山の夜 ☆
「あーよく寝た」
窓の外が夕焼けの色に染まる頃、首をこきこきさせてシュウが部屋から出てきた。一応寝間着から着替えたらしいが、大分着崩していて胸元が若干はだけ、帯は締めていない。シュウが普段家にいる時の基本はこの緩さである。
サルタスはそんな元上司のだらしない姿を見て、小さくため息をついた。
「なんだ」
「もう少しきちんとされてください」
「いいじゃないか別に、仕事じゃないんだから」
「……」
この人は、自分が何故女性にかんざしを贈った事でほんの僅かな時間であんなに噂が広がったのか、その根本的な理由を理解しているのだろうか。サルタスは疑問に思った。
まず、基本的に見目がいい。それは本人も理解しているフシはある。女性に贈ったかんざしを自分の『虫除け』代わりとする位だ、自分がある程度もてている事は分かっているだろう。だが、それが彼の条件や地位によるものだと思っている感はある。
実は、見た目以上に彼が注目される原因は、シュウの持つその雰囲気それ故だ。成熟した男性の持つ色香とでもいえばいいのだろうか、背も高く、均等のとれた体つきも相まって、つい見惚れてしまう官も多い。王宮では女性のファンが多いが、実は密に男性ファンも多かったりする。
時折調査で図書室に籠った後の無精ひげなども、一部ファンの間ではギャップがあって可愛いと噂されており、そういう事が逐一サルタスの耳には入ってくる。最愛の伴侶であるセリーナを亡くした後、過度に接触した人物が手酷い目にあったという噂があった為、その後はあまり積極的にシュウに絡もうとする人間はいなかったが、たまにいたことはある。サルタスが牽制する事で大分被害は抑えられた筈ではあるが。
それが、プンプンと色香を振りまくような恰好をしてうろついていたら、元部下としては注意すべき内容だとサルタスは思う。
「若い女性がいらっしゃいますよ」
シュウにだけ聞こえるような小さな声で伝える。シュウの動きがピタっと止まる。寝る前、盛大な勘違いをした事を思い出したのだろう。くるりと踵を返した。
「……はい、整えてきます」
「そうしてください」
無自覚という事は恐ろしい。ファンが付けば付くほど、それをやっかむ敵も増えるというのに、その辺りの自覚がどうも足りないようだ。
宰相ともなると、これからもっとそういう輩が増えるだろう。どこかで本人にもしっかりと釘を刺しておかないといけないだろう、とサルタスは決めた。
尚、彼のその思考が大分オカン寄りな事に、本人は全く気付いていない。
「あれ? 今シュウさんいませんでした?」
キッチンから花夏が覗いた。今は晩飯の支度中である。シュウが来たから、といって先程張り切ってひとりで狩りをして、兎を2羽仕留めてきていた。始めの頃の戸惑いはもうどこにも見られない。何かを吹っ切ることが出来たのだと思う。しかし逞しい。
野営のコツも大分呑み込み、後はここでは使えない野営に便利な魔石を街で揃えて説明したら終わりだ。花夏の呑み込みの早さはサルタスも感心しており、もう少し鍛える事が出来たら面白いのに、等と思うことがある。元々、教えるのが好きなのかもしれない。
「今、着替えに戻られました」
「寝間着のまま来ちゃったんですか?」
「それに近いものです」
何やってんだ、と呆れた顔で花夏が少し笑う。サルタスは部屋の方をちらっと見たが、シュウはまだ戻ってこない。いい機会なので聞いてみたかった事を聞いてみる。
「カナツは、隊長の事はどう思われてるんですか?」
「なんですかその質問」
「女性からしたら、かなり魅力的な方だと思いますが」
「話進めちゃうんですね」
「花夏はどうなんですか?」
それにかんざしも贈られているし。ただ、花夏はその本来の意味を理解していないのだが。
「まあ、一般的に見ても格好いいですよね。優しいし、お仕事はきちんとされるし、もてそうです」
「実際、かなりもてます」
あーやっぱり、なんて言って頷いている。
「はぐらかさないでください」
「あは、ばれましたか」
やはりはぐらかしていたらしい。
「……最近、自分がどの方向に進みたいのか、ずっと考えてました」
ぽつり、と花夏が言う。
「方向、とは」
「すぐに私のいた世界に帰るのは難しいんだろうな、という事は薄々分かってきました。追手が来たら、勿論逃げます。でもずっと来なかったら、私はここにずっと居るんでしょうか」
「カナツ……それは」
「追手が来る前に、他の場所に移動すべきなんでしょうか?春が来たら」
サルタスは、何も答えられなかった。
「今みたいな先が見えない状況で、誰か気になる人が出来たとしても、どうしたらいいものか分かりません」
「……それは」
「でも……とりあえずそれはシュウさんではないです」
花夏がにこりとした。
「私は、このままここにいるとシュウさんにいっぱい寄っかかっちゃいます」
「……寄りかかられても、いいのではないですか」
そうやって支え合っていくのも、いい事ではないだろうか。サルタス自身は正直恋愛には疎いので分からないが、シュウにも寄りかかれる場所があったらな、とは思う。
「私はまだ子供なので、多分いっぱい寄っかかっちゃいます。これ以上優しくされたら、私は駄目な人間になっちゃいます」
「カナツ」
「私はシュウさんとはそれほど長い事はいませんけど、それでもあの人が立ち止まる人間に興味がないことは何となく分かりますよ」
何故なら、花夏にも求めたから。強くなることを。ひとりで生きていく力を得る事を。不安で押しつぶされそうな花夏の背中を、優しく押してくれた人だから。
「だから、甘えてばかりいる人間には、興味ないと思います」
「それは……そうでしょうね」
花夏は正しい。よくここまで冷静に物事を見る事が出来るな、と感心する。まだ、それこそ彼女が言うように子供であるのに。きっと、ずっとずっと考えていたのだろう。ただ怠惰に過ごすのではなく、ずっとずっと、休むことなく。
「なんて偉そうに言ってますけど、強がり言ってるだけですけどね」
少し俯くその顔には、まつ毛の影が映し出されている。まるで絵画のようで美しいな、とサルタスはぼんやりと思った。
「カナツは、もう答えを出しているんですね」
「はい」
夕日の中で、花夏が静かに微笑んでいた。
何かを決意をした人間は、その一瞬その場の全てを支配する。今の花夏が、正にそうだった。多分、サルタスはこの光景を一生忘れないだろう。それほどに美しい光景だった。
シュウが求めた強さ、それ故に、花夏は去るのだ。
「でも、サルタスさんの野営セットがないと厳しいので」
いたずらっ子のように笑う。
「勿論、完璧なものを用意させていただきますよ」
サルタスが請け負った。選りすぐりのセットを用意しよう。そう決めた。
結局、花夏がシュウを本当にどう思っているのかは分からないままだったが、それはそれでいいのかもしれない。
しばし沈黙が流れる。
ヤナは部屋で読書中、ハルナはキッチンで仕込み中。シュウは未だ戻ってこない。随分長いので、もしかしたら反省して髭でも剃り直してるのかもしれない。
「シュウさん、遅いですね」
「注意したので、反省しているんでしょう」
「じゃあ、先にヤナを呼んできますね」
「お願いします。そうしましたら私は雨戸を閉めてきますね」
「お願いします」
サルタスも立ち上がり、各々目的の先に向かう。すると、花夏の部屋の前を通り過ぎて奥のヤナの部屋に行こうとした花夏が「わ」と声を上げた。
何かあったのかとサルタスが廊下を覗くと、後ろにのけ反った花夏を倒れないようにシュウが抱き締めている。どうも、出てきたシュウとぶつかってひっくり返りそうになったらしい。
「ご、ごめんカナツちゃん、出る時にちゃんと確認すればよかった」
「い、いえ、あの大丈夫、です」
ヤナが部屋から顔を出してその光景を目にし、冷静にコメントする。
「お父さん、顔真っ赤」
「いや、そんな事は」
「いや、真っ赤だよ」
「こら、ヤナ」
ヤナにからかわれている。
サルタスが近づくと、確かにシュウの顔が赤い。この人にこんな純朴な一面があったのかと思うとなんだか不思議な気分だ。日頃は周りの人間を振り回しまくっているのに。正直、馬鹿だなあと思ってしまった。
この人は、こんなに花夏の事が気になっているのに、自ら振られる事を選択したのだ。花夏を自由に解き放つために。
「ほらヤナ、からかっちゃダメですよ」
キリがないので、サルタスが助け船を出す。
「サルタス~」
シュウがホッとした顔をしている。かなり情けない。そして予想通り髭がきれいになっている。ある意味素直でいいのかもしれない。
「何してるんですか。早く起き上がってあげないと、カナツが苦しそうですよ」
恐らく、多分間違いなく男性に殆ど免疫がない花夏は、倒れるように抱きすくめられて固まっている。一歩踏み出して花夏を支えているシュウの胸の中にいて、表情は分からない。これこそ間違いなく真っ赤になっているだろうが。
「あ、ああ」
シュウが花夏の両肩を持ち、自分は一歩引いて花夏が立つスペースを作った。流石にもう顔は赤くない。
「カナツちゃん、大丈夫? 苦しかった?」
シュウが俯いている花夏の顔を覗き込む。大分近いな、とサルタスは思った。花夏が動かない。本当に大丈夫だろうか?
「本当大丈夫?」
「……見ないで、ください」
「え」
「ちょっと、顔洗ってきます」
花夏は顔を見せないようにパッと振り返り外に走って行ったが、サルタスはすれ違いざま見てしまった。花夏の顔は、見事に真っ赤だった。
「え、大丈夫かな」
シュウがオロオロとしている。このままだと後が面倒くさい。
「鼻でもぶつけられたのでしょう。私がタオルを持っていきますので、隊長は先に寛がれていてください」
「……お願いします」
サッと棚からタオルをひとつ取り出すと、すぐに花夏の後を追った。玄関先でしゃがみ込み、本当に顔を洗っている。雪で。
「カナツ、冷えますから」
タオルを背後から渡す。顔を覗き込むような野暮なことは、シュウではないのでやらない。花夏が振り返らないままタオルを受け取った。
「サルタスさん……すみません」
「いえ、鼻でもぶつけたんでしょうと言っておきましたので問題ないでしょう」
「流石出来る男……」
「なんですかそれ」
くす、とサルタスが笑う。
「隣に座っても?」
「……はい」
サルタスが、花夏の隣に同じようにしゃがみ込んだ。きっと、後ろから見たら異様な光景だろう。
「悪い男だと、付け込まれますよ」
お尻を浮かせたまま膝に腕をつき、花夏の顔を見る。火照りよりも、雪の冷たさで赤くなってしまっているようだ。
「その、恋人とかもいたことなくて、こうなんていうか接触が不慣れでついもうどうしていいか分からず」
「カナツの嫌いな生き物は何ですか?」
「? いきなりな質問ですね。……虫、嫌いです」
「では、次から男にああいうことをされたら、それがどんなにいい男でも、まずは大きな虫だと思ってください」
「大きな……虫……」
若干引き気味で花夏がサルタスを見る。もう顔色は戻ったようだ。よかった。
「虫の中でも、特に嫌いな虫を思い浮かべてください」
なにか、本当に嫌いな虫を思い浮かべてしまったのだろう、すごく嫌そうな顔になった。何の虫かが少し気になるが、それは後回しにしよう。
「そうしたら、すぐ動けます」
「……成程」
とてもすっきりした表情に戻った。納得してくれたようだ。
「カナツ、男というのは、相手が抵抗しないと、相手に受け入れられたものだと勘違いしがちです」
「……そういうものですか?」
「まあ、そういうのが大半だと思います」
何か考え込んでいる。
「隊長がそうだと言っている訳ではありませんが、少なくとも嫌ではない、とは思われていると思います」
「え……」
「でなければ、あんなに簡単に触りません」
更に考え込んでいる。過去の行動を思い返しているのだろうか。
「受け入れる気がないのなら、男には簡単に触れさせては駄目ですよ。逆に、カナツがもっと触れていたいと思う相手がいたら、それはカナツが好きな人です」
「サルタスさん……」
「はい、なんでしょう」
「そういった経験があるんですか?」
直球だ。直球には直球で返すのがサルタスの流儀である、が、過去の話だ。あまり語りたくない。
「……なくは、ないです」
「そうですか……」
なんだか残念そうに言われた。そういう風に言われると、なんだかな、と思ってしまう。横で花夏が立ちあがった。
「サルタスさん、ありがとうございます!」
急に立ち直った。そして、肩をポンポン、とされた。
「きっと、いい出会いがあります!」
逆に慰められた。
「先に戻ってますね! サルタスさんも冷えますから早く入ってください」
「……はい」
言い訳する気も失せ、サルタスはゆっくりと後を追ったのだった。
サルタスが使った言い訳通り、花夏は鼻をぶつけた事にした。
「いやごめんね、ちゃんと次から確認するから」
済まなそうに謝るシュウ。顔色は大分いい。サルタスにあれこれ教えてもらって若干思うこともなくもないが、とりあえずは今はあれこれ考えるのはやめておく事にした。
「もう大丈夫です、ちょっと痛かったけど。シュウさん、ちゃんと寝れました?」
許してもらえてホッとしたのだろう、シュウの力がふ、と抜けた。頭を深々と花夏に下げる。
「もう、布団入った瞬間爆睡した。何もかも準備してもらって、ほんと――に申し訳ない」
「そこはありがとうですよ、シュウさん」
謝罪と謝辞は別物だ。シュウはどうも上から来られるとすぐ謝る癖があるようだ。
「……ありがとう、カナツちゃん」
「サルタスさんもです」
「ありがとう、サルタス」
「……何だか新鮮ですね」
「お前なあ」
ハルナとサルタスの手によって料理が運ばれてくる。花夏とヤナは食器係だ。シュウはお疲れだろうという事で、とりあえず立つなと言われている。そうでも言わないと動き回りそうだ。
ヤナがサルタスに椅子を押してもらって座る。前まであったベンチはまたがないと座れない為、サルタスが女性がまたぐのはいかがなものかという事で椅子を作ってしまった。ヤナ用には少し高めに作るのだから、本当に器用としか言いようがない。
「何それ」
シュウが驚いて見ている。
「隊長、ヤナは貴族の女性ですよ。当然でしょう」
「いや、でも、なんでヤナがそんなに大人しくいう事を」
都合のいい時しかいう事を聞いてもらえないシュウとしては、信じられないようだ。
「シュウさん、愛情のかけ方の違いです」
ボソッと花夏が言う。
「さ、食べようか」
あまり空気を読まないハルナがパン! と手を叩いて手を合わせる。ハルナにもしっかりと感染っている。
「『いただきます』」
シュウだけ、戸惑ってキョロキョロしている。ヤナが意地悪をして黙っているので、サルタスが説明をしてやった。
「へえー。いいね、その習慣」
そう言ってから、ちろっとヤナを見る。少し恨みがましい目をしている。
「ヤナ、なんかお父さんに冷たくない?」
「そんな事ない」
「その言い方」
「気のせいじゃない」
にべもない。
「ヤナぁ〜」
「ご飯食べましょう、お父さん」
「……はい」
ものすごく凹んでいる。俯いて、チラッとヤナを見てはため息をつく。正直、面倒くさい。
「ヤナ、久々に会えたのにその態度はどうかと」
サルタスが助け舟を出してみた。花夏は何とかしてくれという目線を送ってくるし、ハルナは知らん顔。多分気にしてない。ため息をつきたいのはサルタスの方だ。
「……だって、お父さんはサルタスを連れて帰っちゃうんでしょう?」
「ヤナ……」
サルタスは、悲しそうに言うヤナにそれ以上何も言うことが出来なくなった。
確かに、幸せな冬だった。穏やかで、ゆったりと時間が流れ。でも。ずっとここにいることは出来ない。始めから期間限定だと分かっていた筈だ。
「あ、それなんだけどね」
兎肉を口に入れ、もぐもぐしながらシュウが言う。
「ヤナ、声は聞こえなくなったかい?」
シュウが聞いてくるので、ぶすっとしながらも頷く。
「僕ね、宰相になったんだよ」
それを聞いて、ハルナが目を見開いている。花夏は、宰相って何だっけ? と記憶を掘り返しているらしく、上を見ている。
「カナツ、王様のすぐ下で政治を取り仕切る役目の人のことです。意地悪宰相の話がありましたよね」
「ああ! あれ!」
「なに意地悪宰相って」
「サルタスさんが用意した恋愛小説です」
「何用意してたの、サルタス」
「ちょっと、だから何よお父さん」
話が脱線していくのでヤナが元に戻そうとする。ハルナは静かにお茶を飲み始めた。
「うん、だからね、立場的に娘をいつまでも山小屋に置いていくわけにもいかなくなっちゃって」
「何ですか? 立場的って」
「要は宰相の娘といえば貴族のお嬢様の中でも特に上の立場の方となりますので、山小屋に住んでますとは簡単に言えなくなってきたということですね」
「あー、半分野生ですもんねえ」
「ちょっと、野生ってどういうことカナツ」
「だって決してお嬢様の振舞いじゃなかったと思うけど。パン食いちぎったり」
「今はもう大分直りましたよ」
「ほらサルタスだって言ってるじゃない」
「あー、ちょっと聞いてみんな」
今度はシュウが脱線した話を元に戻す。ハルナはお茶をぐびっと飲んでいる。
「ということで、ヤナもサルタスとの特訓のおかげで他の人の心の声をひょいひょい聞かなくても過ごせるようになったなら、街に降りて学校に行けるかなと」
「ひょいひょいって何よ」
「学校? ああ、夏から行くかもって言っていたあの」
「シエラルドの貴族が行く学校は寄宿学校ひとつしかないので、基本は寄宿舎での生活になりますね」
「え? 寄宿舎?」
途端、ヤナが嫌そうな顔をする。
「週末は帰宅するのが一般的なので、週末には帰宅できますよ」
「だって帰ったところでいるのお父さんだけ?」
「だけってどういうことだ、ヤナ。寮もお父さんだけも嫌ってこと?」
「ハルナは行かないの?」
お茶を飲み終わったハルナが答える。
「私は、夫と守ってきたここにずっといたい。人がいなくなった家は、すぐに荒れるからね」
「ハルナ……」
「勿論、何かある時は出来る限りの事はするよ。人手は足りないだろうしね。ただ、ここを置き去りにする事は出来ない」
そう言って、お茶が入っていたカップをテーブルに置いた。
「カナツ、ヤナをずっとここに置いておくわけにはいかないのですよ」
サルタスが言う。
確かに、ここでの生活には限界がある。教育や、同じ年ごろの友人。そういった、ヤナの成長に必要な要素が足りていない。
「元々、制御が出来たら街に戻そうという話だったしね」
ハルナがそういうと、ポンと隣のヤナの頭を撫でた。
「ただ、肝心のヤナの気持ちを聞いてない。ヤナはどうしたいんだい?」
ヤナはしばし無言のままで考え込んでいる。
「私……」
「うん?」
シュウが乗り出す。
「学校に行きたい。ちゃんとお勉強して、立派な大人になって、そうしたら」
ヤナが真剣な目をしてサルタスを見た。
「サルタスの横に、私も立つ」
「ヤナ……」
サルタスが、ヤナの言葉の意味をどう受け取ったのかは分からない。
「私も、精一杯助力致しますよ、ヤナ」
サルタスが微笑み、ヤナもそれを見て微笑んだ。
「じゃあ、これから学校に入るまで特訓だね」
何か勘繰りたくなる事はあったが、ここはあえてほじくり返さずヤナのやる気を優先すべきだろう、そう考えてシュウは話を進める事にした。
「サルタスは戻ったら国土調査隊隊長の溜まった仕事があるから面倒見るのは難しいかもしれな……」
「また溜めたんですか」
サルタスがかぶせてきた。
「ロンがどこまで片付けたかにもよるけど」
「ロンが補佐ですか?」
「そう。妥当だろう?」
消去法で決められたとは口が裂けても言えない。あとであいつらにも口止めしておかねばなるまい。
「新人も入ったよ。サザの同期で、騎士団からの転籍だ」
「騎士団?よくそんな花形の所から転籍する気になりましたね」
「適正はばっちりだよ。女性だけど野営も大好きみたいだし」
「女性? それは珍しい」
シュウを見るヤナの視線が痛い。ヤナよ、お父さんのせいじゃないってば。サザのせいです。
仕事の話となると花夏は入ってこれないので、大人しく聞いている。
「それで、僕の下に優秀な事務官が3人付いたから、彼らに協力してもらって学校が始まるまでの作法とか支度をしてもらおうかと」
「隊長、私がやりますよ」
サルタスがヤナを見ながら言う。
「先に言っておきますが、迷惑ではないです。義理でもないですよ」
「でも、僕はもう隊長ではなくなったし……」
「私が、見届けたいんです」
「サルタス……」
「隊長、貴方がこれから進んで行く道も、ヤナがこれからどう成長するかも。ここまで見せておいて、もう見せないなんてないですよ」
お世話係ですしね、とサルタス。
「……忙しくなるぞ」
「隊長ほど仕事溜めませんし、自己管理も出来ますから」
「……ですよね」
ただ、とサルタスが続ける。
「任務でシエラルドを離れている間は流石にお伺い出来ませんので、その際の補佐は必要ですね」
「じゃあ、補佐は僕の部下たちにお願いしようかな。女性も1名いるし」
女性、と聞いてヤナがピクリとする。だから、お父さんのせいじゃないってば。
「色々と大変だから、そうしたら週末の学校の送り迎えは僕がしようかな」
「隊長、立場を考えられてください」
「え? なんで、娘の送り迎えくらいいいじゃない」
「宰相が護衛も付けずにふらふらするもんじゃありません」
「ふらふらって……」
「どうせ護衛のひとりも付けてないんでしょう?」
「……う」
実際今までひとりでふらふらしていた立場としては、あまり何も言えない。
「私、サルタスの送り迎えがいいな」
「ヤナ……」
ヤナが追い打ちをかける。どうも娘の父離れが始まってしまったらしい。離れて行ってしまった先がサルタスという出来る男だけに、あまり大きな声で文句も言えない。
「では、ヤナの送迎は私が行ないましょう。行けない時もありますが、その際は私の方で代役を手配致しますから」
「本当!? 嬉しい! ずっとよ、サルタス!」
嬉しそうにヤナが笑う。サルタスも薄くだが笑う。こいつ、こんなによく笑うやつだったか? とシュウは内心首を傾げる。もしかしたら、ヤナとの特訓は、サルタスの心にも何かしら変化を産んだのかもしれない。
「はい、ヤナがもう来なくていい、と言うまでは、私が伺います」
「そんな事言わないわよ」
「いつか、言う日が来ますよ」
「来ないもん」
シュウから見たらただのじゃれ合いだが、父親としては正直面白くない。ふと横を見ると、花夏が生ぬるい顔でふたりを見ていた。止める気はないらしい。
いつか、ヤナも大きくなって花開く時が来るだろう。サルタスは、自分が大事に大事に育てた花が他の男の元にいくその時まで、見守るつもりなんだろうか。なんとも気が長い話だ。父親でもないのに。
シュウが、呆れてサルタスに言った。
「お前、そんなんじゃ本当に結婚できなくなるぞ」
「かもしれませんね」
サルタスが笑う。とりあえず今は、それでいいのかもしれない。すると。
「私がサルタスと結婚するからまだいいのよ」
さらっとヤナが言った。サルタスがびっくりしている。まさかそう来るとは思ってなかったのかもしれない。花夏のニヤニヤが大きくなっている。ああ、止める気ないし。
「サールータースー!!」
シュウが怒りの形相でサルタスに迫ると、流石に焦ったのかサルタスが珍しく言い訳している。
「いや、隊長、誤解です」
「サルタス、私頑張るから!」
「ヤナ、あのですね、いくらなんでも年の差が」
「19歳差か、大丈夫よ、よくある事だわ」
「私は幼女趣味はございません!」
「じゃあ頑張って早く大人になって差を縮めないと」
「縮まりませんから!」
「お父さん絶対に許しません!」
ギャアギャアと騒ぐ3人を前に、ハルナがのんびりと自分のお茶を淹れ直し、3人の様子をそっと見守る花夏にも差し出した。
「案外早くひ孫の顔が見れるかもしれないねぇ」
「あー、可愛いでしょうねえ」
花夏が答える。お茶がうまい。
9年後、16歳となり花盛りとなったヤナが、長年の攻防の末とうとう根負けしたサルタスと結婚することになるのは、また別の話である。
いつかこれもスピンオフ書けたら楽しいですが、未来の話だからまだ書けないですね、残念。
次回はザ!ニヤニヤ回!こそばゆさ満載!です。お楽しみに〜
明日(2020/9/17)更新予定です!