魔力暴走と俺
腕の中で意識を手放したアルトはいったん落ち着いたが、塔に着いた途端、輝きを強くした。このままいったらこの近辺は太陽に飲み込まれたようになりそうだ。
暗いはずの塔はアルトが入った瞬間昼間のように明るくなった。天井が光っている。明かりの魔法を付与してあるようだ。
たまに訪れたときはこんなに明るくないので、アルトの魔力に当てられているのだと思う。
自分の意志ではどうしようもない力に翻弄されるのは辛かろう。いや、辛いどころじゃないか。
俺にできることはアルトを見守ることくらいしかない。アルトを他の誰にも見せないのは確定事項だ。
「大丈夫だからな」
俺は苦しそうに悶えるアルトをそっと撫でた。
幸運だった、そう思う。
フィル殿下が気を遣って俺をアルトのラストダンスのパートナーにしてくれたこともあるが、あの人ごみの中、テラスに向かうアルトを見つけられたのが偶然だったからだ。
ああいうパーティにありがちな熱意ある令嬢の群れからやっと抜け出せたのがつい先ほど。
シトリンとのダンスが終わるまでは手が出せないので、その間は適当な相手と会話をしていた。他国の使者と話すのは疲れる。国のためだから仕方ないが腹の探り合いばかりだ。こっちは王位継承権の低いただの留学生なのだが、実際は国同士の交流が少ないところに人質のように出されている。あわよくば上位の嫁を連れて来いと笑われたがな。そのおかげでアルトと出会えたので結果良好。
まあ、俺がアルトを見つけたように、俺を取り込みたい貴族が多いのもまた事実。
今日は特別に派手な赤いドレスの令嬢と青い髪の令嬢が貼りついてきた。確か前回の夜会ではセシルに粉かけてたよなあとそのガッツに恐れ入る。貴族の結婚は家同士のつながりなので相手のことなどどうでもいいからな。いい相手が見つかることを祈って立ち去ったが、令嬢も大変だ。
とまあそんなこともあり辟易したので夜風に当たろうとテラスを見て、アルトを見つけた。
声をかけようとして、違和感を覚える。
アルトの周りには誰もいなかった。先ほどダンスを申し込んだ令息たちもアルトに手を伸ばそうとするが、なぜか身を竦めて離れる。そしてそこには何もなかったように談笑を続けるのだ。
王家の姫相手に? 貴族たちが? 嘘だろ?
アルトの存在がそこになかったような。
誰も通らなかったような。
グラスを持って会場を行き来する侍女たちよりもさらに存在がないような。
目に映るが見ていない、そんな感じに思えた。
俺は急いでテラスに向かった。結構な人にぶつかったのだが、誰も気にしない。というかぶつかったことに気づいていないのかもしれない。
なんだろう、胸がぞわぞわする。
この感触は、魔法か?
焦りを感じながらテラスに飛び出す。
同時に、テラスの端にある階段のところで何かが瞬いた。
月の光のような淡い光が周りを照らしている。ホールの明かりが漏れているのではない。
あれは……。
「アルト!」
叫ぶ。
光の中心にある影がピクリと身を竦めたのが見えた。一気に輝きが増し、満月に負けない光の中でアルトがうずくまっている。階段の手すりにつかまって身を支えているが、今にも崩れそうだ。
駆け寄って身を引き寄せると、拒絶された。押し返す手は必死なのかもしれないが、力がこもっていない。
知らず、体が震えた。
震えに反応したように、アルトの体から小さな衝撃が来る。冬に扉のノブを触った時に生じる小さな雷のような痛みがちりちりと全身を痺れさせる。
「頼む、今は、私を、見ないで……」
アルトが小さく呟いた瞬間、編んでいた髪がほどけ、宙を舞った。
ほんのりと光るだけだった指先はろうそくより光を帯び始める。足も腕も、ゆっくりと光に侵食されていく。ドレスが捲れてむき出しになった脛や腕が内側からの光で消えてしまうように感じられた。
アルトが消える!? 冗談じゃない!
思わずぎゅっと抱きしめたとき、アルトが魔力過多だと思い出した。
これは、魔力が、溢れて、暴走してるのか?
それだったら……。
「俺に何かできるか?」
形の良い耳元に口を寄せる。こんな時だが光輝くアルトは本当に綺麗だ。ふわりと鼻をくすぐる香りも、しなやかな感触も、すべてが魂を満たしてくれる。やはり俺にとってアルトは女神だと思う。大事な大事な、俺の女神。絶対に手放すもんか。
マントを取り、アルトを包む。このマントは魔封じの呪いがついていた。夜会で魅了の魔術を使う者がいて国が混乱した事例があるため、夜会に出る男性の多くは魔封じのアイテムを身に着ける義務がある。傾国によって文字通り国が傾くのを防ぐためだ。
そっと抱き上げる。トレーニングの時も思うがアルトはとても軽い。子どもの時にろくに物を食べていないので今もさほど食べないからかもしれない。それでは筋肉がつかないと言ったら何とか食べるようにはなったが、俺の1/3くらいだ。
暴れるかと思ったが、アルトはおとなしく抱えられてくれた。よかった。ほっとして思わず力が入る。
階段の下に人影が現れた。顔も覆っているので表情はわからない。
「そこにいるのは陛下の影か?」
尋ねると、案の定肯定の返事が来た。さすがティファール陛下。気配がないランドル殿下を見つける唯一の男だ。アルトの異変に気付いてくれたのだろう。
だが説明している時間はない。
「陛下に俺は急用ができたから帰ったと伝えてくれ。アルシア姫は初めての夜会で体調を崩したために塔に戻った、わかったな?」
影は頷いて姿を消した。
同時に階段を降り、厩舎に向かう。
馬車に乗せてやりたいところだが、準備の時間すら惜しかった。早く安心できる場所でアルトを休ませてやりたい。
魔力の暴走、俺に止められるんだろうか?
溢れている魔力は溢れるままにしてやったほうがいいのかもしれない。一定量溢れたら止まるかもしれないしな。そのあたりはアルトじゃないとわからないだろうが、手助けくらいできる男でありたいと思う。
「大丈夫だよ、アルト。これは魔封じの呪いがかかったマントだ。俺自身の魔力もある。少しなら持つだろうから、急いで塔に戻ろう。送るよ」
頭に顎を載せて囁くと、腕の中のアルトはほっと息を抜き、意識を失った。
マントのせいか、輝きが柔らかくなってくる。魔力の量ではアルトの足元にも及ばないが、溢れている魔力が暴力的でなくなったのに気づいた。抱かれて安堵するくらい信用されているのかな。それならばとても嬉しい。
ものすごく愛しくて、目がくらむ。普段のアルトならば絶対にこんな顔を見せないだろう。正直、胸の谷間を見るほうがたやすいし、そっちのほうが気が楽だ。いや、どっちも独り占めしたいと思ってるが。
すまん、アルト。こんな時に俺はどうしようもないな。
アルトの柔らかな体を抱き寄せながら、大きなため息を吐いた。
厩舎で馬を借り、塔まで一直線に走った。
腕の中のアルトは目をぎゅっと閉じ、全身を強張らせている。まるで何かを耐えているようだ。
塔の前で馬から降りる。訓練されている馬は軽く首周りを叩くと了解したとばかりにいなないて戻っていった。夜なので無事に帰れることを祈った。
アルトが近づいただけで塔の扉が開く。
足を踏み入れると天井が明るくなり、壁一面の本を照らした。相変わらずここの魔法はすごい。
とはいえ、今日はいつもと違って眩しい。溢れている魔力のせいだろうか?
いつものようにアルトの部屋に行き、アルトをベッドに横たえる。
ドレスのままだけど、仕方ないよな。しわになりそうだが許してもらおう。
椅子でも持ってきて横で、と思っていたら、アルトが服の裾をつまんだ。気が付いたらしい。
「ロイド……?」
「ん、ここにいるよ」
「ここ、は……? 塔?」
「ああ。俺しかいないから、大丈夫」
アルトはほっと息を吐く。途端に全身が輝きを増した。アルトが弾かれたようにのけぞる。弓なりに大きく体をそらし、髪を振り乱して痙攣する。
慌てて押さえようとすると、アルトはそれを制した。
「隣の部屋に」
「うん」
「隣の部屋に、大きな空の魔石がある。全部持ってきてくれるか?」
部屋を飛び出し、隣の部屋に行くと、輝く天上の真下にワインの樽くらいの大箱があり、空の魔石が詰まっていた。みっしりと詰まっていて重たいが、文句を言っている場合ではない。
何とか全部運んでくると、アルトはゆっくり立ち上がり、箱に覆いかぶさった。箱の隙間から目を焼くような光が沸き上がって部屋中を光で満たす。あまりの眩しさに、魔封じのマントをかぶったが、目の前には金色の光の残像が散っていた。
やがて、ずるりと重いものが崩れる音がし、明かりが柔らかくった。
恐る恐るマントから顔を出し、目を開ける。
まだぼんやりとしか見えないが、紫色のドレスが箱の前に崩れているのはわかった。背中に冷たいものが落ちていく。
「アルト?」
アルトの体はまだぼんやりと輝いている。ひとまず暴走は止まったようだが、まだ魔力は溢れているようだ。額に手を当てると熱いが、ドレスに覆われていない肌は水に入ったように濡れて冷たい。胸の上のネックレスが荒い息に合わせて動き、苦しそうだ。
そっと抱き上げてベッドに寝かせようとしたが、アルトは俺に腕に体を寄せたまま身をよじった。
「苦しい、ロイド、助けて……」
言いながらネックレスを外そうとする。大きすぎるネックレスが重たいのかな。アルトが俺の胸に額を当てたままなので、正面から抱くような形で首の後ろにある留め具を外す。頭を抱くような形になるが、緊急事態だから仕方ない。
ついでにイヤリングも外したから、小さくあえいでピクンと体を竦ませた。
どんな苦行だ、これ……。
「まだ、苦しい……。取って……」
アルトはぼーっとしたまま肩に手を置き、ドレスのひもを落とす。肩に引っかかっているだけだった布はつるりと滑って落ち、体を絞めつけたコルセットがあらわになる。すごい扇情的な姿だけど、まだ光が残っているから現実感がない。とはいえこんな精神状態でなかったら倒れていたな、俺。
だけどアルトは真剣に苦しんでいる。
「死にそうだ。取って、頼む……」
コルセットなど見たのは初めてだが、思い切って触ってみると、生地自体がとても固い。腹部や胸部を守る鎧なのかもしれない。そういえば戦場でも鎧の下に着る薄手の鎧があったな。これは前面を刺されることが想定なのか、背中でぎゅっと締め上げて着用する鎧は初めて見た。なるほど、これは自分では脱げないな。
背後に回ろうとするとアルトが嫌がるので、先ほどと同じく正面から腕を回して手探りで結び目を探す。
結び目が見当たらなくて苦労したが、なんとか見つけた。結び方がまた特殊でずいぶん固い。切ってしまいたいが切ったら着られなくなるだろうからそれもできないし。
「うう、辛い……。ドレスは戦闘服だと聞いたが、ここまでとは……」
がちがちの結び目をやっとのことで緩めると、靴紐を緩める要領で全体を緩めることができた。紐を抜くと後が大変だろうからと、腕をあげてもらって上からコルセットを抜く。途中で引っかかった大きな胸がふるふると揺れているがそれどころじゃない。さすが鎧だ、脱がせるのも大変だった。
「ありがとう、ロイド」
心から嬉しげなアルトの声。鎧を脱いだからか、体が楽になったようだ。背に浮いていた汗の玉もなく、顔色もよくなっている。なにより眩しかった光が薄れたのとともに溢れていた魔力が消えている。暴走しかけたが弾けるまでにはいかなかったというところか。
「よかったなあ」
アルトが無事でよかった。無事に夜会を抜け出せてよかった。しみじみそう思う。
その瞬間、光が消え、現実が戻ってきた。
目の前にいるのは豊かな胸を隠しもせず、安堵の微笑みを浮かべているアルト。滑り落ちたドレスは腰のあたりに留まっていて、かろうじて付近を隠しているが、裾は完全にめくれ上がって太ももを露出している。
うん、すごい。すごい光景だ。
眼福だ。
俺きっと死んだんだ。そうでなかったら夢だ、ロマンだ。
というか、俺、今、何してた?
アルトが弱っているのをいいことに、あんなこと(ネックレスを外す)やこんなこと(コルセットを外す)を……。
あ、やばい、これ、ティファール陛下やセシルに殺される。フィル殿下とランドル殿下にも殺されるやつ。
間違いない、詰んだ。
どうせ殺されるならこの素晴らしいものをしっかり目に焼き付けておくしかないか!
そう思っていたら、アルトが大きく手を広げて抱きついてきた。
う、うわああああ、ど、どうしたら!?
混乱して気が遠くなる。アルトのいい匂いと胸に当たる柔らかな感触が極上すぎてくらくらした。頭に血が上ってきたのがわかる。
だがそんな浮ついた気持ちはアルトの押し殺した声に消された。
細い肩が震えている。手を伸ばしてベッドの上掛けを取り、アルトを包むと、縋りつくように腕に力がこもった。
「ありがとう、ロイド。暴走の時、助けてもらったの、初めてだ……」
その声には涙がたくさん含まれていた。
読んでいただいてありがとうございます。
暴走関係はあと1話で終わる予定なのですが、ロイドがはっちゃけると長くなるかもしれないです。
今回は少し男前に書いてあげたつもりだったのに最後で残念な男が出てしまいました。仕様です。




