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5

大広間からベランダへ一歩外に出ると、手の届きそうなほど近い夜空は瞬く星々で埋め尽くされていた。

ただそれだけで、今居るこの城が重力の枷を外れて空に浮いている事を如実に実感する。

――大昔のご先祖様の残した巨大な魔法機構の塊を動かすその構成を想像すると、気が遠くなりそうで。

ジョゼは恭しげに差し出された王子の手に己の手を重ねて、夜の庭へと一歩を踏み出した。

魔法の明かりで照らし出された花畑を抜け、月の光の零れ落ちる森を通り、王子は手を引いたまま城の奥へと進んで行く。

その間、供される話題も、王子の手のぬくもりも、欠片一つも不満がありえるはずが無いのに、ジョゼの胸の奥に何か落ちつかないものが溜まっていく。

「あの、王子、一体何処へ……?」

「もう少し先ですよ」

ジョゼが会話の腰を折って疑問を差し挟んだことを気にする風も無くにっこり笑って王子はまた一つ城の門をくぐる。

と、突然目の前が開けた。

黒々と凪いだ表面。月を映した鏡にそよ風が小さく波立たせる。

「……これ……全部、水……?」

対岸が見えないほどの大きさの湖が目の前に広がる。今までのジョゼの常識的感覚を全て否定するような光景を前にジョゼは呆然と呟いた。その彼女の手を放すと、王子は一歩前に進み出て左手の甲を虚空に翳し、魔法を発動させた。

「道よ!」

王子の声と共に、ジョゼの周囲の空気がヴン、と歪んだ。――否、空間全体に隠されていた構成が、王子の声に反応して発動した。

一瞬のうちに虚空に浮かび上がった魔法陣は、ジョゼが今まで見たことも無いような構図を描きながら湖の水面に到達し。

次の瞬間、目の前の水面が光を放ったかと思うと、水中から円形の飾り床が出現した。

「さぁ、姫、こちらへ」

王子に手を引かれるがまま湖に近寄りかけて、ジョゼはその場で立ち竦んだ。

「こ、これに乗るんですか?これ、船か何かですか?」

「まぁ、人を運ぶという点では船も同じですが、これは船では行けないところへ連れて行ってくれるんですよ」

さあどうぞ、と王子ににっこり促されるままジョゼはドレスの裾を摘み、躊躇いがちに丸い床の上に移った。

王子も一緒に乗り込むと、ジョゼの腰に手を回してジョゼの身体を引き寄せた。

一段と二人の間が近づき、触れた箇所から薄いドレス越しに互いの熱が伝わり溶け合う。

――流石に恥ずかしくて一歩退こうとしたのに、王子は腕に力を込めてその動きを牽制した。

「動きますから、危ないですよ」

ジョゼの耳元で王子の甘い声がすると同時に、二人の乗った床が音もなく滑るように動き出した。――いや、むしろ二人を乗せた床は静かに湖中へ沈み始めた。

げ!と空気を超圧縮したかのような声がジョゼののどから漏れる。

「エ、エエエルネスト殿下!」

「大丈夫です」

思わず恥じらいも何もかも捨てて王子にひしっとしがみついたジョゼの肩を抱きながら、王子は彼女の耳元でそっと囁いた。

「水は入ってきません。落ち着いて見れば判ります」

「は、入ってこない?」

不安に瞳を揺らせるジョゼの隣で、王子は鷹揚に頷いて視線を下に下ろした。

――水面は床面よりも拳一つ分高くなるほどに二人を乗せた床は沈み込んでいたのに、確かに決壊することなく水と空気が分離した状態が保たれていた。

「……こ、これは……」

「魔法ですよ。床に空気空間を固定化させる、と説明すれば、聡明なジョゼフィーヌ姫にはお解りいただけることでしょう」

「空気空間を、固定!?」

ジョゼはあっけにとられて周囲を見回した。

彼女やその他魔道師の間の常識では、それはまだ出来ないはずの技術だった。

物質の固定ならば簡単に行える。全てを動けないようにがんじがらめに縛ってしまえば良いのだから。

だが、今ジョゼの周囲で起こっている事は全く違う。ジョゼの周囲の空気は動く事が可能で呼吸できるのに、水と空気の存在する空間の境界は崩れない。

――そっと、ジョゼは手を伸ばしてみた。

細い指先が水の壁に触れると、すぅっと何の抵抗もなく指は水の中へと吸い込まれていく。

そのまま手をひっこめると指についていた水滴は波紋を残して壁へと飲まれていった。

「完全なる空間固定……まさか、まだ理論も構築されてない筈なのに……」

「国開きの魔道師、あなたの祖先の残した偉大なる遺産のほんの一部にすぎません」

現代の魔道技術をもってしても、国開きの魔道師には遠く及ばない。

改めてかの人との力の差の程を実感させられて、ジョゼは寒気すら覚えながら自分の頭上にまで迫った水の壁と、その向こうの景色を見渡した。

初めて見る、水の中の世界。

空に燦然と輝く月の光が、水の中にまるで織物のように陰影を作り出し、見たことも無い不可思議な形状の植物たちが流れに身を任せて揺らめいていた。

「姫、あちらを」

王子がそう言って指し示した方向には、銀色の小さなきらめきがいくつも集まってまるで一個の生命体のように動いていた。

星の煌きのよう、と数瞬見惚れた後、俄然興味がわいてきて声を逸らせながらジョゼは王子を振り返った。

「あれは何ですか?」

「魚ですよ。あれは魚が群れを成して泳いでいるんです」

「魚!?」

ジョゼは目を見開いて魚群を見つめた。

水中に生息する動物、魚類。

その存在は地上ではもはや夢幻の如く書物で語られるだけになっていたのに、それをこの目で見られるだなんて!

密かに感動に打ち震えるジョゼの隣で、王子は楽しげな声で説明を加えた。

「食べると結構美味しいですよ」

「!食べるのですか!?あんな貴重なものを!!」

「ええ。宮廷料理人は魚を料理する事が出来て一人前だと言っていましたよ。姫が今度晩餐会にいらっしゃる折には是非メインを魚にすることにしましょう」

にっこり非の打ち所の無い完璧な微笑を浮かべる王子を、ジョゼはあっけにとられて見ていることしかできなかった。

――レイ、クリス、アラム。お城って凄いところだわ。


ジョゼと王子の二人を乗せた床はどんどんと深く潜り込み、それにつれて徐々に月の光が届かなくなってあたりは暗闇が支配するようになって来た。

それこそ、すぐ傍の王子の顔すら、朧げなほどで。

確かなものは、腰に回された王子の手のぬくもりと、耳元で囁かれ続ける王子の声だけ。

「もうすぐ着きますから、気をつけて」

王子の囁きと同時に床が停止して、ジョゼは周りが全く見えない状況のまま、エスコートどおりに恐る恐る床から降り立った。

途端、ジョゼたちが降り立った部屋がぼうっと薄暗い光を発し、広大な空間の存在を明らかにした。

見渡す限り、何の飾りも無い、真っ黒な壁に覆われた半球状の部屋。

唯あるのは、部屋の丁度中心に申し訳なさ程度に据えられた円形の台座のみ。

この部屋の目的が全く読めず、ジョゼは隣に居る王子の顔を不安げに見た。

「あの、一体この部屋はなんなのですか?」

「この部屋の名称は玄室。この国の全ての始まりにして、国開きの魔道師がこの城を作り上げる魔法を振るった台座の間と言われています」

「ここが……!?」

何千年も昔の魔法を振るった場所。

まさかそんなものがこんな風にほぼ完璧な状態で遺されているとは思いもしなかった。

過去に使われた魔法を解析するには、魔法を振るわれた状況を解析するのが最も手っ取り早い手段といわれている。――ここは、ジョゼにとって、そして城について研究するあらゆる魔道師にとって第一級の資料だった。

まるで心を奪われたかのようにふらふらと台座に近づいていくジョゼの後姿にほくそえみながら、王子はまた手をかざした。

「光あれ!」

王子の声が広い空間に響き渡ると、うっすらと虚空が輝きだした。

浮かび上がったのは幾何学模様。おそらく、普通の人間には唯の飾りにしか見えないような軌跡でも、ジョゼをはじめとする魔道師たちにはもっと意味のあるものとなる。

「――魔術構成!?」

「そう、国開きの魔道師が構築した、全ての基盤となった城の魔法の完璧なるオリジナルです」

「素晴らしいわ!何千年もの前のものなのに、風化した気配すらないなんて……こうやって外気に晒されずに保管されていたからこそね」

目を輝かせながら台座の横で暗闇に描かれた緻密な設計図を見続けるジョゼに、王子は手を差し伸べた。

「台座へどうぞ、ジョゼフィーヌ姫」

優しい、しかし拒否を許さない雰囲気にそのまま押し流されて、ジョゼは促されるままに台座に片足をかけた。

「君は、耐えられるかな?」

え?と台座の上に立ったジョゼが王子を振り向いた瞬間。

部屋一杯に広がっていた光跡が一斉にジョゼに向かって収束してきた。

「な、きゃああああああああああああ!」

幾何学模様はジョゼの身体に触れて溶けるようにそのまま消えてゆく。

否、ジョゼの体内に溶け込んでゆくのだ。自分の体の中で、何か判らないものが蠢いている感覚を、ジョゼは確かに感じていた。

「いや、やめて!やだ!いや、な、にい、や、や、あ、あああ、ああ!」

何かが、ジョゼの意識に反して身体を動かしてゆく。

腕が、指が、足が、腹が、背が。体のありとあらゆるところがジョゼの自由ではなくなっていって。

「か、えし、て!わた、し、を!」

膝が伸びる。かと思えば肘が伸びる。指が伸びて、胸が反って。

ジョゼの知らない何者かが、ジョゼの体の中に満ちて膨らんで増えていく。

その感覚が頭のてっぺんにまでやってきたそのとき、ふ、とジョゼは今までの凄まじい圧力から開放された。

恐る恐る目を開くと、一転、そこには真っ白な、染み一つ存在しない空間があった。

壁も、床も、天井も無い。上も下も右も左も判らない、何もかもがホワイトアウトした視界。

「……ここ、は?」

『貴方は、誰?』

不意にジョゼの背後から、少女のような声がした。

驚いて振り返ってみると、そこには。

「わ、私……?」

白の絹地に銀の月の紋章の刺繍。ふんわりと広がったスカートは前が膝上丈なのに後ろは引きずるほどに長い。ブリュイエール家の伝統の礼服のデザイン。

腰まで伸びた金の巻き毛も、空の青さを映した瞳も、肌の色も顔立ちも、何もかもがジョゼと瓜二つなのに、唯一つだけ、異なるものがあった。

――髪飾り。

ジョゼのような銀細工ではなく、甘い香りを放つ月下美人――ブリュイエールの当主の象徴とされるその花が、彼女の髪に挿さっていた。

――ふっと、彼女の輪郭が虚ろになった気がした。

『貴方の望みは、何?』

「私の、望み……?」

ジョゼは鸚鵡返しのように呟いた。

自分の望み?

皆に自分を認めてもらいたい。だから、強い力を持ちたい。その指標としてご先祖様に挑む。降雨システムの解析とその改変に成功すれば自分はご先祖様以上の魔道師と認められ、水が足りないと困ってるスラムの人たちも……

ジョゼの胸のうちを、言葉にならない思いが浮かび上がった瞬間。

虚ろな少女の目がかっと見開かれた。

『私の国を滅ぼす悪魔め!』

少女の姿は一瞬にして無数の剣に形を変えて、ジョゼに向かってきた。

「いや、やめて!!」

ジョゼは咄嗟に防護魔法を自分の周囲に張り巡らせて剣を防いだ……はずなのに。

剣はやすやすとジョゼの防御壁をすり抜けて、ぶすり、ぶすりと腕に、足に、胴体に、何本も何本も突き刺さっていく。

そのたびに苦痛に絶叫を上げながらも、ジョゼは目を閉じられなかった。

剣が肉を突き破り、骨を砕き、その度に血飛沫が花火のように上げられ、自分の目の前で、自分の体が原形をとどめぬほどに細切れにされていく。

その激痛たるや、正気を失いそうなほどなのに、狂うことすら許されずに、目の前の光景がずっとジョゼの脳内に入り込んでくる。

と。

はっとしてジョゼが視線を上げると、目の前に剣先が迫っていた。

「いやあああああああああああああ!!」

ジョゼは目を瞑って衝撃に備えるほかは無かった。


「……姫!ジョゼフィーヌ姫!!」

はっと目を開けると、眼前に心配そうな王子の顔が迫っていた。

「……エル、ネスト……殿下……?」

「あぁ、良かった、気がついたのですね?」

王子は腕に力を込めてジョゼを抱きしめた。

ジョゼはその肩越しに、無数の剣で粉砕された筈の自分の手足を見た。

――何処にも、傷一つ残っていなかった。

(私、幻覚を……?)

とすると、あの少女も幻覚ということになる。

魔法に残存する幻覚。話には聞いた事がある。尋常ならざる思い入れ、意志の強さをもって魔法を揮った場合、術者本人の姿が極稀に見える、と。

つまりあの少女は、

「……国開きの、魔道師……?」

「――『彼女』に、会ったのですね?」

王子はそっと腕を緩めて、正面からジョゼの顔を見つめた。

「ジョゼフィーヌ、やはり君は僕がずっと待ち望んだ人だった」

静かな狂喜、と呼ぶに相応しい笑顔が、王子の顔に浮かんでいた。

その表情に心底恐怖を感じた。魂の奥が震える心地がして。――だが圧倒的なまでの疲労感がジョゼの全身を苛み、ジョゼは何一つ抵抗らしい抵抗も出来なかった。

「僕と、結婚してください」

王子が何を言ったかを理解する暇も無く、ジョゼの意識は混沌への重力に負け暗闇に没する。

……完全に失神したジョゼの唇に、軽くキスを一つ落として、王子はジョゼを床に寝かせた。

懐から短剣を取り出すと、自分の指先に軽く当てるとぷつっと音がして血が皮膚の上に溜まる。

それに唇を寄せて王子が何事か呟くと、血は蠢きながら宙に浮きどんどん透明になってゆく。

そうして出来たルビーとも見まごうような深紅の宝玉を、王子は懐から取り出した白銀の指輪の台座にはめ込んで、力なく横たわったジョゼの指に通した。

その手を引き寄せて、王子はまた一つ指輪にはめ込まれた石に口づけを送ると、今迄とはまったく違う、凍てつくような声色で呟いた。

「――十六年、君を待った。僕はもう待たない。君は、絶対に僕が手に入れる」

絶対零度の冷たい瞳で、王子はジョゼを見つめていた。

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