前編 「白い息と共に抜け落ちた魂?」
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
3学期の始業式って、独特の空気があるでしょ。
そりゃ、クリスマスや年末年始の楽しいイベント盛り沢山な冬休みが終わったのは名残惜しいし、定刻までに通学する煩わしさは否定出来ないよ。
だけど、勝手知ったる小学校の景色に、大好きな友達や先生達の顔を久々に拝めるとなると、ワクワクしちゃうの。
そして何より、通信簿や冬休みの宿題を先生に提出したら、授業無しで午前中に帰れるのは大きいよね。
楽しい我が家の吹田家から更に楽しい堺市立土居川小学校へ向かう足取りは、背負った赤いランドセルと同じく軽快その物。
体育館に全校生徒で集まって聞いた校長先生のお話はチョッピリ憂鬱だったけど、クラス担任の岸部先生の晴れ着姿は可愛かったし、久々に聞く男の子達の騒々しさも微笑ましかったな。
そうして提出物もキッチリ出していざ下校となると、「朝からの開放感ここに極まり!」って具合で、友達とのお喋りも普段以上に弾んじゃうんだ。
「岸部先生の赤い晴れ着も素敵だけど、明花ちゃんのピンクの振り袖も可愛いよね。」
ほら、こんな風にさ!
「ありがと、千里ちゃん!そう言えばさ…一昨日の羽根突きで使った墨汁持って来たの、明花ちゃんだよね?あの墨、なかなか落ちなくて苦労したよ。」
「ゴメン、乃紀ちゃん…あの墨汁、古びて悪くなってたかも…書き初めの時も変だったし。」
もっとも、友達の中でも特に仲良しな月石明花ちゃんと猪地乃紀ちゃんとは、冬休み中も頻繁に遊んだから、久々感は薄いんだよね。
「書き初めって言えば…乃紀ちゃんの書き初めが、区の青少年センターに飾られたよね?『初夢』って書いてるの。あれは良い出来栄えだよ。」
「だよね、千里ちゃん!乃紀ちゃんってば図工だけじゃなく、書写も上手いんだから!」
明花ちゃんったら、私が出した助け舟に嬉々として乗るんだからなぁ。
まあ、私も2人が揉める姿を見るのはゴメンだから、話題転換がスムーズに出来たのは有り難いけど。
「ありがとう、千里ちゃん、明花ちゃん…でも、あんまり騒がれるのは照れ臭いなぁ…」
そうは言ったって、乃紀ちゃんの緩んだ口元は隠せないよ。
本心は隠せないね。
「はあ、良いなぁ…私も何かの賞が欲しいよ。」
そうして肩を落としながら愚痴っていると、自然と溜め息が出てくるよ。
「はあぁ~っ…」
お祖母ちゃんから、「溜め息つくと幸せ逃げる」って言われてるんだけどなぁ…
ところが始業式の日は飛びっきり寒くって、真っ白い息がモクモクと出てきちゃったんだ。
まるで、タバコの煙を吐いたみたいだよ。
「うわっ、凄い!私の息、真っ白だ!」
恥ずかしい話、これには私自身も驚いちゃったの。
「ねえ、見た?乃紀ちゃん!千里ちゃんったら、まるで雪女みたい!」
同じ出来事を見聞きしても、タバコと雪女じゃ大違いだよ。
明花ちゃんの方が、よっぽど可愛くて綺麗な喩え方じゃない。
家庭科クラブに入っているから御料理は上手だし、オマケに美人で可愛いから、明花ちゃんってホントに女子力高いよね。
ああ、いけない…
こんな事を言ってたら、また溜め息が出ちゃうよ。
「同感!どうかな、2人とも?一番大きな白い息を出せた子に、残りの2人が駄菓子屋でお好み焼きを奢るのってさ?」
ちょっぴり沈みかけた私の気持ちを高揚させてくれたのは、この乃紀ちゃんの提案だったの。
「私は乗るけど、千里ちゃんはどうする?」
「右に同じだよ、明花ちゃん!今の私、溜め息には自信があるんだ。」
何せ、この寒さだもの。
熱々のお好み焼きを頬張りたくなるのは、人情じゃない?
こうして参加選手僅か3人の「第1回白い息選手権」が開催されたんだ。
黄色い通学帽と赤いランドセルでお揃いの女子小学生3人が、深呼吸の要領で白い息を競い合っているんだから、端から見れば変な光景だったろうな。
だけど私達にすれば、お好み焼きが懸かっているんだから真剣その物だよ。
特に私はゲームや漫画を色々買って、お年玉を散財しちゃったからなぁ。
負けて奢らされでもしたら、結構な痛手だもん。
だから私ったら、ついムキになっちゃったの。
「ヒッ、ヒッ…フウ~ッ!」
何処かで聞き齧ったラマーズ法で、思いっ切り力んじゃうんだから。
「何のっ、千里ちゃん!私だって…スウ~ッ…!スウ~ッ…!」
私が見せた強情にすっかりムキになっていたのは、この勝負の発起人である乃紀ちゃんだったの。
ハムスターみたいに頬をパンパンに膨らませた上に、鼻からも息を吸い込んでいるんだから、顔が真っ赤になっちゃってさ。
「も…もう止めようよ、千里ちゃんも乃紀ちゃんも。こんなの続けてたら過呼吸になっちゃうって…」
早々に棄権した明花ちゃんが口を挟んでくれなかったら、この不毛な争いが長々と続いたんだろうな。
「プハッ…そうだね、明花ちゃん。お好み焼きなんて、3人で割り勘すればどうにかなるんだし。私は降りるよ、乃紀ちゃん。」
その言葉で我に返った私は、この不毛な勝負を投げ出す決心を固めたんだ。
つまんない意地と一緒にね。
だけど乃紀ちゃんは、白い息選手権の勝負を最後まで投げなかったの。
ううん、正確には「投げられなかった」のかもね。
「ブッ、ブホアッ…!」
限界まで息を吸い込んでパンパンになった顔は、真っ赤から蒼白に転じ、吸い込んだ空気をボワッと一気に吐き出すと、紙みたいに白い顔をしてその場に座り込んでしまったの。
今まで見た中で最も大きな白い息が、冬の柔らかい陽光の下で煌めいている。
それはまるで、乃紀ちゃんの身体から抜け落ちた魂みたいに思えたんだ。
「うわっ!大変だよ、千里ちゃん!」
「乃紀ちゃん、しっかりしてよ!乃紀ちゃん!」
不測の事態にすっかり驚いちゃって、私も明花ちゃんも乃紀ちゃんの身体に取り縋るばかり。
乃紀ちゃんの赤味掛かったセミロングヘアが、その度に左右へ揺れていたの。
本当は無闇に揺すっちゃいけないんだけど、正しい救命活動をまだ知らなかったからね。