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闘いの女神

引き続き回想編となります!

少し長いですが、花夏の物語に続く重要ファクターありな回です。台詞多目です。


日々更新チャレンジ達成しました!(2020/08/30)

3点リーダ等の微修正を行いました(2020/10/19)

 夫婦の寝室。


 ランタンが乗ったサイドテーブルと、奥には歩ける程度の広さのクローゼット。部屋の真ん中にある広いベッドには、今はセリーナだけが寝かされている。


 サイドテーブルがない方の廊下から見て右側のベッド脇には、居間から持ってきた椅子が2脚並べられている。壁2か所にはロウソク立て。セリーナが好きなえんじ色の大きなロウソクが乗っている。ベッドの奥、セリーナの頭の上の方の壁には大きな窓があり、これまたえんじ色のカーテンの隙間からは夕焼けの赤い光が差し込み、セリーナの顔を美しく照らしていた。


 シュウは、壁のロウソクと、サイドテーブルにあった大きめのランタンに火をつけた。部屋が少し明るくなった。


ヤナは、あれからずっと母親であるセリーナの傍から離れようとはしない。泣くこともせず、じっとセリーナの顔を見ている。


 ルッカの治療のおかげだろう。依然として呼吸は苦しそうだが、ここに運び込まれてきた時よりも若干ではあるがましなように見える。何度か口移しで水を飲ませてみたが、それはあまり成功したとは言えなかった。状況は、決していいとは言えない。


 シュウも、ヤナの隣の椅子に座り、セリーナの手を取って優しく自分の口元に寄せ、青白い顔をした最愛の妻の寝顔を静かに見つめた。


 するとしばらくして、ドンドン! とドアを叩く音がした。ハルナ……だろうか? 到着するには、もう少しかかるかと思ったが。


「隊長〜! 私です、ロンです!」


 ヤナを目で制し、シュウは急いで階下に向かう。


 玄関のドアを開けると、人の良さそうな顔をしたロンが、籠に山積みになっているパンを見せてくれた。ヤナの為だろう、甘いパンが多そうだ。


 有り難く受け取り、ロンに中に入るよう促すと、ロンはそれには従わず、自分の横にいる年配の女性と14・15歳くらいだろうか、茶色いおさげの少女に目線を向けた。


(……気付かなかった)


 貴族、ではない。ふたりとも、ごく一般的な平民が着ている、丈夫な布で出来た服を着ている。手は、……働き者の手をしていた。


「隊長、セリーナ様が助けられた方々です。先ほどは混乱しており名乗り出ることが出来なかったようですが、私があの場の処理をしている際、声をかけられまして」


 シュウは、静かにふたりに目を向ける。シュウを恐れているのだろうか、母親であろう女性が両手を胸の前に合わせ、震える声で話し始めた。


「カ、カルセウス様……! 先ほどは、奥方様に娘を助けていただき、ま、誠にありがとうございます……!」

「セリーナが、お嬢さんを……?」


 緊張する母親があわあわしていると、横にいた少女が代わりにしっかりとした口調で話し始めた。なかなかに肝の据わった子らしい。


「カルセウス様。私たち親子は、いつも西市場で野菜を売っています。今日も、母と一緒に店を出していました」


 少女の説明によると、こうだ。


 市場は書き入れ時の時間帯。人は多く、多くの荷馬車も行き交いしていた。


 市場の石畳は、所々石が剥がれてしまって穴が空いている箇所がある。


 普段であれば遠目からも分かるのだが、この時間は特に人混みがすごく、馬車を操る御者の目に入って来なかったのだろう、すぐ傍で店番をしていた少女は、馬のひづめが小さな、しかし思ったよりも深そうな穴に引っかかってしまったのを間近で見た。


 馬はよろけ、御者が慌てて手綱を引っ張ると、馬が前脚を上げて暴れだした。


 辺りは騒然となった。少女たちの店に馬の体が当たり、日よけのほろほどける。母親が悲鳴をあげて少女に逃げろと言うが、解けた幌の紐が足に絡んでしまい、抜けない。目の前に馬の巨体が近づいてくる。


 ああ、もう駄目だ、そう少女が思ったその時。誰かが、少女の足に絡んでいた紐を短刀で一刀し、少女を体ごと持ち上げ後ろへと放り投げたのだ。


 少女は放り投げられているその瞬間、時の流れが遅くなったように感じた。


 目に映るのは、きれいなえんじ色の服の女性の後ろ姿。ふちに彩られた金糸の刺繍が輝く。少女の代わりに、女性が馬の体にぶつかる。あの人、弾き飛ばされる! と思ったが、転んだ先の地面で回転して片膝で立つ。なんて動きだと、少女が驚いていると、地面にお尻を強打した。痛い!


 その時だった。「おかあさーん」と、小さな女の子がとことこと女性の方に向かってきていた。

 女の子の背後からは、制御をなくし、横に倒れかかってくる荷台が迫っている。


 女性は、その場から驚くような跳躍力で横に飛び、小さな女の子を突き飛ばした。


 次の瞬間、女性の身体が、荷台の下に消えた。



「馬が倒れて御者のおじさんの上に乗って、私、怖くて、あ、でも慌てて荷台に向かったんですが、市場のおじさんたちがみんなで手分けして荷台をどかしてくれて」


 その時、荷台の下の女性の呟きが聞こえたのだと言う。皆が慌てる中、やけに冷静な声だったからか、はっきりと聞こえた。


「ひと言、『なまった』って……」

「……『鈍った』って?」


 シュウの眉毛が八の字になる。全く……あの人は。


 シュウは、一息置いて、少女の目線まで腰を落とし言った。


「お嬢さん。君を助けたのは、闘いの女神だよ」


 横でロンがはっと息を呑む。でも、口は挟まない。優秀な部下だ。


「女神さま……?」


 シュウは、ニッコリと笑う。


「そう。だから、君はこれから、闘いの女神に命を助けられた事を誇りに思って生きてほしい」


 少女が、嬉しそうにパッと笑顔になって何度も頷く。そう、多分これが正解なのだ。これが、セリーナの望みなのだろうと思う。


 振り返ってはペコペコする母親と元気に手を振る少女を見送り、シュウは改めてロンに礼を言った。


「ありがとう、ロン。おかげでセリーナにいい報告が出来る」


 ロンは無言で頷いた。「それでは一旦これで」と敬礼し、中には入らずその場を辞した。


 その後ろ姿を見送りながら、シュウは初めてセリーナと会った時の事を思い出していた。


 闘技場で開催されていた、その年に城に上がったばかりの新人ルーキーたちの闘技大会。簡単に言うとお披露目会だ。色々な者の目に止まるようにと、数日間に分けてゆったりと開催される。


 ひとり凄いのがいる、という噂を耳にし、同僚たちとからかい半分でふらりと闘技場に寄ったある日。

 


 ひとりの天舞う闘神を視た。



 細い身体で相手の屈強な男の攻撃をひらりひらりと空を舞うようにかわし、かと思うと瞬く間に距離を縮め軽く一撃で倒す。


 相手が起き上がらないのを見届けるまでもなく、さっさと場からける素っ気なさ。


(カッコいいねえ〜)


 どんな人物なのか堪らなく気になり、観客席最前列まで走って近寄り、選手控え室に戻ろうとするその人の後ろ姿しか見えなくて……つい、『手』で髪の毛を掴んでしまった。


「あいた!」


 怒って振り返った姿は、柔らかい印象のうら若き乙女。後に、王宮騎士団の『戦いの女神』のふたつ名を持つことになるセリーナだった。


 今のこのふわふわな印象と、あの剣技とのギャップ。堪らなく惹かれる。


(一目惚れって、こういうことを言うんだろうか)


 シュウに一瞥をくれてツンとして立ち去ろうとした彼女の肩を『手』でトントンし、シュウは彼女に聞こえるように、大きな大きな声で言った。


「ねえ君! 僕と結婚しない?」


 観客がどわー!! っと瞬時に盛り上がったのは、言うまでもない……


(あの時のセリーナも、かわいかった……)


 まあ、実際は結婚する前にそもそも相手にしてもらえなくて、少しずつ心を開いてくれる様子もまた堪んなくよかったんだけど。


 なんだか少しホッコリした気分で寝室に戻り、ロンにもらった籠に入ったパンをヤナに見せる。


「ヤナ、食べよう。お母さんが心配しちゃうよ」

「うん」


 ふたりで、もぐもぐその場で食べ始めた。出来る限り、セリーナから離れたくないのはシュウもヤナも一緒だ。


 パンをとりあえずふたつ掻っ込んだシュウは、セリーナに話しかけた。


「さっき、君が命を守った女の子が礼を言いにきたよ」


 やはりセリーナは目を開けない。息も相変わらず苦しそうだ。


「流石、元騎士団だよ、僕には到底真似出来ない」


 そっと手を握って苦笑いする。指が、ピクリと動いた気がするが、……気のせいだろうか?


「聞いたよ。『鈍った』って言ったんだって? 何言ってるんだよ、大切な命をふたつも守っておいて」


 横ではヤナがふたつ目のパンをもぐもぐしている。もぐもぐしながら、シュウに言った。


「『私もなかなかやるでしょー!』って言ってるよ」


 シュウが目を大きくしてヤナを見る。


「ヤナ! お母さん、喋ってるの!?」

「うん、『今目が覚めた』だってー」


 セリーナを見ると、薄らとだが目を開けている……?


「セリーナ!」


 シュウがポロポロと涙をこぼす。もう止まらない、どうしよう、目の前が滲んで君の顔が見えない。


「セリーナ、セリーナ、セリーナ……!」


 ヤナがセリーナを見てうんうん頷いている。


「うん。ヤナは大丈夫だよ。お母さん助けてくれてありがとう!」


 セリーナと、会話しているようだ。シュウはふたりが会話できるよう、なるべく静かにしようと心がけた。涙を袖で拭って、『ズビッ』と鼻をすする。


「お父さん、ちゃんと鼻噛んでだって」


 ヤナが冷静に伝える。……この母娘はもう。


「……すみません」


ポケットに入っていたハンカチで鼻を噛む。


「……うん。ん? お父さんに? うん、ちょっと待って」


 ヤナがシュウに向く。


「お母さんが、お父さんに言いたいことがあるから、お母さんゆっくり喋るから、そのまま伝えてって」


恐らく、もう声を出して喋ることも辛いのだろう。


「……わかった」


 もう一度軽く鼻をすする。セリーナが、開かないのか目を薄っすらとだけ開けてシュウを見つめている。


「シュウ」

「はい」


 姿勢を思わず正す。一瞬どちらを見たらいいか分からなくなったが、この場合はセリーナだろう。セリーナの眼差し。わずかでも、こんなにも愛しい。


 ヤナの幼い声が、セリーナの言葉を紡ぐ。


「よく、聞いて」

「もう、次に寝ちゃったら、伝えられない、かもしれない」

「だから、今のうちに伝えるね」


(ああ、もうセリーナってば)


 また涙が出てしまう。


「ヤナを、お願い」

「ヤナを、導いてあげて」


 ズビッ。すみません。


「私は、ちょっと先にいくけど」

「あなたは、まだ来ちゃダメ」

「私のこと、大好き、だけど」

「悲しくても、来ちゃダメ」


 セリーナの目尻から、すーっと一筋の涙が流れた。


 そんなの分かってる、頭では分かってても、そんな事言われると悲しいじゃないか。


「先になんて、行かないでくれ……!」

「シュウ」

「……うん」

「わがまま、言わない」

「……ゔん、ごめん」


 鼻声だから、ちゃんと通じてるか少し不安だ。


 不意に、バン! と階下からドアが開く音がした。「セリーナは!?」と言うハルナの声がする。


「セリーナ、お母さんだ。ちょっと待ってて」


 シュウは先ほど盛大に鼻を噛んだハンカチで鼻水と涙を拭きつつ立ち上がり、寝室から出て暗い居間に立つハルナを見つけた。いつの間にか、外は真っ暗だった。


 どんどん、残された時間が減っていく。それはとんでもない恐怖だった。


「お母さん、こちらです」

「……シュウ」


 ハルナが息を切らしながらも、トントンと急いで階段を登ってくる。


「急に部下が伺って驚いたでしょう。すみません」


 部屋の中に招き入れる。先ほどまでシュウが座っていた椅子を譲る。ハルナは大人しく座った。しのごの言う時間が勿体無い。


「……容態は?」

「もって今夜だと……ただ、ルッカの爺さんが少し時間をくれたので、きっともう少しは」


 ヤナの背後に立ち、ハルナにこうなるに至った経緯をざっと説明する。


「そうか…この子は、人を守ったんだね」


 そう呟いて、ハルナは優しくセリーナの髪を撫でた。


 おもむろにヤナが言う。


「お母さんがおばあちゃんと話したいって」

「?」


 ハルナが、訳がわからないという顔をしている。セリーナは何も言ってないのに何を? という顔だ。


(しまった、ヤナのこと、言ってなかった)


 すっかり報告が漏れていた。慌ててシュウがハルナにヤナの魔法について説明しようとしたが、その前にヤナの言葉に遮られた。


「お母さん、お願いがあるの」


 ハルナは、固まったまま黙ってヤナを凝視している。


「シュウを、支えて」


――ああもう、また涙が止まらなくなる。なんだって君は、自分のことよりも。


「シュウも、ヤナも、私の宝物だから」

「壊れないように、守って」


 ハルナが、驚いた表情でセリーナを見た。セリーナの目を見て、やがて、何かを感じ取ったのだろう。やれやれといった表情で小さく微笑んだ。


「……勿論だよ」

「なんてったって、お母さんは最強、だものね」


 優しい、セリーナの笑顔。


「懐かしいことを言うね。今じゃお前だって相当だけどね」

「そうかも。お母さん」

「どうした?」


 ヤナを通してのセリーナの会話を躊躇いもせずに受け入れたハルナ。その、親子の絆。


「私は、お母さんに憧れた」


 ハルナは、何も言えない。


「お母さんみたいに、なりたかった」


 ハルナが、口をギュッと結ぶ。


「剣は、人を守る為に、振るう。お母さんの言葉。私、守れたよ。でも、先に行く。ごめんね」


「セリーナ……!」


 とうとう耐えきれなくなったのか、目頭を押さえて崩れ落ちた。肩が震えている。


「お母さん、これを……」

「お父さんそれ汚いよ」

「あ」


 ハルナに差し出したハンカチは、シュウの涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。一瞬止まったハルナ。


 小さく、ため息をついた。


「セリーナ、これを支えるのかい?参ったね」

「お母さん楽しいの?笑ってるね」


 見ると、セリーナの口がにっこりと笑っていた。


 シュウは思う。ヤナの魔法ちからは、恐ろしいものだとばかり考えてしまっていた。だが、この奇跡の時間は、ヤナの魔法なしにはあり得なかった。


――なんて素晴らしい魔法だろう。


 心からそう思った。


 少し眠そうになっているヤナが、セリーナに話しかけている。


「ねえねえお母さん、今日はお話読んでくれる? ヤナ、くまさんのお話がいいなー」

「ヤナ……」


 どう、声をかけたらいいのか。


「……え? なんでダメなの? ……お母さん、起きれないからご本持てないの? いつ起きれるの?」


 シュウは、今更ながらに気が付いた。いくらヤナがませていても、言葉を沢山喋っていても、まだ3歳のそれこそセリーナの言う通り『赤ちゃんに毛が生えた』程度なのだ。分かっていなかったのだ、セリーナがもう立ち上がらないことが。ヤナの前からいなくなってしまうことが。


「……なんでお母さんいなくなるの?」


 セリーナが、ヤナにわかるように説明しているに違いない。ヤナの小さな目に、どんどんどんどん涙が溜まっていく。


「だってヤナ、お母さんにギューしてもらいたいもん! おやすみのチューもまだしてないもん! ……ヤダ! お父さんのギュー痛いもん! チューはおひげチクチクだもん!!」


 しゃくり上げながら泣き始めてしまった。

 

 ――何も、言えない。ごめん、チクチクで。


 シュウに今できることは、静かに見守る事だけだ。ハルナも、目を赤くしながらも黙ってふたりを見ている。


「……お空? お母さんお空に行くの? ヤナも行ける?」


 グジュグジュ泣きながら、寝ているセリーナの腕に顔をくっつけた。


「なんでダメなのぉ〜……! ケチ! ヤナがおばあちゃんになってからじゃ遅いもん!」


 セリーナの手が、ヤナを優しく撫でる。泣きながら膨れて怒っている。すると、ヤナが顔を上げてセリーナを見た。泣き止んだ。


「……え、うん。それ、ヤナの『任務』? それできたらヤナお母さんみたいになれる?」


 何の『任務』なのか気になる。


「うん! ヤナそれやる! カッコいいもん!」


 俄然やる気を出している。だが、シュウたちにはさっぱりだ。


「……教えちゃうの? お母さんとヤナの秘密じゃないの? ……一緒のお布団? わーい」


 足をパタパタさせて、ヤナがシュウをチラッと見る。


「お父さん、お母さんが今日ヤナが一緒に寝ていいって言うから特別に教えてあげるね。ヤナね、お母さんにね、【お父さんを守る隊隊長】に任命されたの! お父さんがしっかり者になるまで、ヤナが面倒みるの!」


 うふふとヤナが笑う。


――セリーナ、それは逆ってもんだろう。シュウの眉が情けなく垂れ下がる。


(……でも、あのヤナを説得してくれた。やっぱり僕のセリーナは凄いな)


「……うん、じゃあ寝間着に着替えてくるね!」


 ぱっと立ち上がって自分の部屋にとたとた駆けて行った。着替えておいで、とでもセリーナに言われたのだろう。無邪気で可愛い。


 シュウは、サイドテーブルのある側に回り、ベッドの端に腰かけセリーナの手を取った。ひんやりとした、手。セリーナの命が、熱と一緒に消えていく感覚に襲われ、ぞくりとした。セリーナを失う覚悟。そんなものを覚悟しなければならないなんて、考えたこともなかったのに。


「セリーナ、ヤナを説得してくれてありがとう。僕には難しそうだったから……流石セリーナだね」


 握った手の甲を指で撫でる。


「僕は、いつも君に守られてばかりだな。今までも、ずっとずっと守られてばかりだった」


 セリーナの華奢な手が、握り返す。


「でも、これからは僕がヤナを守っていく。約束するよ。ちゃんと、君の言いつけも守る。悲しくても、寂しくても、ちゃんとヤナと生きていく」


 セリーナが小さく頷いた。


「お母さんにもいっぱい頼って、ちゃんとヤナを導く。だから……安心して僕が来るまで待っていてほしい。セリーナが守ってきたものを、今度は僕がしっかりと守るから」


 セリーナも、シュウも、涙が止まらない。ああもう、このままセリーナと涙まで溶け合ってしまえばいいのに、とシュウは思う。でも。約束をした。今ちゃんと伝えておかないと、絶対後悔する。それだけは、嫌だ。


「セリーナ、こんな素敵な時間を作ることができるヤナの魔法は、とても素敵だね。セリーナもヤナも、僕の大切な宝物だ。僕に、ヤナという宝物をくれてありがとう。……僕たちの宝物を守ってくれて、ありがとう。君のふたつ名の通り、君は正に『闘いの女神』だよ。僕の……女神だよ。僕を選んでくれて、本当に嬉しかった」


 僕ばかり喋っていいのかな? でも、でも。


 命のともしびがもういつ消えてもおかしくない人に対して、言うべきじゃない。こんなのは、ただの子供の我儘と一緒だ。そんなことは分かってるが、それでも……彼女なしに、この先立って歩いていく力が欲しい。その力を、分けて欲しい。


「僕を……僕を、忘れないで」


 これは、女神への祈りだ。セリーナの涙をそっと指ですくい、頬に優しくキスをする。


「情けない姿を君に見せるのは、これで最後だから……約束して」


「仕方ないから約束してあげる、だって」


 寝間着に着替えてきたヤナが、教えてくれた。


「……ありがとう、セリーナ。ヤナも、ありがとう」


 シュウは、そう言ってふたりに微笑んだ。そろそろ、ヤナに母親との時間を与えてあげねばなるまい。


 ヤナが、セリーナの左脇をいそいそと陣取る。セリーナは優しく微笑み、辛さを見せぬまま、左手をそっとヤナの頭に乗せた。


「うん、おやすみお母さん。お父さんも、休んでって言ってるよ」


 セリーナも、頑張って喋って疲れ切った様子だ。少しでも永く生きていてほしい。恐ろしくて恐ろしくてどうしようもないが、でも、休ませてあげたいのも事実だ。


「わかった、僕もちゃんと休む。ヤナ、お母さんを困らせるんじゃないよ」

「はーい」


 壁のロウソクはそのままに、カーテンを静かに閉め、ランタンの火を落とした。


「セリーナ、君もゆっくり。ヤナが寝た頃、また来るから」


 流石に不安なので、部屋のドアは開いたままにしておくことにする。


「お母さん、何か飲み物でも」


 今まで夫婦の切ない会話を口を挟まず聞いていたであろうハルナ。情けないところを見せたが、強がっていてはこれから一緒にヤナを守っていくことなどできない。


「じゃあ一旦下に行こうか」

 

 昼間は日当たりのいいキッチンに置いてある、昼の間に蓄えられた光を暗くなると放つロウソクの代わりとなる発光石を一つ持ってきて、居間のテーブルに置いてある水の入ったガラスの器に入れる。発火石同様、水に入れないと魔力を放出しない仕様になっている。


 居間の壁や柱にファーっと光が映し出された。セリーナは、光が水に揺らぐこの幻想的な光が大好きだった。


 ささっとお茶のセットを用意して、「どうぞ」と差し出す。寝室に椅子を2脚持っていっているため、今は向かい合わせに置いてあるこの2脚しかない。


「サルタス殿の馬をお借りしたよ。いい馬だね。この家の近くで待機してくれていた、シュウの部下だと名乗るロン、だったかな? に返したから、安心してほしい」

「そうでしたか……正直僕はそこまで気を回すことが出来ませんでした、ありがとうございます」


 ハルナが到着した後、馬の取り扱いに迷う事がないよう、きっとあの後ロンはずっとこの辺りで待機してくれていたに違いない。部下たちの気持ちが、素直にありがたかった。


「今は、ヤナにセリーナとの時間をあげましょう。ヤナのあの魔法の件については、後日ゆっくりと一からお話しますので」


 暖かいお茶を口にしながら、ハルナは無言で頷いた。


「ヤナが寝た頃、僕はまたセリーナの元に戻ります。正直、寝ようと思っても寝れないかと……」

「私は、そうしたらヤナのベッドでも借りることにするよ。……夫婦最後の時間を邪魔したくはないしね」


 悲しげに俯く。この人は、夫を亡くし、次に娘をも失う事になってしまった。シュウには、なんと慰めの声をかけたらいいのかが分からなかった。



 それでも、やはり疲れていたのだろう、気が付くと意識が飛んでいるときがあった。時折、夢と現実の判別がつかなくなり焦って起き、やはりこれが現実なのだ、と苦しくなる胸を握りしめた拳でぐっと押えた。


 何度かそれを繰り返し、その度にセリーナの呼吸を慌てて確認し、どんどん弱くなっていくその呼吸に、もう時間があまり残されていないことを痛感する。


 カーテンの向こうから、朝日が差した。


――朝だ。ルッカの爺さん、流石だな。


 シュウはカーテンをそっと開け、部屋に朝日を目一杯取り込む。ヤナが「ううん……」とまだゴロゴロしているが、可哀そうだが起こさなければならない。もう、時間は残されていない。


「おはよう、セリーナ、ヤナ」


 声をかけるが、セリーナの反応は見られない。ヤナは、ベッドに横たわったまま母親の顔をじっと見ている。


「お母さん、誰とお話してるの?」


 セリーナが誰かと話しているらしい。夢の中であろうか。


「おはようみんな」


 ヤナの部屋で休んでいたハルナが顔を覗かせる。やはりちゃんとは寝れなかったのだろう、目の下にはクマが出来ていた。


「セリーナの様子は?」

「もう、かなり息が小さく……息があまり出来ていないのかもしれません。意識がないようです」

「そうか……」


 沈黙が支配する。


 すると、ヤナの声がその重苦しい沈黙を破った。


「お母さん! どこに行くの!?」



 その瞬間。



 部屋が真っ白な光に包まれ、シュウは目がくらんでしまった。ハルナも同様なのだろう、「なんだいこれは」という声が聞こえてくる。


 目を細めて少し慣れてきた部屋を見ると、ヤナが眩しい白い光が差してくる上の方を見つめている。シュウがヤナの目線を追うと、天から差し込む光の中に、えんじ色の服を着た人物が上からこちらを見下ろしていた。


「おかあさーん」と呼ぶヤナに、優しく手を振っている。セリーナだ!


(これは……ヤナの見ている光景だろうか?)


 夢のような光景だ。でも、確かにあそこにセリーナがいる。だったらこれは……夢じゃない!


「セリーナ!」


 シュウが叫ぶ。


 すると、あれほど聞きたかったセリーナの声が返ってきた。


『シュウ』

「ああ……君だ! セリーナ、セリーナ、セリーナ!! ……君をこの目に焼き付けていたいのに、涙でよく見えないよ……!」


 ふんわり笑った気配がした。表情までは、セリーナの後ろから差す光のせいでよく見えない。


『約束よ、ヤナ、お母さん。シュウをちゃんと支えてね』


 ハルナは無言で涙を流しながら頷いている。ヤナは、「頑張るけど、お母さんそこに行っちゃうの?」などと聞いている。


 セリーナ、僕はそんなに情けないかな。自嘲気味に笑う。でも、確かに情けないな。だって、君はいつもずっと先を見ていたのに、僕は今しか見えてなかった。だから。


「セリーナ、約束だ……!僕も、君みたいに自分の力で歩んでいく!」

『ありがとう、シュウ……そろそろ、行く時間みたい。ヤナ、お母さん……いってくるね』


 そう言うと、どんどん強くなる白い光の中に、徐々にセリーナが消えていく。ああ、行ってしまう!


 シュウが、震える声で叫んだ。


「セリーナ! ……愛してる!!」


 セリーナが振り返った、ように見えた。


『始めから知ってる』



 それが、3人が聞いたセリーナの最後の言葉だった。


如何でしたでしょうか。

シュウさんとセリーナさんの出会い、もっともっと

詳しく書きたかったなあと思いますが、現在に戻れなくなるのでこの辺で…

機会があったらスピンオフとか、出来る日が来るんでしょうか…


明日も更新予定です(2020/08/31)!

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