【前編】鼻ぺちゃ娘は自信がない
メアリーは自分の髪が嫌いだ。正確に言うと、髪の色が嫌いだ。
かつて、学園中の男子生徒を骨抜きにしたという祖母から受け継いだ薄桃色の髪は、メアリーを苦しめている。
薄桃色の髪は、『美人の象徴』だからだ。
メアリーは平凡顔の祖父に似ている。
なぜ、両親に似なかったのだろう。
美しく可愛らしい顔立ちの母の要素も、鋭利で端正な顔立ちの父の要素も、メアリーにはまるでない。
兄二人は父と母に似て、とても美形なのに……。
メアリーは、ラヴァンディエ家で一人だけ浮いている。いや、浮いてはいない。埋もれている。
家族は優しい。
母は、こんな平凡顔の娘を「私の天使ちゃん」なんて呼んで、世界一の美少女だと信じて疑わないし、父もメアリーを溺愛している。
もちろん兄達も、妹が可愛くてしょうがないと言う態度だ。意地悪なんてされたことがない。
家族の中で、メアリーは皆のお姫様だ。
このせいで、メアリーは七歳まで自分のことを美少女だと思い込んでいた。
将来、王子様が自分を迎えに来てくれることは決定事項だった。
しかし、メアリーは残酷な現実を知ることになる。
『メアリーちゃんだけお顔が違う』
『一人だけ鼻が低い』
『あの子だけ綺麗じゃない』
八歳のメアリーの誕生日会で、両親の大人の事情で呼ばれた家の子供達の会話である。
子供は、時に残酷だ。
無垢な心を持つ故に、真実しか口にしない。
その言葉を聞いたメアリーは、大きな姿見に映る自分と目が合って、夢から覚めた。
そこには、ふりふりのドレスが全然似合わない平凡顔の少女がいたからだ。
突然生まれて、急速に育つ羞恥心により、その日のことはよく覚えていない。
というより、思い出したくない記憶である。
決して見たくないと顔を背けるほどのブスではない……と思う──そう思いたい。
肌だって綺麗だし、暴飲暴食も月に一度しかしないようにしているし、爪や髪の手入れだって人一倍気を使っている。
兄達はそんなことをしなくても、美形で腹筋バキバキで、寝起きですら絵画のようなのに……この差は何だろう。
メアリーは、祖父母が好きだ。穏やかで博識で、人々から尊敬される人物である。
しかし、祖父から遺伝した自分の顔も、祖母から受け継いだ髪も、好きになれない。
外見だけではない、メアリーは自分の性格も好きになれない。
「おはよう、メアリー」
「……お、おはようございますっ、デランジェール先輩」
すぐに反応できなかったのも、慌てたのも、彼──セドリック・デランジェールの笑顔が眩しかった為である。
メアリーの父の部下の息子であるセドリックは、通っている学園の二つ年上の先輩で、かなりの美形だ。
周囲の女生徒の視線が痛い。グッサグサ刺さる。
メアリーは一部の女生徒達から『立場を利用してセドリックを傅かせている女』と呼ばれている。
これは、まったくの誤解である。
メアリーは九年前──八歳の頃から、目立たぬように地味に徹して生きている。
男性に媚を売ろうなどとは微塵も思っていない。
「セドって呼んでって言ってるのに……『先輩』も敬語も必要ない」
茶色の髪がさらりと揺れて、セドリックが眉を下げて寂し気に微笑む──眩しっ!
「せ、先輩をそのように呼ぶことは、できません」
「そんな規則はない」
「でも……」
「『でも』?」
「…………えっと」
「うん?」
断り文言が浮かばない。
メアリーのコミュニケーション能力が著しく欠落しているだけではない。
セドリックが近いからだ。顔を覗き込もうとしないでほしい。
眩しいし、どきどきする。
セドリックのこの行動はもう五日間も続いている。
この五日間以前にも顔を合わせれば挨拶程度はしていたが、なぜこんなことをするようになったのか……理由がさっぱり分からない。
──その答えが分かったのは、その日の放課後だった。
メアリーは、ほとんど使われていない資料室に呼び出された。
そこでセドリックの熱烈なファンで、メアリーを『立場を利用してセドリックを傅かせている女』と呼ぶ筆頭のダルメダが教えてくれた。
「あなたに『二週間、朝の挨拶をする』という罰ゲームなの。正しく言えば、学園に登校する十日間ね」
なんでも、メアリーに挨拶をするのは罰ゲームらしい。
「だから、勘違いしないでね」
顎をつんと上向きにしたダルメダが言うと、後ろで腕を組んでいる取り巻きの二人が、くすくすと笑って聞こえるようにメアリーの悪口を言う。
片方はメアリーの父の部下の娘であるが、メアリーが告げ口をしないのをいいことに言いたい放題だ。
メアリーは悲しかったが納得した。
来週で、彼の挨拶はなくなる。
あの突き刺す視線も、五日間だけ我慢すれば終わる。
教えてくれたダルメダ達には感謝した方がいいのかも知れない。したくないし、する気もないが。
メアリーは帰宅後、月に一回しか食べられない高カロリーなケーキを食べた。成人男性二日分の摂取カロリーは、滅茶苦茶美味かった。
悲しいことがあっても、好物が美味しいと思えることはいいことだ。
そして、ちょっとだけ泣いた。
美人以外は泣いてはいけないと一瞬思ったが失恋したのだから、泣くくらいいいだろう。それに、どうせ次の日は休みなのだ。
寝る前に砂糖とマシュマロいっぱいのココアを三杯も飲んで、自分をめいっぱい甘やかした。
二日間の休みを経て、月曜日。
メアリーはこのまま学園をサボってしまおうとも考えたが、罰ゲームの期間を先延ばしにするだけなので、いつも通り学園に行くことにした。
開き直ってもいた。
罰ゲームだとしてもセドリックの挨拶は嬉しいし、どうせならこの際、残りの五日間を楽しんでしまおうと思ったのだ。
「おはよう、メアリー」
セドリックは、今日も眩しい。視界の端で、ダルメダが彼に見とれているのが見える。
「おはようございます。……セ、セド」
心臓がばくばくしたが、思い切って愛称で呼んでみた。
すると、セドリックはグリーンの目を大きく見開く。
調子に乗り過ぎただろうかと反省したのは、ほんの一瞬だった。
というのも、セドリックが嬉しそうに笑ったのだ。
もしかして、愛称呼びも罰ゲームの内容に含まれているのだろうか。
罰ゲームだと聞いていなかったら、自惚れていたに違いない。
その後、朝の挨拶は滞りなく行われ、遂に最終日となった。
来週からセドリックの朝の挨拶がなくなると思うと寂しい。
最後だからと、メアリーはお気に入りの緑のリボンで髪を結った。
彼の瞳の色だ。
二週間続いた朝の挨拶の後、セドリックに告白された。
「君と恋人になりたいんだ」
こんな罰ゲーム、あんまりな仕打ちだと思う……なのに、それを言ってやることもできない。
ここで、メアリーの好きな恋愛小説の女の子なら格好良い啖呵を切って、颯爽とその場を去るだろう。
だが、メアリーは主人公ではないので、そんなことはできない。
告白を受けたら『いい夢が見れたな、嘘だ』で、告白を断ったら『ブスのくせに何勘違いしてんの?』だろうか。
「……こういうことは、罰ゲームで言わない方がいいと思います」
つっかえずに、目を見て言えたが声は震えた。
きっと酷い顔をしているだろう。
メアリーの泣くのを堪える顔は、不細工が三割増しだ。
「なんで知って……あっ」
否定してほしかったが、セドリックの咄嗟に発した言葉こそが『罰ゲーム』を肯定していた。それに、ついさっき隠れるのが下手な彼の友人達の存在に気付いてしまった。
「父に言ったりはしませんから、安心してください」
セドリックが一番心配していることは杞憂だと伝える。
早口なのは、声の震えを誤魔化す為だったが失敗した。
そのまま踵を返す。
今日は、早退しよう。
「待って、メアリー! ごめん、傷付けるつもりはなかった!」
歩き出したメアリーの前に、セドリックが慌てて回り込む。こんな焦った彼を見たのは初めてだ。
「大丈夫です。私、ちっとも傷付いてませんから」
「でも、泣いてる」
「泣いてません。これは、花粉症の症状です」
メアリーは花粉症ではない。
謝罪を受け取りたくなかったので吐いた嘘である。受け取れば、許さなくてはいけないからだ。
こんな自分にだって、多少なりとも矜持はある。
「二週間、お疲れ様でしたっ」
「メアリー!」
セドリックの横を通り過ぎ、メアリーは全力で走った。自慢ではないが、逃げることなら自分の右に出る者はいないのだ。
本当に自慢ではないし、颯爽ではない。
やはり自分は脇役だ、ヒロインになれない。
「……転校したい」
意地の悪いダルメダ達や、罰ゲームで告白するようなセドリックとその友人達から離れたい。
生クリームがたっぷり入ったココアも、メアリーを慰めることはできない。それどころか、受け付けない。
そんな時、部屋で籠城するメアリーを訪ねたのは、二番目の兄のスタニスラスだ。
二つ年上で三年生のスタニスラスは、妹の早退に自分の早退を決めるほどシスコンではない。
おおかた、セドリックに事情を聞いたのだろう。セドリックと兄は友人だ。
「メアリー、セドを嵌めたのは俺達なんだ……ごめん。だから、セドは悪くない」
予想は当たった。
しかし、予想外の事実も知った。
兄は、妹を罰ゲームの内容にしたのだ。
「ラスお兄ちゃんは、メアリーのこと嫌いだったの……?」
家族の前でだけ一人称が自分の名前になるメアリーは、絶望顔で兄に問う。
「違う!!」
スタニスラスは、悪かったと言って平伏した。最愛の妹を悲しませてしまったからだ。
これが長男にバレたら、確実に殴られる──長男のエバンは本物の兄馬鹿だ。
「罰ゲームでラスお兄ちゃんが負けたら、どうするつもりだったの?」
「セドと同じことをしただろうな」
「うわぁ……」
いくらシスコンだからといえ、妹に告白なんて悪趣味が過ぎる。
はっきり言ってキモい。
「なんで引いてるんだ、メアリー」
「だって、ラスお兄ちゃんが負けたら、メアリーに告白するってことじゃない。そんなの変態だよ」
「え?」
「変態って言ったの!」
「いや、ちゃんと聞こえてる。二回も言うな、傷付く。……なあ、メアリーは罰ゲームの内容を本当に知ってるのか?」
「知ってるよぅ! 『①メアリーに二週間、朝の挨拶して、②愛称で呼ばせて、③告白をする』でしょ?」
口にすると悲しくなる。
唇がわなわな動いて、涙の気配がした。
「違うぞ? 『好きな子に告白する』だ」
「……えっ!?」
「セドが挨拶してたのは、告白の成功率を上げる為で『二週間以内に好きな子に告白する』が罰ゲームの詳細だ。だから、ラスお兄ちゃんは変態じゃない!」
真剣な顔のスタニスラスは、必死で何度も「変態じゃない!」と繰り返すが、メアリーには兄が変態か、そうではないかなんて関係ない。
それどころではない。
──彼が、自分を好き?
そんなことは、あり得ない。
しかし、兄が妹にひどい嘘を吐くはずがない。
「ラスお兄ちゃん、それ本当?」
「本当だ、俺は変態じゃないっ」
「違うよ、セド……デランジェール先輩がメアリーを好きってこと!」
「え、ああ、うん。本当だよ。というか、セドの態度はかなり分かりやすかったろ? あいつは、メアリーにぞっこんだ」
「こんな鼻ぺちゃなのに?」
「メアリーの低い鼻は世界一可愛いぞ!」
「……」
すっとした高い鼻のスタニスラスに言われるとイラっとするが、兄は本心でメアリーを褒めている。
ここに長男がいたらきっと同じことを言っただろう。
想像するだけでしんどい。
「本当にメアリーの鼻は可愛いなあ」
しみじみ言わないでほしい。
「もうっ! 鼻のことはもう言わないで!……あと、デランジェール先輩の誤解は解けたからそう言っておいて?」
スタニスラスは「ええっと」と、言いにくそうに頭を掻く。
なにやら嫌な予感がする。
「……実は、客間にいるから本人に言ってやってくれ」
誰が、なんて聞かなくても分かった──話の流れからして、セドリックしか該当しない。