赤いドレス
着々と表敬訪問の準備が進みます!
お楽しみくださいませ!
シュウは王の間を出ると、即座に以前の職場である国土調査隊の執務室がある右塔へと足早に向かった。王の間からは少し距離がある。まだ午前中の早い時間帯ではあったが、シュウは急いだ。
基本サルタスは常に執務室にいる筈だが、なんせ忙しい上に気が利きすぎる男だ。本来であれば全く関係のない仕事をあれこれしに出掛けてしまう可能性もあった。
早足がいつの間にか駆け足に変わってきた。通路を歩く他の官たちが何事かとシュウを見ている。彼らの視線は、半年前にシュウが宰相に就任した時分よりも遥かに優しいものに変わった気がした。あの頃は常に好奇の目に晒されていたが、ここのところは以前程棘がないように感じる。シュウがいつもバタバタしているので、哀れに思われているのかもしれなかった。
なんせ、シュウが如何に慈悲深い宰相かの評判や噂を発信させているのはシュウ自身だ。
周りの協力を極限まで得たいのであれば、悪印象は是非とも避けなければならない。勿論、言うことを聞かない地方院の連中などには手厳しく対応することもあったが、それはまあ例外中の例外である。
シュウは走る。宰相になってから大分運動不足になってしまったが、鍛えた足腰はそう簡単には衰えない。またいつか、以前のように旅に出れることはあるのだろうか。あの頃の自由を少し懐かしんだ。
城の右塔の2階にある国土調査隊の執務室に到着する。息が少しだけ上がってしまった。この多忙な日々が少し落ち着いたら運動している時間も出来るだろうか。浴びるほどの汗をかいて、策略にまみれた自分の頭を一度空っぽにしたい。そう思いながら、執務室の扉を軽くノックした。
「僕だけど、入るよ」
そっと扉を開け、顔だけ中に入れてみる。手前の執務机には誰もいない。一番奥の窓際の隊長の執務机を見ると、サルタスがこちらを見返していた。少し驚いたような表情だ。
「シュウ様、一体どうされたんです? 珍しい」
シュウは執務室の中に踏み入ると、扉を静かに閉めた。座っているサルタスの前に立ち、執務机の上に腰掛ける。こういう事をしても、サルタスは何も言わない。ソーマはギャーギャー言うので、ここは懐の深さか、はたまた諦めの程度の問題か。
サルタスの落ち着いた顔を見たら、シュウも落ち着いてきたので、おもむろに切り出した。
「とんでもない依頼をされた。ヤナの事だ」
サルタスの顔色が変わった。サルタスは、ヤナの事となると途端表情が豊かになる。
「ヤナがどうしましたか? 依頼とは一体」
「来週のダルタニア国王の表敬訪問の件だ。花束の贈呈をヤナがやる事になってしまった」
サルタスが眉をひそめる。
「あれは王族がされるものでしょう。何故ヤナが?」
「王子がまだ3歳で、まあやんちゃなお方だからね……」
グルニアが心配するのはよく分かる。非常に天真爛漫と言えば言葉はいいが、いたずら大好きな王子なのである。言い聞かせたところで、ダルタニア国王の前に行ったら何をやらかすか分からない。グルニアがヤナに依頼してきた一番の理由は、王子のその性格にあろうことは容易に想像出来た。
「確かに、ヤナの3歳の時と比べると大分幼い印象を受けますが。まあ、王子以外に王族で小さな子供はおりませんしね。王女はまだ1歳ですし。そういう事でしたら、ヤナが適任なのでしょう」
サルタスは納得したようだ。不安ではないのだろうか? サルタスの目を見るが、少しも揺らいでいない。
「サルタスお前、もしかしてヤナなら出来ると思ってる?」
サルタスが意外そうな顔をした。
「シュウ様こそ何言ってるんです? ヤナのあの雑な態度は、シュウ様に対してだけですよ」
サラッと嫌な事実を述べられた。
「……それ、本当?」
「ええ」
間髪入れずに返答してくるサルタスに、シュウは何とも言えない敗北感を覚えた。薄々そんな気はしていたが、サルタスの前では健気にも淑女になろうと努力しているものだと思うようにしていたが、まさか逆だったとは。
シュウが余程悲しそうな顔をしていたのだろうか、サルタスが慰めるように言った。
「シュウ様をどうしても叱りたくなってしまうようですね」
「慰めてないよね、それ」
「まあ、普段のシュウ様は正直だらしないですから、ヤナとしてはどうしても叱りたくなってしまうのでしょう。私もその気持ちはよく分かります」
本人を目の前にして随分な言いようである。シュウは文句を言おうか迷ったが、まあだらしないのは事実であるし、毎日何だかんだ忙しいのにシュウの食事の用意から何からしてくれている。気軽に人の手を借りられないシュウの家の状況をよく理解してくれている貴重な人材だ。やめておこう、と思った。
それに、これからサルタスにとっては嫌な事を言わなければならない。それで少しは腹の虫も収まるだろう。
「それで、サルタスにお願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
「これから僕の執務室に来て、花束贈呈の手順の省略と時間の短縮をソーマと打ち合わせてもらいたいのと、とついでにシーラとヤナの服やらなんやら準備がいるだろう? それの話し合いをしてほしい」
シーラの名前を聞いた途端、サルタスのこめかみがピクリと動いた。どれだけ嫌いなんだ、と呆れるが、まあ合わないものは合わないのだろう。直接業務で関わり合いがないからこそここまでお互い嫌い合えるのだろうが、それも今までだ。この後は嫌だろうが仕事だ、何としてでも協力してもらわねばならなかった。
サルタスが冷気が漂ってきそうな表情でシュウを見ていたが、言っても詮無い事だと分かっているのだろう。
「……分かりました」
それだけ言うと、さっと立ち上がり執務室の扉を開け、シュウを促した。
「どうぞ。行きましょう」
雰囲気が怖い。シュウが扉を潜ると、サルタスが執務室の扉の鍵をかけた。今日は他に誰も出勤していないのかもしれなかった。
「頼むから喧嘩しないでね」
「今回は仕事の一環ですから、私情は挟みませんよ。ただ、ヤナの服についてだけは譲りませんが」
「あ、そこはやっぱり譲らないんだね」
「当たり前です」
塔の階段を登っていく。
「シュウ様はヤナにひらひらのフリルだらけの服が似合うと思いますか?」
ひらひらのフリル。可愛いだろうが、子供っぽいといえば子供っぽい。せっかく小さなセリーナのように愛らしいヤナなのだ、どうせなら少し大人っぽいデザインの方が似合うだろうな、と思った。
「スラっとした上品な感じの方が僕はいいかなあ」
「そうでしょう」
サルタスが深く頷く。眉間に皺が寄っていた。
「私も同意見なのですが、あのシーラという女はとにかくヤナをひらひらひらひらさせたいらしいようで。ヤナの美しさが損なわれます。それでは、シュウ様もご賛同いただいたという事でここは決定事項として進めましょう」
「サルタス、本当ヤナの事になるとあれだよね」
シュウが呆れて言うと、サルタスが薄っすらと笑った。
「何を今更仰いますか。ヤナの面倒を私に見るように指示されたのはそもそもシュウ様でしょう。途中で投げ出すなど私に出来ない事は始めから承知の上だったでしょうに」
シュウは思わず笑ってしまった。確かにそうだ。サルタスだから何でも頼んだ。そう考えると、シュウは随分この元部下には信任を置いている。殆ど人を信用しないシュウが、だ。
案外、本当にヤナの旦那には向いているのかもしれない。
随分と気の早い事を考えながら、ふたりは宰相の執務室に向かったのだった。
城は、朝から上を下への大騒ぎだった。
特に宮内府の者たちは走り回っている。先程ダルタニア国王ご一行がこの城に到着した後、まずは来賓室へと招いた。ダルタニアからの訪問者は少なく、王を入れても10名だけであった。今回は姉である王妃フィオーレへ個人的に会いに行く為と宮内府は王府から聞いていたので、その為人数を最小限に抑えたのだと宮内府内では考えられていた。
この後、まずはここでご姉弟である王妃フィオーレ及び異兄であるラーマナ国王グルニアとの親類としての挨拶が来賓室にて行なわれる。それから、王の間で行われる花束贈呈、その後歓談を兼ねた立食パーティーの予定が組まれていた。王府との協力で何とか準備は整ったが、当日実際にあれこれ手順に沿って粛々と支度するのは宮内府の役割である。
宮内府の官たちが走り回って準備をしている最中、宰相の執務室では用意された衝立の奥でヤナがシーラに着飾られていた。
「流石ヤナ様、とてもお似合いです」
衝立の奥でシーラが淡々と褒めているが、内心涎を垂らしながら褒めちぎっているであろう事を、この場にいる人間は皆理解している。シーラの誤算は、その事を当のヤナですら本当は知っているという事実に気付いていない事であろう。
「本当? ありがとう、シーラ。これ、実は前にサルタスにお願いして仕立ててもらったドレスなの」
「サルタスさんにですか?」
「うん、お母さんが着ていた赤いワンピースみたいなドレスがどうしても着たくて」
「セリーナ様の赤いワンピースですか? それはそれは……」
明らかに何かを想像している間があったが、誰もそこには触れない。
女性ふたりのそんな会話を聞きながら、シュウが「まだかな?」という顔で時折チラチラと衝立の方を見ていた。
「シュウ様、落ち着いてください」
サルタスがたしなめた。執務机の上には、大きな花束が水に浸して飾られている。これが、今日ヤナがダルタニア国王に渡す花束だった。これは、この中で一番美的センスがあるヨシュアが用意した。サルタスはヨシュアがどういった人物かいまいち把握しきれていなかった為本番当日までどうなることやらと多少危惧していたが、そんな心配は全く必要なかった事が今日実物を見てみて分かった。それ程に見事でバランスのとれた花束が用意されていた。
「宰相もそんな風に慌てる事あるんですねえ」
ヨシュアがからかうように言ってきた。
「だって、僕見てないんだよ? 酷くない? 何で父親に内緒で父親の金使っていつの間にかドレス作っちゃってる訳? せめて見せるっていうのが普通だと思うんだけど」
「そりゃまあヤナちゃんは宰相じゃなくてサルタスさんに見せたい訳でしょう?宰相って悪知恵は働くけど女心には疎いですよね」
あまりにもな事をケラケラ笑いながら若者に言われているが、笑われた本人は怒るでもなく「そうかなあ」と言って首を捻っている。
「ヨシュア、口の利き方に気をつけろ」
苦虫を嚙み潰したような顔をしてソーマが注意をした。
「だってまあ事実じゃないですか」
ちっとも悪びれないヨシュアに、ソーマは大げさな溜息をついた。それを横目で見たサルタスは、かつてシュウが若かりしユエンにやったような教育をこのヨシュアに施したのだろうな、と推測した。似たように、いい感じといっては語弊があるだろうが捻じれ込んできているように見える。もうあと数年すれば、非常に頼りになる部下となるであろう事は今から予測できた。
「ドレスはこんな感じですかね。髪の毛はどうしましょう? ご希望はございますか?」
「サルタス、どうしよう?」
衝立の横から、ヤナがひょいと顔を出した。サルタスが優しく微笑む。ヨシュアはサルタスの笑顔を初めてみたのだろう、ぎょっとした顔をしていた。
「上げましょうか。カナツのように」
「ふふ、そうね、そうする」
ソーマもヨシュアも『カナツ』が誰か知らないが、シーラは実際に会って見ている。ふたりが求めている完成像を理解したのだろう。小さく頷くと、ヤナの髪を結い上げ始めた。
しばらくの後。衝立の奥から、シーラが感嘆の声を上げるのが聞こえた。
「ああ……セリーナお姉さま……!」
シュウの耳がピクリと動く。視線が衝立に集まった。衝立の奥から、はにかんだ笑顔のヤナが出てきた。
床まで届く長さの赤いドレスだ。胸から腰の辺りは細く、足元に近づくにつれ大胆に広がっている。肩は花びらのような柔らかそうな素材の布で幾重にも重ねられている。首元はスッキリとしたデザインで、幼いながらヤナのスタイルのよさを存分に引き出している。ヤナの髪は何本か後れ毛を出し、きつすぎないよう丁寧に編みこまれた上でアップにされている。おでこは七三に分けられ、可愛らしいおでこが覗いている。その頭には、花びらが連なったような金色のかんざしが差さっていた。
「ヤナ……」
シュウが驚いていた。それ程に、綺麗に着飾られたヤナはセリーナに酷似していた。小さな、小さなセリーナ。シュウが言葉に詰まってしまうのも無理はなかった。
「どう? お父さん。私、お母さんみたい?」
そう微笑んで、その場でくるりと回転してみせた。シーラは腹が立つが、その仕上がりは完璧だった。サルタスは満足して横に立つシュウを見た。
シュウの水色の瞳からは、一筋の涙が流れていた。
次回は明日、更新予定です。頑張ります!




