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背中 ☆

いよいよみんなとの別れの時が近づいてきました。

切ないシュウさんの男心、お楽しみくださいませ。


日々更新チャレンジ達成中!(2020/9/22)

※3点リーダ等の微修正を行いました(2020/10/19)

 翌朝、約束通りサルタスが朝一でやって来た。


「おはようございます」

「サルタスおはよう!」


 ヤナが飛びつく。サルタスもそれを受け入れ、抱き抱えた。


「よく寝れましたか?」

「うん。サルタスは?」

「私もちゃんと寝れましたよ」


 毎朝こんな感じだ。当てられて仕方ないが、昨日までは気にもならなかったやり取りが、この後展開されていた。


「あ、そうだ、それ忘れてた」

「ヤナ、心を読まないで下さい」

「ごめんなさい、だってサルタスのそれ聞きたいんだもの」

「ちゃんと『壁』を作ってくださらないと」

「じゃあちゃんと口に出して言って」


 花夏がふたりの様子を何となく遠目で見守っていたところ、ヤナがそう言い出し。サルタスが、諦めたように語り始めた。


「……髪の毛はきちんと梳かされましたね。偉いです。艶々に光っていて、綺麗です。あとできちんと結いましょうね。触るのが楽しみです。唇が少し荒れていますが、塗り忘れましたでしょうか。せっかくふっくらしてきて良かったのに」

「今から塗るね、サルタス塗って」


 花夏に聞かれているとは思っていないのだろう。なんだか恋人同士の会話を聞いているようでこそばゆくて堪らない。サルタスは幼女趣味はないと言い切っていたが、であればこれは一体なんなんだろう?


(あ、育成ゲーム的な?)


 それか、マイフェアレディ的なものかもしれない。育て、磨き、放つ。花夏には理解できない世界だが、サルタスは楽しそうだしヤナは嬉しそうだし、お互いがいいのならいいのかもしれない。


 つまり、花夏もシュウも知らない間に、こういうやり取りをずっとしていたという事だ。周りにはあまり聞こえない為、誰も気にしていなかったが、今聞いたサルタスの言葉が毎日ヤナが聞いていたものだとすると、あまり人を信用できないヤナとしては嬉しかっただろう。


 人の心の声が聞こえるというのは、恐怖と隣り合わせなのだ。そこへ、自分への想いだけが詰まった言葉を毎日聞いたら。


(まあ、惚れるのは分かる)


 サルタス、罪作りな男。


 新たなふたつ名を勝手に付け、ふたりを遠くから見る。これも、見れて明日まで。この目に焼き付けておきたい。


「ヤナ、これから朝市に行きますが、一緒に行かれますか?」

「行く! ちょっと待ってて!」


 季節はもう春だが、朝はまだまだ冷える。ヤナが急いで自室にコートを取りに行くと、それをサルタスが受け取り、ヤナに着せてあげている。絵になる光景だ。


「では、すぐ戻りますので」

「いってらっしゃい」


 花夏が手を振って見送る。シュウは、昨日あの後ワインを飲んだらしく、まだ起きてこない。花夏にと渡してくれた発光石はきちんと包まれテーブルの上に置いてあった。あの後、何を想ってあの光景を見ていたのだろうか。誰を想って。


 ふと、思い出した。今日はシュウは出勤日ではなかったか。


 寝かせている場合ではない。起こして何か食べさせないと、きっとあの人はまた自分の体なんて二の次にして仕事をしてしまう。


 花夏は慌てて2階のシュウの自室の前まで行き、ドアをノックした。


「シュウさん、朝ですよ! 起きてください!」


 しばらく待つ。反応はない。中で動いている音もしない。


「シュウさーん! 仕事ですよ!」


 もう一回、今度は強めにノックをするが、……反応がない。


 今日は、この後シュウの出勤時間に合わせてシーラがここにくる予定になっている。呑気に寝かせている場合ではない。


 寝ている男の部屋に入るなんてシュウが起きてたら怒りそうな状況だが、だからといって放っておくわけにもいかない。宰相が遅刻ばかりしていたら、周りの心証もよくないだろう。


「シュウさん! 入りますよ!」


 大きめの声で宣言し、部屋のドアを開ける。暗い部屋の中に入ると、やや酒臭い。どれだけ飲んだのか。


 小走りで窓まで行き、思いきりよくカーテンを開けた。朝日が一気に差し込む。ベッドを見ると、シュウが上半身裸で寝ている。スースーと、なんとも気持ちよさそうな寝息を立てている。なかなか拝む機会などない男性のむき出しの上半身、しかも相当引き締まっている身体に、花夏はついどうしていいか分からず立ち竦んだ。


 よく見ると、床に脱いだ上着が投げ捨ててある。それを見た途端、子供のように見えてしまうから不思議だ。


 ベッドの端に腰かけ、シュウの肩をゆすってみた。


「シュウさん、朝ですよ」


 肌が冷えて冷たい。布団もかけずに上半身裸で寝ていたのだ、風邪など引いてないだろうか。


「シュウさん、体冷えてますよ、起きて服着て、ご飯食べましょう。風邪引いちゃいますよ」

「んー……大丈夫」

「大丈夫じゃないから。起きてください」

「あとちょっと」


 しばらく待つ。スーっという寝息が聞こえてきた。


(だめだこりゃ)


 どうしたら起きるだろうか。耳元で大声を出してみようか。


 これまでいつもいつも、シュウには驚かされてしまってばかりいた。最後くらい、驚かしてやるのもいいかもしれない。そう思いつき、そーっと耳元まで口を近付け、耳を塞いでいる髪をそーっと避けて、かなり大きな声で言ってみた。


「シュウさん! 朝ですよ!」

「うわっ!!」


 効果はあった。あったが、あり過ぎた。驚いたシュウが飛び起き、近づいていた花夏を庇うつもりなのか肩を抱いてそのまま押し倒し、「何!? 誰!?」とあたりを伺っている。


 花夏は、頭が痛くなった。この人といると、なんでこうなってしまうのか。


 真上に見えるシュウの首は正直いって逞しくて見惚れてしまうが、そんなこと言っている場合ではない。シーラが来てしまう。


「シュウさん! 寝ぼけてないで、起きて! ください!」


 自分の下から聞こえる花夏の声に、シュウが状況を多少理解したらしい。花夏の顔を見、自分の裸の姿を見、一言。


「カナツちゃん、僕を襲ったの?」


 上から乗っておいて、何を言う。こめかみをピクピク言わせながら、花夏が低い声で言った。


「シュウさん……グーで殴りますよ」

「ご、ごめんなさい! どきます! 今すぐどきます!」


 ぱっと起き上がったシュウだが、花夏の肩を抱き、その腕は花夏の下にあるままだった。つんのめってバランスを崩し、花夏ごとベッドの下に転げ落ちる。ゴン! というそこそこ大きな音がした。どうやらシュウが床に頭をぶつけたらしい。ぐおーという唸り声が花夏の頭のすぐ上から聞こえる。声の振動が、くっついている肌から響く。肌が直に触れているだけに、体温が近くて嫌になる。


――勘弁してほしい。


 立つ鳥跡を、の昨日の自分の覚悟は何だったのか。何故、この人はいつもいつもいつもこうなのか。


「シュウさん、まず手を退けてください」


 上半身裸のシュウの上に、肩を抱かれてシュウの上に乗っている自分。絶対見られたら誤解される。それだけは本当に勘弁してもらいたい。


「シュウさん、離して」


 シュウは動かない。そんなに打った頭が痛いのだろうか。花夏はやや不安になってきた。顔が見えないので分からない。


「すごい音したけど、大丈夫ですか?」


 ぐ、と力を入れて体を起こす。肩にかかっていた腕が、花夏の後ろにぼとっと落ちた。シュウを見ると、もう一方の腕で目を覆っていて表情が見えない。口はぎゅっと閉じられている。


 本当に大丈夫だろうか。


「シュウさん、痛いですか? 今冷やすものを持ってきましょうか?」

「……大丈夫」

「でも……」


 待つ。動かない。


「シュウさん?」


 不安になってきて、少し顔を近づけた。腕の隙間から、シュウの水色の瞳が見えた。こちらを見ている。


「シュウさん、起きれますか?」

「……無理」

「やっぱり強く打ちました? 冷やすものを」


 花夏が立ち上がろうとすると、がっと手首を掴まれた。


 シュウが、腕をずらして花夏をじっと見つめている。何も言わない。何故、何も言わないのだろう。ただ、見つめられている。その顔からは、感情が読めない。どうしたらいいのか、分からない。


 動けない。シュウの瞳に魅了されて、縛りつけられたかのように。手首から伝わる体温が、行くなと言われているようで。


 シュウがゆっくりと起き上がった。手首を掴んでいる手とは反対の手を伸ばして、花夏の頬に手を伸ばしてきた。大きな手のひらで、花夏の頬を覆う。小指で耳を挟んで、親指で花夏の唇に触れる。まるで、愛おしい者を触るように。いつかの再現のような動きに、花夏は固まった。


 動けない。動けない。


 シュウの瞳から目が離せなくて、花夏は固まってしまった。だめなのに。


 シュウの顔が近づいてきて、少しアルコール臭さが残っている息が届く。


 その時。


「シュウ様、シーラです。入って宜しいでしょうか」


 玄関の外から、シーラの声がした。


 咄嗟に花夏は手首を振り解き、急ぎ部屋を出て行った。

 

 肩肘をついて上半身を起こして花夏の後ろ姿を見ていたシュウは、そのまま手のひらで己の額を覆い、しばらく考え込むように目を瞑っていた。








「随分いっぱい買ったのね、サルタス」

 

 市場で買い込んだ保存食はかなりの量となる。しばらくは馬での移動の予定の為、少し多めに購入した。朝市の人混みの中、サルタスとヤナは手を繋ぎながら家に向かっていた。


「ええ。明日出発致しますので、その間、お手入れを忘れずにお願いしますね」

「明日!? 随分急なのね……」


 ヤナがしょんぼりする。大好きな花夏との別れ。大好きなサルタスともしばしの別れとなり、昨日会ったばかりの女性と日中過ごす事になる。不安でないと言ったら嘘だろう。


 サルタスがヤナの前にしゃがんで、優しく微笑んだ。


「ヤナ。ヤナはヤナのやるべき事をまずは第一に考えてください。ヤナには任務がありましたよね?」

「……『おとうさんを守る隊隊長』ね」

「そうです」


 サルタスが頷いた。


「私たちがいない間、シュウ様をお守りください。恐らく、カナツがここを去った後は相当落ち込むかと」


 ヤナがフフ、と笑う。


「お父さん、カナツの事大好きだもんね。馬鹿だよね」

「ヤナ……大人には大人の事情というものがあるんですよ」

「大人って面倒くさいのね」


 まだ分かりたくないわ、とヤナが寂しげに呟いた。サルタスが、困ったような顔をしたが、何も言わない。サルタスの声が聴きたいな、と思って『壁』を一時取り払った。サルタスの声は、いつでも優しいから。


 だが、頭に入ってきた声はサルタスの声ではなかった。



『ここも結界問題なし、じゃあどこの国だったんだよ!』



 大きな声だった。まるで、すぐ近くで話しかけられているような。


 ヤナが、声がする方向をゆっくりと振り返った。ヤナの後ろ、市場に立っている少年がいる。蜂蜜のような色のふわふわの髪。空を見上げているので顔は見えない。長いこと旅をしてきたのか、着ているマントの端が擦り切れてるのか破れている。


「イリヤ! お前も着いてたのか!」


 少年が、声がした方を向く。イリヤ、というのがこの少年の名前のようだ。


「師匠!」


 少年の声が弾む。市場の向こうからやってきた、これまた薄汚れたマントを着た長身の男が、マントのフードを取った。この辺りでは珍しい、黒髪。顔は髭が覆い、年齢不詳だ。


 ふたりを見つめているヤナと、黒髪の男の目線が合った。その目線を追って、イリヤと呼ばれた男が降り向いた。可愛らしい顔立ちをしているが、ヤナは一瞬で鳥肌が立った。その顔と、心から流れてくる声のあまりの冷酷さとの違いに恐ろしくなり。


『なんだあのチビくそ生意気な目で見てやがる塵にしてやろうかあんなの一瞬で消し去ってやる』


 ヤナがぱっと目線を外した。あれは、見てはいけない。関わってはいけない人種だ。


「ヤナ? どうしました?」


 サルタスが、ヤナのただならぬ様子に不安げに尋ねる。


「……何でもない。帰りましょう」


 戸惑うサルタスの手を引っ張り、その場から早く立ち去ろうとする。後ろから、まだ声がする。


『クソガキクソガキクソガキ師匠との再会を邪魔しやがってここまでどれだけ苦労したかと思うんだ消してやる消してやる消してやる』


「えー? 城に行くんですかー? 面倒くさいなあー」


『王妃に挨拶なんているのかなんの力もない女なのに面倒くさい陛下の姉じゃなければ頭下げなくていいのに腹立つ』


 怖い、怖い、あれは駄目だ、近寄っては駄目だ。


 サルタスを握る手に力が入る。手に汗をかいてきた。手が震える。こわい、こわい、こわ――


 ふわっと、体が浮いた。サルタスが抱き上げてくれたのだ。耳元で囁いてくる。


「……どうしました」


 男たちの姿が、視界から消えていく。ようやくあの大きな声が聞こえなくなった。ヤナはサルタスの首にしがみつき、言った。


「あいつらだ」

「……ヤナ?」

「結界を見てた。ここも違うって言ってた。この後王妃に挨拶するって言ってた。陛下の姉だからって」

「追手、ですか?」


 手の震えが止まらない。絞り出すように言った。


「あれは味方じゃない、会わせたら駄目、怖かった、怖かったよ、サルタス……!」


 ヤナが泣きだした。サルタスは、ヤナを抱えたまま全速力で走り始めた。








「シュウ様! カナツ! いますか!」


 サルタスが息を切らしながらシュウの家に駆けこんできた。


「さっきは寝ぼけててごめんね」などと言って頭を掻いているシュウと、冷たい目でそんなシュウを見ている花夏と、訳が分からぬ風でその様子を眺めているシーラがいる。また何かあったのかもしれないが、今はそれどころではなかった。


 サルタスの只ならぬ様子に、シュウの雰囲気が緩んだものから真剣なものへと一気に変化する。


「どうした。ヤナもどうした?」


 ヤナが震えている。花夏が慌てて駆け寄り、サルタスが降ろしたヤナを抱きしめた。泣いている。


「追手です」


 シュウの顔色が変わった。


「説明を」


 サルタスが頷く。シーラはまだヤナの力については知らない。言い方に気をつけねばなるまい。


「市場にいた男ふたりの声をヤナが聞きました。結界の確認に来たようで、王妃にこれから挨拶をされるとの事だったようです。陛下の姉、との言葉も聞いたようです」


 ヤナが怯えている事に関しては、サルタスも何故か理由が分からない。


「片方の黒髪の男は髭だらけだったので、恐らくいったんどこか宿屋などで整えてから謁見の依頼が来るものと思われます。多少時間の猶予はあるかと」


 余りにも汚いなりだった。あれでは城の中には入れまい。それに、急いでいないようだった。まだ、時間はあるはずだ。


 そして、これだけ聞けばシュウは分かるだろう。


「分かった。カナツちゃんは急いで支度を。シーラはヤナを頼む。サルタスは馬を取りに行ってここまで来てくれ。僕は支度した後、登城してそいつらをなるべく長く引き止める。サルタスは距離を稼いでくれ」

「かしこまりました」


 サルタスがすぐに行動に移る。


「ヤナ様、こちらへ」


 シーラも泣きじゃくるヤナを引き受け、花夏に頷いてみせた。


 シュウが、花夏を見る。


「……追手はダルタニアだ。絶対近寄らない事」


 大陸一の強国。ラーマナの立場は、弱い。


「カナツ、急いで」

「……はい」


 急いで荷物を取りに2階へ向かう。とうとうこの時が来た。まだ、相手がどこなのか分かっただけ良かったのだろうか。


 鞄を背負い、目立たない色のマントを被り、セリーナの剣を背負い、あっという間に支度は完了した。


 1階に降りると、ヤナが泣き顔で見ている。


「ヤナ、いってきます」


 ボロボロ泣いて頷いている。もう一度、ぎゅっと抱きしめた。本当に、本当にヤナといて楽しかった。ありがとう、と心の中で呟いた。


 ヤナの肩に手を置いているシーラを見る。


「ヤナをお願いします」

「はい。確かに」


 どこまで事情が分かっているのか不明だが、それでもしっかりと頷いてくれた。


 立ち上がる。


「忘れ物」


 シュウが、花夏の手のひらに昨日くれた発光石を乗せてくれた。こんな別れ方になるとは、思わなかった。けど、仕方ない。花夏は無言で小さく礼をした。


「シーラとヤナは中にいてくれ。サルタスが来たらすぐ発てるように、僕が見送るから」


 シュウが玄関の扉を開けて花夏を促す。花夏は、振り返らずそのまま外に出た。シュウが扉を後手で閉め、壁に背中を付けて腕を組んだ。


「バタバタになっちゃったね」


 やれやれ、とおどけた表情で言う。花夏はもう一歩前に出てから、シュウの方に振り返ってお辞儀をした。


「お世話になりました」


 何もかも、全て頼りっぱなしだった。シュウなくして今のこの時はない。何も知らずに捕まっていた可能性も高い。


 顔を上げれない。涙が溢れそうだ。目線を合わさぬまま、シュウに背中を向けた。


「ちゃんとご飯食べてくださいね」

「うん」

「ちゃんと寝てくださいね」

「……うん」

「無理しないでくださいね」

「それ、僕の台詞」


 低い声が笑う。この声に何度振り回された事か。もっと聞いていたかった。もっと笑顔が見たかった。


 もっと、一緒にいたかった。


 耐えきれず、花夏がシュウを振り返った。目に涙が溜まってしまっていて、シュウの姿が滲んで見える。


「ありがとう、ございました」

「ううん、こちらこそ」


 腕を組んだままにっこりと笑うシュウ。城に続く道を見て、「あ、サルタス来たよ」と言った。


 サルタスが馬から降りて近づいてくる。


「シュウ様、それでは行って参ります」

「よろしく頼む」


 花夏が深くお辞儀をして、サルタスの方に一歩進んだ。





 シュウが組んだ自身の腕は、動かぬよう力一杯押さえつけている。顔に浮かべる笑顔は、虚勢だ。


 花夏が行ってしまう。もう、次は会えるのか分からない。こんなプライドかなぐり捨てて泣きすがったら、もしかして一緒にいれるのだろうか。そうしたら、自分を選んでくれただろうか。


 今手を解放したら、絶対『みえない手』で掴んでしまう。掴んだら、きっともう離せなくなる。


 花夏が荷物をサルタスに渡した。


――ああ、行ってしまう。



(行かないで)



 口に決して出せない言葉を、心の中だけで紡ぐ。


(行かないでくれ)


 すると。


 花夏が振り返った。驚いた顔をして。


「シュウさん、今……」


 なんて事だ、心の声は聞こえないと言っていたのに、何でこんなタイミングで聞こえちゃうんだこの子。


 胸が苦しくて、笑顔が崩れた。花夏が心配そうな顔をして一歩シュウに近づいてきた。


 ダメだ、止められない。


 シュウの手が、花夏に伸びた。花夏を、強く強く抱き締める。どうしよう、止まらない。ああ、暖かい。動いている。愛しくてどうしようもない。離したくない。どうすればいいのだろう。


 すると、花夏がシュウを抱き締め返してくれた。背中をトントンしてくれている。まるで子供をあやすかのように。


「シュウさん、泣かないで」


 言われて初めて、シュウは自分が泣いている事に気がついた。ああ、情けない。大の大人が外で泣くなんて。



挿絵(By みてみん)




 花夏が背伸びして耳元で小さな声で言う。


「シュウさん、お願いがあります。……背中を、押してください」


 シュウが、顔を上げて花夏を見た。花夏は晴れやかな笑顔を見せていた。にこりとして、シュウの涙を手で拭ってくれる。これじゃ本当に子供だ。


「これじゃ、出発できないじゃないですか」


 困ったように笑う。間違いなく困らせているのはシュウだ。


「……情けなくてごめんね」

「いつもの事ですから」

「言うようになったね君も」

「おかげ様で」


 ふー、とシュウが息を吐き、花夏の肩を掴みくるりと回転させた。しばし止まる。


「シュウさん、後をお願いします」


 花夏の声が聞こえた。そうだ、シュウにはやるべき事がある。ここで立ち止まる訳にはいかない。


「……ほら、いっておいで」


 そう言って、花夏をサルタスが待つ方に押した。花夏が、押された勢いでそのままサルタスに駆け寄り、サルタスの助けを借りて馬に乗った。


「いってきます」


 にっこりして、手を振った。


「では数日あけますので」

「頼んだよ、サルタス」


 シュウも手を振った。サルタスの影に隠れ、もう花夏の姿は見えない。


 しばし佇んでいたシュウだったが、パン! と両方の頰を思い切り叩き気合を入れる。


 相手はダルタニアだ。気は抜けない。


 口を真一文字に結び、家の中に入って行った。







「カナツ、フードを被ってください」

「分かりました」

 

 スカートのままだった為、花夏は横向きに座っている。言われた通り、フードを深めに被って風に飛ばされぬよう前を押さえた。


「街中では飛ばせませんので、シエラルドの外に出たら飛ばします。なので」

「はい」

「……なので、泣くのはそこまで我慢して下さい」

「……はい」


 溢れる涙をフードで拭き、カナツは顔が見えぬようサルタスの胸に顔を伏せた。


花夏とシュウさんの別れ、未練たらたらですねシュウさん。

次回はセシルと王妃様初登場!お楽しみに!


明日投稿予定です(2020/9/23)

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