「主人公」
物語には必ず矛盾が生じる。
例えば、ガラスの靴が履けた人間は他にいなかったのだろうか。
小人に外に出るなとあれだけ言われたのになぜ外に出て林檎を買って食べたのか。
ドライアーもシャンプーも大変なあの長い髪を切ってしまいたくはならなかったのだろうか。
映画のワンシーン。靴を脱いで屋上の端に立っている少女をたまたま見かけた少年は止め、少女は少年に恋をする。
そんなことあるわけがない。
何故なら今裸足で屋上に立っている私を止めてくれる少年はいないからだ。
現実世界にも物語と同じように「主人公」と「脇役」がいる。
「主人公」は文武両道、容姿端麗、八方美人。男女共に人気が高く周りには必ず人がいる。それに比べて「脇役」は主人公の周りにいつも居て主人公の悪口を言おうものなら目で殺す。その他の人間はただのモブ。出番などあるはずがない。
ではモブ子が死んでしまってはどうだろう?
事故か自殺か他殺か、なぜモブ子は死ななければならなかったのか。たちまち噂になり話の中心になる。人々はその理由を追求しようとする。
大して仲良くもなかったくせに。ただの「モブ」だと思っていたくせに。
私は自分が「主人公」なのだと勘違いをしていた。
その人は担任だった。数学の教師で誰に対しても優しい彼は生徒から慕われていた。そんな彼に密かに想いを抱いている生徒は少なくはなかった。
いつからだろう?私が彼を好きになったのは。
私は数学が苦手で放課後はいつも補修を受けていた。
先生のお陰で私は数学が好きになり、得意になった。
モブの私を構ってくれる唯一の先生。きっと私は浮かれてた。
自然教室で先生は私に「好きだ」と言った。
嬉しかった。人気者の彼がモブの私を好きだと言っている。
「先生が好きです」
その夜、私達は越えてはいけない壁を越えてしまった。
生理が来なくなった。
そのことを言おうとした日から先生は学校に来なくなった。
それでも私は先生を待った。信じたかった。
私は本気で先生が好きだった。
それから3か月経った。
私は屋上にいる。先生のいない間に季節は夏へと変わっていた。
靴下を脱ぎ裸足になった私は屋上の端に立った。
先生は一瞬だけでも私を「主人公」にしてくれた。私が主人公のこのお話に矛盾はない。
踵を返して校舎を向いた私はこの子と一緒に頭から落ちた。