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『学生総代、挨拶』

魔法で音量をあげられた声が厳かに式次第を読み上げると、それに応じて華奢な印象の少女が壇上に上がった。

その姿を目にするや否や、アラムは反射的にギリっと音を立てて歯を食いしばる。

同時に、周囲の人間が彼女に熱い視線をおくった。

『……本日より始まる貴君らの学究生活がより豊かで実りあるものとならんことを。学生総代、ジョゼフィーヌ・アナ=マリア・ラ・ブリュイエール。』

最高学年に進級し、名実共に学校の最優秀の学生となったジョゼが誰もが注目する中入学式で在校生の代表として壇上で挨拶する。それを、僅差で敗れたアラムが『今年こそ追い抜いてやる』という誓いをたてながら睨みつけた。

そんなアラムを知ることもなく、壇上でジョゼが金の巻き毛を揺らしながら優美に一礼すると、アラムの周囲、――否、講堂中の人間が割れんばかりの拍手喝采をおくった。

……その音は、今年もまたジョゼのご機嫌取りをしようと待ち構えている人の多さを如実にあらわしていて。

軽く耳を塞いで聴覚を保護しつつ、アラムは溜息をついた。

どうやらジョゼと言う名の玉の輿にあわよくばと思うものには、あのキツイ性格の彼女が虫も殺せぬ、扇以上に重いものなど持てもしない儚い令嬢に見えるらしい。

ブリュイエールの名が人々の目を晦ませるのか、ジョゼが一応は猫をかぶっているのか、兎も角人間の妄想力の底の無さを実感してアラムはそっと講堂を抜け出した。

少し歩いて万雷の拍手が遠くなってくると、耳を塞いでいた手をはずし、ほっと一息をついて角を曲がった。その先に一点の染み一つなく白一色に磨き上げられた回廊が目の前に現れる。

円柱のみが規則的に配された幅の広い廊下のそこここにテーブルと椅子が配された静かな空間。いつもなら思い思いの場所に研究者や学生が陣取って熱心に討論や読書に打ち込むこの場所は、学院の叡智の源として誰もが愛していた。――無論、アラムも。

今日も今日とてここで暫く読書をしながら式典が終わるまで時間をつぶそうと思い立って回廊の一角に陣取り、鞄の中から読みかけの本と今朝母親に持たされたプリンを取りだしながら、ふと回廊に囲まれた中庭に目をやった。

大きな噴水を中心に作庭された回廊の中庭。水を大量に必要とする噴水は、ジョゼの家のような水を豊富に享受出来る大貴族の庭か、魔法学校のような公共施設にしか作れない。その噴水を源とする水路の両側にはこれまた水をたくさん要求する園芸種の花が咲き乱れ、回廊の反対側の屋根の上からも花々が可憐な顔を覗かしている。その屋上庭園にもきめ細やかに水路が廻らされ、至るところで階下に流れ落ちてせせらぎという名の軽やかな音楽を提供していた。

差し込む日の光と、揺らめく水飛沫。透き通る美しさのその向こうに、アラムは不意に友の顔を見つけてしまった。

「クリス!」

「やあアラム、もう入学式は終わったのかい?それとも、お得意のサボりか?」

人のよさそうな笑顔を浮かべて回廊の向こう側から近づいてきたのは、クリスティ・セドリック・セバルカンティ――突発的災害と化すジョゼとアラムのいがみ合いに臨席できる数少ない一人だった。

とりあえずアラムはもう一つあったプリンをがさごそと鞄の中から取り出してクリスに差し出し、向かいの席を勧めた。

「サボりの方だよ。あんな退屈な式出てぼけっとしてるより本でも読んでようと思って抜け出してきた。クリスこそ、どうしたんだ?遅刻なんて珍しいじゃないか?」

渡されたプリンをありがたく頂戴すると、クリスもアラムの正面に腰掛けた。

「それがねぇ、色々今晩の準備が忙しくてね。昨日中に終わらなかったんだ」

「今晩?」

何かあったか?と疑問符を頭上に沢山並べたアラムにクリスは説明を付け加えた。

「忘れたのかい?今日は城で王子の立太子の礼があるって」

「ああ、そう言えば。ま、唯の一般庶民には関係無い話だけど」

冷ややかに一蹴したアラムに苦笑して、クリスはパクっと一口プリンを頬張った。

「うん、美味しい。流石、君の母上は料理上手だね。このために昨日は家に帰ってたのか?」

「それだけじゃなくて、昨日はうちの地区で雨が降る日だったんだよ。寮に入ってるせいで母さんに一人暮しさせちゃってるし、雨の日はどんだけ人手があっても足りやしねえ」

アラムもクリスと同じようにプリンにぱくつくと片手で本のページをぱらりと捲った。

「毎年城の巡回航路は更新されるけど、それでも国の端っこの方は慢性的な水不足だ。この庭に使われてる水をスラムに持っていきたいところだけど、それも言っても始まんないしな」

「ま、とっとと君は上へ駆け上って自分の住んでる地域だけでも助けてやるんだね。結局のところ、城の巡航航路なんてそういう政治の駆け引きのうえに成立してるんだし、僕はそのために君への協力は惜しまないつもりだけど……」

クリスは不自然に言葉を打ちきっていたずらっ子のように笑いながらアラムを見つめた。

「学年末試験はどうだったんだい?式典サボってここに居るって事はもしかして……」

「ああ!ジョゼにまた負けたよ!!」

心底悔しそうに歯軋りするアラムの表情を見て、クリスは笑いを押し殺すのに失敗した。

「で、また姫に毒でも吐かれたと」

「信じられるか、俺は今回満点だったんだぞ!あの極悪な学年末試験で!なのにあのクソガキは満点取ったどころか魔法陣の構造理論の試験で設問されている以上に考察書いて、しかもそれが先生の研究に一役買ったとかでボーナス点!なぁ、俺、そろそろキレて良いよな!?」

身振り手振りを交えて大真面目に訴えかけるアラムを、クリスはのほほんとやり過ごした。

伊達に入学以来丸七年友人をやっているわけではない。ジョゼとアラムが一緒に居合せるという危険領域を何とかしてしまうのは大概クリスの役目だった。――そのせいで周囲から異常人物、変人奇人、昼行灯に無神経生物、敵に回せば心強いが味方になったら恐ろしい、などその他ありとあらゆる称号を欲しいままに与えられてしまう羽目になってしまったが。

「ま、アラムも頑張ったと思うけど、姫も姫で試験に命賭けてるからねえ。休みの間中、姫は『今度こそアラムに抜かれちゃったかも……』って青ざめてベッドで震えながら泣いててね」

ふぅ、と溜息をついて頭を振るクリスに対し、アラムは耳を疑った。自分に対してはあの傲岸不遜、自分の我侭が通らないはずがない、天上天下唯我独尊みたいな態度しか向けないあのジョゼが、青ざめて涙!?

「……マジかよ?」

「嘘に決まってるじゃないか、アラムはホント騙されやすいよね」

さくっと否定されてアラムは体中から力が抜けて机に突っ伏した。

その頭上にそこらから摘んだ花をお供えしてやりつつ、クリスは独り言のように呟いた。

「ま、姫が試験に命賭けてるのは本当だけどね。姫が御入学遊ばされたときの一族のお歴々との約束はまだまだ全然十分生きてるから」

そう言ってクリスはそっと目を閉じ昔のことを思い出した。

『一度でも学年首席を維持できなければ即退学アンドそこらの馬鹿なボンボンと即結婚』 

それがジョゼが学校へ入学するときの条件だった。

その約束が取り付けられたときの状況を、クリスは今でも鮮明に覚えている。

ジョゼの家、ブリュイエール家といえば国中で知らない者はない名家だ。

空の城を建造し、国開きの魔導師という称号を与えられた伝説の魔法使いを祖先に持ち、常に王座の左で国と王を守ってきた。

貴族の頂点に立ち、王に次ぐ地位を恣にしてきた一族の、その当主ともなれば揮える権力はいかほどのものか。

そんな家のたった一人の総領姫として、ジョゼの周りには物心ついて以来毎日のように様々な人間が様々な方法でジョゼに取り入ろうとして取り巻いていたが、幸運なことにジョゼはそのことに思いあがるほどには馬鹿ではなく、不運なことに彼らの目的が自分ではなくブリュイエールという家の名だということに気付くほどには賢かった。

頭の中をドコからドコまで探しても、ジョゼと結婚すれば貴族の頂点は俺様のモノ!という言葉以外出てこない馬鹿な親族の相手をするのに彼女の堪忍袋の緒が切れたのは八年前。

一族の中でも長老、古狸たちが居並ぶそのまん前で、わずか八歳の少女は将来の一族当主になる者――つまりは、皆が考えるところのジョゼの夫の条件として、彼女以上に魔法に長けている者という条件をつきつけた。

国開きの魔導師を祖先に持つブリュイエール家が魔力の弱い者を当主に据えるのは後世に残る家の恥だと訴え、自ら当主としてたつ為に魔法学校に進学すると主張した少女に対し、一族は仮にもブリュイエールの名を戴く者が魔法学校で主席から落第するのも同じ位の恥だと反論し、そこで協定が結ばれた。

魔法学校に在学中の八年間に、ジョゼが主席から一度でも落ちれば一族の意見に沿って婿どりをすべし。逆に八年間首席を守り通し晴れて王宮魔導師となる資格を得たならば、ブリュイエール家の家督はジョゼが継ぎ、一族はジョゼに二心無く仕えるべし。

――この協定が結ばれたとき、クリスもブリュイエール一族の末席に連なるものとして、また十も年下の少女の婿候補として居合わせた。

以来、丸七年間、ジョゼの傍でブリュイエール一族による執拗な妨害行為や、その全てを薙ぎ倒して我が道を進んでいく彼女を見つづけてきた。

そして、ライバルとして、アラムも。

「全く、あほらしいにも程があるぜ。ブリュイエールの当主、王国の守護神、ンなもん、どうだって良いじゃねーか。てめぇらには元々十分な富も権力も水も両手に有り余ってるだろ。更に欲しがる馬鹿は自分で乾いたことの無い能無しだ。銀のスプーン口に咥えて生まれてきた奴等は自分の身の丈以上に潤ったってなんにもならないって事を知らない戯けばっかりかよ」

「君も言うねぇ、アラム。僕も一応、銀のスプーン咥えて生まれてきた口なんだけど。ま、姫の言い分については可愛い我侭なんだし少しは判ってやってよ」

「クリスは別。あのガキは自分の我侭が他人にどれだけ迷惑か判ってない時点で可愛くない!」

「可愛いもんだって。ブリュイエールの名誉と権力を運んでくれるのだったら人形でも子豚でもそこらに落ちてる石でもなんでも構わないって思ってる人間に『私を見て!』って駄々こねてるだけなんだから。僕には今でも姫が初めて会った三歳のころと変わりなく見えるね」

そう言ってフッと笑ったクリスの微笑みの冷たさにアラムは背筋に冷水を浴びせ掛けられた感じがした。――しかし『これ』でもジョゼに最も好意的な親族であることに間違い無い。他の一族の者がジョゼをどのように扱っているのか、想像に余りある。

だが、アラムも人のことに同情している余地は無かった。――クリスがそれまでの空気を振り払うようににっこりとアラムに微笑みかけてくる。

「それよりアラム、今年こそ頑張ってね。一族の小父様方は今のところ君のことを姫を主席から叩き落せそうな唯一の人間として好意的に見ているけれど、そろそろ本当に主席取らないと小父様方に恨まれちゃうよ。姫をこのまま主席で卒業させようものなら、小娘一人負かすことの出来ない腑抜けって評価されて目の仇にされちゃうかもしれないし。権力と人脈だけは余りある小父様方のことだから逆恨みで君の将来ズタボロにしちゃうくらいやりかねないからね」

何気なくを装ったクリスの言葉に、アラムは盛大にプリンを吹き出しかけた。

冗談じゃない。国を牛耳るブリュイエール一族に本気で睨まれたりしたら三日でこの世とサヨナラしたくなる目に遭わされるに違いない。

「……なあ、『まだ』逆恨みはされてないんだよな?」

「うん。一昨日のパーティーでの感じではね。でも頑張ってね、うちの一族、言っちゃなんだけど欲得がらみは異常なほどの行動力を示すから」

うっげえ、とうめき声を上げて撃沈したアラムの頭のその向こう、回廊の入り口に一体何を見たのかクリスは突然たちあがり、そして指をぱちんとはじくと自分の金の髪を縛っていたリボンの色を紺色から深緑色へと変化させた。

――一連の動きを突っ伏したまま感知したアラムは、しぶしぶと起き上がった。

この動作をクリスが行うときは、お決まりの如くあの儀式が始まるのだ。

アラムの視界の隅で小走りに走っていったクリスが跪き、その向こうに彼が今変えたばかりの色と同じ色のリボンをつけた金の髪の少女が居るのが見えた。

「おお姫、お久しゅうございます、姫の第一の下僕にして最も従順なる奴隷、クリスティ・セドリック・セバルカンティ、ただ今御前に参上いたしました!」

朗々とした声を張り上げ、回廊中に口上を響かせたクリス――ジョゼさえ関わらなければ全くもって普通の人間に分類できるのに、少女が関わった瞬間何もかもを投げ捨てて彼は彼女専用の吟遊詩人と化す。

その変貌振りは猫を被るとか性格が変わる、などと言う言葉では生温い、絶対に人間が交代しているに違い無いという評判すら立てられるほど。

「ああ、本日の姫は何時にも増してお美しい!私がお傍を離れていた間に一体何事があったのか!いやそれを詮索するのは奴隷の身にはおこがましいこと、大変失礼をいたしました。それよりも今朝はお迎えに上がれなかったことをまずはお詫び申し上げねば!私としましたことが姫の大切な日にお迎えに上がれなかったとは何たる不覚、あまりの事態に絶望し衝撃のあまり自らの涙で溺れ死ぬところではございましたがこうやって恥を偲んでまいりました。姫、どうかこのクリスめに折檻をお与え下さいませ!」

「けっこうよ。それにクリスに何時もお迎えに来てと頼んだ覚えはないわ」

ジョゼがきっぱりと言いきると「そうでしたこのクリスが勝手に姫の御前に馳せ参じていただけのことですのに更に姫に叱責戴こうとは何たる傲慢!」とまた怒涛の如く語り出すクリスをその場に置いておいて歩き出したジョゼはすぐ先にアラムがいるのに気がついた。

「あら、アラム、貴方こんなところに居たの?もしかして私に負けたのが悔しくてこんなところで式をサボってたのかしら?」

無邪気に図星を指されて、アラムは眉間のしわを一層深くしながらプリンを大きく掬いとって口に運んだ。途端、ジョゼの目が好奇心に輝いた。

「あら、何を食べてるの?なんだかクレームブリュレに似てるけどちょっと違うわね」

「姫、それはプリンと言うものでございます」

いつのまにか置き去り状態から復活したクリスがジョゼの真横に現れて質問に答えると、ジョゼが傍目にも判るほど興奮した面持ちでプリンを凝視した。

「プリン!?私知ってるわ!うちのシェフが教えてくれたの、庶民版のクレームブリュレでしょ?生クリームと卵黄から作る濃厚な生地にパリパリの薄い飴で表面をコーティングしたブリュレと違って、庶民にも馴染みやすいようカラメル化する手間暇省いてカラメルソースで代用、使わない筈の卵白を勿体無いからって増量のために利用して、材料費を押さえるために高い生クリームを牛乳に代えた庶民の悲しい努力がここぞとばかりに味わえる一品よね!?」

「さもしい庶民の血と汗と涙の結晶レシピで悪かったな!!」

庶民出身のアラムが一瞬で沸点に達して食って掛かろうとするのを気にも止めずに、ジョゼはあくまで自分の欲望に忠実に行動した。

「ねえアラム、お行儀の悪いことだと思うかもしれないけど、貴方のその食べかけのプリン一口ご相伴にあずかっても構わないかしら?だってこんなこと滅多に無いんだもの」

こんなこと即ち庶民の食べ物を口にすることだと言うことに気付いたアラムがもう一度怒鳴ろうと息を吸い込んだ絶妙な間隙に、クリスがすっとジョゼの目の前に自分の食べかけのプリンを差し出した。

「ああ、姫、私のでよろしければこちらをどうぞ存分に味わってください!」

「まあ、構わないの?」

「もちろんですとも、このクリス、かようなことでしか姫のお役に立てないこの身が恨めしゅうございます」

立て板に水を流すかのごとくとめどなく言葉を紡ぎつづけるクリスに完全に毒気を抜かれて、アラムはへなへなと椅子に戻るとまた本を読み始めた。

その隣で貴族二人の社会体験の如き時間が流れていく。

「あら、これ美味しい。クレームブリュレは表面の飴を割ながら食べるのが面白いのだけれど、プリンを食べた後じゃせっかくのあの滑らかな舌触りを殺してしまっているように感じてしまうわね。それにこの触感も面白いわ。ブリュレと全然違うの。私こちらの方が好きかも。今度料理長に作るように頼んでみようかしら」

やめておけ、格式ある料理を作ることに人生かけてきた料理人が聞いたらまず間違い無く世を儚んでしまうぞ、と心の中で突っ込んだアラムの耳に、頭上から降り注ぐ鐘の音が容赦無く襲いかかってきた。

「やっべ、予鈴だ」

「大変!ホームルーム!」

慌てて三人でテーブルの上を片付け、アラムはさっと本を取り上げて席を立った。

「行くぞ、これから爺さんたちのありがたい説教教室で聞かされるんだろ?」

「だね。では、姫、参りましょうか」

クリスはジョゼに手を差し出してさりげなくエスコートしつつ、アラムとの間に割って入った。――これぞ学内の平和維持活動の地道な第一歩。

「爺さんたち、今日の説教なんだって?」

「卒業論文のことじゃないかな?最終学年の初日だし。アラムはテーマは決めてるのかい?」

「ああ」

クリスが微笑んで話を向けると、アラムはちょっと鼻をこすりながら明後日の方向を向いた。

「魔術の医療技術転用について、かな。魔道具を人体内に埋め込んで人体の一部として代用とかできれば、もしかしたら母さんの身体も良くなるかもしれない」

「まぁ壮大な目標ね」

クリスの逆側でふん、と鼻を鳴らす気配がした。

「王宮魔道師が何人も何年もかけてまだ進展してない難しい研究だもの、結果が出なくても落ち込まないようにね」

「何だよその結果が出ないに決まってるって決め付けた態度は!」

「まぁまぁ、アラム」

つんと顔を背けたジョゼに食ってかかろうとするアラムを押し留めて、今度はジョゼの方を向いた。

「姫は何かご希望などはあるのですか?」

「私?私は……雨、かしら」

『雨!?』

クリスとアラムがぎょっとした風に同時にジョゼの顔を覗き込んだ。

「おいおい、正気かよ?それこそン千年も解決できてない難問だぞ?」

「分かってる、だけど今の状況だと辺境部じゃ水が足りなくて困るところもあるんでしょ?必要な時、必要な所に、必要な量だけ城に頼らず雨を降らせられたら、皆嬉しいじゃない?」

 ジョゼはむっとして頬を膨らませながら視線を下に向けた。

難しい問題なのは判っている。史上最高の魔道師といわれる自分の先祖筆頭に歴代の名のある魔道師たちに真っ向勝負を挑むようなものなのだから。

それでも、ジョゼの脳裏を離れないものがある。

かつてたった一度だけ、アラムの家を訪ねたときの光景。

そこはジョゼの家の何処にも無いほど、……それこそ、使用人棟よりも質素で簡素で、有体に言えばボロい家が立ち並ぶスラム街で、人々は城が巡ってくるたびに水を確保しようと雨の中をずぶ濡れになって走り回っていた。

――水なんて、放っておいても集水システムが勝手に貯蓄してくれるものだと思っていた。

後でレイに聞いたところ、そんな事は庶民の間では極当然のことなのだという。

庶民でも裕福なところは共同で集水システムを共有して手間を省いているが、大半の民草は生きていくのにかつかつの量を何とか確保している、と。

長い歴史の中少しでも生存可能領域を広げようと度重なる城の軌道修正の積み重ねの矛盾が全てヒエラルキーの最下層に存する人々に降り注がれているように思えて仕方がなかった。

自分の先祖が構築した降雨システム。そのせいもあるのかもしれないけれど、何とかできないのか、ともう何年も一人で考えていて。

「ずっと、卒業研究には雨をテーマにするって決めてたのよ、私」

「流石は姫!壮大にして遠大、且つ民の為を想った崇高なお志、なんと言うお優しい御心!私の心は今、感動の嵐にうち震えております!」

 クリスが大袈裟に感激する横で、アラムはふん、と鼻を鳴らした。

「お前のほうこそ、それこそ出来んのかって感じだぞ?」

「やって見せるわよ!これは、私の、御先祖様への挑戦でもあるんだから!!」

「精々頑張れよ。ま、お子様の宿題程度じゃ絶対に解決できないレベルだからそれこそ結果でなくても落ち込むなよ」

「アラム!また私のことをお子様って言ったわね!?訂正しなさい!」

 ぷんすか怒るジョゼのご機嫌をとりつつ、クリスたちは今年一年間根城にする新しい教室に入って、新しい学年のスタートを切った。


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