山への帰還
今回は一行が山へと帰ります。
サルタスさんのしれっとした所をお楽しみいただけたらと思います。
日々更新チャレンジ達成中!(2020/9/5)
※3点リーダ等の微修正を行いました(2020/10/19)
サルタスの紹介を受けた日の翌朝。
背負えるだけの荷物を背負ったハルナと花夏が、一足先に出発の準備を終えて玄関にいた。すっかりソファーが定位置となったヤナには、先ほど挨拶済だ。後程サルタスがヤナを連れて行くまで、シュウとヤナは家で待機の予定である。
「シュウさん、お世話になりました」
ぺこりと花夏がお辞儀をした。本当に、お世話になった。かんざしの事といい、セリーナの服をいくつもくれた事といい。更に今後の道筋まで示してくれた。本当に感謝しかない。
「気にしないで。毎日、とても楽しかった」
にこ、と笑うシュウ。やはりいい人だ。
「そうそうお母さん。カナツちゃんに持たせる武器はありますか」
話が急だったので気になって、とシュウ。
「まずは木刀からだからね。その後適性を見て考えようかと思ってたが」
「なら、お願いがあります」
そう言い、シュウが部屋の奥へ行く。なんだろう?そう思って花夏も待っていると、シュウがひと振りの剣を携えて戻ってきた。茶色い固そうな革の鞘がついた、細見の長剣だ。剣の柄の部分には白い布が巻かれている。
「……シュウ、いいのかい?」
驚きの表情でハルナが聞く。どういうことだろう?と花夏が考えていたところで、この家にはセリーナが騎士団に所属していた時分に使用していた形見の剣がある、という話を思い出した。
(え、嘘でしょ)
いくらなんでも、大事なセリーナさんの形見だ。そんな訳が……
「セリーナもきっと喜びます」
形見だった。そんな大事なものだめだ。絶対、だめだ。
ふう、とハルナが息を吐く。
「確かにカナツは細いし力も足りないだろうから、同じように細身だったセリーナの剣は使いやすいだろうね」
「シュウさん、これはダメです」
花夏が止めるが、シュウは静かに微笑んでいるだけだ。意見を変える気はない、そう言外に言われている気がした。
――ああもう、やっぱり強引だよシュウさん。
花夏が困って立ち竦んでいると、シュウがおもむろに片膝をつき剣を両手で掲げた。
「カナツ」
「はい」
いきなりの呼び捨ては少しドキッとしてしまうからやめてほしい。
「君が、僕とセリーナの宝物のヤナに時間をくれた。そして、僕からは与えらえなかった愛情を傾けてくれた。とても感謝している」
「シュウさん」
感謝される程の事をした認識は花夏にはない。
「ヤナがあんなに甘えている姿を見たのは、セリーナ以外では君が初めてなんだ」
「……シュウさん」
名前を呼ぶ事しか、出来ない。
「僕とセリーナからの贈り物だと思って受け取ってもらいたい」
そう言うと、両手の上の剣の鞘に小さく口づけをして、花夏に差し出した。
「闘いの女神の加護がカナツにあらんことを」
横でハルナが花夏に頷いて見せた。ああもう……これじゃ断れない。そんなに大事な物なのに。
恐る恐る、シュウの手から剣を受け取った。持って見ると、見た目よりも大分軽い。
「シュウさん、私、大事にします。ありがとうございました」
うん、とシュウが頷く。
「……さあカナツ、そろそろ出発しようか」
山への帰りはひたすら登りだ。行きよりも大分時間がかかる。ハルナが「じゃあまた」と歩き出した。
「あ、待ってハルナ」
慌てて花夏が剣に付けられたベルトを斜め掛けにし、剣を他の荷物の上から背負う。振り返ってシュウを見た。
「シュウさん、本当にありがとうございました。私、頑張ります」
そう言うともう一度ペコリと会釈をし、――腕をぐい、と引っ張られた。
引き寄せられたシュウの胸元で、シュウの囁きが聞こえる。
「カナツに結婚を断られて残念だよ」
「~~~!! シュウさん!」
はは、と何とも楽しそうに笑ったシュウが、花夏の腕を離した。
「いってらっしゃい」
その顔が少し寂しそうに見えたのは、きっと花夏の気のせいだったに違いない。
荷物を背負っての山道は、きつい。
森に入り、かれこれ2時間程が経過した。気温はかなり涼しい筈だが、花夏の背中は汗でびっしょりだ。行きは余裕だった山道は、帰路ではまるでそびえ立つ崖のように思える。
「カナツ、まだ半分も来てないよ」
「ハルナ……山を登るのって大変だね」
はあはあ言いながら素直に意見を述べると、まだまだ余裕そうなハルナがかかっと笑う。
「荷物があるからねえ」
汗ひとつかいてない。
「長く走るのは得意なんだけどなあ」
「それはいい事を聞いた」
「どういう事?」
「走りこみの時間が省けるという事だよ」
ああ、剣の特訓か。
「つまりカナツに足りないのは主に上半身の筋肉ってことだよ」
そう言って、お腹と背中、そして上腕をポンポンと叩いて見せてくれる。
「あと、体幹。芯が通ってない。だから荷物が重く感じる」
成程。『体幹』という言葉の時、指で体の上から下まで線を引いて教えてくれた。分かりやすい。
「剣を振り回すのには必要な筋肉だよ」
それはそうだろう、と思う。剣が持ち上がらないんじゃお話にならない。
「まあ、若いからすぐつくだろう」
「つくといいなあ」
息を切らしながら返事をする。剣の特訓と聞いた時は正直何をされるんだろうとパニックになりかけたが、冷静に考えてみれば確かに今の花夏では追手に対抗する術がない。全くない。剣で人を斬るような出来事には極力出会いたくはないが、体の動きを教わるのはきっと逃げられる確率が上がる事と一緒、なんだと思う。まだよく分からないけど。
体を鍛えれば、動きもよくなるのは分かる。咄嗟の判断が道を分ける事も、もしかしたらこれからあるかもしれない。
であれば。
「ハルナ、私頑張るよ」
荷物を背負い直し、道の先を強い眼差しで見た。皆が花夏に手を差し伸べてくれている。花夏に道を指し示してくれている。今花夏に出来る事は、その期待に応えて自分の身を自分で守れるようになることだ。
それが、恩返しになる。
そんな花夏の覚悟を感じ取ったのか、ハルナが言った。
「いい心構えだ。明日から開始するよ」
「はい」
二人は、その後は黙々と山道を進んだ。
更に2時間程歩き、ようやく森を抜けた。目の前には白いラーマナ山脈と、黄金色に輝く草原。街ではたったの2泊しかしなかったが、あまりにも色々な事がありすぎて、ここに来るのはものすごく久々な気がする。
太陽は、真上を通り過ぎたあたり。午後に差し掛かったばかりくらいだろう。
「あとちょっとだカナツ。頑張ろう」
「家、見えるかな?」
残念、草に隠れて見えない。
すると、後ろから聞きなれた声がふたりを呼んだ。
「おばあちゃーん! カナツー!」
後ろを振り返ると、森を抜けたばかりのところに騎乗したヤナとサルタスが見えた。ヤナは元気に手を振っている。
ふたりが乗っている馬はこげ茶色。たてがみは真っ黒だ。頭の上の部分だけきれいに短くカットされているが、首の根元あたりは伸ばされたままで左右に分けられている。体はがっしりとしていて、花夏がテレビで観て知る競馬の馬よりも随分と頑丈そうだ。
「もう少し早い段階で合流できると思っていたのですが」
サルタスが若干すまなそうに言う。
「今回は大人だけだからね。ペースも早いさ」
普段はヤナがいるので休憩しつつゆっくり時間をかけて帰るが、今回はハルナと花夏だけだ。
いつもは朝に出てようやく夕方に到着するくらいのペースだが、今回はその半分くらいでここまで来れた。確かにかなり早いペースではある。
「背中のお荷物をこちらに」
そう言って、サルタスは毛布を多めに括られて座りやすそうな鞍代わりの場所にちょこんと座るヤナを残して、自身は馬から降りた。
ふたりの荷物をさっと受け取り、それを自分が座っていた鞍の上にに括り付けた。
「では参りましょうか」
サルタスは、いきなり山へ行けと言われた人物とはとても思えない安定の涼しい顏をして告げ、馬の手綱を引いて先導し始めた。
花夏の背中にはセリーナの剣のみ。とても軽いのでそのまま持っている。他の荷物をサルタスに預けたら、それだけで大分身体が軽い。思い切り伸びをして、花夏はサルタスに並んだ。実は、先程から尋ねたかった。
「あの……この馬の名前はなんですか?」
ものすごく気になる。だって、すごく綺麗でかわいい。
「この子はアルです。男の子ですね。多少気性は荒いですが、危険な任務でもとても頼りになる相棒です」
そう言いながら、爪を立てて馬の首筋をカリカリとしている。
「あの、痛くはないんですか?」
爪なんて立てて大丈夫なんだろうか。
「馬は皮膚が分厚いので、この子にとっては撫でられているくらいかと」
ちなみにたてがみは引っ張っても痛くないようですよ、と教えてくれる。
「馬って……すごいんですねえ」
花夏が目をキラキラさせている。
「カナツ、動物好きなの?」
馬上からヤナが聞いてくる。
「うん、好きかも」
にこっと花夏が返すと、サルタスが提案する。
「では、お時間が取れる時に乗られてみますか」
「え……いいんですか!?」
花夏が更に目を輝かせる。
「確かに、これから先の事を考えると馬の基本的な乗り方くらいは分かっていた方がいいかもね」
ハルナも賛同する。
「そうですね、追手の馬を奪って逃げれるようになりますし」
そこ、サラッと怖いことを言わないでほしい。
「まあそれはともかく、基本的な付き合い方は分かっておいた方が役に立つしね。折角しばらく一緒にいるんだ、覚えておいて損はないだろう」
乗馬なんてしたことがない。でも、乗れたらいいな、とずっと思っていた。純粋に嬉しい。
「サルタスさん、よろしくお願いします」
にこっと花夏が微笑んだ。裏表のない、素直な笑顔だった。
「……成程、これですね」
「え?」
「いえ、何でもありません」
サルタスが誤魔化す。シュウが思わず構いたくなってしまう理由を見た気がしたが、構われてしまった本人にそれを言うほどサルタスは愚かではない。
「とりあえずカナツ。アルの後ろに行くと蹴られますので、後ろを通る際は声をかけて注意を引き付けてからにして下さい」
花夏を怪我させたら一大事だ。後のシュウの逆襲は是非とも避けたい。
「分かりました。サルタス先生、よろしくお願いします」
と笑う花夏。
ふとサルタスは馬上から視線を感じ、視線の元を辿る。
ヤナがサルタスをじっと見ている。
「まさか……恋のライバル?」
「ヤナ……」
この子は、まずこういったところから正していくべきだろう、と心に決めたサルタスだった。
黄金色の草原を抜け、山の観測所、今ではハルナたちの住居である家に辿り着いた。
ガコン、と外からかんぬきを開けると、玄関の扉がギギ、と開いた。
中からも外からも開けられるのは機能として意味がないと思っていたのだが、サルタス曰くこれは動物や魔物の侵入を防ぐ目的のため備え付けられた物であり、元々内部に貴重品等を置くことを想定していないからとのことだ。つまり、そもそもが住居目的ではないのだ。花夏は納得した。
「隊長の指示もありましたので、内側にもう1段階鍵になるものを取り付けましょう」
これから先の事を考えると、その方が安全だろう。何が起こるか現時点では予想がつかない。備えあれば憂いなしということだ。
家に一歩踏み入ると、中はヒンヤリとしている。所々窓の隙間から日光が筋になって差し込んでいるが、とにかく暗い。
すると、サルタスの手のひらからぽうっと赤い光が出て辺りを照らし始めた。
花夏が驚いてサルタスの手の中を覗き込むと、手のひらに拳大の炎がちらついている。
――そういえば、サルタスさんは炎を剣に纏うとか言っていたような。
火全般についての魔法なのだろうか。
「久々にこちらには伺いましたが、やはり慣れませんね」
サルタスはそう言って後ろのハルナを振り返る。
「全然力が出せません」
「そういう場所だからね。まあその内慣れるさ」
ハルナがそう言いながら雨戸を開けていく。部屋はどんどん外の光を取り込み、ようやく懐かしの家に戻っていく。そして、外の冷たい風が家の中の止まっていた空気を流していく。
「ハルナ様、吹きさらしですね」
サルタスが無表情で事実を述べる。
「ずっとこうだったんですか?」
「まあ、私はそこまで困ってなかったしね」
「……そうですか。実は隊長より、外部からの侵入の危険性を考えるとガラス窓に変えた方がいいだろうとの指示を受けておりますので、明日資材をこちらに運んで参ります。ご了承いただけますか」
サルタスさん、うまい。花夏は感心した。
「ああ、勿論だよ。サルタス、お前には面倒ばかりかけるね」
「いえ、これも任務の一環ですからお気になさらず」
花夏は心の中でガッツポーズをした。これで雪が降る前に吹きさらしが解消される! 人間、体を冷やしすぎていい事なんかない、というのが花夏の持論だ。
「ヤナを連れてきます」
サルタスは抱えていた荷物を居間の一角にまとめて置くと、馬から降ろして玄関の外に待たせているヤナの元へ戻った。そしてすぐに、ヤナの鞍代わりに使用していた毛布ごとヤナを抱えて戻ってきた。そしてそっとそのまま床に降ろす。
「ヤナ、少し待っていてください」
サルタスはそう言うと、持ってきた長さが違う数本の木の棒を袋から取り出し、同じく袋に入っていた麻紐のような紐で器用に木と木を括り付け固定していく。四角くなった。それぞれの角と長辺の真ん中部分は3点でバランスを取っていて、高さが出ている。
――これはもしや。
同じく袋から生成りの布を取り出すと、布の所々に空いている穴に紐を通し、先ほど組み立てた木枠に別の紐で括り付けていく。よく見ると、穴の周りはぐるっと糸で縫い付けられ、補強されている。あっという間に一周し、ぎゅっと紐を結び付けて完成のようだ。
毛布ごとヤナを抱き上げ上に乗せた。
「サルタスすごーい!」
「普段野営が多いので。私の使い古しで申し訳ありませんが」
「全然いいよ、サルタス! この部屋、街のおうちと違ってソファーとかないもんね! 足が治るまでずっとベッドにいるのかーって思ってたから、ヤナ嬉しいよ!」
ヤナは大はしゃぎだ。
「枕を持ってくるね」
花夏はそう言って、ヤナのベッドから枕を持ってきた。花夏が枕を置いてやると、さっそくごろんと寝転がる。
「あまり跳ねると危ないので、気を付けてください」
「はーい」
ヤナはとにかく嬉しそうだ。
サルタスが、家の窓の数、窓の大きさを確認して紙にメモしている。紙は、和紙と似ているように見えるので、製法か材料が同じなのかもしれないな、と花夏は思う。
さて、とサルタスが立ち上がった。
「来たばかりでなんですが、今日はいったん街へ戻らせていただきます。明日、アルに荷物を括り付けて私は歩いてきますので、明日の今ぐらいには再度こちらに伺えるかと思います」
「サルタス、ありがとうね。明日からも宜しく頼む」
「サルタス、またねー!」
「サルタスさん、気を付けて」
女性3人に見送られ、サルタスは山の家を去って行った。
「さて…と、まずは片付けだね。花夏、手伝っておくれ」
「はい」
ふたりは荷物をキッチンへと運ぶ。
背負っていた荷物の殆どは日持ちする乾物や豆などの保存食だ。今回はサルタスもいるので、昨日追加で購入したものは花夏の背負っていた荷物に詰め込まれている。
キッチンの奥は、壁に大胆に打ち付けられた木の棒に木の板が棚として置かれている食糧倉庫に繋がっている。今回持ち帰った食糧は、10分程かけて種類別に全てここにしまわれた。
次は、衣服類だ。
シュウに持っていけ、と言われたセリーナの服は、冬服が5着。あまり多くもらっても申し訳ないので遠慮したのだが、無理やり詰め込まれてしまった。シュウは流石旅慣れしているだけあり、荷物の詰め方は完璧だった。ちっともかさばっていない。それらを袋から取り出し、とりあえずは元々花夏が使用していた部屋の箪笥にしまった。いただいた一粒石のかんざしも、箪笥の中にしまう。山小屋生活ではなかなか着ける機会は無さそうだが、だからといって粗末には扱えない。
この家は元々ある程度人数が泊まれるよう部屋数はあるが、現在空いている部屋はまだふた部屋あるが、両方物置になっている。サルタスが今の花夏の部屋を使うのかどうするか、今夜中にハルナと話さなければならないだろう。
次いで、ヤナの服に取り掛かる。今回の街探索でシュウに買ってもらった服は、ヤナの部屋にあるクローゼットの中のハンガーにかけていく。その他のヤナの荷物も、3ヶ月の山小屋生活でもうどこに何をしまうかは分かっている。ささっとヤナの荷物も片付けた。
「ハルナ、終わったよ」
「ありがとうカナツ」
ハルナはどっこいしょ、と居間にふたつあるベンチの片方に座った。そういえば、まだ帰ってきてから何も飲んでいない。
「水汲んでくる。お茶にしよう」
「悪いね」
「大丈夫」
そう言うと花夏はキッチンに置いてあったバケツをひとつ持って表に出た。
空は晴天。風は冷たいが、気持ちいい。森の奥に、朝までいたシエラルドの街がきれいに見渡せた。
「シュウさん、泣いてないかな?」
せっかく久々にヤナに会えたのにもうお別れだ。初対面の時のシュウの情けない泣き顔を思い出して、花夏はクスッと笑ってしまった。
正直、あのままずっと街にいたら、いつかあの強引にグイグイくるシュウに心を許してしまったかもしれない。それがちょっと怖くて、ここに戻ってきて少し安心してしまった。
花夏は今まで彼氏はいたことがなく、アイドルにキャーキャー言ってはいたが、本当の恋というものは実はまだよく分からない。周りは好きだの嫌いだの彼氏が出来ただの別れただの騒いでいたが、いまいちピンと来なくて何となくへー、ほー、と他人事で聞いていた。
だって、こう言うと『白馬の王子様待ちか』とか友人たちには言われたが、まだ会ってない気がするのだ。花夏の大切な人に。
シュウは勿論からかって楽しんでいるだけだろうから花夏がこう思ってしまうのは失礼かもしれないが、やはりそれはシュウでもないのだ。
(お子ちゃまなのかなー)
自分でそう納得してみた。恋が分からないのだから本当にお子ちゃまなだけなのかもしれない。
そんな事を考えながら歩いていくと、小川に辿り着いた。今日も水がきれいだ。
バケツを水につけてジャボジャボ洗い流してからきれいな水を汲む。
ふと、水を見て思い出した。
――温泉、あるって言ってた!!
今日は汗もかいた。ここ2日、いや正確にいうと今朝も入らせてもらったので3日お風呂がある生活をしたので、できればこの生活をキープしたい。と思うのは贅沢だろうか。
花夏はくるっと踵を返すと、急いで家に向かった。道中多少バケツから水がこぼれたが、まあどうせ後で汲みに行くのだ。今はとにかく温泉について正す必要がある。
「ただいま!」
急いでキッチンにバケツを置く。出掛けにサルタスが暖炉に火をつけて行ってくれたので、キッチンのかまどに暖炉から拝借した熱を持った木炭を火かきでさっと持っていき、薪の中に放り込む。パタパタとうちわを扇いで火を大きくして、上に水入りの鍋をセット。3か月でもうすっかりマスターした。
段々とかまどが熱を帯びできた。鍋は鉄製なようで、お湯になるまでが早い。家にあった南部鉄瓶を思い出した。あれもお湯が沸くまで早かった。取っ手は熱いけど。
おたまでお茶っ葉を入れておいたポットにお湯を掬って入れる。水蒸気が部屋の乾燥を防いでくれるので、鍋にお湯を継ぎ足しておいた。簡単な加湿器だ。
カップにお湯を入れたものを3つ用意して、しばらく待つ。もういい頃合いかな? というところでお湯を捨て、改めてお茶を注ぐ。
(うーん、いい香り)
ハルナもヤナもお茶の味については何も言わないが、花夏にはやはりこだわりがある。香り! 味! 温度! だが、説得しても反応は薄かった。なのでこれは完全なる自己満だ。
「おまたせ」
テーブルの上にお茶を置き、パタパタとヤナの部屋から小さな椅子を持ってきてヤナのテーブル代わりにして、ヤナの分のお茶を置いた。
「カナツって、ほんとお母さんって感じ」
ずず、とお茶を飲みながらヤナがほっぺをほんのり赤くして言った。
「ヤナってばまた」
「違うよ、お父さんがどうとかじゃなくて。なんかお母さんみたいにヤナのやること見ててくれてお母さんみたいって思っただけ」
「私は気が利かないからね。助かるよ」
カカッとハルナが笑う。花夏としては、足りてないな、というところを補っているだけのつもりなのだが、それがヤナには母親の行動に思えるらしい。
(まあ、ヤナは可愛いけどね)
それは間違いない。妹みたいで可愛いと思っている。
――それはそうと。
「ハルナ!」
「な、なんだい急に」
真剣な眼差しで自分を見つめる花夏に、ハルナは若干引き気味だ。
「温泉があるって聞いた」
途端、ハルナが呆れた顔をした。
「ほんっっとお前はお風呂が好きだねえ」
「あるの?ないの?」
花夏が詰め寄る。
「あ、ある。あるよ、山の方の洞窟に。ただね…」
「ただ?」
ハルナはたじたじだ。
「……たまに熊がでる」
「熊?」
「そう、熊」
花夏は何か考えているようだ。しばらく無言になっている。やがて結論が出たのか、言った。
「どうしたら入れる?」
目が怖い。
「と、いうか、見張ってくれて熊に勝てそうな人がいればいいわけだから、まあサルタスについてってもらえば行けるんじゃ……」
「……それはちょっと……」
だろうな、とハルナは思ったが、家事を負担している自分がべったり花夏についているわけにもいくまい。
「じゃあ、こうはどうだい?」
「?」
「特訓の後は、最後にお風呂の時間を設ける」
洞窟の場所は訓練場からは比較的近い。それにもし帰りが遅くなっても、サルタスに任せておけば夜の食事の支度もそつなくこなすに違いない。なんせ野営には慣れているだろうし、しかもあれこれうるさいシュウの側近だ。間違いなく作る料理はうまいに違いない。
「ハルナ」
「なんだい」
「私、特訓頑張る!」
馬の鼻面に餌をぶら下げているような気はしたが、やる気が出るならそれでいい、というのがハルナの昔からの考えだ。
「よし、じゃあ明日から頑張ろう」
「うん!」
お風呂のためなら本当にあっという間に剣術をマスターしそうだ、と内心呆れて嬉しそうな花夏を見守るハルナであった。
いよいよ次回より特訓開始です!
サルタスさんvsヤナがどうなるのか!
花夏は温泉に入れるのか!!
日々更新チャレンジしてますが、明日は1日お休みして次回は明後日(2020/9/7)更新の予定です。