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6

目が覚めて、一番最初にジョゼの目に飛び込んできたのは淡い色彩で描かれた小鳥の天井画。

「――どこよ、ココ?」

明らかに自分の部屋ではない。というか、よく考えたらどうして今ココに自分が居るのかよくわからない。

一瞬前まで見ていた夢が色鮮やかな原色極彩色だったために白と水色が大半を占める光に満ちた空間に適応するのに時間がかかる。その隙に。

「お目覚めでございますか、ジョゼフィーヌ様?」

しっとりと落ち着いた声がして、黒を基調としたお仕着せを着た女性がジョゼの居るベッドのそばにたたずんでいるのにようやく気付いた。

――やっぱり、自分の家ではない。

ジョゼの家ではジョゼのことをお嬢様と呼ぶし、メイドの服の形も違う。

そもそも、そういえば昨日は城でパーティーに参加していたはずなのに、いつの間にか記憶がぷっつりと途絶えている。

私、昨日どうしたのかしら、と思いかけたその瞬間。

ジョゼの居る部屋の扉が急に開いて、雪崩のようにメイドたちが入ってきた。

「おはようございます、ジョゼフィーヌ様」

「お着替えお持ちいたしました」

「ジョゼフィーヌ様は何色がお好みですか?ああ、御髪も梳かさねばなりませんわね」

「それに化粧も。お可愛らしいジョゼフィーヌ様ですが、更に愛らしくして差し上げなければ」

あれよあれよという間にベッドから連れ出され、寝巻きの上から何着も何着もドレスをあてがわれてこれも違うあれも違うとまるで人形遊びのように侍女たちにいいようにされていく。

生まれてこの方十六年、男に取り囲まれることには慣れていても女に取り囲まれて身動き取れなくなるのは物心ついて以来初めてのことだった。

かと言って、いつも男たちにしているように怒鳴りつけたりして構わないものか、というより、ココ本当にドコ?と躊躇している間に彼女たちの並々ならぬ熱意に飲み込まれてしまって。

――小一時間後。

「これで準備万端、ですわね皆様方?」

「まさしく、完璧なるお姿」

「これであの方のお心もばっちりですわ!」

へろへろになって反論する気力もうせたジョゼを前に、メイドたちは満足げに頷いて礼をして下がっていった。

後に残ったのは目を覚ました時に一番最初に挨拶をしてくれた侍女。

「では、ジョゼフィーヌ様、朝食のご用意ができましたのでご案内させていただきます」

……もうどうにでもして、とジョゼは言われるままにメイドの後ろをついていった。

 

建物を一歩出ると、澄み切ったさわやかな風がジョゼの頬を撫で、ドレスの装飾につけられたレースを優しく揺らしていった。

白一色のドレスに、これでもかと言うほどふんだんに使われたレース。要所要所にあしらわれた淡いピンク色のリボン。美しい曲線を描くように膨らんだスカートの裾がふわりとたなびけば、騎士に永遠の愛と忠誠を誓われる物語の姫にでもなった感じがする。

――ここ数年、魔法学校の制服である黒一色のシンプルなローブをいつも羽織っていたために、ココまで乙女趣味に走られた服を着ると頭に花が咲いたような気がして、ずきずき痛みを訴える頭を抱えてジョゼフィーヌは侍女に悟られぬように溜息をついた。

そこらじゅうに花が咲き乱れ、水路や潅木や彫像が効果を計算されつくした配置についている庭園を侍女に連れられて通り過ぎる。

なまじ水の貴重なこの国で、園丁のプライドと神経質さがこれでもかと窺えるほど手を入れられた庭はジョゼの家のも同じだったが、何か決定的に違うものがある、とジョゼの感覚は違和感を感じ取っていた。

なんだか空気が違う。そこら中に何かが潜み、蠢き、窺っている、例えるなら肉食獣に睨まれた草食動物が感じるような恐怖、そんな違和感。

と。

水路に沿って天使像を回り込んだジョゼは目を疑った。

「――……はい?」

視界に飛び込んできた庭の端。その先に見えるのはお隣の敷地ではなく、虚空。そして眼下には霞んで見える地平線。彼方まで続く砂の海と、手前に広がるオリーブの林。

――状況を理解して危うく叫びかけたその声を、ジョゼは何とか飲み込んだ。

(ココ、お城!?私お城に泊まったの!?)

ジョゼは先ほどメイドたちに怒鳴りつけなかった自分の自制心を心底褒めてあげたかった。

もしそんなことをしていざこざを起こせば下手すると王家と事を構える羽目になる。

その前に『躾がなってない。行儀見習いやり直し!』と一族の長老方に屋敷の奥深くに閉じ込められる羽目になっていただろう。

よくやった、頑張ったわね、私。とジョゼが内心本気で滂沱の涙を流し続ける中、侍女は城の周りを取り囲むように浮いている浮島のひとつにジョゼを案内した。

文字通り空中庭園の一角、彼方まで一気に一望できるその光景を楽しむため、浮島にはパーゴラが設けられ、網棚に絡まるようにして生い茂った蔦がまだらな蔭を提供していた。

その下、心地よい風が吹き抜ける場所に銀色の髪の少年が一人佇んでいた。

「……お、おはようございます、皇太子殿下」

ジョゼは緊張気味に王子に声をかけた。

だって昨日、王子と一緒にいたことまでは何とか覚えているがその後の記憶が途切れている。自分が何かしでかしてしまったとしても判らない。ていうか、なんで昨日の記憶が途中で途切れてしまっているのだろうか?どうしよう、小父様方への愚痴とか恨みとか管巻いてたりとかしたら!それより、何か失礼なコトしなかったかしら!?

頭の中がぐるぐる担ってパニックに陥っているジョゼに微笑みかけると、王子は視線を手元に落とした。

手にしていたのは、繊細な銀彫刻。よくある、ありふれた魔法仕掛けの子供のおもちゃ。

王子が水色に輝く宝玉を押すと、小さな穴から銀色の霞みが広がって。

『見よ!全てを滅ぼす魔女が全てを統べる王の手を取って舞い降りる!富める一族は絶望の日が来ることに慄き怯え、災禍の一族はあらゆる幸福が齎されることを約束されり!!』

……朝の爽やかな時間に流れるにはそぐわなさすぎる殺伐とした内容の唄を詩人が吟じる虚像が、立ち上る霞みの上に浮かび上がる。

その姿が目に入った――いや、その声が耳に届いた瞬間、ジョゼは巨大な引力によって意識が暗闇にぐいっと引きずり込まれるような感じがした。

「――っ?」

無重力の気持ち悪さ、眩暈にも似た感覚。視界が白濁しかけてジョゼは思わずテーブルに寄りかかった。

「大丈夫ですか?まだ昨日の疲れが残っているのでしょう、どうぞこちらへ」

「あ、ありがとうございます、皇太子殿下」

差し出された手に導かれるまま腰を落ちつけると、心配そうな声がすぐ近くで囁かれた。

「お顔の色が大分悪い。誰か呼びましょうか?」

「いえ、どうぞお構いなく!大丈夫ですから!」

ジョゼは慌てて引きとめた。そんなことよりも先に、絶対にやらなきゃならないことがある。

「それよりも殿下、昨日は私、あの、……何か失礼をいたしませんでしたか?なんだか途中から記憶がなくて……気がついたら朝になってしまってて……」

ジョゼが恐る恐る尋ねると、王子は数瞬視線を虚空に漂わせた後、おもむろに煌びやかな笑顔を取り繕って言いきった。

「何事もありませんでしたよ。社交界にデビューすると言うことでさぞかし準備が大変だったのでしょう。恐らく一段落した事で疲れが一気に出て倒れてしまったんですね」

王子のその妙な間がいかにも気遣いましたと言う感じがして、ジョゼの背中に戦慄が走る。

――一体自分は何をしたのか。いや、たとえ酒とかかっくらって理性を無くしたとしても自分はそんな品格の無いことなどしないと信じているが、ていうか、昨日はお酒どころかチーズの一切れだって口にする前に大広間を辞去したのでそんな筈は無いし……。

あーだのうーだのはっきりと判別つかない音を発しながらぐるぐる悩んでいるジョゼを気遣って、王子はそっとジョゼの前髪をかきあげて。

「んー、熱は無いようですね」

「いや、そ、な、ああああああああの、殿下!?」

突然視界を王子の顔が占める。目の前の薄紫色の瞳の中に赤面して慌てふためく自分の哀れな姿が見える程イキナリ近づいた二人の距離。それに驚いてジョゼの声が思いっきり上擦った。

王子が熱を測ってくださっていたのだと気づいたのは、素っ頓狂な声を出した後のことで。

――良く考えれば生まれてこの方、ちやほやされることは多々あってもこんな風に接触されることには不慣れだ。

もしかしたら王子は、ジョゼにとって生まれて初めての苦手な存在なのではないか。

そもそも、ジョゼが失礼の無いようにと気を使わねばならない存在自体が初めてだ。

「あれ、熱が上がってきたような……」

「あああの、おお、おおお戯れはお止め下さい!」

ジョゼが慌てて肩を押し返すと、王子はにっこりと人のよさそうな笑顔を浮かべた。

「良かった、お元気そうですね」

「ははははははい、おか、げさまで」

ぷしゅー、と今にも音を立てて湯気を出しそうなジョゼの様子に気付かない振りをしてジョゼから離れると、王子はポットに準備万端整っていた紅茶をカップに注いだ。

「どうぞ。昨日、姫の具合に気付かず城中引きまわしたお詫びです。宜しければこちらも」

研究の役に立つと思いますよ、と付け加えて王子は先ほどまで見ていた幻影器をジョゼのカップの隣に置いた。

――正直、詩がおどろおどろしい内容で女性への贈り物にするにはそぐわないような気もするが、せっかくの王子の計らい、とジョゼは笑顔でそれを受け取った。

「ありがとうございます。初めて聞く歌でしたけれど、これは……?」

「下界ではもう廃れてしまったのですか?僕は国開きの魔術師にゆかりの物と聞いていますが」

国開きの魔術師にゆかりの詩?

貰って困る物でもないし、貰って差し障りがあるほど高価な物というわけでもなさそうだし、と穏便に受け取る方向で方針を固めた。

「貴重な物をありがとうございます、殿下。きっと研究に役立ててみせます」

ジョゼは謹んでその銀細工を受け取った。

ぱっと聞いた感じでは、研究に直接関係しそうな気がしなかったが、城の魔法の文化的側面からの訴求に役立つ……かもしれない。

おとなしくおもちゃを受け取ったジョゼが笑顔になったのを見て、王子もつられて微笑んだ。

「僕にできることは城を案内したり指輪やこれをさしあげるぐらいですから」

「……指輪?」

は?指輪ってなんの事?と一杯疑問符を周り一杯に浮かべたジョゼの視線を受けて、王子は困ったような笑みを浮かべてジョゼの手元に視線を落とした。

それに倣い、ぎぎぎぎ、と音をたてそうな程ぎこちない動作でジョゼは自分の手に目をやる。

そこには、今まで気づかなかった、赤い石。

……しかも、薬指。

――……冗談!意味深にも程がある!!

「で、ででででで殿下!あの、ここ、こ、これは!?」

泡くって舌をかみまくりのジョゼに、王子は無邪気ににっこりと微笑みかけた。

「それがあるとこの城ではとても便利ですよ。色んなところに行き放題ですから」

この城、いたるところに魔法が張り巡らされてますからね、と言われて、もう一度よく指輪を見てみると、確かに赤い石から微かに魔法の気配がした。

――魔法認証?

さすがは空の城、魔法仕掛けの魔法の塊。王を守るセキュリティもバッチリらしい。

研究者として、ジョゼは暫しその石にかけられた魔法に目が奪われる。

「……良かった、気に入っていただけたようですね」

ほ、とどこか安心したように吐息をつくと、王子は立ち上がってジョゼの手をとって接吻を落とした。

「申し訳ありませんが、僕もう行かなければ……。ですがどうぞごゆっくりなさってください」

アラムにはない優雅さとクリスにはない誠実さを含んだ丁重な態度で王子が辞去の礼を取ると、ジョゼも慌てて立ち上がって礼をした。

「いえ、こちらこそ、本当にご迷惑を……」

申し訳なさでいっぱいいっぱいのジョゼに爽やかな微笑だけを残し王子は浮島を降りていく。

その後姿を見送ると、一気にジョゼの肩から力が抜け落ちた。

「……人に気を使うのがこんなに疲れることだなんて、初めて知ったわ」

何かと地味に人生初体験が盛り沢山な王宮滞在。ふう、と一際大きいため息をついて、ジョゼはテーブルの上に並べられた朝食の観察を始めた。

一人分にしてはずいぶん多い、――しかし、ナイフやフォークなどは一組しかないのでやっぱり一人分なのだろう、丁重に扱おうとしているのがよく判る料理が並んでいた。

みずみずしい野菜のサラダに、香ばしい匂いがする焼きたてのパン。きっとカラフェに入れてあるオレンジジュースは今朝採って絞ったばかりだろうし、未だにホカホカ湯気がたってる紅茶は先ほど王子が手ずから淹れてくれた逸品だ。

そうやって一品一品眺めていたジョゼはふと、卵やらマッシュポテトやらが乗っている皿に、見たことの無い物体が添えられているのに気がついた。

「?」

見たことのない半透明の白いモノ。ぶにぶに、としているその佇まいはどうみても植物ではないけれども、寒天でもなければゼリーでもない。

妙につややかに輝いているのはオリーブオイルで和えられているからだろう。

――ジョゼはフォークを手に取りおそるおそる突っついてみた。

くにゃ、っという、感触。だけどちょっとやそっと強く押したところで突き抜けそうにないほど弾力に富んでいる。

まるで生の肉みたい。でも色が全然違う。――そこまで観察して、ジョゼはふと気がついた。

植物ではないもの。獣肉に良く似た、鳥でも豚でも牛でも羊でもないもの。

「……まさか、お、お、お、お魚!?」

未知の可能性に気づいて、ジョゼの胸がこらえきれぬ期待で高鳴る。

すっごーい、きゃー、本当にホンモノ!?ふおおおおお!などなど小声で呟きながらフォークでぺらりと切り身をめくってみたり、光にすかしてみたり、つっつきまわしたりして己の欲望のまま好奇心を満たしている姿はあまり褒められたものではない気もしたが、そんなことよりも目の前の不思議物体のほうが気になって気になって己が探求心の赴くままにそれを弄くり倒していた。

と。

「なんてはしたない。ブリュイエールの長姫と言えども底が知れるというものね」

不意打ちの如く突然後ろから声がして、ジョゼは驚いて振り返った。

漆黒の髪が風にそよぎ、薄紫色のスカートがふわりと揺らぐ。

真っ白なパラソルが作る淡い影の下で、きついまなざしがジョゼを射抜くように注がれる。

「マルグリッド殿下……」

げ、まずいところを見られた、と背中に冷や汗が伝い落ちる。

「おはようございます、王女殿下。昨晩はゆっくりとご挨拶も出来ず大変失礼いたしました」

「まったくだわ、王女である私へのあの態度!ブリュイエール家の忠誠心を疑わざるを……」

滔々とご高説をたれようとした王女の視線がジョゼフィーヌの手に留まり、王女は大きな目を更に丸くして、凝々とそれに視線が釘付けられる。その視線に気がついてジョゼが答えた。

「……ああ、この指輪ですか?これは、エルネスト殿下が私に便宜を図ってくださって……」

「お兄様が!?」

ジョゼの言葉を聞いた途端、王女の秀麗な顔が般若へと激変した。

次の瞬間。

「げっ!!」

山盛りのサラダが乗っかった白い皿が飛んできて、ジョゼは咄嗟に横へと避けた。

「ちっ!避けるんじゃないわよ、不忠者!」

「勘弁!!なんでサラダ投げつけられてほいほいぶつかってなきゃなんないのよ!」

王女の悪態につられるようにしてジョゼも思わず怒鳴り返した。

「煩い!お黙り!!」

それがさらに王女の怒りに火をつけたのか、王女は手当たり次第に投げ出した。

宙を舞うナイフやフォークの銀食器、テーブルに綺麗に生けられていた花、細かな飾り切りをされた果物に香ばしいパン。朝ごはんの波状攻撃をことごとく避けながら、ジョゼは必死にもうひとつ考え事をしていた。

王女を制するのはたやすい。魔法を使ってしまえばいいのだから。

だが、その後で厄介な問題に発展しないはずがない。

それに、王女がいったい何に怒っているかも判らない。判らなければ、宥めることもいさめることも出来やしない。制することなど不可能だ。

王女の手がオレンジジュースでいっぱいのピッチャーを手に取るのを見て、あれは軽く避ける程度じゃジュースがかかって服がしみになっちゃうわ、とどこか冷静に観察していると、一瞬、王女の動きが鈍った。

「な、なんであれがこんなところに……」

「!」

おどろおどろしい詩を唄うおもちゃに視線が釘付けになり、声に驚きとおびえが混じり、王女の体が小刻みに震える。

ジョゼは一瞬の隙を見逃さず素早くピッチャーを取り上げてそのままテーブルに固着する魔法を発動させた。

これで王女の力ぐらいではピッチャーを取り上げることすら出来なくなった。

ふう、やれやれ、と一息つきかけたジョゼを後ろから激しい衝撃が襲う。

は?と思う心の準備も受身の態勢もとる暇なく、盛大に頭から地面に突っ込んだ。

その上に馬乗りになって王女はジョゼの手をきっちり逆に固めて猛然と指輪に手をかけた。

「ちょ、イタ、痛い、痛いってば!何するの、やめなさいよ!!」

腕をありえない方向に引っ張り上げられて思わず悲鳴を上げたジョゼに構うことなく、王女はジョゼの指から指輪を奪おうとぐりぐりと指輪を力任せに引っ張った。

「キツ!貴方指太くてよ!?醜いデブにこの指輪を嵌める資格は無いわ!私に献上なさい!!」

「いや、そこまで私太ってないし!?ていうか、それより訳わかんない!」

「この指輪に相応しいのは私よ!私が一番この指輪を欲しがってるんだもの!私の物よ!!」

「意味不明!」

この上なく破綻した論理を押しつけてくる王女の暴挙に耐えかねて、ジョゼは思いっきり腕を振り払った。が、そのとき運悪く王女の襟周りを飾っていた繊細なレース飾りに爪が引っかかって、その勢いに引きずられるままレースはか細い悲鳴を上げてちぎれ飛んだ。

露わになる、王女の雪のように白い胸元。そこに揺れる銀の華奢な鎖のトップには、ジョゼの指輪と同じ赤い宝玉が頼りなげに輝いていた。

「あれ……?」

なんだ、同じ物持ってるじゃない……とジョゼが口の端にすると、王女はずざっと後退ってジョゼから離れた。

「……見たわね?」

「み、見てません!」

「嘘おっしゃい!!」

王女は胸元をかばいながらすっくと立ち上がると、ジョゼの鼻先に人差し指を突きつけた。

「ジョゼフィーヌ・アナ=マリア・ラ・ブリュイエール!覚えてらっしゃい、この借り、いつか必ず返して見せるわ!!」

三流悪役のような捨て台詞を吐くと王女は来たとき同様旋風のごとく浮島を立ち去った。

兄王子と同じく、その後姿を見送る事しか出来ないまま、ジョゼはがっくり項垂れた。

「やっぱ、女の子の胸肌蹴たのはまずかったよね……」

鎖骨までぐらいしか見えなかったけど、相手が王女である時点で大問題だ。

あー、やっちゃった。王女はきっと御付きの侍女たちに盛大に不満をぶちまけるだろう。そしてそれはきっとブリュイエールの小父様たちの耳に届くに違いない。なんとなれば、城で侍女がすっ転んだことすら聞きつける地獄耳だと揶揄されることもある面々だ。今回の事を聞きつけたら狂喜乱舞してジョゼの躾のやり直しと称して魔法学校の退学を迫ってくるだろう。

まったく、踏んだり蹴ったりだ。せっかくの社交界デビュー、期待していたわけじゃないけど呪われてるのかと思うほど何一つうまく行かなくて、悲しくなっておなかまですいてきた。

せめて王女の暴挙に巻き込まれずに無事だったものをいただこう、と辺りを見回して。

「ああ!!私のお魚さんが!!」

――哀れ、白身魚のマリネの乗った皿は無残にも地面にぶちまけられていた。


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