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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Ever Never Forever

RETURN

作者: 高峰 玲




── alert ────────────────


残虐シーンがあります。

苦手な方は飛ばしてお読みください。


────────────── alert ────











 地球連合宇宙軍所属の宇宙巡洋艦〈グラーネ〉は燦燦と陽光を浴びて、澄みわたる青空のもとに銀ねずの船体を披露していた。

 腕組みして〈グラーネ〉を見上げるあたしの頬は、自然と緩んできた。何といっても、ここは地球で、いま、あたしが立っているのは、アスファルトとはいえ立派に地表なのだ。好きこのんでなった宇宙船乗組員(ふなのり)とはいえ、やはり三ヶ月ぶりの地球(おか)はうれしいものだ。

 じんわりと地球に帰った喜びがくる。

「まだいらしたんですか、キャプテン」

 頭上で声がした。見上げると、ダークブルーのスーツを着た男がタラップを下りてくるところだった。逆光で顔がはっきりしないが、軍の制服を着ていないから誰だかすぐにわかる。

 だいたい、あたしはまだ大佐(キャプテン)ではない。それを、艦長(キャプテン)とひっかけて呼ぶような奴はひとりしかいない。艦医の野郎だ。

「おたくこそ、ずいぶんごゆっくりね」

 つとめて平静な声を使う。

「カルテ承認がたまってましたので」

 そう言った水森亮一(みずもりりょういち)は、まっすぐにあたしを見た。

「なに?」

 あんまりしげしげと見てくるから少々ムッとした。

「……いや」

 こともあろうに、軽く鼻で笑ってそっぽを向く。こっ、こんにゃろー。

 少なくとも、悪人ではない。医師なのだ。それなりのモラルはあるし腕が悪いという話も聞かない。勤務態度もまじめだ。

 だが、性格が……かわいくない。

 ウマが合わないというか、皮肉屋というか、どういうわけか会話が憎まれ口っぽくなってしまうのだ。

「類は友を呼ぶとはいえ、これだけそろうとは……」

 それだけ言うと奴は荷物を手に宇宙港の建物に向かう。

「何の話よっ?」

 つい、足元の書類ケースをひっつかんで後を追う。

「さすがあなたの部下だけあって〈グラーネ〉の乗員はイキがいい。血わき肉おどる、というとこですか。しかし」

 水森亮一はそこで足を止め、あたしの方に向き直った。

「艦医として言わせてもらうならば、部下ともども、早々に配置替えを希望なさったほうがいいですよ」

「え?」

 あまり医者らしくない精悍な顔にやさしい色がおちたので、あたしは常になくとまどう。すると、そんなあたしを見て奴はまた鼻先で笑いやがった。

「……よほど、いまの任務は気詰まりなようですね」

 あたしの感情の機微を察したのか、奴は直截に言った。

「ええ」

 あたしは素直に認めた。豪華宇宙客船の護衛なんてものは、誰もが嫌がる任務だ。ってか、あたしは大っ嫌いである。単調で退屈なくせに、緊張感は絶えず維持しなきゃならん。

「かなりストレスもたまっている?」

「ん」

 まさにそうである。

 客船に合わせて航行はさながらカメの歩み。ワープもチビチビとけちくさいっちゃない。

 皆、イライラしているから艦内では勤務中だろうと休養中だろうと、ケンカが絶えない。それをいちいち、止めなければならんのだ、あたしは。本当は、あたしのほうが先頭切ってやりたいくらいなのにっ。

「おかげで、こちらも大繁盛です」

「ケガ人で?」

 水森医師は首を横に振った。

「急性胃炎患者です。そのうち、穴があく者も出るでしょうね。全乗員対象のストレス度チェックにもチャートの偏りが見られます」

 天気予報みたいに言うなよ。自分の胃袋ちゃんは自分で守るけどさぁ。

「それの統計、いま上げた?」

 隠すまでもない、医者はうなずいた。

 ひとつの任務区切りで報告が上がれば、人事の対応も遅すぎることにはなるまい。上官(あたし)からの勤務査定もすでに送信してある。

「ま、なんとかなるでしょ」

 レクとして艦内プロレス大会でもやってみようかねぇ?

 明日から一ヶ月の休暇だ。そのあいだに、人事は必要ならば配置を調整するだろうし、あたしだって、肉弾戦以外の娯楽を思いつくかもしれない。

 三ヶ月にわたるダレた航海で鬱屈してたあたしの精神も、やや前向きに考えられるようほぐれてきた気がする。

「ところで、あんた胃は丈夫?」

「えっ? ああ、普通ですが」

「そう、それは結構。次の航海も、よろしく頼みたいものね」

 気持ち口角をあげて言うと、水森はめずらしく白い歯をのぞかせた。

「こちらこそ」

 ほんと、こういうところは、感じの良いひとになれるのにねぇ、ブツブツ。





 軍用宇宙港は一般宇宙港よりも入出国の際の面倒がない。利用者は軍の管理下にあり、目的も軍事なのだから当然だ。

 チェックカウンターで端末にIDタグをかざすと画面に下船名簿が表示される。そこへタッチペンで電子サインする。

 見たところ、〈グラーネ〉の乗員はあたしが最後だ。

 申しわけ程度に口元をゆるめてカウンターの向こうの係員に微笑んでみせ、サインする際に足元に置いた書類ケースを持って歩き出す。

 少し前を医者が歩いている。ふと、胃の穴について訊きたくなった。

「水も……」

「エテルナ・ラバウル中佐どのっ」

 声をかけてる最中に、あたしも呼び止められてしまった。振り返って見ればカウンターの中の係員である。

 同様に振り向いてあたしを見ている水森サンに合図して待ってもらい、係員の方に向き直る。どういうわけだか、グレーの制服を着た男性は湯気をたてんばかりに上気している。

「何か?」

「あ、あのっ、サインを」

「サイン?」

 おんや、まだサインしなきゃならんかったか?

 どうでもいいけど、頬を紅潮させながらガタガタ震えんのやめなよ。まるであたしが何かしたみたいじゃないか。

「んっ?」

 差し出されたのはバインダーに挟まれた白紙。

「そっそのう、私の娘が、おっそれ多くも中佐どのにあ、あこがれ申しあげておりましてその、まあ……」

 おそるおそるペンも寄越してくる係員は、どう見ても二十代後半なんだな、これが。

「……娘さんいくつ?」

 一応サインしてやりながら尋ねると、()()()()笑って答えた。

「は、七ヶ月です」

「…………」

 のやろっ。

 ニタニタと目が糸メメズしている係員に紙とペンを返すと、そのまま無言で背を向ける。何てェ奴だ、ったく。

 おかげで、待っていてくれた人にあたしらしくもなくしおらしげに謝ってしまった。

「ごめんなさい、お待たせして」

 すると水森亮一は意外そうな顔をする。こらあ。

「いや、それより、何ですか」

「ああ、質問なんだけど、胃に穴が」

 言いかけたところにまた邪魔が入った。

 今度はあたし達の進行方向、つまり、玄関ロビーの方から駆け込んてきた人にとはち合わせちまったのだ。

 向こうはぶっ飛んで尻もちついてるし、あたしは書類ケースを落っことし、おまけによろけて水森亮一に抱きとめられる形になってしまった。

「すっすいません」

「あっありがと」

 相手が立ち上がってケースを拾ってくれるのと、弾かれたようにあたしが水森亮一から離れたのとは、ほとんど同時だった。

「あれ? 嫦娥(じょうが)?」

 葬儀屋か、またまた()()のつく職業みたいな黒の三つ揃いに黒のネクタイ、黒いサングラスの男が、目の前に立っていた。知っている顔である。

「お嬢さん、お帰りなさい」

 そう言って嫦娥はあたしに書類ケースをくれた。

「あ、うん。しかし、何だってあんたこんなところに……」

 そこではた、と思いあたった。

 嫦娥ってのは本名じゃなくてコード名である。本名はあたしも知らない。仲間うちで「ワンの坊っちゃん」と呼ばれてるから、ひょっとしたら、王だか黄だかいうのかもしれない。水森氏同様、東アジア地区出身だそうだが、ともかく、嫦娥は情報局のエージェントだ。

「まさかと思うけど」

 あたしのこわばった声に、嫦娥はうなずいた。

「私は局長をお迎えに来たのです」

 大当たり、だ! いやはや、なんて日だ。

 あたしの名はエテルナ・ラバウル。地球連合宇宙軍の中佐で、巡洋艦〈グラーネ〉艦長である。そしてなおかつ、この嫦娥の上官にあたる地球連合軍情報局長であるところの、グローツ・ラバウルの娘だ。

「おっ親父によろしく言っといて……」

 どうせ家に帰れば顔を合わせるはめになるとわかっていても、つい回避行動に出てしまう。

 あたしは、人目のあるところで親父と同席するのが嫌なのだ。

 それもこれもみーんな、親父の七光りで弱冠ニ十四のうら若き乙女(!)が立身出世したと思われるのが(しゃく)だからだ。実際のところ、宇宙軍は親の七光りが通用するところではないのだが……。

 嫦娥と別れて歩き出してから、あたしは口をきかなかった。気をつかってくれたのか、水森氏も何も言わない。もともと、口数の多い奴ではないが。

 それでも、やはりわざわざ呼び止めて待たせたのだから、何か言わんとまずい。


 そのときである──。


 いきなり何の前触れもなく建物が揺れた。

 地震ではない。

 揺れたのは一回こっきりで、そのうえ、まったく火の気のないロビーが爆発的に燃えだしたのだ。あっという間に火の海である。

 あとはもう、火だるまになった人たちの暴走だ。皆、火のないところを求め、こっちの方へ駆けてくる。

 駆けてくるといっても、衣服に火がついているから壮絶だ。ロビーを出ると同時にラグビーのタッチダウンさながらの勢いでゴロゴロ転げ回って消火する。

 上着を脱いですぐさま救助作業にあたる水森亮一の姿が目に入ったが、あたしは面前の惨状を見捨てて(きびす)を返した。

 女性士官の軍服は地球連合軍だろうと地球連合宇宙軍だろうと、スカートはタイト型で走りづらい。それでもあたしは走った。もと来た方、つまり、チェックカウンターの方へ。

 何故かはわからないが、そっちで何かが起こっているような気がした。

 途中から完全武装した警備兵の大群が加わって同じ方向に突っ走る。は、どんぴしゃり、だ。

 そのうち、前方から爆音と銃撃音が聞こえてきた。

「ちょっと!」

 警備兵たちはそのままカウンターを抜けてエプロンの方へと降りていったが、あたしは立ち止まってカウンターをのぞきこんだ。案の定、先刻の係員がうずくまってブルブル震えていた。

「これはいったい、何事よっ?」

 訊いているところへぶつかってくるバカがいた。

「邪魔だ! どいてくれ」

「おだまりっ」

 女と思ってナメてんのか、えらく高飛車に怒鳴りつける男に一喝し、書類ケースでぶん殴ってやった。

「これ、預かっててよ」

 カウンターの内側にケースを投げ入れ、あたしはしばいたばかりの警備兵の武器をいただきにかかる。

「あっあなたは!」

 非常時にもかかわらず、呆然と警備兵があたしを見上げる。あの一撃で正気を保っているとは、感心な奴だ。

「あたしは、宇宙軍のエテルナ・ラバウル中佐よ。悪いけど、武器を借りるわよっ」

 コバルトブルーの制服を見れば連合宇宙軍だとわかるはずだが、あたしは名告った。

「これをどうぞ」

 男がくれたのは大型のレイガンだった。

「ありがとっ」

 それをひっつかんで外に飛び出す。

 外はもう完全な修羅場である。

 くっそう、あたしとしたことが出遅れるなんてっっ。


 状況は一目でみてとれた。〈グラーネ〉の隣にとまっているVIP専用のSTOL(ストール)機が襲撃に遭っているのだ。それに乗ってきたVIPは……うちの親父だ!

 と。

 そこまで把握したところで至近距離に爆撃をうけた。付近にいた兵たちと一緒に爆風にあおられ、十メートルほど飛ばされる。すかさず受け身を取り勢いのままアスファルトの上を転がったが、止まった位置から見えた場景にあたしは愕然とした。

 なんてこった。

 〈グラーネ〉が、着陸脚(ランディングギア)をやられ自重に負けてどたっとばかりにエプロンにへたりこんでいるではないかっっ。

 来週の軍港祭での特別展示のために今回、地表に降りたのが()()となった。

 ごくありきたりの三百メートルクラスの巡洋艦で、フォルムといえばガキの描くクジラみたいなのっぺらっとしたふねだけど、ワルキューレの愛馬の名前なのと性能は気に入ってたんだ。ここ一年は、ずーっとこれで宇宙(そら)に出ていたんだ。あたしの大事な、信頼できる宇宙船(おふね)だったんだぞおっ。

「にゃろう」

 アスファルトに腹這いになったまま、うめいた。レイガンを上着のポケットに押しこみ、もうちっと威力のありそうな武器を探す。大型とはいえレイガンのなまっちょろい光線なんかじゃ、あたしの気が済まない。

 二メートルほど横手に、小型のバズーカ砲が転がっていた。とにかく、それに向かってこっちも転がっていく。うまいことに一発ちゃんと装填されている。

 上半身を起こして狙いをさだめようとして驚いた。滑走路のド真ん中に黒い大型武装エアカーで陣取ってる襲撃者は、せいぜいがとこ十人だ。それに一個中隊はいるあたしたちが、押されてる?

 理由はすぐにわかった。奴らは全身くまなく黒ずくめのぴったりとした装備をしていて、それってまったく防弾みたいなのだ。ヒートガンがヒットしてもちっとも意に介していない。こんな防御スーツ、そんじょそこらにはないぞ。

「くらえっ」

 ひるまずにそいつらを狙ってバズーカのトリガーボタンを押したが、まずいことにあたしが拾ったバズーカは照準器がイカれてた。全然ちがうところを破壊したうえに、敵があたしを狙って撃ってきた。

 これはもう、死んだフリしかない。

 屈辱感に震えながらあたしはアスファルトと仲良ししてた。溜まりにたまったツケは、後でまとめて返してやるんだ、そう心に言いきかせて。

 不意にピタリと銃撃がやむ。

 耳が痛いくらいにあたりが静まり返り、負傷者の低いうめき声がそこかしこから聞こえてきた。そういえば、親父はどうしたかな?

「ううっ」

 わざとらしくも腹に手を当ててSTOLを見るために寝返りをうったが、累々と横たわる人体で視界がきかない。ただ、STOLの乗降ハッチが開いているのは見えた。ということは、親父は外に出たのか?

 あわてて起き上がろうとする身体を、理性で抑える。武装エアカーのエンジン音と、足音が聞こえた。足音は、あたしの方、というかSTOLの方に向かっているようだ。

「──」

 遠くからの呼び声で足音が止まる。

「──」

 応える声は意外に近かった。そっと首をめぐらして見ると、あたしから三メートルと離れてはいない。

 そいつがこちらに背を向けて武装エアカーの方に戻りだしたとき、あたしの身体は理性の支配下から解き放たれた。

「お待ちっ!」

 バッと跳ね起きて最初のステップでジャンプしてタックルをかける。

「こっこの(アマ)っ」

 ちょっとパワー不足だった。

 あっさり振り解かれたあたしは、腹に弾をくらって宙を舞い、背中からアスファルトに叩きつけられる。バウンドしてもう一度。

 何かがクッションになって頭は打たなかった。だが、腹はストレートパンチをくらったようだし、背中からお尻にかけて二度も強打したからダメージがひどい。

 しばらくそのまま苦悶してたら、襲撃者の乗った武装エアカーは去ってしまった。


 それにしても、あたしの頭の下にあるのは何だろう?

 はっきりいって、生臭いこれは……血の臭いだ!

 宇宙軍の制服の防弾効果のおかげであたしの腹には穴は空いていないはずである。ということは?

「……ぐっ」

 うめき声と同時にクッションにしていたものがピクリと動いた。

「嫦娥っ!」

 なんとか身を起こし、その顔をのぞきこんであたしは呼びかけた。サングラスはぶっ飛び、額から血が出て顔をよごしているが、長めの前髪が顔にかかっている女と見まごうばかりのこの美形は、まちがいなく嫦娥だ。

 彼は胸と腹に三発、弾をくらっていた。

「きょ……局ちょ……うを……」

 苦しい息の下からそれだけのことを口にすると、静かに目を閉じた。

「親父……?」

 嫦娥の手を胸のところで組ませると、あたしはSTOLに近寄った。周辺はめちゃくちゃである。宇宙港の警備兵とSTOLの乗員、親父のボディガードが、折り重なるように倒れている。身動きするものなど皆無だ。

「ひどい」

 それしか、言葉が出なかった。

 慎重に周囲を見渡す。

 親父が、いた。

「──っ」

 駆け寄って手を触れてみる。まだあたたかい。息が、ある……?

「う……」

 親父がうめいた。スッと誰かの白いワイシャツの腕が伸びて親父の脈をみる。

「大丈夫、生きていますよ」

「生き、て……?」

 あたしが顔を上げると、そのひと──水森亮一は、力強くうなずいてくれた。





 人間、こうも運が良くていいのだろうかと思ってしまった。親父のことである。

 四発くらっていた。だが、STOLの傍でグチャグチャになってた人達にくらべれば、蚊にくわれたようなものだ。頭と心臓が無事で、そのうえにくらった四発が四発とも致命傷となるべきところに当たっていなかった。これは、幸運以外の何ものでもない。

 しかし……。

 あたしは固く握りしめていた右のこぶしを開いた。黒くて小さな金属製の記章が乗っている。先刻、タックルをかけた際に偶然もぎ取ったものだ。

 いわゆるハーケンクロイツ、小さな黒い卍のそれは、反地球連合組織・黒卍(カーラ・)コネクション(サヴァスティカ)の紋章だ。

 何故、カーラ・サヴァスティカの奴らは親父にとどめを刺さなかったのか。生死の確認ですら、いい加減なものだった。そこが、妙にあたしの心にひっかかる。不可解だ。

 不可解といえば、奴らが情報局長に手を出したこともだ。軍司令あたりならばともかく、どうしてうちの親父なんだ?

 じっと考え込んでいたら、目の前にハンカチを差し出された。手術中の手術室の前でうつむいていたから、勘違いされたようだ。

「泣いてなんかいないわ」

 あたしはそいつを見据えたが、相手はちっともひるんだ様子は見せず、むしろ平然として言った。

「血がついていますよ」

「え……」

 言われて見れば、そうだった。乾いているから気にも留めなかったが、爪のとこなんかこびりついてるなんてもんじゃない。きっと顔にも、髪にもついているはずだ。

「化粧室どこ?」

 素直にハンカチを受け取って尋ねると、親切な水森氏(実はあの後、緊急召集がかかり病院で()き使われていた)は苦笑して廊下の向こうを指差した。

 うう、くそ。早くしないと、おっつけユリアが来るころだ。あの子はあたしと違って心臓に毛が生えているクチじゃないから、これを見ただけでひっくり返るかもしれない。

 軍の病院のトイレなんて、定期健診以外で初めて入ったが、中はきれいなもんだった。

 そのうち手術が終わって親父はICUに移された。

「お父さまっ!」

 いきなり、誰かが走ってきて窓に張り付いて泣きだした。あたしの妹だ。

「ユリア」

 肩に手をかけ、そっと呼ぶとユリアはあたしを見た。

「お姉さまっ」

 今度はあたしにすがって泣きじゃくる。少し離れたところに沈痛な面持ちのフランシスが立っていて、何とも言い難い目をしてこっちを見ていた。

「だ……誰がいったいお父さまをうっ……」

 ユリアはもはや声もなく、ただ震えるように泣いている。ああもう、泣くんじゃないよったく。

「ほら、ユリア座って。お父さまは大丈夫だよ。大したことじゃないんだ。だからもう、泣くのはおやめ」

「うっうっ、お姉さま……」

 通路の長椅子にユリアを座らせ、髪や背中を撫でてやる。ほんとに……我が妹ながらいじらしい()だよ。少なくともこんなとき、こんな風にあたしは泣けない。泣くよりも先に、考えてしまう()()がある。

 そしていま、あたしはその考えた()()を実行したくてうずうずしている。

 ユリアがしゃくり上げるのをやめたので、あたしはそっと離れた。

「……?」

 無邪気に顔を上げてユリアがあたしを見る。かわいそうに、目のあたりが赤くなっていた。

(うち)へ帰って着替えてくるよ」

 笑いかけてやると、ユリアもあどけなさの残る口元をほころばせた。あたしが笑ったので心配はないと安心したのだ。まだ十八、素直なものだ。

「お父さまに、ついていてやれるね?」

 ユリアがうなずく。

「いい子だ」

 また少し妹の髪を撫でてからあたしはICUを後にした。フランシスが追ってくる。

「……親父とユリア、あんたに任せていいわね?」

 おどすつもりはなかったのだが、低い声で切り出すと、フランシスの端正な顔から血の気がひいた。が、それでも彼は応じた。

「はい」

 よし。さすが、親父がユリアの婚約者として認めただけのことはある。たとえ情報局での仕事がお茶くみ専門だったとしても、あたしは見上げた奴だと感心するだろう。ましてや彼はお茶くみどころか、情報局の花形エージェントなのである。

 あたしは笑った。口元がゆがんで、さぞや勝ち気な表情になっていることだろう。

「頼んだよ」

 フランシスの黒いスーツの肩をたたいて、あたしは先に進んだ。

「お嬢さん、お気をつけて」

 足を止めたフランシスの言葉に送られる。

 お気をつけて、か。あたしが何をするつもりなのかお見通し、ってわけだ…。ま、親父の部下なんだから、あたしと同じことを考えるのはあたりまえか。

「ああ」

 あたしはうなずいた。フランシス、本当にふたりのことは頼んだよ。もちろん軍が病院ごと警護してるだろうが、万が一ということもある。

 肩のあたりで手を振って、あたしはゆっくりと歩を運んだ。人気(ひとけ)のない廊下に、ヒールの靴音がやけに響いた。





 家に着いたのは、日もとっぷりと暮れた真夜中だった。

 それでも執事はイヤな顔ひとつせずに家に入れてくれたし、使用人たちも皆、起きていた。まったく、母さま亡き後、上の娘(つまるところ、あたしだ)を育てるのには失敗したものの、親父は下の娘と部下、使用人には恵まれたようである。

「お嬢さま……」

 家へ入るなり執事が湿った声を出して絶句した。すっかり憔悴した顔つきになっている。

「ああ、わかっている。何も言うな」

 とりあえず、あたしはそう言った。視線をめぐらすと皆──メイドやらコックやらといった者たちが心配そうな目であたしを見ている。やれやれ、だ。

「ええと」

 どこまで話すか考えながら言った。

「親父のことなら、病院からも連絡があったと思うが、大丈夫だ。重傷だけど生命に別状はない」

 その言葉にほっとしたように周囲の空気が少し緩んだが、執事はまだ顔をこわばらせたままだ。

「ホントに、大丈夫だよ。あたしがこの目でちゃんと確かめてきた」

「では、いままで病院に?」

「ああ」

 思いついた指示を出す。

「いまはユリアが付き添ってる。あ、悪いけど身の回りのものを少々、病院へ届けてやってくれない?」

 終わりのほうはメイドに向かって言ったのだが、彼女が黙って了承したのであたしも肯首して玄関ホールを横切った。階段をゆっくり上りながら言葉を続ける。

「皆、こんな遅くまでご苦労さん。もう休んでくれていいよ」

 それでやっとあたしはたくさんの視線から解放された。

 が……。

「エテルナお嬢さま」

 階段を上り終えたところで呼び止められた。振り返ると、たったひとり、執事がホールに立ちつくしてあたしを見上げていた。

「うん?」

「それは、血でございますね」

「……そうよ」

 あたしは認めた。顔や手についた血は洗いおとせたが、制服のはシミになってしまったのだ。制服の色がコバルトブルーだったのと、興奮状態のおかげでユリアは気づいていなかったのだが、目敏い執事だ。

「お嬢さまもお怪我を?」

 目をそらしてあたしは首を横に振った。

「いや、あたしは無傷だ。これは……この血は、親父と、嫦娥と、その他大勢の……」

 不覚にも、そこから言葉を続けられなくなった。彼も、それ以上は訊こうとしなかった。

「何か、温かいものでもお持ちしましょうか?」

 いつもとまったく同じ調子で執事は言った。

「いや、いいよ。ありがとう、グスタフスキー」

「それでは、おやすみなさいませ」

 遠ざかっていく執事の足音を聞きながら、あたしも二階の自室へと向かった。

 なんとも、退屈三昧のしめくくりとしては、今日はハードな日だった。犠牲としたものが大きすぎる……!


 制服を脱ぎ捨て、熱いシャワーを浴びる。スコールのように激しい流れが、一日の疲れを全部洗いおとしてくれたらいいのに。

 髪に指を通しながら顔を下に向けて息を吸う。

 充分すぎるくらいにお湯を使い、あたしはバスローブをまとっただけで部屋に出た。着替えるのも億劫だった。髪を乾かす気力もなく、頭には長い黒髪を包むようにタオルを巻いていた。

 と。

 部屋の中央に立つ人影を認めてあたしは足を止めた。アレクが来ていたのだ。

「ちょっと待っていて」

 急いでスクリーンの陰に入って服を着た。親しき中にも何とやら、だ。

 アレク──アレクシス・ワルキュナーは、死んでしまった嫦娥や、フランシス同様、情報局のエージェントで、しかも親父の右腕とまでいわれている人だ。当然、あたしとのつきあいも長いのだが、やはり礼儀は礼儀である。

「今回の襲撃には、やはりダグラス・ブラッドストンが絡んでいるの?」

 黒いニットスーツを着てスクリーンから出るなり、あたしは訊いた。

 アレクは別段表情を変えなかったが、サングラスがいぶかるように室内灯を反射したので、あたしは例の黒卍を放ってやった。

「違うようね」

 アレクがそれを指先でもてあそぶのを見ながら、ソファーに腰をおろす。

「報告を聞くわ」

 空いているソファーを勧めながら促す。調べはとっくについているはずだ。でなければ、こんな時間に彼が来るわけがない。アレクはプロだ。それゆえに襲撃を知ると同時に──親父の生死にかかわらず──情報収集を開始したに決まっている。

「これを……」

 ヤバい職業従事者まがいの黒ずくめの身体を傍のソファーに沈めると、彼はテーブルの上に一枚の写真を置いた。

「……悪人顔」

 あたしは短く、だがはっきりと感想を述べた。

 人間というよりはブヨブヨとした醜悪な肉塊だ。何より、目つきが、まっとうじゃない。アレクが端的に解説した。

「ジャン・マリオ・ヴィットーリオ、マフィアあがりのカーラ・サヴァスティカ構成員です。新参の」

 うぐっ、こんなんがマフィアあがりだなんて、マフィアがかわいそうではないかっっ。マフィアってのはもっとこうスマートで鋭くって、かっこいいイメージが売りものなんじゃないの?

「新参?」

 なるほど。だとしたら、動機が判るな。

 おそらくは幹部昇進を狙っての点数かせぎだ。

「愚の骨頂、としか言いようがないね」

 あたしは吐き出すように言った。フン、ばかめが。

 これが軍の──地球連合軍や地球連合宇宙軍の司令クラスを狙わなかったのは、血の報復を恐れてのことに違いない。それを、だからといって情報局長を標的にするとはべらんめェ、バカ通り越してカバとしか言いようがないぜっ(ごめんカバ)。

所詮(しょせん)、お嬢さんの敵ではありません」

 アレクはあっさりと言い放った。

 そりゃそうだ。こんな、情報局とあたしをナメてかかるようなカバタレは、カーラ・サヴァスティカだって見捨てるだろう。

「で、どこにいるの」

「やっぱり、()()()()()()つもりで?」

 あきらめたような、変な声音でアレクが訊いた。あたしはうなずく。

「もちろん」

 はあっ、とため息をつかれた。なにさ、あたしの性格ぐらいお見通しなんでしょ?

「お嬢さんが手をお下しにならなくても、カーラ・サヴァスティカが始末をつけますよ。多分、ダグラス・ブラッドストンあたりが」

「だったら、なおさらっ」

 アレクのなだめるような口調も気に入らなかったが、終わりに出た名前はもっと気にくわん!

 あんな諸悪の権化にしてあたしの不倶戴天の敵なんかにカタをつけられたくなんかないっ! だいたい、奴はカーラ・サヴァスティカの幹部じゃないかっ。

()()()()、ブラッドストンの先手を打ちたいわ、アレク」 

 一言ずつ、区切るように低く話しながらアレクの視線を捉える。が、グラサンにガンをつけても何の効果もない。アレクは横を向いて苦笑した。

「私をおどしても無駄なことはお判りでしょうに」

「じゃあ、いったい何をしに来たのよ、()()()()

「ご報告ですよ。あなたが情報を求めて動き出さないように」

 その口調は、かつてないほどに冷たかった。

「……アレク」

 いいようのない怒りに声が震えた。彼があたしのために、わざと冷淡にふるまっているのはわかる。それは痛いくらいに。だが……。

「あんたいったい何年、親父の部下やってんの? 何年、あたしをお嬢さん呼ばわりしてるのよ? ああ、そう、あんたはこんなにまでされてケンカ売られても知らん顔でいられんの。そうよね、直接あんた自身には関係ないことですもんねぇ」

 言いたい放題、なじった。

 アレクの沈黙が、こわかったのだ。

 ジャン・マリオ・ヴィットーリオに血の返礼をするのはあたしの感情からだ。どんな大義名分をつけたところで私怨にすぎない。それはちゃんとわかっている。そして、いくらあたしが地球連合宇宙軍の将校とはいえ、私的に流血沙汰を起こせば犯罪者としての逮捕をまぬがれないことも。

 アレクはあたしが犯罪者にならないようにしてくれているのだ。その心づかいはうれしかった。だが、だからといってそれを甘んじて容れるほどあたしはできた人間ではないのだ。かなしいことに。うれしいことに!

「言いたいことはそれだけですか」

 やおら立ち上がろうとするアレクの手をとらえてあらためてソファーに座らせる。

「アレクシス」

 努めて平静に話そうとした結果、思いもかけないくらいか細い声があたしの口をついて出た。憮然とアレクが肩をすくめる。

「今度は泣き落としですか」


 ぶわしっっ!


 派手な音と共にアレクのサングラスが吹っ飛ぶ。

 あたしが平手をかましたからだ。

 剥き出しになった紫の瞳を見据え、あたしはきっぱりと言った。

「あたしを愚弄して矛先を変えさせようったってそうはいかないわよ。何と言おうと、あたしはこのケンカ、買ってみせる。たとえ賞金首にされたって、親父と嫦娥と〈グラーネ〉と、その他大勢の恨み、晴らさずにおかないわ!」

 言い切ったとたん、無表情だったアレクが瞠目した。

「嫦娥?」

 まさか、アレクほどのエージェントが嫦娥の死を知らないわけが……ある。情報局長襲撃の知らせと同時に動き出し、その足ですぐにあたしのところへ来たのだとしたら、ありえないことではない。

「お嬢さん?」

 そっぽを向いてアレクの視線を避けた。

「ひとの悲しみにつけいるような真似は、したくないわ」

 それで伝わると思った。

 ややあって、彼は言った。

「……あなたらしくない、いや、いかにもあなたらしい物言いですね、お嬢さん」

 はん、何とでも言ってよ。あたしは知らん顔を続けた。

「それでは、ふたりそろって仲良く犯罪者になるとしましょうか」

 思いがけない言葉に、あたしはアレクを凝視した。

「ひとの不幸を利用するのは不本意だって言ったでしょおがっ?」

 すると、アレクは先刻までとは打って変わった顔で言った。

「お嬢さんは局長のため、私は嫦娥(なかま)のため。つけこむなどということではなく、単に目的が一致しただけですよ。つまり……」

 あたし達の視線がかち合った。

 目は口ほどに物を言う。まったくそのとおりだ。

「それに、私と一緒だと、高飛びするのに便利ですよ」

 めずらしくアレクが軽口をたたいた。

「ハ、それはいえるわ」

 あたしは同意し──それから、ふたりで計画を立てた。




「あ……」

 朝一番で内線専門の空港に行ったら、思いもかけない人と会ってしまった。

 あたしが不用意に声を出してしまったので相手が振り返り、驚いた顔をする。

「意外なところで会ったものね。いまからお帰り?」

 この人が東アジア地区のトウキョウシティ出身だったのを思い出して付け足すと、水森亮一──そう、またしてもこの男だったのだ──はうなずいた。

「ええ。あなたは?」

「あたし? あたしは、ちょっとした野暮用で」

 まさか本当のことを言うわけにもいかないからボカすと

水森サンは怪訝そうにあたしを見た。

 そりゃそうだよね。自分の親が襲撃されて重傷を負った翌日に、病院へ行かず野暮用優先だなんて、何してんだってあたしでも思うよ。っと、いけね。借りたハンカチ、洗ってもいねぇや。

「あ、と……昨日はどうも。あの、悪いけどハンカチ、今日は持ってこなかったんだけど……」

「ハンカチって、昨日のですか?」

 突然の話の飛躍に水森氏はあっけにとられ、それから、彼にしてはきわめて愛想よく言った。

「いいですよ、今度で」

 ということは、やっぱり返してほしいんだろうなぁ。うん。あ、いや、それはともかく、今度、か。

 それを考えるとため息をつきたくなった。今度なんて機会はないと思うんだよね。何せ、あたしはこれから犯行しちゃうんだから。

「どうかしましたか?」

「え、いやべつに……」

 反射的に言って顔を上げると視野の端にアレクがひっかかった。軽く手を上げて合図している。

「えーと、それじゃあ。いい旅をね」

 それを(しお)にあたしは水森亮一軍医中佐に別れを告げた。アレクはすでに歩き出している。水森氏の返事を聞かずにあたしは足早にアレクを追う。

「……変なもんだ。会うたんびに憎まれ口ばっかりなのに、もう会うこともないと思うと何だかさみしいような……」

 その長身に追いつき、並んで歩きながらつぶやくと急にアレクが立ち止まった。

「お嬢さん」

 やだな、聞こえたんだろうか。彼は妙な顔をしてあたしを見ている。サングラスかけていてもちゃんとわかる。

「なっ何よ。どうせあたしらしくもない感傷よっ」

 何故かあたしはうろたえ、あわてて言った。

「感傷、ですか」

 アレクはますます変な顔をした。

「そうよ! そういえば、ユリアにも会わずに来てしまったわね」

「まだ引き返すことはできますよ。ユリアお嬢さんを泣かせて後悔なさるんでしたらね」

「あたしは後悔なんかしないわ。それこそ、女の意地にかけて!」

 きっぱりと言い切った。アレクが肩をすくめる。

「それでは先を急ぐとしましょうか」

 お返しに何か言ってやろうと思ったのを見越してか、話を切られてしまった。

「そうね」

 まあ、いいか。べらべらと雑談を続ける気分ではないし。あとは無言で足を速めた。

 小型機専用エプロンに出ると、個人か企業所有のビジネス機が華やかに並んでいた。

「これ、いくらかかってるの? すごいわ」

 情報局のダミー企業内入りのVTOL機を見て、あたしは思わず言ってしまった。見てくれはごくありきたりの小綺麗なビジネス機だが、ところどころにくっついてる豆粒大の突起の正体は防御スクリーン発生装置の一端だ。当然、ステルス機能もあるはずだ。

「量産しないからこその特別仕様ですから」

 国家機密レベルの機体を職権濫用する後ろめたさはあたしにもある。

「どれだけのスグレモノか、証明できるわね」

 どんな事態にも何かしら前向きに考えられることはあるものだ。あたしはそこを強調した。なぐさめになったかは不明だが、アレクの表情がやわらいだ気がする。

「お嬢さん、どうかこれをお召しになってください」

 座席の陰から取り上げた紙袋をアレクがくれた。そう言うからには着るものなんだろうと思って取り出すと、迷彩服だった。

「えぇ?」

 あたしは渋る。一応、動きやすい服装を選んだつもりだ。Tシャツとジャケット、走りやすいように細身のパンツにペタンコ靴。上から下まで全部、黒。髪も黒髪で目は青いが、申し分はないはず。

 プライベートで迷彩服を着るのは軍事オタク(ミリタリーマニア)とかサバイバルゲームをしてる人じゃんかと思うのはあたしの偏見か? そう見られるの、遠慮したいんだけど?

「地球連合軍の地上部隊のものです。防弾・防刃効果に、優れています」

 アレクの言わんとしていることがわかったので、あたしは上だけそれを着た。袖をたくし上げながら訊く。

「あなたは?」

 彼は相も変わらず冠婚葬祭黒スーツである。

「私は、ブリットプルーフ・ジャケットを着ていますから」

「ふん、親父にもそれ、着せとくべきだったわね」

「局長はお嫌いなんですよ」

 そう言ってアレクが操縦席に着こうとした。

「ちょい待ち。アレクはこっち」

 それをとどめて副操縦(コ・パイ)のほうを示す。

「あたしは戦闘機乗りあがりよ」

 おそらく彼はほとんど睡眠をとっていない。安全面からも適性面からも、あたしが操縦するほうがいい。

 笑いかけると、アレクは素直に応じてくれた。


 離陸してすぐに進路を北西(ノース・ウエスト・)微北(バイ・ノース)にとる。

 めざすはエウロパ地区の西のはずれ。ケチな地図(マップ)にゃ載ってもいないというオサ島。ここに、ジャン・マリオ・ヴィットーリオのクズ野郎がいるのだ。

 慣らしつつも早めにエンジンをマックスにもっていってVTOLをすっ飛ばす。残念ながら、音速(マッハ)までは出なかった。ビジネス機の範疇をわきまえた機体だからこそ、アレクと飛べたというのはある。これが戦闘機だったら、きっとあたしは単独行動しかできなかった。

「どうする?」

 小一時間後、オサ島旋回コースに入った。島からの地対空ミサイル等の攻撃はまだない。

 いささか拍子抜けしながら、アレクの意見をきいた。

「どうしましょうかね」

 うーん。迎撃を期待していたわけじゃないけど、こうも無視されるとは、思わなかった。

「降りようか」

 しばらく考えて決断した。

 アレクの情報網は完璧だ。身内の贔屓(ひいき)目なしにあたしはそう思うし、絶対の信用をおいている。ゆえにこの島の防衛ラインの()()()()()は、あたし達の標的の不在を意味しているといえるだろう。

 だが、そんなことはもうどうだっていい。

 それならそれで、この島の黒卍(カーラ・)コネクション(サヴァスティカ)拠点を、完膚なきまでにぶっ潰すまでだ。

 もしもまだヴィットーリオのバカタレがこそこそと隠れていたら、そんときゃ、ここで会ったが百年目だ。思う存分やってやる。

「危険ですよ」

 アレクが冷静さを取り戻す。はなはだ不本意ながら奥の手を使った。

「嫦娥がよく言ってたよ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、って」

「降りましょう」

 罪悪感からあたしは何も言えなくなった。

「……何か派手な武器はない?」

 着陸後、気まずさをカバーしようと、とりあえず言った。

「え? まさか手ぶらで?」

「いや、でも、大きいのは持ってない」

 いくらあたしだって丸腰でこんなとこへ来ようなんて思わないって。ズボンの腹んとこにつっこんでおいた無反動短銃を見せる。

「ではこれを」

 アレクはレイライフルをくれた。光線を調整するとムチみたいにも使えるやつだ。主に建物破壊に使用することにしよう。

 それにしても、ここまでリアクションがないとは。

 誰もいないなら、好き放題やっちゃっていいんだろうけど、空き巣狙いみたいで本心を言えばイヤだったりする。

 ばかでかい教会みたいな建物ににじり寄り、壁にへっつく。

 電流なし。木製のドアの上に黒い卍印。よしっ。

「「…………」」

 アレクとうなずき合い、ドアを蹴破って内部に転がりこむ。

 しぃ〰〰〰ん。

 中はいやに明るかった。ひっそりと静まり返っていてあたしとアレク以外、人影はない。

 と。

 ぼうっと真っ白な床にオレンジ色の矢印が浮かび上がる。

 罠、だろうか?

 床に腹這ったまま考えてみる。否。あたしの第六感とやらは、そのようには感じていない。

「お嬢さん」

 男らしく覚悟を決め、先に立ち上がってアレクが手を差し出す。あたしも覚悟をしてその手をとった。

 女は度胸だっ!

 不気味な沈黙の中を、あたしたちは次々と浮かび上がる矢印に従って歩いた。足音が完全に吸収されて響かないのと、通過すると同時に矢印が消えてしまうのにはいささかゾッとしたが、それでも果敢に歩き続けた。

 長い長い廊下を踏破し、エレベーターで三階まで上がる。そしてまた廊下。

 うんざりしながら矢印についていくと、大きな扉の前で矢印は途切れた。素材と彫刻などの造りからすると、()()()()()()()ではなさそうだ。

 今度はちゃんと手でノブを回して扉を開けた。


「やあ、やっと会えたね」


 ぎええええ──っ!


 言葉にならない叫びがあたしの内にわきあがる。

 ぞわぞわぞわ!

 どでかいスクリーンと机を背に、キザに腕組みなんぞしてそうほざいた男を見て、あたしは総身トリハダ立った。

「うれしいよエテルナ。君のほうから私のところに来てくれるなんて」 

「変なことを言うな! あたしはジャン・マリオ・ヴィットーリオに用があって来たのよっ」

 おやおや、というようにダグラス・ブラッドストンは眉を上げ、嫌味なくらいにきれいに整った顔にかかる金髪をさらりとかき上げた。くそっ、どこまでもキザな野郎だ。

「勇ましくも、たったひとりのお供をひきつれてのご用件がそれかい?」

 あたしの後ろにひかえるアレクを透かし見ながら薄笑いを浮かべて奴は言った。

「ヴィットーリオに用とは、君も変わった趣味だね」

 あほったれ。何ちゅうことをぬかしおんねん、われぇ。

「うるさい! あのクズがうちの親父にちょっかいさえ出さなんだら、誰もこんなとこまで来るもんか」

「なるほど」

 ブラッドストンは今度ははっきりわかるほど、爽やかぁに笑った。

「そういう用か。だけどエテルナ、君たちはここへ来るのが少し遅すぎたよ」

「なんだって?」

「ごらん」

 奴が指を弾くと白濁していたスクリーンに映像が入った。何を映しているのかわかるまで、三回まばたきしてしまった。 

「きっ、さま……っ」

 それが磔刑された死体だとわかり、あたしは怒りと悔しさに震えた。

「よくも勝手に、人の(かたき)を処刑してくれたわね」

「とんでもない。我々はただ組織の規律を乱した者を除外しただけだよ。まあ多少、私の私情をまじえてしまったが」

「何だい、美意識ってやつかい?」

 あたしはとんがった声を出した。この野郎、あたしが来るとわかっていて、獲物を横取りしたとしか思えない。

「美意識? それもあるが、それ以上に大切なことだよ」

 絶え間なく美麗ポーズを()めながら言葉を継ぐ。

「つまり私たちの事情もわきまえずこともあろうに愛しい君の父上を襲ったということが、私には許せなかったんだ」

「ばっ……」

 このスカタン! なんてことを言うんだ。

 きっ気色の悪さに、サブイボが……。

「──を」

 ん? さりげなくあたしの横に移動してきたアレクにささやかれて気づいた。こいつ、影がない。

「それにレディに手を汚させるというのも、男として不名誉なことだろう、君?」

 これはアレクに言ったようだ。何という高慢。いや、傲慢というべきか。アレクは知らん顔をしている。

 あたしが立ち位置を慎重にずらすあいだもブラッドストンの饒舌はやまない。

「エテルナ……美しい君が犯罪者として追われるなんて、私にはとても耐えられなかったよ。だから先手を打たせてもらった」

 その正体を知らなければ尼さんだって陥落しそうな甘い笑みでブラッドストンはかき口説く。が、あたしにはまったく刺さらず、気に留めずに窓とブラッドストンが重なる位置まで出た。やっぱり影がない。

「ああ、でも君がこちら側(ダークサイド)の人間になれば遠慮なくアミにできるようになったんだった。残念だな」

「たわけたことをぬかすな!」

 あたしは迷わずレイライフルのトリガーを引いた。

 強力な光の帯はまっすぐにダグラス・ブラッドストンの体を突き抜け、窓の周辺をグチョグチョに破壊した。

 やっぱり!

「そんな物騒なものを人に向けて撃ってはいけないよ」

 眉を顰めてみせながら、その口元は余裕で笑んでいる。

立体映像(フォログラフィー)のくせに、何さ」

 レイライフルをアレクに投げ渡し、無反動短銃を取り出して辺りを見回した。

 ふっふっふー、この際だから自慢しとくけど、この銃はストロング・ビューティ社が無重力状態での使用を考慮して特別に開発したもんなんだ。いま、これでフォログラフ映像の映写装置、ぶっこわしちゃるからな。

 お、あったあった。

「エテル、ナ……待っ」

 何か言いかけるブラッドストンを無視して一発でぶち抜いた。ほっと息をつく間もなく、スクリーンの映像がかわって、白皙がドアップになる。

『待ちたまえ。相変わらず、せっかちなひとだ』

「悪かったわねぇ。それより、何よ。言っとくけど今回のこと、恩に着たりしないわよっ」

 あたしは強気に出た。それを聞いたブラッドストンがほころぶ。

『それは結構。恩着せがましいことは私も嫌いだ』

「じょ〜と〜じゃない。だけど、このツケはいつかきっと払わせてもらうから。覚えておいで、ダグラス・ブラッドストン! 宇宙(そら)の果てまで追いかけて、あんたにも鉛の弾をぶちこんでやる」

『君にそこまで想っていてもらえるとは、光栄だよエテルナ』

「ほざけっっ」

 スクリーンに向かって銃を構える。

『短気はいけないよ』

 しれっとブラッドストンは言った。

『老婆心ながら言うけどね、早く脱出しないとそこは危険だ』

「え」

 あたしはアレクと顔を見合わせた。

『拠点をそのまま残しておくわけにもいかないからね、あと五百秒ほどで爆発するようにセットしてある』

 このバカタレっ、何でそれを早く言わんのじゃあ!

 あたしは半ば引きつりながらも笑った。

「そう。それはご親切にどうも。お礼といっちゃあ何だけど、報復の初手にこれをあげるわ」

 言うが早いか、スクリーンに映ったブラッドストンの眉間に弾丸を撃ちこんだ。

『困ったお嬢さんだ。だが気高く、強く、美しい……』

 回線がショートする音に混じって、つぶやきが聞こえた。

 ハ! あっかんべーだ。

 もう一発、お見舞いしてあたしは踵を返した。






『RETURN』

  りたーん

     ── 了 ──













附記

 物語は一旦ここで終わる。

 が……実はこのあと、悲劇が起こった。

 結局、あたしとアレクは爆発にまきこまれ

 あわれ病院送りとなってしまったのである。






















リターンマッチのRETURNです。


作品を最初に友人たちに公開した当時、ほとんどの人に「どうして嫦娥を?」と言われました。

今回、リバイバルするにあたり、生きていたことにしようかと迷いました。

ご都合主義という言葉が頭に浮かびました。

結局、このありさまです。


話の中に、設定に、物書きの人間性が曝け出されてしまうなと、こんなとき思います。

迷って悩んで学んで遊んで書く。まだまだ、まだまだ練りが甘い、言葉を知らない。未熟さを感じる日々です。


それでも、読んでくださり、ありがとうございます。









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