対魔の儀 1
今回は、シュウさんとヨシュアのとある1日を振り返ってます。お楽しみください!
日々更新チャレンジ達成中です(2020/9/12)
※3点リーダ等の微修正を行いました(2020/10/19)
3月半ば。明日は満月である。
黄月と青月から得られる魔力が最高潮となるその日に、結界の張り直しである『対魔の儀』を行なう予定となっている。
「今度こそ晴れて欲しいですね」
ソーマが若干ぐったりした顔をして窓の方に目をやる。窓は鉄製の格子が入った窓に変わり、ガラスも表面が波を打っており、外の柔らかい光が確認できる程度の可視性しかない。
「俺、正直もうやりたくないです」
ヨシュアが弱音を吐いている。
いくら大っぴらにやらないとはいえ、国の祭事である。場所、人、物の手配だけでもかなり大変な上に、内密に行なう必要があるので人払いの手配から口止めまで。言葉通り死に物狂いで準備した1回目の満月は、まさかの雪。多少の雪であれば問題ないようなのだが、その日はこれでもかという位吹雪いていた。これでは結界にどう影響するか分からない。何せ吹雪いた日に結界を張った前例がない。
神官が仕方ないといった風に首を横に振り、退魔の儀は次回の満月に延期になった、というのが2月の満月の夜の話である。
「お金も大分使ってますからね」
金勘定に非常に厳しいシーラは、2度目の臨時予算獲得に奔走した結果、目の下にクマができている。
「後は雨乞いならぬ日乞いするしかないかね」
とは、同じく疲れた様子のシュウ。事務官と同じ執務机である自分の机にに突っ伏して顎を乗せている。顎には無精髭。宰相とは思えない貫禄のなさだ。
「余計な噂を広めるだけですよ、やめましょう」
ソーマが止める。
「そうです、これ以上予算に余裕がありませんから」
シーラも賛同する。
「俺も自分より弱い奴に頭下げるのはもうごめんです」
「それはちょっと違うんじゃ……」
ソーマがヨシュアに突っ込みを入れている。
ヨシュアが不満げにぶつくさ言い始めた。
「根回しはソーマさんがやっていただいたので話は通じてましたよ、そりゃ。でも、皆ソーマさんが直接行って話す時と俺が行って話す時とじゃ態度が全然違うんですよ。もう、明らかに上から目線で舐めてかかってきてますねありゃ」
「若造が何言ってんのよ、当たり前でしょ」
シーラがさも当然、といった風に返す。
「いやー、でも分かるなあ僕」
シュウが机の上でゴロゴロしながら口を挟んでくる。ソーマは若干苛っとしたが、仮にも上司なので表情に出さないよう努めた。せめて起き上がってほしいものだが……。
「どうしてですか? 宰相の立場になられた後でもそういった事がおありですか?」
シュウは当然、といった顔で答える。
「そりゃーあるよ。皆基本お前に何が出来るんだ、どうやって陛下に取り入ったんだって思ってるのが見え見えだし」
お前たちだって最初はそうだっただろう? とシュウ。そう言われると、確かに否定はできない。ヨシュアに至っては完全にシュウの事を幸運の成り上がり者だと思っていたフシがある。
「確かに私もそう思ってましたけど、実際一緒に働いてみると案外出来る人ですよね」
かなり失礼な上から目線の言葉がシーラの口から飛び出す。手の算盤をはじく指は動きを止めない。見事である。
「シーラ……それって」
ソーマが書類の最終確認を行ないながらシーラに注意をしようとして、やめた。ソーマ以外、言われた当の本人でさえ誰ひとり気にしていない。注意するだけ時間の無駄だ。
「宰相にそんな態度取るのってどこのどいつですか?」
書状の清書を行なっているヨシュアが尋ねる。
「お前本当字がきれいだね。……まず宮内府のやつらでしょ」
宮内府とは、王宮内部全般の管理を行う機関である。シュウのいる王府とは業務の質が違う。
「自分の方が陛下に近いって思ってんじゃないの」
「ありえますねー」
「地方院のやつらも小馬鹿にしてきたし」
地方院とは、各地で領地を持つ貴族たちを束ねる機関である。
「まあ彼らの集めた税金が私たちの予算になってますからね、あの人たちは使う一方の私たち中央とは昔から仲悪いから」
「裁判府はまだ話してないけど、神官府の人たちはもうここのところのごり押しで切れかかってるし」
「それは馬鹿にするとか関係ないんじゃ」
「急かしすぎなんですよ」
「あの人たち時間がゆっくり流れてるし」
畳みかけられてシュウが黙る。
尚、ラーマナ王国は軍の育成にそこまで力を入れていない。本当のところを言うと、軍の育成に力を入れていないのではなく、軍事協定を結ぶ大国ダルタニアの手前軍の拡大が行なえない。これが内部の人間に『隷属関係にある』と揶揄される所以であるが、予算を軍以外に裂けるというメリットもあり、一概に悪いものとも言えないところが微妙な問題である。
各領地には地方軍が配置されており、それを総括的に統べているのは地方院となっているが、実際に有事の際指揮をとるのは王宮騎士団と定まっている。立場としては、騎士団の方が地方軍よりも上の為である。
「まあでも、段々皆言う事を聞くようになってきたかな」
シュウがうーん、と伸びをしながら言う。
「……またなんかやったんですか」
ソーマが小さくため息をついた。シーラは無言でちらっとシュウを見たが、それ以上反応しなかった。すでに自分がやられているだけに、藪蛇になりかねない事には自らを遠ざけた方がいいとの判断だろう。
「宰相って本当調査好きですよねー」
ヨシュアが書状を書き終わり、よし、と言って片付けだした。
「お前何か知ってんのか」
ソーマは聞いてない。どうしてヨシュアが知っている?
「宰相のやることって面白いんで、よくくっついて回ってるんですよ最近」
「なかなか勉強熱心だよ、ヨシュアは」
にこにこと頷いている。
「ではご参考迄に、一体何をされたのか教えていただけますか」
本当は、聞きたくない。だが、聞いておかねば後々問題となった際に困ることもあるだろうから、聞いておくべきだとは思う。
「ここ最近のは割とまともでしたよ」
ヨシュアが楽しそうにペラペラと喋り始めた。もうすっかりシュウに懐いてしまっている。人間の順応性とは面白いものだな、と半分呆れつつソーマは耳を傾けた。
シュウが宰相として勤務を始めてからふた月が過ぎようかという頃。宰相の執務室での作業の合間に息抜きで宮内府の執務室がある2階を歩いていた時、小さな荷物を恭しく抱えた業者が宮内府の執務室に入っていく瞬間を目撃した。
目に付いてしまったのは、その業者が執務室に入っていく瞬間、さっと周りを見渡していたからである。当然怪しい。怪しくなければあのような態度は取らないのが普通じゃないだろうか。
ということで、シュウはしばらく辺りを散策するふりをして業者が出てくるのを待った。そこへ通りかかったのが、書簡を宮内府に届けにきたヨシュアだった。
「シュウ様、何してるんです?」
用もないのに関係ない階をうろついている宰相がいるのだ、当然の質問だろう。
「いいからちょっとこっちおいで」
楽しそうな顔をしているので、いい事なのかな?とヨシュアが呼ばれるがままシュウに近づく。この宰相は時折突拍子もない事をするが、悪事を働く訳ではないのでヨシュアは近頃シュウといるのが楽しい。今日も何か楽しい事があるのかもしれない。
シュウがヨシュアの肩に腕をかけ、小声で始めた。
「今からあの部屋に行くんだろう? 中に、すっごい怪しげな態度を取ってた業者が中にいるんだよね。誰と話してるか見てこれるかい?」
やはり楽しそうだ。
「お、調査ですか」
「僕がいることは内緒だよ」
「わかりました!」
ひそひそひそひそ。見る者がいたら大の大人がふたり揃って何をやっているんだと思われそうな光景だったが、幸い誰も見ていない。
「行って参ります!」
意気揚々と執務室の扉を叩き、中の返事を待つことなくぱっと入って行った。若者の無鉄砲さも使いようである。
用と言っても書簡を届けるだけである。すぐに出てきた。一応周りを見渡して誰もいないことを確認した後、シュウの元へやって来る。
「宰相、ありゃ宝石商ですね。一緒に話していたのは宮内府長の秘書官です。何点か装身具を持ってきて見せてましたよ」
「ふーん。宝石商って出入り自由だっけ?」
「いや、王室御用達の業者がいるので、基本は1業者のみです」
だよね、とシュウが呟く。
「じゃあ売り込みに来たのかね?」
「可能性はありますね。初めて話す感じではなさそうでしたけど」
「ふーん……」
シュウはそれきり黙ってしまった。ヨシュアは次の仕事があるのでその場を立ち去ったのだが。
翌日、宰相の執務室に来たシュウに捕まって、昨日のその後の話をされた。
「え? どこの業者か確かめたんですか?」
結局業者が出てくるまで待ち、こっそり後をつけてみたそうだ。
「宰相が何やってんですか」
ヨシュアが言うのも当然である。
「いや、なんか面白そうだなって」
「いやいや」
いくら何でもそれは。
「でまあそれで、中央市場の路地の奥の方にある店の店主だったのが分かったんだけど、それがどう見ても怪しい店構えでね」
なんと店まで尾行とは。
「まさか中に入っちゃったんですか」
「はは」
笑いごとではない。間者じゃあるまいし、何やってんだこの人。
「何点か置いてある装身具を見たんだけど、どうみても宝石じゃなくてガラスをカットした安物だったんだよね」
僕見る目あるよね、とか言っている。
「で、どうされたんです?」
「店の品ぞろえを見せてもらった」
「……で?」
「奥から、これは本物だろうっていう品を出してきたから買うことにして包んでもらって、すぐにその場で開けた」
なんとなくヨシュアにも読めてきた。
「あー、もしかして中身がガラスに入れ替わってました?」
「そう、正解!」
拍手している。楽しんでいる場合ではない。
「で、お金払っちゃったんですか?」
「そりゃ、1回払わないと捕まえられないでしょう」
あっさりと言う。
「捕まえるって、まさか」
嫌な予感がした。でも、割と腕に自信があったヨシュアを一瞬で負かしてしまったシュウだ。やりかねない。
「捕まえたよ。きゅっと」
きゅっと……。ヨシュアも経験があるが、あれはきゅっとなんていう柔らかいものではない。その宝石商も、さぞや驚いた事だろう。
「で、そのまま自警団に引き渡した。あ、お金は回収したよ」
にこにこと楽しそうに報告してくれた。
「宰相がなに捕物に自ら参加してるんですか」
本来、後ろで護られるべき立場の人間な筈なのだが。
「もうずっと王宮入り浸りで体鈍っちゃっててつい」
「つい、じゃないんですけどね。で、俺に何かやってもらいたいんですよね?」
「お、君も大分僕に慣れてきたね」
シュウがこうやってわざわざ話を振ってくる時は、大抵何かを頼みたい時なのはここ2ヶ月で早くも学んだ。ヨシュアが3人の中では一番フットワークが軽いこともあり、依頼頻度は圧倒的にヨシュアが高い。
「例の秘書官に、人目がない時に昨日購入した物を確認した方がいいと伝えて欲しい。困ったらここに来ていいよと」
「かしこまりました」
一礼すると、そのまま執務室を後にする。ヨシュアはとにかく行動が早い。
シュウが自分の机の上に早くも山積みされてきた書類をどうしたものかと眺めていると、しばらくしてヨシュアが戻ってきた。
「おかえり。どうだった?」
ヨシュアがニヤリとする。
「相当動揺してましたよ」
「すぐ来るかね?」
「あの感じじゃ来るでしょうね」
今日はシーラは休暇、ソーマは神官の再手配で不在だ。
「勿体ないですね、あのふたり」
面白いのが見れたのに、とヨシュア。ある程度この後の予想が出来る様になってきたらしい。いい感じだ。
「君の順応力も素晴らしいけどね」
「いやーだって面白いじゃないですか」
「一応目的あるけどね」
「そうなんですか?」
意外そうに言うヨシュア。やはりまだまだかもしれない。
すると。
ドンドンドン! と扉を叩く後が部屋に響いた。絨毯を撤去して木の板が剥き出しになったこの執務室は、音がよく響く。
シュウとヨシュアが顔を見合わし、お互いニヤリとした。はたから見たら、相当怪しい光景である。幸か不幸か、この場にはこのふたり以外存在していなかったが。
「ヨシュア、僕はこれからいい人だから」
「承知しました」
ヨシュアは観客だ。邪魔してはいけない。勿論、こんな面白そうな物を邪魔する気もなかったが。そして、ヨシュアも『観客』という名の演者のひとり。この場にヨシュアがいなければ、効果は薄い、かもしれない。
初めてシュウに出会った時、彼の妻へ取った行動を聞いて『危ない人だな』とは思っていたが、今なら少し分かる。自分が用意した舞台への招待を受けた人間が、想像を遥かに超えた行動を取る。だから人間は面白い、と。ヨシュア自身にはまだ舞台を用意するだけの能力はないが、それでもその舞台に参加させてもらえるようになっただけで、彼の言葉を転用させてもらうならば『ゾクゾクする』のだ。
シュウの『ゾクゾクする』とは、面白いということだ。面白い事を観たい。観たいから演ずる。演じて、もっともっと観たいのだ。知らないところを。それが、ヨシュアなりの解釈だ。
「――はい」
「すみません、あの、宮内府の者ですが」
ヨシュアが静かに扉を開ける。
「ああ、先ほどの秘書官の……」
ヨシュアよりは幾分か年上だろう、ただ顔色が真っ青になっているほっそりとした青年の顔が見える。
「どうぞ、中へ」
「も、申し訳ありません」
手には小箱を抱えている。ヨシュアは一瞥をくれた後は敢えて意識を逸らした。
「こちらへどうぞ」
ヨシュアが青年を招き入れる。宰相の執務机はとっくに廃棄してしまったが、暖炉の前のソファー2脚は残しておいた。ただし、ソファーの配置は逆になった。前宰相が座っていたひとり用のふかふかの上等なソファーは入り口側へ、来客用に使っていたひとり用ソファーよりも一段劣る品質のふたり掛けソファーは窓側に。これも演出のひとつなのだ、と今日初めてヨシュアは思い至った。
火がついた暖炉脇。向こうから宰相のシュウがやってくる。人の好さそうな顔をして、何も知らない顔をして。
「どうぞお座りください。私はシュウ・カルセウスと申します。若輩者が宰相になって皆さんさぞ不安な中、私を頼っていただきありがとうございます」
「す、すみません、いきなり訪問してしまいまして……」
「いえ、お声がけをさせていただきましたのはこちらなのでお気になさらず」
秘書官の青年は、どうしようかと考えあぐねているようで、なかなか話を切り出さない。手をもじもじさせ、持っている箱を扱いにくい物のように触っている。
シュウが、静かに微笑む。
「私からご質問しても?」
どう切り出せばいいか分からず戸惑っていたであろう秘書官の青年は、少し涙目になりながらこくこくと頷いた。
「実は、私が昨日中央市場にあるとある宝石商の店に立ち寄った際」
宝石商、という言葉を聞いて青年がビク! と大きく反応した。
「……続けても?」
「あ、はい、申し訳ございません」
あくまで優しく、やわらかく続ける。
「なんというか、悪徳商人だったようで、偽物を掴まされまして」
青年が顔をはっとあげてシュウを見た。
「ちょうど近くに自警団の方が居りましたので訴え出て大事には至らなかったのですが、その際宮内府で今日同じ手口を使って犯行に及んだと聞きました」
口から出まかせも、ここまで堂々としていると本当にしか聞こえない。
「あ……! あの者は、以前街で知り合いまして、話している内に是非紹介してもらいたいという話になりまして、今日宮内府に初めて来たんですが、こちらの事務官の方の仰る通りに先ほど確認してみたら、明らかに偽物で……!」
シュウが同情するように、慰めるかのように小さく微笑む。
「私も同じですよ、どうやら最初に見せた物は本物だったらしく、梱包した際に偽物に入れ替えていたようです」
青年は、ようやく謎が解けたと思ったのか、少し納得のいったような表情を浮かべた。
「ああ、だからだったんですね……! あの装身具は王女様の誕生日に贈りたいとの王妃のご要望で以前から探していた物だったのですが、まさかこんなことになるとは……」
騙されていたとわかったところで、偽物しか持っていない。青年の体は、恐怖からか震えていた。
「私はもう、どうしたらいいか……!」
わっと泣き出してしまった。
シュウが、ポケットに入れていた綺麗なハンカチを差し出す。クシャクシャでない事が珍しい事を知っているのは、この場では本人のみである。
青年は、肩を震わせながらハンカチを受け取った。
青年が少し落ち着くのを待ち、涙が止まったところを見計ってシュウが優しげに続ける。
「私は購入後すぐに気づきましたので返金していただいて事なきを得たのですが、その後宮内府での詐欺の話を聞きまして、実は……」
そう言うと、シュウは自身の服の胸ポケットから小箱を出した。
ヨシュアは思わず目を見張ってしまった。しまった、と思ったが、幸い秘書官の青年からはヨシュアの顔は見れない。シュウがチラリと一瞬ヨシュアを見たのに気付いた。
――危なかった。
冷や汗がたらりと背中を流れる。後で大人しく叱られよう。これは明らかにヨシュアの落ち度だ。
「……こちらが、例の業者が見せた分ではありませんか?」
シュウは何事もなかったかのように続け、小箱を開けて中身を青年に見せた。
中には、赤い一粒石の宝石で作られたネックレス。
青年が、まじまじと見る。
「これは……! あの、どうして宰相がこちらを?」
それはそうだろう。明らかにシュウが持っていてはおかしいものだ。
シュウが誠実そうな顔で更に続ける。
「自警団に捕まった際、抵抗していた業者が落としていきまして。どう見ても高価な物でそのままにしておく事も出来ませんでしたしね。私は返金いただいているので必要ありませんが、貴方のお話を伺って、もしやこれが必要かと思いまして本日お持ちしました」
青年の顔に、疑いと同時に笑顔が浮かぶ。
「そ、それでは宰相はこれを私にと……?」
力強く頷く。
「お手元の偽物と入れ替えましょう。偽物の方は私たちの方で業者にきちんと返却しておきます。元々は貴方が購入されたものです、価格も適正ですし、貴方のお立場もございましょう。ですのでお気になさらず」
青年の目から涙が溢れる。床に膝をつき、頭を床についた。
「なんと……なんとお礼を申し上げたらよいか……ありがとうございます! カルセウス様!」
シュウが近づいて肩に手をかける。
「頭をお上げください、貴方は騙されただけです、何ひとつ悪い事などされてないのですから」
青年がシュウを崇めるように見ている。シュウに立たせてもらい、中身を入れ替えてもらっている。
「カルセウス様、私、この御恩をいかにお返ししたら宜しいでしょうか……!」
シュウは、首をほんのり傾げて返答する。
「いえ、私はそういうつもりで貴方にこちらをお返しした訳ではありませんよ」
「でも……」
シュウがにっこり笑う。
「私はまだまだ若輩者、この宰相という立場も不慣れで正直まだ扱いに戸惑っているところです。今回は、ただ困っているお方をお見かけしたので手助けさせていただいた迄ですから」
「なんと……!」
青年は感動してまた涙を流している。シュウが優しく青年の肩に手を添え、執務室の外へ促した。
「さあ、涙を拭いてください。そちらを早く王妃様にお渡ししてしまえば、もう貴方のお心を煩わせる事もなくなりましょう」
青年は、シュウのハンカチで涙を拭い、何度も何度も「ありがとうございました」と言っている。
ヨシュアが先回りして、青年の涙の跡が分からなくなったのを見計らい扉を開けた。青年は外へ一歩出ると、振り返り再度シュウにお辞儀をして、嬉しそうに去って行った。その後ろ姿が視界から消えるのを確認した後、ヨシュアがパタンと扉を閉めた。
「……あそこであんな顔しちゃダメでしょ」
やはり気付かれていた。
「すみません、まさか本物をくすねてるとは思ってもいなくて」
「くすねてるって……」
言い方というものがあると思うが、その辺りこの若者はシュウに対し容赦というものが一切ない。
「この後、ちゃんと偽物はお返しするから、盗っちゃいないよ。借りただけ」
「本当に返すんですか?何のために?」
「だって僕は泥棒じゃないからね」
まだ何か裏がありそうだが、この感じだと「自分で考えろ」という事だろう、とヨシュアはそれ以上深堀するのを諦める。
「にしても、何の見返りもなく返してしまってよかったんですか?」
折角のいい機会だったのに勿体ない、とヨシュアは感じてしまう。だが、シュウは意外そうに答えた。
「なんだ、ヨシュアは分かるかと思ったけど分からない?」
「……はい」
「だって、彼の中での僕の評判上がるでしょ」
「まあ、そうですけど」
「宮内府って僕の事馬鹿にした態度取る人多いんだよね」
「確かに」
でもそれがどう繋がるのだろうか。
「馬鹿にしていた宰相が、実は滅茶苦茶いい人で、前宰相と違って威張らず、驕らず、見返りも求めなかったら君どう思う?」
「なんていい人だと思いますね」
「周りはそんないい人の悪口を言う。君ならどうする?」
「……実はそんな人ではない、と説得するかもしれません」
「ほら、答えでたね」
にこっとシュウが言った。
「ここで見返りを求めたら、打算と取られてしまうからね」
「彼が説得しない場合もありますよね?」
「こういうのは積み重ねだからね」
まさか、他にも何件かやってるんだろうか。ヨシュアが疑っていると。
「他にも同じように感じた人がいたら、自然に段々そういう声が聞こえるんじゃないかな、と思って」
「宰相……貴方まさか始めからこれを狙って」
今気づいたの? という表情をしてシュウが言い放った。
「ヨシュアだって、自国の宰相が嫌な奴より慈悲の心を持つ奴の方がいいだろう? こういうのは、僕がどうありたいかではなく、周りがどういう宰相を求めているかの方が大事だと思うけどね」
「シュウ様……」
この人は、恐ろしい。とても恐ろしく、そして強い人だ。そして、そんな人に従事する事が出来る立場になった自分が、ヨシュアはとても幸運であると思えたのだった。
「……と、いった感じの事がありました」
ヨシュアが楽しそうに話した内容を聞いていたが、ソーマにはヨシュアがなぜそんなに楽しいのかが分からない。とりあえず言いたい事は一言。
「鬼の所業ですね」
「お褒めいただきありがとう」
ダラダラゴロゴロしたままシュウが答える。
「……まあでも、内部に敵が減ることは望ましい事ですね」
「2回目の退魔の儀の準備は、結構あの秘書官さんが協力してくれたんですよ」
と、ヨシュア。儀式に着用する服の準備から儀式に使用する道具まで、一度出してまたしまっている為通常であればかなり嫌がられる案件であるが、2度目に準備する際彼が率先して快く引き受けてくれたのである。
「ではまるで効果なしという訳でもないようですね」
ソーマが少し納得する。横で計算が終わったシーラが書類をまとめている。この件については、シュウに買収された身としては意見は差し控えるつもりらしい。
「さて……と、私も終わりました。皆さんご苦労様です。宰相」
「うん」
ようやく寝っ転がっていた机から身を起こした。
「皆、これまでの準備、ご苦労だった。明日は朝から忙しくなる。今日は早めに上がって各自ゆっくり休んでくれ」
「はい、シュウ様もちゃんと家に帰ってくださいね」
ヨシュアに突っ込まれる。
「わかったわかった」
シュウが苦笑した。
明日はいよいよ退魔の儀だ。もう、今回は延期させたくはない。雪で閉ざされている内に何とか終わらせてしまいたい。あとはもう、ただ祈るしかなかった。
いかがでしたでしょうか?シュウさんの基本スタンスをご紹介できたかと思います。なかなかひねくれてますね!
次回はいよいよ対魔の儀本番!やっとかよ!!
明日(2020/9/13)はお休みさせていただき、次回更新は月曜日(2020/9/14)の予定です。