうだった。
「……無茶、したわけじゃなさそうね」
「短期決戦だったから力は使い果たしたけど」
「うん、怪我ないならいいわ」
報告書を詳細に読み込んでいるわけではない。従って今は考えないようにしておこう。
クゥーガハイナをソロで討伐するのはルビーの冒険者くらいでないと難しいことを。
「それよりレニーくん、この後時間ある?」
「どうして」
「私たち休憩になるから、酒場でお昼ご飯食べない?」
レニーは特に迷うこともなかった。
「あぁ、いいよ」
「あのもしかしてわたくしもですかね」
モーンが聞いてくる。フリジットは頷いた。
「現役の冒険者から話が聞ける機会になれば、と」
モーンはフリジットとレニーの顔を見て、首を振った。
「わたくしは遠慮しておきます、若い方同士の方が話弾むでしょうし」
「はぁ、そうですか」
本人が嫌がっているのに無理強いすることはないだろう。
フリジットはニッコリとレニーに顔を向ける。
「なら二人っきりだねぇ、レニーくんっ」
「そうだね、光栄ですお嬢様」
「ふふん、良きにはからえー」
久しぶりの会話を楽しんでいると、視界の端でひょこっと動く影があった。
「あの」
先程レニーと入ってきた少女だった。報告を済ませたのか、気まずそうにレニーに歩み寄ってくる。
「レニーさん」
「なんだい」
レニーの顔を見上げるその瞳は、ほとんど隠れているものの、特別なものを感じさせる。
「エルが、しばらく動けないので依頼を、その、手伝ってほしい、ですけど」
指先を絡めて動かしながら、少女が言う。
「ひとりだと不安で」
パーティーで長く過ごしているとパーティーでの動きが馴染みすぎてソロで動くのが難しい場合もある。等級の低い依頼ならまだしも、討伐の依頼は思っているよりも難易度が跳ね上がるのは間違いない。
「あぁ、そうだね。いいよ」
レニーは簡単に了承してみせた。
「いろいろ手続きとかあるだろうから、明日の夕方あたりにここで話をしよう。それでいいか?」
提案されて、少女は花が咲くようにぱっと表情を輝かせた。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
嬉しそうに笑みを浮かべる少女を見る。
レニーの行動は支援課の仕事に関わる、ギルド所属の冒険者としては模範的な姿勢だ。この少女の等級がどれくらいかはわからないが、昇格してギルドに貢献してくれるのであれば万々歳である。
で、あるのだが。
フリジットは目に映るその光景が、なんだか面白くなかった。




