番外 1 書庫塔の悪魔と俺
アークロイド侯爵領にある書庫塔には悪魔が住んでいるという噂がある。
これはこの国では当たり前のことらしく、ヘインズ王国の王立魔法学院で学んでいる留学生の俺の耳にも届いた。噂話の体裁は取っているが実話だともいう。
悪魔は強い魔力を持ち王国を支配しようとしているとか、すでに侯爵領を抑えているとか、そのせいで去年は隣の公爵領に干ばつがあったのだとか、証拠の無い話は学生たちの間にまことしやかに伝えられていた。ヘインズ王国七不思議的な感じだ。
令嬢が婚約破棄されたとか、令息が平民と駆け落ちしたとか、そんなスキャンダラスな話題が尽きると、どこからともなく書庫塔の悪魔の噂が流れる。時には王族が絡むような話題が出そうなときに、書庫塔の悪魔のとんでもない悪事が晒されたりする。俺が思うに火消しのようなものなのだろう。大事から目をそらさせる生贄的なあれだ。
毎日毎日勉強三昧で娯楽に飢えているのはわかるが、よくまあ飽きないな、と常々思うが、口に出すほど馬鹿ではない。
それにしても、悪魔、ねえ。
俺は学食でクリームソーダを飲みながら頬杖をつく。
師匠はそんなことは一言も言ってなかったがなあ。
俺、ロイド=ヴィルム=コンラッドはヘインズ王国の隣国であるコンラッド王国から魔術を学びに来ている留学生だ。
6歳の時に神殿で受けた検査で魔術の才を認められた俺はその年から各国を回り、魔術について学んでいる。第5王子で王位の継承はほぼないため、のんびりと勉強させてもらっていたが、最近になって国家間に微妙なひずみのある国を選んで送られていたことを知った。人質の意味もあったのだろう。実は国の役に立っていたようで嬉しい限りだ。
各国の魔術学院で4年間学び、他国に渡るというのを繰り返しているので、この国は3国目になる。
その間、魔術だけでなく各国の礼儀や騎士の作法なども教わった。魔術の才はあるが体格的には戦士にも向いているとのことで、体を鍛えるように言われ、その通りにした。
その時に知り合ったのが師匠だ。
俺は師匠と呼んでいるが、正確にはコンラッド王国の王、つまり父からつけられた目付け役でもある。
一応伯爵の爵位を持っているそうだが、本人は貴族ではなく騎士だと言っている。貴族と騎士は両立できないというのが師匠の持論だが、正直俺には今もよくわからない。
そんな師匠が知り合いに頼まれた本を探すために、単身アークロイド侯爵領の書庫塔を訪れて悪魔に会ったと聞いたのはヘインズ王国に来て学院に入った直後だった。
あれは師匠とセシルと三人で茶を飲んでいた時のことだ。
その時は俺の国と接するアークロイド領に悪魔がいるらしいとセシルが話を振り、書庫塔の悪魔のことが話題に上ったんだったな。学院でも書庫塔の悪魔の噂話が盛んだった時期だった。あの時の噂ははたしか『雷張りにビカビカと怪しい光をまき散らして領民をおののかせている』だったはずだ。
その話を聞いた師匠は茶を吹き出してゲラゲラと笑った。
「悪魔? ああ、あの坊主のことか」
「坊主って!?」
「師匠は悪魔と会ったのですか!?」
驚く俺たちに笑い転げながら、師匠は頷いた。
「そういや悪魔って言われてたなあ。人の想像力ってのはすごすぎだ、ああ、腹が痛い」
ひとしきり大笑いしたのち、師匠は書庫塔で会った子どもについて話してくれた。
扉を開けたとき目の前に子どもがいたのには驚いた。
しかし、その子どもが大きな目を見開いて硬直していたので、同じように、いやむしろそれ以上に驚かせてしまったのがわかった。
いい大人、しかも自分のような大きな男がこんな子どもを怖がらせてしまったとは、と師匠はものすごく慌てたそうだ。
だから思わず声をかけた。
「これが悪魔か? ちっちゃくてかわいい坊主だな」
逃げなかったのでそっと近寄り、頭を撫でる。
子どもはガリガリに痩せていて、ものすごく幼く見えた。目ばかり大きな顔は非の打ち所がないほど整っていたが、いかんせん痩せすぎていて正視できない。その髪はとても強い癖があるのかちりちりで、肩に着くかつかないかの長さだった。ヘインズ王国の女は年に関係なく髪を長く伸ばしているので少年だと思い、坊主と呼んだが、子どもはそれを聞いた時少し悲しそうな顔をしていたらしい。
子どもの気持ちを和ませようと、師匠は色々な話をした。意外にも子どもは博識で、師匠の言葉をすべて理解した上に、探していた本のある場所に案内してくれたそうだ。
「あの本は宮廷魔術師がコンラッド王国建国の謎を解く鍵になるかもしれないとずっと探していたものだったんだがな、世界に1冊しかない希少本だったんで、本当にあるのかさえ危ぶまれていたんだ。そのとき、古今東西の書籍が収められているという書庫塔の噂を聞き、藁にも縋る気持ちで行ってみたのだが、すぐに見つかってよかった。少し拍子抜けしたくらいだったな」
師匠は子どもが書庫塔の本のすべてを把握していたことに驚いていたが、それ以上に驚いたのは本を抱えて喜ぶ師匠を見た子どもが泣きだしたことだったという。
「あの涙が気になってなあ。帰国前にまた見に行ったんだ」
暗い塔の中にポツンと座って本を読んでいる姿を想像して胸が痛んだ、と呟く。
取り急ぎ愛読していた5冊を持っていくと、子どもはいじらしいくらい喜んだ。大事にすると言いながらギュッと本を抱きしめる姿は今も忘れられないという。
「だがそれから忙しくなってなあ。少し落ち着いたと思ったらロイドのお守りだ。同じ国にいるんだから書庫塔を訪れようとしたんだが、今はコンラッド王国とこの国は情勢が穏やかじゃないだろう? 隣国の人間が悪魔とつながったなんて言われるのも困るんで二の足を踏んで今に至るってわけだ」
大人の事情は難しい、と嘆く師匠に俺とセシルは顔を見合わせた。
以来、学院で悪魔の話が話題に上がっても、真実ではないんだろうなあと思うようになった。
それから月日がたち、17の春、俺はセシルと王立魔法大学に進学した。
そしてその年の秋、事件は起こった。
「アークロイド侯爵がコンラッド王国とつながって国を侵略しようとしてるだって!?」
セシルに呼び出され、ヘインズ王の執務室に連れていかれたのは、王都で秋の収穫祭が行われる少し前のことだった。
もちろん、そんなことは初耳だ。寝耳に水ともいえる。
「まあ、お前は知らないだろうなあ。魔術師のくせに脳筋だし」
ヘインズ王、ティファール陛下はそう言ってうんうんと頷いている。セシルの兄ということもあり、俺とも幼いころからの知己であるティファール陛下は前王と違って賢い王だと知られているが、俺にとってはいつまでも親戚のような感じだ。誰もいないところでは砕けた言葉で話している。
横にいたセシルはくすくすと笑っていた。この兄弟、こういうところがムカつくんだよな。
「まあそれはそれとして、これが影から贈られてきた報告書です」
セシルの手から渡された報告書を読むティファール陛下の背後に回り、一緒に目を通す。
そこには侯爵領からコンラッド王国に流れた魔石の量と質、どこからどこに届いてどこに保管されているかなどが記されていた。
コンラッド王国の届き先が王室ではなくて二大勢力の公爵家の片っぽであるマイノール家だとわかった時は何というか少しわくわくしてしまった。あちらは確か兄上の側室の実家だったな。側室としては態度がデカくていつも俺を馬鹿にするし、公爵家としても権力を持ちすぎているから権力を削げるチャンスになりそうだ。父が喜ぶ情報だな。
「この魔石は……」
横でセシルが首を傾げている。
「おかしいですね。アークロイド侯爵はこの量の魔石をどこから手に入れていたのでしょう? 侯爵領には魔石を採掘できる鉱脈は枯れていたはず。新しい鉱脈を見つけたときは王宮に報告をしなくてはならないと法で決まっているはずですが……」
「そのことなら調べはついている」
ティファール陛下は机から数枚の報告書を出し、広げた。
そこには驚くべきことが書いてあった。
「え、魔石って、再度魔力を込められるのか?」
「え、私には妹がいるのですか?」
同時に発した問いは違ったが、答えは一つだった。
「ああ、俺たちには腹違いの妹がいるようだ。しかも魔力が桁違いで枯れた魔石にチャージできるほどの力を持つ妹がな」
そこから、ティファール陛下の動きは早かった。
侯爵家に魔石の販売について何度も使者を送ったが弾き返されたことを口実に、謀反を企てたと軍を送った。
国境を守るためにと騎士団が置かれている侯爵の砦だったが、騎士の練度はとても低かったので、半分に満たない人数であっさりと制圧できた。むしろ大半が逃げたというので驚きだ。侯爵への忠誠心はそこまでだったってことだな。
もうもうと煙が上がる中、俺とセシルは書庫塔に乗り込んだ。
幸い、高いところに一つしか窓のない書庫塔にはほとんど被害はなかった。悪魔がいるという噂の塔に好んで近づく者もいなかったのだろう。
扉を開けると、真っ暗だと思われた塔の内部はまばゆい光で満ちていた。自分の影が消されるのではないかと思うほどで、その中を進むのはとても大変だった。
急な階段を駆け上がる。
途中で息が切れたセシルを置き、そのまま走ると、突き当りに鍵がかかった扉を見つけた。小さな小窓が開いているだけの木の扉で、蹴飛ばしたら開きそうだ。
「ここか!?」
思いのほかあっさりと開いた扉の先に飛び込んだ時。
俺は、女神を、見つけた。
始めに飛び込んできたのは光に透けた白いシャツと浮かび上がる抜群の肢体だった。女の体を見たことがないとは言わない。だけど、こんな、完璧な作り、見たことがない。豊満な胸ときゅっとくびれたウエスト、まろやかな曲線の尻やすらりとした足。しかもそれが薄いシャツ一枚で隠されている。男の夢の具現だ。
それだけでも神の御業なのに、顔の造作がまた素晴らしく美しい。月の光のような銀色の髪、朝焼けのような紫の目。すっと通った小さな鼻にふっくらとした薄紅色の唇。それぞれが絶妙なバランスで配置されている。
なんだろう、この気持ちは。
女神を見ているだけで胸が苦しくなる。
思わず指を指したまま口をパクパクさせていた俺に、女神は言った。
「探し物があるなら手伝う。どの本だ?」
少し掠れているが、柔らかく耳触りの良いアルトの声。甲高くないのがまたいい。
そういえば女神は悲鳴を上げなかった。俺を見て驚かなかったのだろうか?
そんなことを思っていると、女神は軽く肩を竦めた。
「大丈夫、私は悪魔ではない、多分」
それはわかる。貴女は女神だ。
そう答えようとした瞬間、女神は微笑んだ。
その微笑みはとても儚く、たまらなく美しくて、俺の口から言葉を封じてしまった。開閉を繰り返していた口が自然に止まる。
「見つかりましたか!?」
やっとセシルが追い付いた。
セシルは女神を見るなり走り出し、自分のマントを巻き付けて女神の体を隠してしまった。
「朝日に透けた白いシャツにその体は犯罪です!」
顔が真っ赤だ。あんな顔のセシルは見たことがないな。
冷やかしてやろうと思ったとき、近くで爆発が起こり、パラパラと埃が落ちてきた。
セシルは女神を担ぎ上げ、そのまま塔を下りていく。あの役は俺がやりたかった、途中で代われと合図したが舌を出された。会ったばかりなのにアニキ風吹かせやがる。
「もう大丈夫ですよ。お辛かったでしょう?」
話しかけると、女神は黙ったまま首を振った。
そしてただ、こう言った。
「本を焼くな。あれはとても大事だ」
自分を顧みず、本のことだけを心配する姿に胸を打たれた。
かしこまりましたと答えると、女神は満足したように頷き、おとなしくなった。
俺はこの時誓った。
書庫塔の女神はこの俺が一生をかけて守ると。
読んでいただいてありがとうございます。
王子様1、ロイド視線でお届けしました。
まあいわゆる一目惚れなんですが、思春期なので顔より先に体を見てしまったところがなんとも残念な、というおはなしです。




