第1話
外面が良いことだけが自分の取り柄である。
征一郎はその長所を生かしてこれまでずっと色々な女や男の元を渡り歩いて生きてきた。《飼い主》探しに苦労したことはない。
それが征一郎の自慢であり、何よりの心の支えだった。
春に家探しなんて絶対にやめろと――そんなことを言っていたのはいつ頃付き合っていた彼女だっただろうか。
春は新生活や就職やらで引っ越しをする人間が多いから、不動産会社も引越し業者も繁忙期――さっきから幾度も掛け直しているこの電話が繋がらないのもたぶんそういう理由に違いないなかった。
きっとそうだと征一郎は無理やりに己を納得させようと試みた。しかしそれにだって限度はある。
「ちっとも出やしねえ! なんなんだよ客を選り好みしやがって……家がねえから部屋を探すんだろ!」
そう荒々しく叫んで電話を切ると、征一郎はがっくりとテーブルに項垂れた。同じ番号へ電話するのはこれでもう三度目である。
「何度もでかい声を出すなよ」
そう釘を刺したのはテーブルを挟んで征一郎の向かいに座る男だった。征一郎から乱暴に電話を取り上げると、彼は眉を顰めて店内を見渡した。
「俺は仕事中なんだよ! 邪魔をするなら飯代にコーヒー代、耳を揃えて請求するからな。バイト代も出さないし」
男が指したのは自分が口を付けていたコーヒーだった。それを言われると征一郎は弱い。
何せ、今の自分は家なしの無職である。
手持ちの現金は三万五千円あるが、それが己の全財産と思えばコーヒーの一杯でも奢ってもらいたい。
「だってなあ、こちとら不動産屋に完全にシカトされてんだぞ? もう何度も電話してるってのに一向にレスがねえんだ」
征一郎の言葉に目の前の友人――玲夜は全く反応を示さない。彼は夕暮れ時のファミレスの店内の最奥をじっと見つめたまま微動だにしなかった。
「へいへい……男と女の密会現場の隠し撮りたあ、探偵ってのも楽じゃねえわな。ぜってーやりたくねえよ」
「お前みたいな働きもしないヒモに言われたかないね。会ったことはなかったけど、お前と別れた彼女は大正解だな」
「はあ? なんで?」
「だって、話を聞く限りじゃお前を飼うようなゆとりがあるとは思えないもん、その彼女。ムリしてホストに通う客と同じよ」
「俺は容子に金なんぞたかったことないわい」
「そんなのは当然」
玲夜はそう切り捨てるように言葉を返して征一郎を見る。彼が注文したアイスコーヒーのグラスは既に空だった。
「人間ってのはゆとりが大事なんだよ、征一郎。懐にも心にも時間にもさ。お前みたいなプロのヒモを飼う人間なんてまさにその極み。ゆとりというよりもはや遊びだな。お前は突然彼女がキレ散らかして追い出した……なんて言うけど、それってつまり彼女にはもうお前を飼うだけのゆとりなんてないんだよ。一日働いて疲れて帰ってきてさ、自分の部屋にお前がいるとイラッとするんじゃない? 俺だって仕事中にお前から電話かかってきてイラッとしたもん」
「ぐぬ……な、なるほど……」
ぐうの音も出ない。
しばしの沈黙が耐え難くなり、征一郎は既に冷めて固くなったフライドポテトを数本まとめてフォークで突き刺して口へ押し込んだ。
「お前もさあ……寛大なご主人さまがいないってんなら普通に働いて真面目に生きていけよ、征一郎。俺の職場はいつでも人手を募集してるぞ」
そう言って胸を張る玲夜の仕事は探偵だ。表向きには便利屋に毛が生えたような調査会社だだが、彼の話を聞く限り金を積めば何でもやるようである。例えば裏社会に属する依頼主の嫁の浮気調査であるとか。
「そんなニコニコしながら誘うような職場かよ。さすがにゴメンだわ。ヤクザの嫁の浮気調査が仕事なんてよ」
「税金も収めてない人間が選り好みできる立場か」
返す言葉もなく頷くしかない。
征一郎は現在無職である。
これまでも無職であり、少なくとも数年は給料というものを貰う生活をしていない。
付き合っていた彼女の家で暮らす――所謂、ヒモ。
履歴書を作成したのはそうした自分の毎日につい最近ピリオドが打たれたからだった。突然彼女に「別れ」を告げられ、着の身着のまま僅かな荷物と共にマンションを追い出されたのである。
当然食い下がったが、時を同じくしてマンションの管理会社の人間がやって来て自分を無理矢理に部屋から連れ出してしまった。どうやら彼女が「不審者が部屋にいる」と訴えたらしい。
警察へ突き出されるという最悪のシナリオだけは免れたが、自分の携帯電話さえ失った。自分では料金を払っていなかったのだから当然――とは玲夜の言葉である。
二十四歳にして職なし血縁者なし連絡先もなしのガチホームレス。
これぞ完全に《路頭に迷う》である。
こうして征一郎はゆく宛ても住む場所もなくした。