初恋の人 【月夜譚No.218】
ノートの隅に取ったメモに、懐かしさを覚える。彼女はそれを指でなぞって、密やかに微笑んだ。
思い返すのは、高校の国語の授業。その年に入ったばかりの新任の教師が学校の日常に慣れ始めた頃、彼女は既に彼の授業が楽しみになっていた。
単純に国語の授業が好きだった。けれど、ただそれだけの理由でこの時間を待ち望んでいたわけではないことに自ら気がつくのは、そう難しいことではなかった。
襟足を僅かに伸ばした艶やかな黒髪、下がり気味の眦は優しい色を浮かべ、解説する声は柔らかい印象だった。彼の姿を見かけるとつい目で追ってしまう自分に気づいてからは、意識して彼を探すようになっていた。
ある日の授業の雑談で、好きな食べ物の話になった。ここの店のパンケーキが美味しい、あそこで売っている冷凍食品は味の割にコスパが良い、など生徒達が口々に言う中、彼は楽しそうに有名メーカーの菓子の名を挙げた。
それが可愛らしく思えてしまって、覚えていられるけれども、メモを取らずにはいられなかった。
月日はあっという間に過ぎて、一度も自身の気持ちを吐き出すことなく彼女は卒業をした。
今でも、あの時の気持ちは大切だし、正直捨て切れているかというと自信がない。だが、今の自分は充分に幸せで、彼もそうでいてくれたらと願う。
彼女は傍らに置いておいた結婚式の招待状を手に、近所のポストへと向かった。