シエラルド 1
今回は、女子(?)三人のみのお話となりました。
ようやく山小屋を出ました!
※()修正してます(2020/8/25)
※☆とりました(2020/9/2)
※行間、他微修正しました(2020/10/13)
※3点リーダ等の微修正を行いました(2020/10/19)
花夏の鼻の頭に、冷たい物が触れた。
(……雪だ……)
大分暗くなってきた空を見上げると、花夏の切れ長の大きな瞳に移った光景は、延々と広がる灰色の雲が白い小さな生まれたての雪をチラチラとまき散らしている様だった。
一面の、空。
花夏の世界にいた時では、見たことがない光景だった。
花夏の町にはそこまで大きなビルがあったわけではないけれど、見上げればマンションや電信柱、電線が必ず視界にあって、こちらの世界に来るまではそれが当たり前だと思っていた。
そのあまりの広さに、圧倒される。
そして気づく。自分のいた世界の狭さに。その狭さが、花夏に包まれたような安心感を与えていたことに。
何かに飲み込まれそうな感覚に陥り、花夏は慌てて首を振ってその感覚を横へ追いやった。
「カナツー! 早く早くー!」
少し開いた玄関のドアから、花夏の言葉の先生を自負している若干6歳のかわいらしい少女、ヤナが顔をひょっこりと覗かせた。
(そうだった。足りなくなった薪を取りに来たんだった。いけないいけない、しっかりしないと)
花夏は薪を持てるだけ抱え上げ、急いで家に向かった。
異世界の人間だからといって、ただ甘えることは花夏自身が我慢ならない。
こんな小さな子がしっかりと自分の仕事をこなしているのだ、もう中3の自分がダラダラと庇護されている状況に甘んじていてはいけない。
日本にいたら、受験シーズン真っただ中だっただろうか。
友人たちと、どこの高校の制服がかわいい、なんて呑気にきゃっきゃと騒いでいたのが遠い昔のようだ。
まだ、わずか3か月前は花夏は当たり前の日常を過ごしていた。
毎日、ノートに1行ずつ日記を書いているから、経った日数は間違いがないはずだ。
時計がないので、本当に1日の長さが花夏の世界と同じなのかはわからないが、寝て目が覚めて次の一日が始まる感覚は、以前とあまり変わらないように感じるから、花夏は自分の直感を信じることにしている。こちらの世界に引っ張られてきたのは、9月13日。十五夜の日だったはずだ。
それから約3か月、今日は12月5日。
日本ではもう冬だが、どうもあちらとこちらでは季節にずれがあるのか、花夏が来た頃はまだ夏の終わりくらいだったらしく、秋が終わり、これから冬が来る時期とのこと。つまり、日本と同じく四季があるということだ。
ハルナの住むこの家は高所にあるためかなり寒いらしいが、平野に広がる町に行けば、凍えるほどではないようだ。町の名前を、シエラルド、というらしい。この国、ラーマナの王都だ。
ハルナがざっくりと描いてくれた地図によると、この国は大きな大陸の北部に位置しているらしい。
周りの国も説明してくれようとしたが、流石に覚えられなかった。ただ、この大陸に複数の国家が存在しているのは理解した。
(日本は島国だから、国境とかよくわかんないなぁ~。イメージ沸かない)
『王様』という言葉は始めは分からなかったけど、ヤナが腕組みをして偉そうに足を組んでふんぞり返って座って指で指図する様子を見せてくれたので、なんとなく『王様』のことなんだろうと思う。
えらい人って、どこもこんなイメージなんだろな、と思って思わずくすっと笑ってしまった。
始めは右も左もわからず、花夏を嫌な顔ひとつせず受け入れてくれたハルナやヤナに大分迷惑をかけたが、少しずつではあるけれど、便利でない生活にも慣れてきた自分がいる。
ハルナが、花夏をこの世界の人間ではない、と理解しているのもひとつの理由だろう。生まれたての赤ん坊に教えるように、ひとつひとつ丁寧に教えてくれている。
そして、自分でも信じられないくらいこちらの言葉が分かるようになった。
とっさに喋るのはまだまだ難しく、何かを伝えたくてもなかなかぱっと口から出てこないが、流石ヤナ先生。一日中あれこれ喋っているので、情報量が凄まじい。そしてありがたいことに、学んでいる途中で気づいたのだが、文法が日本語と似通っているのだ。イメージとしては、日本語の文章を、単語を置き換えるとこちらの言葉になる感じ。これに気づいてからは、俄然理解度が上がった。
(英語もこの勢いで学んでいたら今頃は喋れたのかなぁ?)
いや、と花夏は思う。
花夏自身に覚えようという焦燥感がなければ、この短期間でここまで理解出来るようになったとは思えない。毎日頭をフル回転させて、一日が終わる頃には脳みそが疲れ切っている状態。
でも、それが心地いい。
いつか花夏の世界に帰るため、前に進んでないと焦って仕方ない。
だけど今は、歩みは遅くても、確実に目的に向かって進んでいる気がしている。
「カナツ、明日、町に行こうと思うんだが、一緒に来るかい?」
晩御飯が終わり、体をお湯と布で拭こうと(やはりお風呂はなかった……)桶を自室に準備していると、開いていたドアからハルナが声をかけた。
「町?」
「そう、下の町。シエラルド。これから冬に向けて、少し買い出しをしておきたくてね」
(おおー! いつも見下ろしちゃってる、あの町か!)
見たい。すごく興味がある。
首をぶんぶん縦に振ると、ハルナがニカッと笑って言う。
「じゃあ決まりだ。明日、朝食の後すぐに出かけるからね。町の知り合いの家に行って、そこで泊まる。帰りは人を雇って荷物を運んでもらうけど、カナツも少しは持つんだよ」
全部は理解できなかったけど、荷物を持ってほしいと言われたのは分かったので頷く。
(勿論です、ただ飯食べさせてもらってるんだから、そのくらい当然です!)
とすぐに口には出せないのがもどかしい。
「ヤナも行く?」
短い言葉なら、ほらちゃんと喋れるようになった。
「ヤナも一緒だよ。隣近所に人なんざいないが、何があるか分からないからね。寝間着は借りられるから、身軽にね」
(寝間着。ということは、お泊りか。どこに泊まるんだろう?理解力不足……うう)
まあ、質問している時間は明日山の様にあるに違いない。なんせあの距離を歩くのだから。
一応この世界にも時という概念はあるらしい(そりゃそうか)が、そこはやはりというか、非常に大雑把だ。
一日を4分割して、新しい1日が始まってから日の出までが1の時。日が昇ってから昼までが2の時。お昼から日が沈む頃までが3の時。それから、日が沈んでから1日が終わるまでが4の時。
一日の終わりはどうやってわかるんだろう?
一応聞いてみたけど、その辺はヤナも笑って首を傾げてた。
以前、町までの距離は1の時の半分、と言っていたから、ざっくり計算すると大体3時間というところだ。
「早く寝るんだよ、明日はたくさん歩くからね」
「わかった」
「おやすみ、カナツ」
「おやすみ、ハルナ」
そう言って、ハルナは静かにドアを閉めた。
少し遠くから、梟の鳴く声がする。
早く体を拭いて寝ないと、寝不足のまま3時間歩くのはきつい。
花夏はばたばたと支度をして、さっさとやらねばならぬ用事を済ますことにした。
翌朝、ハルナ、ヤナと花夏の3人は、戸締り(気持ち程度)をした後そびえ立つ山を背後に元気よく出発した。
「カナツは町に行くの初めてだよねー! 人がいっぱいいるからびっくりするよ!」
「うん、楽しみ」
ヤナと花夏は仲良くおしゃべりしながら歩いていく。
家を出てしばらくは、なだらかで見通しのいい草原の下り坂だ。そして、雪が積もると雪崩が起きる恐れがある場所でもある。
正直、昨日まではハルナは迷っていた。まだ片言しか喋れない花夏を町に連れていくことが、どういう結果をもたらすのかがさっぱりわからなかったからだ。
言葉の通じない外国人、というのも勿論いる。
ただ、この辺りは大陸の最北にあり、海との境目に広大な山脈が広がっており、大陸の外からの入国者自体が非常に少ない。
花夏の外見は、この国の人間と言えなくはないが、異国の血が混じっているように見える程度には違和感がある。
大陸の中心にある強国、ダルタニアであれば花夏のような人間がいても不思議ではないのだろうが……
花夏がこちらに来た経緯は、いまいち聞いてもピンとこなかったが、何本もの手に引っ張られてきた、というのは確からしい。
引っ張った者がいる、ということは、それが魔であれ人であれ、何か目的があって花夏を攫ってきたということだ。悪意の有無も分からず、花夏でなければならなかったのかどうかも不明ではあるが。
つまりハルナは、異国人の雰囲気を漂わす片言の花夏を町に連れていくことで、花夏を探しているかもしれない者たちに見つかるかもしれない、という危険があるかもしれないと考えていた。
だが、それはもしかしたら花夏の味方かもしれない。
若しくは、花夏のことは探していない可能性だってある。
積雪が始まる前に、町に降りて冬籠りに備えたいのも事実。ヤナと花夏をあの家へ置いていくことも考えたが、ヤナには会わせたい人がいる。
花夏をひとり置いていき、その間にもし花夏を探している者が花夏を見つけてしまったらと考えると、3人で町へ降りるしかないという結論に至った。
「……まあ、なるようにしかならないか」
きゃっきゃとはしゃいでいるヤナと花夏を見ていると、ハルナのただの考えすぎのように思えてくるから不思議だ。
「ほら、口ばかり動かしてないで、足もちゃんと動かす!」
「「はーい」」
こう見ると、まるで仲の良い姉妹のようだ。
もしかしたら、このまま花夏が誰にも見つからず、このままずっとハルナたちと過ごして、いずれ町で恋人でも見つけて、ハルナはたとえ血は繋がっていなくとも、花夏によく似た孫をこの腕に抱けるかもしれない。
年齢は15歳だと言っていた。婚姻を結ぶには若干早いが、あと少ししてしまえば16歳、この国では成人と見做される。
花夏がふたりの元を去るよりも、その可能性の方が高いような気がしてきた。
(なら、いつでも嫁げるようにもっともっと鍛えないとね)
そんなことをハルナが思ってるなどどは考えもしていないだろう花夏の後ろ姿を見て、ハルナは小さく微笑んだ。
次はいよいよ町のお話です!