物語の展開と作者の思惑のずれ
物語は、作者の意図した捉え方をされないことが多いと思う。
例えるなら、老舗旅館で攻めた料理を提供しても部屋の外に広がる風景や旅館全体から溢れ出る雰囲気に呑まれて、その料理の印象すら変えてしまうようなもの。
具体例をあげるなら『源氏物語』の「若紫巻」だろうか。
『源氏物語』は、超プレイボーイの光源氏が様々な女性に手を出し、手篭めにしていく作品だと思われている。
確かに、実際そういった場面が多い。ただ、イケメンで賢く、何事にも優秀な光源氏は沢山の女性と関係を持ちつつも、本来は愛情を探し続ける哀れな男に過ぎないのだ。
光源氏が最も愛した人物は誰か。
おそらく、意見は色々あるでしょう。しかし、その本命となるのは「藤壺の女御」と「紫の上」ではないでしょうか。
『源氏物語』にあまり詳しくない方のために補足すると、藤壺の女御は光源氏の義理の母に当たります。そして、藤壺の女御の姪にあたるのが紫の上です。
『源氏物語』は高校の古典の授業で習いますから、高校生以上の方なら誰でも1度は学習しているのではないでしょうか。
しかし、この話はご存知だろうか。
紫の上が登場する場面、彼女はまだ幼く分別のつかない子供でした。そんななか、手の届かない存在である藤壺の女御に思いを寄せる光源氏と出会うわけです。
藤壺の女御の姪っ子である紫の上は、藤壺の女御に何処と無く似ていたそうです。のちに「紫のゆかり」と言われるものですね。
そんな紫の上を光源氏は欲します。紫の上は母を幼くして亡くし、父方の家で育てられる予定になっていましたが、その当時は母方の祖母である尼君に養育されていました。
さて、そんな状況の紫の上を光源氏がどのようにして手に入れたか知っていますか?
答えは簡単。紫の上を「拉致」したのです!
確かに、継子いじめによって紫の上が不遇な立場になってしまうという心配もあったでしょうが、とった行動が飛び抜けていますね。
結局、この話から何が言いたいのか。
それは冒頭にも書いたように、物語は作者の意図した方向に進まないことが多いのではないかという事です。
『源氏物語』を読んでいくと、たまに驚いてしまう内容が出てきます。
例えば、皇統の乱れ。
光源氏は、結局藤壺の女御との密会を果たしてしまいます。そして、藤壺の女御はあろう事か男児を身篭ってしまうわけです。その子は後に「冷泉帝」として天皇の地位に就きます。
しかし、注視しないといけないのはその後の展開。
自身の出生の秘密を知った冷泉帝は、実父である光源氏を院として取り立てたのです。つまり、光源氏は天皇の地位に就くことのないまま、その上位である院号を得たのです。
これこそ物語上の超展開。ご都合主義というやつですね。
さて、作者・紫式部は何を意図して『源氏物語』を執筆したのでしょうか。
残念ながらその答えは分かりません。
紫式部が『源氏物語』を初めて執筆したと思われる時期は、藤原道長に仕える前だとされており、なぜ執筆したのかについて詳しい事は分かっていないからです。
しかし、紫式部が読者を意識してこの物語を描かれていたのは間違いないでしょう。
そう考えると紫式部がこういった過激な物語展開を用意していたのも頷けます。
さて、このように物語を文章のまま読むか、その背景にある作者の思惑を読み取りながら読むかによって、1つの事象にも様々な見解が生まれます。
物語は、アウトプットされた時点で作者の手元から離れ、読者の「知識」となり、いずれは誰かの糧となります。
読者の数だけ物語は変化していき、作者の意図した方向以外に発展していくのです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
本当に趣味全開で稚拙なエッセイだと思います。目的は中高生向けで、古典に興味を持ってもらいたいというだけのものでして、内容はかなり薄いと思います。
それでも、これがきっかけで古典に興味を持って頂けたら嬉しいです。