幕間:女帝の憂鬱
リアスとアルナが宮殿から出て行くと、胸をなで下ろす思いで皇帝エルーザは会場に居る全員に笑顔を振りまいた。
あれから数日経った現在ではリアス・フォン・アルゴノートについて情報を集めていた。
しかし男爵領の民達の口は固く、良い人という事以外何も情報が入らずにいた。
そんな中、宮殿の執務室では皇務のために必要な資料が山のように机に積み重ねられており、エルーザはその資料整理をして疲れ切っていた。
肩を鳴らしながら、一旦休憩を取るためにエルーザはゴードンに話しかける。
「ゴードン。今後は絶対にあれに喧嘩を売らないでくださいまし」
「はい。陛下の顔に泥を塗るような行為を申し訳ございません」
「違う。そんなことならわざわざお前に頭なんて下げさせません!」
「ではどうしてあの時止めたのですか?彼を過小評価するつもりはないですが、あのままなら勝てました」
事実そうだろう。
リアスとサシでぶつかれば、ゴードンが勝利を手にしていたのはたしかだった。
しかしそれでもエルーザが戦闘を継続させたくなかったのには、理由があった。
「神話級の精霊持ちが貴重なのがわからない!?下手に不興を買って敵国に亡命したらどうする?お前に責任は取れないでしょ!」
神話級の精霊はかなり希少である。
手放すことは国にとって大きな損失であり、何よりも優先することだとエルーザは考えていた。
しかしゴードンはそう思っておらず、エルーザがどうして公爵という破格の条件を出したのか疑問だった。
それはこの国には神話級精霊以上にすごい、聖女が存在するからだ。
ヒャルハッハ王国が戦争を仕掛けて来ないのもそういう背景がある。
来年からは、次期当主になるためか必ず卒業しなければならない名門校、レイアーノ魔術学園に入学することが決まっている。
聖獣と契約する少女がいる以上、神話級精霊を無理に抱える必要がないと思い、更に加えて神話級精霊を使役する少年は自身と実力が大差ないどころか劣っているのだ。
そう思うのも仕方ないものだった。
「聖女様がいる以上、この国は安泰では?」
「政争的には彼女がいる方が、駆け引きがしやすいのは事実だね。でも残念ながら戦争になれば、聖女がいるだけでは心許ないどころか、せいぜい補給部隊が多少増えた程度でしかないよ!」
「それでも兵にとってはかなりの心の持ち方に余裕があります」
「そんなのわかってる。でもね、神話級精霊持ちは、国を一つ滅ぼせるほどなんだよ!」
「神話級精霊を持つ程度でそんなことができるとは思えないのですが」
「あんた馬鹿だねぇ。何も見えてない。アタシは冷や汗だらだらだったよ」
その言葉と今なお流れ出る汗が、そのことが紛れもない本心ということがわかる。
彼女はリアスとゴードンの喧嘩をしている時、常に視線を離すことができなかった。
エルーザに対してクレはただ見つめていただけだったのだが、それがエルーザには恐ろしくてならなかった。
「申し訳ございません。そこまでのことが起きているとは。不肖な私にも理由を教えてくださると助かります」
「風神はずっとアタシを見ていた。そこで気づいちまったんだよ。風神と、神話級の精霊と契約しながら、ゴードンの奇襲を防げるレベルの索敵魔法を使用して、お前の身体に損傷せずに服だけを破いたことが異常であること。そしてそのことに疑問も思わせない奴の手腕に」
ゴードン自身も冷静になって考えてみる。
肉体を損傷させずに服だけ破いたのは、やはり皇帝であるエルーザの護衛に何かしたら自分が不利になると思ったからだろう。
しかし実際にそんなことやってのけれる魔術師がいるだろうか?
確実にいないことが実戦経験が多いゴードンはわかったはずなのにスルーした。
それだけ自然にやってのけたリアスに、ゴードンもまた背中から変な汗が流れ浸る。
それがどれだけ恐ろしいことかわかったのた。
恐怖とは、自分を守るための一種の防衛反応。
それを悟らせない恐ろしさに、身も毛がよだった。
「申し訳ございません!今後は必ず控えます。騎士団や貴族の方々にも通知を出すべきでしょうか?」
「やめておけ。調べればわかるが、奴の母親は庶民だ。不快に思う輩が多い。全くこの腐った貴族社会をどうにかしたいね」
貴族至上主義が蔓延しているこの国の現状はよろしくなかった。
エルーザの父は愚皇帝であり、貴族と平民は別物と宣ったのだ。
このままでは国が崩壊すると判断したエルーザの兄が、自身の命と引き換えに前皇帝を亡き者にして、なんとか完全に蔓延するのを防いだ。
「ですが、ちょっかいをかける輩がいるやもしれません」
「ダメだ。奴自身はアタシが治めるこの国に仕えることは億劫に思っていないらしい。だからアタシ達が差し向ける原因になるようなことはしない方がいい。それに彼は階級自体には執着してないように見える。安心したよ、神話級の精霊を使役する人間からは悪い噂が絶えないからね」
ヒャルハッハ王国では、爵位を渡したあと女遊びが絶えることが無く、泣かされた女性も少なくないとされていた。
そしてそれは紛れもない事実であり、自身は平民出身だと言うのに、平民達を接種の対象として自身の領地で処女を彼に捧げる地方令まで発布した。
「力による慢心がないとしたら、国に縛り付けるのは難しいが、現段階では奴は国に有益なことはたしかだ。念を押すけど絶対に今日みたいなことはしないでくれ」
「承知しました。自分の浅はかな行動が国に不利益をもたらしたことを申し訳なく、お詫びいたします」
「いいわよ。あなたには尽くしてもらってるもの」
そして再び仕事を再開し、山のように積み重なった資料を次々と閲覧して行くエルーザ。
そこへ執務室のドアを叩く者が現れた。
ここは皇帝の仕事場で、本来このような叩き方をすることはないのだ。
ゴードンはそのことに怒るそぶりを見せることはない。
どんなに急ぎでもこんな叩き方をする者は少ない。
緊急事態であるか、エルーザの友くらいなのだ。
「入れ」
「失礼します陛下!この度の不躾な訪問申し訳ございません。しかし至急耳に入れて欲しいことがあり、馳せ参じました!」
「なんだ?余は忙しい身だ。簡潔に申せ」
「はっ!現在魔物の数が増えた帝国辺境の地の一つである荒野にて、調査に当たっていました部隊との連絡が途絶えました!」
「連絡が途絶えただけなら、不測の事態ではあるが余に報告するほどではないな。続けろ」
「調査に当たった結果、現在の荒野の魔物の数は万の軍勢にまで拡大、荒野に派遣された部隊は全滅しました!」
「くっ!魔物大量発生か!」
魔物大量発生とは、魔物がネズミやバッタのように、手がつけられないほど増殖してしまう現象だった。
だから辺境の地に貴族の当主は派遣される。
いち早くそう言ったことを伝えるためだ。
「わかった。伝令ご苦労。しかしまさか全滅するとは」
もし魔物大量発生の兆候があった場合、どんな些細なことでも報告するのだ。
辺境の地には必ず貴族が派遣されており、北の幻獣の森、西のヒャルハッハ王国との国境、東の魔の海、そして南の荒野の四つには、特に貴族としての責務を果たす者だけを据え置いていた。
にも関わらず全滅したと言うことは、前兆が見られなかった可能性がある。
「至急戦力をかき集める!そなたはそれまで待機しておれ」
「かしこまりました陛下。失礼致します」
そう言うと踵を返して部屋を後にする伝令。
エルーザは目元を抑えて寝込みたい気持ちになった。
「1万ってなんだいな」
「作為的なものを感じます。前兆が見られないと言うのに、魔物の群生が突如発生したとは考えにくいです」
「あぁ、前兆が見られなかったと言うことは、十中八九人為的に起こされた魔物大量発生だろうな。ったく!帝都に避難令をしく!そのための避難誘導をする部隊をゴードン、お前が頼む。ゴードンは私の元を離れて、指揮をとるように!」
「御意」
そう言うとゴードンも執務室を後にする。
ゴードンはエルーザの護衛であるが、それと同時に側近でもあった。あ
そもそもエルーザ自身それなりの実力者なので、滅多なことでも遅れを取らないのだ。
「アデル!アデルはいるか!」
「お呼びでしょうか陛下」
颯爽といつ現れたかわからない男はアデル・フォン・マルケローニ伯爵。
帝国の宰相である。
その漆黒に染められた髪に真紅に輝く瞳は、妖艶さを兼ね備え、令嬢達を次々と虜にしていた。
「あぁ。魔物大量発生が起きているそうだ。数は1万。緊急会議を開きたい。事は急を要するため、なるべく早く頼む」
「かしこまりました」
「陛下!」
バンっと音を立てて入ってきたのは第一皇子のアルバートだった。
こんな時に礼節も弁えない息子に怒りを覚えるエルーザだったが、すぐに切り替える。
怒りを向ける時間も惜しい状況であったからだ。
下手をすれば帝国全てが呑み込まれてもおかしくない事態だからだ。
「なんだアルバート。今は忙しいから後にしろ」
「魔物大量発生が発生したと聞きました。私も第一皇子として前線に出兵致します」
「ならん!足手まといだ。皇族が前線に立つと言うことは、護衛対象が一人増えるのと同意。我々は絶対に前に出てはならんのだ」
護衛がいるとしても、この規模だと守りきれない可能性も高く、そのフォローを派遣されている騎士や貴族達が対処しなければいけなくなる。
だから大将である皇族は前線に出ることを固く禁じていた。
しかしアルバートはその常識を破ろうと直談判に来たのだ。
「それはわかっています!しかし士気を上げるためには皇族は前に出て闘うことが必要だと私は考えます!」
「相変わらずだな!絶対に許可はやらん!お前はグレシアを守る事だけを考えていればいい」
「母上!今は恋愛ごっこをしてる時ではありません!」
アルバートは仕事のことばかり考える仕事人間ではあったが、決して優秀ではなく柔軟性がなかった。
グレシアとの婚約も、政略結婚と認識していて、それ以上でもそれ以下でもなかった。
自身でも言ったように、恋愛ごっこと認識しているのだ。
だからグレシアのことも蔑ろにしている。
「次、余の前でそれを言ってみろ!不敬罪で廃嫡にするぞ」
「それこそ横暴です。民は誰もついては来ないでしょう」
自分は仕事ができて優秀だから、民も自分の意見を尊重すると信じてやまなかった。
しかしそれは大きな間違いである。
確かに仕事ができて優秀だから、他の貴族に比べて支持率は高い。
しかしそれはその貴族達のほとんどが、民を摂取の対象と認識していて、領地での活動を行なっていないからである。
だから領地で真面目に領主として活動している者達からは、アルバートの支持をする者はほとんどいないのが現状だった。
「お前は何もわかってないよ。平等は時として友好的な感情を持たれているわけではないんだ」
アルバートのしてる政治活動は、ふんぞり返ってる領主に代わり、貧困層と裕福層から分け隔てなく適正値で税を納めてもらうものだった。
平等と言えば聞こえはいいが、貧困層からしたら税を納めると食事もままならない。
故に領主から摂取もできない無能の烙印を押されていたのだが、税を払わずに暮らしていくことができていた。
そんな彼等から恨みを買っていることにアルバートは気付いていない。
「政治に自分の意見は必要ありません。なんのためのルールであるのか、そのことを考えてください」
「だからお前はダメなのだ」
裕福層からは適正価格をもらい、貧困層からは満額はもらわず、いくらか下げて提供するべきだったのだ。
結果として飢餓に苦しめられた民も少なくない。
「くっ!母上では埒が飽きません!父上に進言いたします」
「あいつに国を動かす権利はないぞ?」
「母上より話がわかります」
エルーザは息子は全く誰に似たんだと嘆きたくなる気持ちを抑えた。
アルバートの出ていく背中を見ながら嘆くエルーザ。
「陛下、残念ながら浮気性であることを除けば、ジノア様が一番皇太子に相応しいと思います」
「余も思っていたところだよ。まぁ今は息子のことは良い。頼んだぞ」
「かしこまりました。至急有力貴族達に書状をお出し致します」
「うむ!騎士団長にもこの事を伝えておいてくれ」
彼はは黙って頷き、瞬きをしたら既にアデルはその場から消えていた。
「ヒャルハッハ王国にもこのことは伝えたほうがいいか?いや、やめておこう」
帝国が突破されない限り王国に魔物が流れることはない。
止められなかった場合帝国は滅亡だ。
つまり、止めれば関係ないと判断して連絡を取るのをやめた。
「風神を持つリアスにも協力を頼みたいが・・・」
果たして了承してくれるだろうか?
そう悩むエルーザは事を慎重に構えていた。
下手したら国から出ていく可能性もあるからだ。
しかしどのみちリアスの力を示してもらわなければ、公爵になる際に問題が起きると判断し書状を書いた。
書状を書き終えると同時に、ゴードンが戻ってきた。
「部隊の編成は終わりました。あとは陛下の命令一つで我々はいつでも動きます」
「ご苦労。続いて悪いんだが、リアスにこれを届けてほしい」
「あの少年にですか。かしこまりました」
本来であればゴードンが自ら届けるのだが、現在の状況でそれも不可能。
ゴードンは信用に足る人物に書状を渡し、エルーザの横についた。
エルーザの仕事が落ち着いたのは、この日の次の日の夜だった。
*
荒野の果て。
何もない崖に置いて、三人のローブを被った者たちが、荒野に溢れる魔物の姿を見て口角を上げてニヤリとしている人物達がいた。
「計画は成功だわ。通常の魔物大量発生の数百倍の規模になったわね」
「帝国には聖女がいるらしいが、まだ成人したてのガキや。何かできるわけもない。帝国は滅亡やな」
「この数なら例え神話級の精霊を囲っていたとしても、何かできるはずもない。なにせこれは魔物大量発生じゃない」
ドスの効いた低くて威圧感のある声を放つ男が言う普通の魔物大量発生は、数百の色々な魔物が現れる現象だった。
しかし目の前に広がる光景は、そんな生易しいものじゃないことがわかる。
ジャイアントベアや豚の顔をした人型の魔物のボアソルジャーと言った、一体いるだけで騎士団を軽く蹴散らすAランクと呼ばれる魔物が数千体ほどいる。
リアスは前世の記憶から中ボスという感覚があるが、現実世界において死に戻りしないと倒せない敵は、脅威以外の何者でもないのだ。
「たしかにこの軍勢に向かいうたなきゃならへん帝国の奴らには同情するわな」
「大量の血が見れるわ。真っ赤な薔薇色に綺麗に咲き誇る血の花よぉ!」
狂気に満ちた女性の笑い声が、魔物の群勢に響き渡るがそれに気付く者はいない。
「帝国は、アタイ達がなんの手も考えず現状維持に甘んじると思ったのかしらね!オーホッホッホッ!」
「まぁいずれわかる。奴らも対策していれば、ある程度犠牲は出しても対処できるはずだ」
そんな心にもない事をいう男に二人はやれやれと首を振る。
この男の計画に万が一があるはずもなかった。
それが証拠に、荒野の辺境に来ていた貴族達は全員、魔物達の仲間入りを果たしていたからだった。
「ハハっ!あの中に歩く死体が何人もいるで。いずれあいつらは自分の故郷を自らの手で襲うんや」
「奴らは最後まで哀れね」
「命乞いをしておいて、ナイフで殺そうとしたんや。当然の報いやろ」
「まぁねぇ!恐れ多くも彼等はアタイ達に牙を向いた。当然の報いだわね」
この女性が言うことはもっともらしい事を言っているが、彼等を見ればそれがおかしいことがわかる。
素性も身分も定かではない人間が、国境にいれば誰だって怪しむし、現実的に彼等の怪しいとした判断力は正しかったと言えた。
「あれ一種の余興だ。知り合いがいればなお僥倖と言える」
「あんさんも、エグいこと考えさんなぁ」
「自陣において仲間の変貌は判断力を鈍らせる。このペースなら明日の夜にでもなれば、帝国へと入国するだろう。そして瞬く間に蹂躙されていく。ふふっ、いい酒の肴になりそうじゃないか」
不適な笑みを浮かべる彼は、これが帝国に入った後のことを考えてヨダレを垂らしていた。
酒が欲しくなったのだろうか。
それは本人のみぞ知るところ。
もう猶予は残されてはいなかった。
リアス達がレイアーノ魔術学園に通うまで1週間を切っていたと言うのに、ライザー帝国を揺るがす厄災がまさに目の前に迫っていた。
リアス「俺の出番は?」
ミライ「今日はないって言ったじゃん!」
アルナ「兄貴は馬鹿だからね」
リアス「ひでぇ!」
エルーザ「本日はアタシがメインの回でした!どうでしたでしょうか?面白ければ高評価よろしくお願いしますね」
一同「・・・」
クレ 『皇帝モードですね。つっこむ隙がない!』