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背徳

今回はシュウさん回です。


お楽しみくださいませ♪

 ふらふらの花夏が風呂から上がると、シュウは疲れ切った様子の花夏をベッドに腰かけさせ、ふわふわの大きなタオルで花夏の髪をポンポンと拭いていった。花夏はもう数日の間ろくに寝ていない。相当辛いに違いなかった。


 前だったら絶対このような事はさせてくれなかっただろうに。


 あまりにも無抵抗なので、もしかしたらアスランが花夏の髪を今シュウが行なっているように乾かしてあげていて慣れてしまっている可能性も思いついてしまったが、その考えは頭の片隅に追いやった。考えても詮ない事だ。


 今シュウに必要なのは、花夏を出来るだけ休ませてあげ、且つ自分も今この時間だけでも花夏を存分に味う事だ。嫉妬は、そこにはただ余計なものだった。


 タオルを裏返し、根元まで優しく拭いていく。時折ちらりと見える細いうなじから漂う色香に、思わず唾を飲み込んだ。


 こんな事が花夏にばれたら問題だろう。シュウは落ち着け、落ち着けと心の中で唱えた。隣の部屋にはこの国の王がいて、しかもそこには王の従兄弟とシュウの部下までいるのに、他の男を想う女性に宰相ともあろうものが我慢出来ず手を出したりしたら、シュウの信頼はガタ落ちだ。


(やっぱり一度手を出しておけばよかった……)


 何故あの時あそこまで自制してしまったのか。シュウは自分の外面の良さを恨めしく思った。だが、最後まで手を出していた場合、果たして花夏は今この状況でシュウにここまで気を許しただろうか。


 答えは否だろう。


 だがどちらが良かったのか。シュウには判別出来なかった。どちらも魅惑的で、どちらも欠けている。


「ちょっと待ってね」


 そう声をかけるとベッドから降り、浴室に置いてあったブラシを取って戻った。花夏の目はトロンとしていて、頬は上気していて非常に愛らしい。花夏の背後に周り、ブラシで髪を梳かし始めた。


――隣に誰もいなければ、きっともう止められなかった。


 相変わらず諦める気などさらさらないシュウの心は、誠実であろうと思うシュウの思考など些細なきっかけですぐに塗り替えてしまう。困ったものだった。


 タオルで乾かしながらブラシで梳かしている内に、段々と髪から湿気が抜けてサラサラになってきた。これもまた堪らない。唇で触れたら気持ちよさそうだった。花夏は前を向いていて見ていないし、駄目だろうか。口にそうっと髪を持っていってみる。すると、花夏の頭がカクンと揺れ、シュウはドキッと驚いてすぐさま髪から手を離した。


「カナツちゃん?」


 花夏を後ろから覗き込む。長い睫毛が見えたが、あの大きないつも潤んだような瞳は確認出来なかった。


「寝ちゃった?」


 返事がない。座ったまま、寝てしまった。


 タオルとブラシをベッドの足元の方に置くと、シュウは花夏の脇に両手を入れて自分にもたれかからせてから抱き上げた。膝の下と背中を支える。軽かった。軽くて柔らかくて石鹸のいい匂いがして、胸の奥がぎゅ、と中から握られたように苦しくなった。


 シュウは入口を確認する。誰もいない。次いで腕の中の花夏も確認する。寝ている。もうこの機会を逃したら次はないかもしれない。その想いが、シュウの背中を押した。


 そっと花夏の唇にキスをした。柔らかかった。この、背徳感。堪らない。


 もう一度周りを見渡す。誰も見ていなかった。いけない事だとは分かっている。でも、でも。


 シュウは花夏の下唇をんだ。反応はない。深く深く寝てしまっているのだ。シュウへの信頼度の高さ、それ故に。


 シュウに押し寄せる罪悪感、それすらも甘美なものとしてシュウの背中を押す。少し開いた花夏の口にゆっくりと舌を入れ、起きない程度に優しくそっと味わった。ああ、暖かくて切なくなる。これを全部手に入れられたらどんなによかった事か。


 今だけ、今この時だけ。シュウの中ではいつも花夏は刹那的な存在だった。それなのに、ずっと心の奥に居てどこにも行ってくれない存在。矛盾、矛盾、矛盾だ。


 花夏が苦しそうに顔を動かした。瞬間、シュウは花夏の口から自身の口を離した。


 止まらなくなるところだった。花夏が目を覚ましていたら、裏切り者を見るような目で見られていたに違いない行為だった。


 シュウは自身の心の中に急ぎ線を一本引くと、花夏を抱き抱えたまま立ち上がり、ベッドに掛かっている布団を魔法(ちから)でそっと剥いだ。そうっと、頭がガクンとならないように優しくベッド側に花夏を傾けて、ゆっくりとベッドに寝かせた。シュウが静かに両手を抜くと、花夏が横を向いて小さくなった。


 シュウは枕元に腰掛けると、花夏の肩まで布団を掛けた。細い肩。力を込めて掴んだら折れてしまいそうな身体。しばらく同じ屋根の下で過ごしたが、花夏の寝顔を見るのは初めてだった。


 こんなにも耐え難い程愛しいものだとは、思ってもみなかった。


 シュウは指でそっと花夏の口に掛かってしまった髪をどかす。口に含まれ少し濡れてしまったその部分を持ち、自分の口にそっと当てた。


 このまま同じベッドに腰掛け続けたら、これ以上の自制は難しそうだった。シュウは床に座ると、気持ちよさそうに寝ている花夏の手を握った。


 これ位なら、花夏が目を覚まして目にしてもきっと怒られないだろう。


 握った手の甲を指でなぞりつつ、花夏の寝顔を眺めた。







 誰かと手を握っている。アスランだろうか。いや、アスランの指はもう少し細くてここまで硬くない。


 花夏はゆっくりと目を開けた。フカフカのベッドに寝かされた自分。伸びた手の先にはそれを握る大きなゴツゴツした手。ベッドの端には見覚えのある薄い金色の頭が見える。寝ているのか、呼吸に合わせてゆっくりと上下していた。


「シュウさん?」


 花夏が半身を起こすと、引っ張られたシュウが目を覚まし顔を花夏に向けた。


 少し垂れ目の水色の瞳。何度も何度も覗いては落ち着かなくなった覚えのあるそれは、今もまた何を考えているのか読めなくて花夏を困らせるのだ。


 だが、そんな花夏の困惑を消し去ってくれたのも、その水色の瞳だった。花夏に優しく笑いかける水色の瞳。いつものシュウだった。


「おはようカナツちゃん。ちゃんと寝れた?」

「はい。でもあのシュウさん、もしかして床で寝ました?」


 花夏の面倒を見ている内にシュウも寝てしまったのだろうか、どう見ても床に座り込んでいる。一国の宰相が。


 あれ? といったおどけた表情をしたシュウが立ち上がり、花夏のいるベッドに腰掛けた。服の裾ははよれよれ、花夏と繋いだままの手はひんやりしている。


 やはり、花夏の髪を乾かしてくれた後、そのまま何も掛けず床で寝てしまったのだ。


「駄目じゃないですかシュウさん! あれだけちゃんと寝て下さいってお願いしたのに、風邪引いたらどうするんですか!」


 シュウがキョトンとした後、破顔した。


「ブレないねえ、カナツちゃん」

「そういう問題じゃなくて!」

「僕は野営慣れしてるから大丈夫だってば」

「駄目ですってば。とりあえず冷えてるから何か上に」


 花夏が布団を剥いでシュウの背中から掛けようとすると、シュウの目が瞬間真剣なものに変わり、そして。


 シュウの肩に掛けられた布団ごと、シュウの大きな腕が花夏を包み込み引き寄せ、ぎゅ、と隙間なく抱き締めた。


 冷えたシュウの身体。その身体が吐く息が花夏の耳にかかり、それの何と温かい事か。


 雪原でのあの瞬間を思い出した。あの、時間がそこだけ流れから切り離されたかのような馬上での出来事を。


「シュウさん、あの」

「離したくなくなるから、黙って」


 あの時と同じ台詞が花夏の耳をくすぐる。シュウも同じなのだ。花夏と同じように、心はあの時間にいた。


 そして花夏はようやく思い至った。自分が如何にこの自立した大人の男性に必要とされていたのか。手放したくなくて、でも手放さないと追手が来る危険性があって。アスランを殺されたくなくて、蹴ってまで突き放した今ならよく分かる。


 どんな切ない想いを胸に抱えて今のこの言葉を口にしたのか。


 花夏がこの人をここまで巻き込んでしまった。他国に連れてこられ、他国の政治に関わり逃れられず。それもこれも全て、動機はひとつのものに帰依する。



 この人の動機は、全て花夏だ。



 それが、ようやく分かった。花夏なんて放っておけば今頃まだヤナと過ごせていただろうに。


 花夏が結局はシュウを受け入れない事も、今その台詞を自分の口から紡ぎ出す位なのだ、重々承知の上で、それでも花夏の為に今ここにいる。


 憐れで惨めで、可愛い大きな男。


 それでも花夏はシュウを受け入れられないけど、でも今彼にしてあげられる精一杯の事とは。


 懐かしいまでに苦しくなる、このシュウの抱き締め方。身体を全て感じられる密着度。シエラルドではただすくむ事しか出来なかったが。


「シュウさん、話いいですか」

「……何でしょう」


 シュウの声が掠れていた。


「私の為に、シュウさんが犠牲になってしまってごめんなさい」

「……犠牲になったつもりはないよ」


 またそういう強がりを言う。花夏はつい笑ってしまった。


「今の笑うところ?」


 少し不服そうなシュウの声が耳をくすぐる。


「いえ、シュウさんらしいなって」

「そう?」

「はい。だから」


 シュウは花夏の次の言葉を待つ。まだ逃さないよう、花夏をきつくその身に抱いたまま。


「今だけですから」


 花夏はそう言うと、腕をシュウの背中に回して、シュウと同じようにギュッと抱き締めた。シュウの背中がびくりと反応し、ハッと息を呑むのが分かった。


 その意味も、今の花夏なら分かる。如何に以前の自分が幼かったかもよく分かった。その幼い自分を、それでも庇い守ってくれたこの優しい人にしてあげられる事は。


 

 今この瞬間だけでも、抱き締め返してあげる事だ。



 分かってるよ、知ってるよ、嫌いじゃないよ、嬉しいんだよ。花夏の口から出てこない言葉をちゃんと伝えてくれるから。


 シュウの苦しげな吐息が耳にかかる。温かいものが、花夏の耳を濡らした。


 がんじがらめに縛りつけられ、それでもその中で花夏の為に動こうとする、この男。


 泣き虫のこの人の事を、花夏は救えているだろうか?


 分からなかった。


次回は明日か明後日更新予定です。

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