第3話 あやね
さて3話目はあやねちゃんが登場します。
いろいろ見えてしまうあやねちゃんの、ちょっと不思議なお話です。
失敗しちゃった。
おばあちゃんに言われていたから、上手く隠してきたつもりなんだけど。
あんまりはっきり見えたし、声もすごくはっきり聞こえたから、ついお話しちゃった。
それは音楽の授業が始まる前の事。
その日の授業は、音楽室ですることになっていた。
「あやねちゃん、行こう」
アイちゃんが机のとこまで誘いに来てくれる。
「うん!」
あやねは元気よく返事をする。
アイちゃんは同じクラスのとってもステキなお友達。すごくさっぱりした性格で、なんて言うんだっけ、えーと、あ、そう! 物事に動じないタイプ。
それにとっても頭が良くて、いつも図書館で借りた本を一杯持っていて、なにかあるとあやねに色々教えてくれる。だから大好き。
「ちょっと早かったかなあ」
まだ誰も来ていないらしくて、音楽室の扉は閉まっていた。あやねはよいしょ、と、引き戸を開ける。
すると。
誰もいないと思っていた音楽室に、男の子が1人。あやねよりちょっと年下かな、こちらを振り向く。
「あれ? えーっと、どうしたのかな?」
「ここは教室?」
「うん、でも音楽室だよ。あ、一年生で迷っちゃったんだね。何組? 教室まで連れて行ってあげる」
その子はちょっと首をかしげていたんだけど、こちらへ来ようとする。
「……あやねちゃん」
すると今度はアイちゃんが珍しく小さな声で話しかけてきた。
どうしたんだろう、いつもはもっとはっきりしゃべるのに。
「誰と話してるの?」
「え? だってこの子」
「……誰もいないよ」
アイちゃんは、また小さな声で教室を見回しながら言った。
しまった、と思ったんだけど、えっとこういうのはなんて言うんだったっけ、あ、後の祭り。
すう、と何かが動く感じがしたので、そっちを見ると、さっきの子が名残惜しげにこちらを見つつ教室から出て行くところだった。
「あ……」
何か言わなきゃ、けど言葉が出てこない。
アイちゃんも驚いたように黙ったまま。
けどその手がピクリと動いたところで、音楽室の外から男子のけたたましい声が聞こえてきた。
「一番乗りだあ、あれ、なんだよお、お前らいたのかよお」
「残念でした、ハッハッハー」
「うるさい」
キャッキャと騒ぐ男子たちのあとからクラスメイトが押し寄せて来て、チャイムが鳴って授業が始まってしまう。
結局アイちゃんとは何も話が出来なかった。
6時間目が終わって、あやねはアイちゃんを避けるように教室へ帰る。だって、どうしたらいいのかわからないんだもん。
そうしたら、アイちゃんの方から話しかけてきた。
「あやねちゃん、ごめん。私今日は帰りに寄るところが出来たから、先に帰るね」
「あ、うん」
「じゃあまたね」
そう言うと、アイちゃんは風のように教室を飛び出していった。
やっぱり、私のこと避けてるのかな……。
なんだかがっかりして、のろのろと帰りの支度をして。
あやねはとぼとぼと帰途につく。
普通の? っていうか、世の中のたいていの人に見えていないものが見えてるってわかったのは、いつの頃だろう。
空に舞うシャボン玉みたいなキラキラ。
人じゃないのにしゃべる何か。
風はね、誰かが大きな団扇をあおいでたり、蝶が羽ばたいたり、まあるいおばけがふうーって息を吹いたりして起こるんだよ。
いきなり雲がうわあっとやってきて雨を降らせるのは、神さまがね、大歓迎してくれてるの。
そんなおとぎ話みたいな事を言い出したあやねを見て、ママはおばあちゃんにあやねの事を相談しに行ったみたい。
おばあちゃんは、「あらまあ」と言って、とっても嬉しそうにしてくれたんだって。
だからね。
小さい頃からおばあちゃんに連れられて、不思議な体験をしていたからあやねは、そう言うものが見えない人がいるところでは、うっかりそんな変わった人たちとお話ししちゃいけないってわかってた。
だから、あの日もずいぶん注意してたんだけどな。
あのこ、すごく、えーと、そう、リアルだったの! 今まで見た事もないくらい。
でも、もうどうしようもない。
そんな色々を考えていたからだろうか、ハッと気が付くとあやねは家に帰る路とは違うところを歩いていた。
「あれ、ここって……」
川沿いの、マンションが建ち並ぶ一角。
そのうちの1階にはお店が何軒か。
どのお店も知らないんだけど、あやねはそこを知っていた。
それは以前、お父さんのことで相談に訪れた喫茶店があったところだ。あのときは、行って〈せいかい〉だった。
だったらもしかして……。
あやねは突然走り出した。
そうだ! 『はるぶすと』へ行こう!
カラン……
重い扉を開くと、あのときと同じような、ベルの音がして。
「いらっしゃいませ! すみません、もうランチ終わって……、あれ? あやねちゃん?」
お出迎えしてくれたのは、あさくらくんだった。
「どうしたの? 学校の帰り?」
「うん、……ええっと」
あやねはおばあちゃんが教えてくれた事を思い出す。
「不思議な事を相談するときは、紫水さんにするのよ、覚えておいてね」
「うん!」
「えっと、しすいくんはいる?」
「へ? 冬里? はい、かしこまりました~」
ちょっと驚くようにしていたあさくらくんだけど、すぐに胸に手を当ててお辞儀してくれる。そのあと、「冬里~、姫がいらしてますよ~」とお店の奥へ引っ込んだ。
しばらくして、しすいくんがいつものニッコリ笑顔でやってきた。
「姫、今日はお一人ですか?」
「うん、ちょっとね。……あやね、失敗しちゃったの」
泣くつもりなんてなかったんだけど、なんだかここへ来たらホッとして、涙が出て来ちゃった。
「え? わわわ、あやねちゃん?」
あさくらくんがアワアワしてる。
それでもって、おしぼりを持ってきたんだけど、「こんな熱いの持ってきて、あやね姫がやけどしたらどうするの」って、しすいくんに怒られて。
「あわわ、すんません」
って謝ってまたアワアワし出す。
「うふ」
おもわず笑っちゃうと、しすいくんが暖炉の前のソファに案内してくれた。
「あやね姫、なにやら込み入ったお話のご様子。どうぞこちらへ」
「うん、ありがとう!」
ソファに座ると、やっぱりくらまくんがやってきて、涙を拭いてくれて。
「ココアでいいかな?」
って聞いてくれたから、「うん!」と、元気よくお返事した。
もうそれだけで、やっぱり来てみてせいかいー、だって思った。
「ふうん、そんなことがあったの」
向かいに座ったしすいくんが、顎に手を当てながら首をかしげて言う。
「うん、本当そこにいるみたいだったから、話しかけちゃって」
「うーん、まあその子のことは今度知り合いに聞いておくとして、問題はアイちゃんなんだよね?」
「うん」
アイちゃんの名前を出されると、ちょっとショボンとしてしまう。
しすいくんはそのあと、人差し指をたててクルクル回してたんだけど。
「アイちゃんってさ、とっても頭が良いんだよね」
「え? うん、そうだよ」
「でさ、今日は寄るところがあるって言って帰っていった」
「そうなの。あやねとは一緒に帰りたくなかったんだとおもう」
言ってるとまた悲しくなってうつむいてしまう。
「けど、それを言った時、アイちゃんは、こう、恐ろしそうだったり、気持ち悪がったりしてた?」
「え? えーと、……ううん、いつもと同じだった」
そう、音楽室では声をひそめてたれど、帰りはいつものハキハキしたアイちゃんだった。
「だったら大丈夫だよ? アイちゃんはあやね姫を嫌いになったりしてないよ」
「ほんと?」
「うん~たぶんね~」
ニッコリ笑って言うしすいくんの言葉に、カウンターの向こうから「たぶん、てなんすか」と言うあさくらくんの声がした。
「ええ~? なにかな~夏樹~」
「ひえっ、すんません」
あさくらくんは、慌ててカウンターの陰に隠れてしまった。
笑ってそれを見ていたあやねだが、ふと肩を落とすとつぶやく。
「でも、なんであやねだけ、見えないものが見えるんだろ。普通だったら良かったのに」
「普通?」
「うん、皆みたいに」
「ふうん」
あやねの言葉を聞たしすいくんは、そう言いながら、なんだか怖いくらいニッコリと微笑んでいる。
「ねえ、君ってさ、唯一ただ1人の君なんだよ」
「……」
あやねはちょっと怖くてなにも言えない。
「君はこの世界の唯一無二、そしてアイちゃんも」
アイちゃんと聞いて、あやねはこくんと頷く。
「そしてそれは、〈ふつう〉の人には見えない存在も同じ。この表現はありきたりだからあんまり使いたくないんだけど、君も僕も、世界を形作っているジグソーパズルの、ただひとつのピースなんだよ。誰がかけても成り立たない、そして」
「……」
「それは、君が君でいなくては、成り立たない」
なんだか難しい。思わず首をかしげてしまうあやねに、しすいくんはようやくいつものニッコリに戻って言う。
「あやね姫は、あやね姫のままでいるから世界が成り立ってるんだよ。普通って言うけど、他の誰になりたいの?」
「あ……」
そうだ、あやねはあやねなんだ。
アイちゃんでも、その他の人でもない。
「うん、なんか難しかったけど、しすいくんの言いたいことはわかった!」
「よろしい」
「しすいくん、偉そう。あやねは姫なんじゃないの」
「これは、失礼しました」
そう言って楽しそうに微笑むしすいくん。
やっぱり、来てみてせいかいー。
嬉しくてココアを飲んでいると、お店の時計が目に入る。
「あ、もうこんな時間。GPS持ってるから、どこにいるかはわかると思うんだけど、ママが心配してるよきっと」
「GPS! すごいもん持ってるんすね、あやねちゃん」
あさくらくんが感心したように言うから、えっへんと胸を張る。
「今どきの小学生は大変なのよ」
「ははー!それはそれは。 ではこの不肖朝倉夏樹、姫をお家までお送り致します」
そしてあやねは、夏樹と仲良く手を繋いで帰路についたのだった。
翌朝。
あやねはまだアイちゃんにどんな顔をして会ったらいいのか、内心ドキドキしながら学校への路を歩く。
「おはよう!」
すると、そのアイちゃんが後ろから元気よく声をかけてくれたのだ。
「アイちゃん!」
「昨日はごめんね。でも聞いて、あやねちゃんが昨日体験したことは、昔からよく知られていることなんですって!」
「え?」
驚くあやねに、アイちゃんはおもむろにランドセルを道に下ろして、中から本を取り出してみせる。アイちゃんはよくこんな風にして、いきなり道で本を取り出して、あやねや他の子に自分が知り得たことを説明する。
「なんだかそう言う、ええっと、オカルト? みたいなことを前に読んだ事があって、急いで調べなくちゃって図書館へ行ったの。そしたら、あったわよお、こんなにたくさん」
と、ランドセルの中を見せてくれる。そこには教科書のほかに図書館の本が一杯入っている。
「こんなに……、重くなかった?」
「そんなの、あやねちゃんの一大事だったのよ! ちっとも重くない、まあちょっとは重かったけど……」
あやねはそんなアイちゃんの気持ちが嬉しくて。
中にあった図書館の本を何冊か引っ張り出す。
「え? ちょっとあやねちゃん」
「そのお話は、休み時間にいっぱい聞く。早くしないと、遅れるよ」
「あ、うん!」
少し軽くなったランドセルを背負って、アイちゃんは笑顔であやねの隣を歩き出した。
それから少したったある日。
教室には誰もいなくて、その子だけがいた。
その子はあやねと同じクラスの、……ええっと、あんまりお話したことがなかった。
確か、レイちゃん。
そのレイちゃんが窓から外を眺めている。今さら校庭なんか見て、何してるのかな。
引き寄せられるように、あやねは少し離れたところへ行って外を眺める。
「あ!」
思わず声が出てしまった。
校庭では実態の生徒も遊んでいるんだけど、それに混じって、いろんな存在が遊んでいる。キラキラ、すうーっ、ぼよん、ドゴドゴ。
「貴女だけじゃない」
レイちゃんがそうつぶやくと、下にいた実態の何人かがこちらを振り向いた。
「しんどくなったら、それを思い出して……」
驚いてレイちゃんを見るあやね。
「あやねちゃん、帰ろ! あれ? レイちゃんもいた。何してるの?」
アイちゃんがいつものようにハキハキと言う。
すると。
校庭で遊んでいたまあるいおばけが、ぷうーとこちらに息を吹きかけて。
「わあ、すごい風! でも涼しい~」
アイちゃんが笑う。あやねも笑う、レイちゃんも笑っている。
心地よい風が、3人を通り抜けていった。