海岸に舞う二つの足跡
――――昔々、鬼ヶ島と言われる伝説の島があった。そこには空想上の生物とされる鬼がいた。鬼は頭部に二本の角を生やし、口から出るほどの大きな八重歯を持っており、その目を見たものはいないと言われていた。そんな鬼であるが、実際には鬼同士の上下関係が厳しく、弱い鬼は強い鬼の奴隷としてその一生を労働に費やすと言った事例が珍しくなかった。そんなある日のこと。
「貴様、年貢が払えないとはどういうことだ!」
ピシッと竹刀が床に打ち付けられる音が響く。その音に小さい鬼は首をすくめる。玉座と言われる椅子には、ボスと名乗る鬼が鋭い目で見下ろしている。
「す、すみません。ら、来週には絶対に納めいたします。なので、ど、どうか見逃してくれませんか?」
懇願する小さい鬼。しかしながら玉座の近くに立つ鬼は鬼のような形相で歩いてきて頭を強靭な力でつかむ。
「てめぇ、これで何回目だ! その首、引きちぎってくれようか! 死ねや!」
叩きつけられ、肺から空気が一気に追い出される。視界が一瞬暗転したと思ったら顔を踏みつけられた。顔の骨が変形して砕けそうになるまで体重をかけられる。痛みに耐えられずに涙を流す。だが、この場において涙は全くの無意味である。
僕は元々ごく普通の鬼として生活していた。しかし、七年前の島の火山の大噴火によって両親が死んでしまった。しかしながら年 貢を納めなければならない。それから僕は年貢を納めるために一生懸命頑張った。しかし、年貢を納めきれず奴隷となりそうなったとしても未だに収入は少ない。
「まぁ、そのへんしてやれ」
ボスの指示により踏みつけていた足が離れる。息を大きく吸いながら呼吸を整える。
「そこの奴隷、貴様には年貢の滞納という大罪がある。今までは見過ごしてきたが、もう待つことはできない。そこでだ、貴様にはこれから島の外、つまりは人間が住む土地から滞納の額に相当する品物の強奪を命じる」
いきなり言われたことに驚きを隠せなかったが、その隣にある鋭い眼光に恐怖を感じ頷く。
それからイカダに乗せられ島の外へ出た。鬼ヶ島に戻ってくるために金品の強奪をしなければならない。鬼が外の世界では生きていけないことは分かっている。人間は鬼の姿を見た途端に、大勢で斬りつけてくる。そうなれば勿論、力の強い鬼でも死んでしまう。だからこそ鬼ヶ島に戻らなくてはならない。そう思いながら鬼は船酔いと戦っていた。
海岸に流れたときには星が満天に輝いていた。赤々と輝くアンタレス、大きな大三角形を構成する星々から、今の季節を夏だったと思い出す。久々の穏やかな時間に落ち着く鬼であったが、自分に課せられた任務を思いだし肩が重くなる。
「よし、人間に馴染めるようにならないと」
気を改めて、鬼は人に化けようとする。狐がよく人に化けると言われているが、あれとよく似ているやり方である。違う点としては狐では尻尾が残ると言われているが、鬼は角が生え残ったままであるといったところである。人に化け、鬼は目を閉じた。流れる波の音、頬に当たる冷たい空気、裸足で感じる砂の感触……ってここで鬼は自分の姿を確認した。服がない、つまりは今の自分が裸だということに気がついた。同時に、真っ白な肌と細い腕を見て、人間であっても自分が弱そうに見えることに落胆した。強奪するのに強く見えないことは、どういうことだ。このままだと人間に威圧をかけられずに失敗に終わってしまう。
「ねぇそこの君、何をしているの」
突然後ろから声がかかった。振り返ると人がいて、瞬間にその顔を朱色に染め、
「ちょ、ちょっと、なんで服を着ていないの! 下見せつけてくるな!」
突然声をかけて、突然大声を上げるのでなんのことか理解できなかったが、時間が経つに連れて今の自分の状況が分かった。そういえば、裸だった。
「もう、変質者だと思った」
あれから逃げる人を追いかけ、多少の嘘を交えた事情を説明すると、その人は納得していたようだった。
「助けてくれてありがとう。家がなくて困っていたんだ」
人間としての僕は、家がないという設定にした。そのほうが安全である。ちなみに、服はその人に着せられた。そして目の前の人だが、警戒されていて話しづらいというところである。この重い空気に耐えられずにいたら、
「自己紹介がまだだったね。私は夢霧。あなたの名前は?」
僕は困った。今まで奴隷として過ごしてきたので、名前というものがなかった。一瞬とも呼べる時間で考えた結果。
「僕は咲夜」
失敗した。なんで、ここで男らしくない名前にしたのだろう。外見といい、僕は男らしく見えるのだろうか。
「咲夜か、ちょっと女の子っぽい名前。でも、嫌いじゃない。素敵な名前」
すると夢霧が顔を近づけてきた。手を伸ばし、僕の角に触れる。夢霧の吐息が近くで感じられサッと紅潮する。顔が近い。夢霧の瞳が大きく見える。とても綺麗で吸い込まれそうになる。
「ちょ、何?」
声を上ずらせながら言う。しかし、夢霧は興味津々らしく、気にせず角に触れてくる。柔らかい手の感触が伝わってきて、頭が真っ白になる。暫く考えるが、適切な答えがない。それを見た夢霧が、
「この角どうしたの?」
手を離し、訝しげに聞いてきた。冷静さを取り戻し、答えを探す。正直なことを言ってはいけないことは、誰にだって分かることである。
「答えられないのなら、それでいいよ。それより、あなたの服装なんだけど、これでいいかな?」
と言って夢霧と同じくらい大きな鏡を出してきた。そこには水色の髪に、灰色の瞳をした咲夜が、自分に合わないほどの大きなパーカーを着ていた。夢霧が女の子なのでスカートといった女の子物しかなく下はなにも穿けなかったが、パーカーで十分に隠れているので問題はない。すると夢霧が入り込んだ。よく見ると彼女は黒色の髪に黄色の目をしており、ワンピースを上手に着こなしている。そしてここは全く理解したくないのだが、咲夜と夢霧の身長がほとんど同じなのである。自分は鬼なのにこれでは強そうに見えない。鬼の自分が小さかったのが原因なのか。
「気に入った? それあげるから、もう裸で外歩いたら駄目だからね。」
嬉しい。夢霧の親切に感激の気持ちがこみ上げてきた。鬼ヶ島にいた時は弱い鬼に優しくする習慣などなかったので、服をプレゼントするなどと到底なかったことである。
「ありがとう」
「いいの。それより、今後咲夜はどうするの?」
それを言われて咲夜は下を向いてしまった。鬼としては、今からこの家にある金品財宝を盗んで一刻も早く鬼ヶ島に戻るほうがいいのだが、親切にしてもらった相手に対してそのようなことはできない。
「なにもないっていうのなら私の家にいたら? 世話してあげる。咲夜君だっけ、あなたのこと気に入ったし」
その言葉を聞くと、自然と涙が出てきた。泣く僕を、夢霧が抱きしめてくれる。その涙は嬉しくて、優しくて、何より温かった。この温かさを大切にしたいと思った。
それから、僕は夢霧のために手伝いをするようになった。
夢霧一人では、できないことがたくさんあり川で洗濯や、野山で竹を切って薪にするなどたくさんすることがあった。大変であったが、助けてくれた夢霧のためならいくらでもできた。そんな中で知ったことだが、この村には不思議な事があるらしい。光る竹や大きな桃などの奇妙なことを噂で聞いた。僕は手伝いをしつつ、夢霧と他の子供二人と不思議なことを探しに行った。確か、子供二人の名前はかぐや、桃太郎と言ったか。
「咲夜、今日もありがとう」
夕飯を済ませ僕がいつものように食器洗いの最中、夢霧が話しかけてくる。今となっては当たり前のようになったが、僕はとても幸せな気持ちになる。感謝の言葉は僕のほうが言うべきだと思う。
「ねぇ、咲夜」
「どうしたの?」
「咲夜にプレゼントがあるんだ」
そう言って渡してきた物を見て、僕は驚いた。
「これ、刀じゃないか。どこで手に入れたの?」
夢霧は照れくさそうに目線を逸らした。
「さ、咲夜のために買ったの。ほら、咲夜剣術上手だったし」
そういえば、前に探検していた時に落ちていた棒で、剣術の型をしたことがあった。鬼ヶ島で、剣の使い方を習っていたのでできただけなのだが……
「受け取って。咲夜には自分の身を守ってほしいから」
「でも、夢霧はどうするの?」
すると、夢霧は頬を赤く染め
「それは……咲夜が守ってくれるよ。私、咲夜に守られたい」
顔を真っ赤に染めながら、破壊力の高い言葉に俺は喉の奥で甘酸っぱい感覚に見舞われた。これすごくドキドキして、苦しい。この不思議な気持ちを夢霧も感じたのか苦しそうに息をしている。
「夢霧、どうしたの? 苦しいの?」
すると夢霧はビクッと肩を上げ、僕から離れていく。なんで、なんで離れて行っちゃうの? 夢霧も僕から離れていっちゃうの? それ、とても辛いよ……
僕は夢霧に近づいていく。しばらく近づいていくと、夢霧は距離を置くことをやめたようだった。
「……咲夜」
優しい口調で呼びかける夢霧、ドキドキから切ない気持ちに変わる。僕を助けてくれた夢霧、僕に優しくしてくれる夢霧、僕にとって夢霧は一体なんだろうか?
瞬間の出来事であった。唇に走る柔らかい感触、そこから伝わる温もり、夢霧の息遣い、全て重なり、繋がり、
「さ、咲夜?」
夢霧が驚きの声を上げる前に僕自身気づいていた。夢霧とのキスにより、人に化けていた術が解けてしまった。つまりは今の僕は本当の姿、鬼の姿になってしまっている。
人間の童話には愛する人のキスで魔法が解けてしまう話があると、夢霧から聞いたことがあった。もしかしたら僕もそれだったのかもしれない。キスで魔法が解けてしまった。
元々鬼としての僕は小さいので、人間としての僕との身長差はなかったと最初に思い、冷静さを取り戻した思考に変わる。人間は鬼の姿を見た途端に、大勢で斬りつけてくる。そうなれば勿論、力の強い鬼でも死んでしまう。鬼ヶ島では、そう言い伝えられてきた。このままだと夢霧は武器をとって僕を殺すだろう。もう夢霧とは二度と会えない。僕は一目散に家の外に出た。
走って、走って海岸に出た。ここで一つ深呼吸をし、目を閉じる。流れる波の音、頬に当たる冷たい空気、裸足で感じる砂の感触……今となっては何も感じない。変わりに抱きしめてくれる夢霧、微笑む夢霧、優しくしてくれる夢霧を思い出す。もう二度と会えないというのに僕はずっと夢霧のことを考えてしまう。
「なんで、なんでずっと夢霧のことを考えてしまうの?」
その答えは見つからず、僕はそのまま仰向けの大の字になって寝てしまった。そういえば、刀を持ってきてしまった。
水平線から登る朝日に起こされた咲夜は再び人に化け、何事も考えずに海岸を歩く。すると海亀が海岸にいた。産卵にしては時期が違うなと思いながら亀に近づいていく。亀も僕に気づいた。
「おはよう」
「おはようございます、突然ですがあなたは人間ですか?」
そう言われて僕は息を呑む。まさか、この亀は僕の正体に気づいているのか?
「そう言う君は誰だい?」
「私はただの亀でございます。時にあなた、非常に悲しそうな表情をしているのですが、何かあったのですか?」
亀の言うことは合っている。俺はずっと夢霧の事を考えていた。夢霧に本当の姿を見られて、もう会えないと思うと、涙が出そうになる。まだ、まだ話したいこともたくさんあったのに。
「もしかすると大切な人と会えなくなって悲しいのですか?」
心の中を見られたようで僕は激しく狼狽する。それから亀は表情を変えずに畳み掛けてくる。
「想いは言わないと伝わらないものです。たとえ違う身分などでもまずは言葉にしないと、何も始まらないのです。あなたはどうですか?」
想い? 伝える? なんのことか僕には全くわからない。亀の真意を汲み取ろうとしたが、その思考は別の声にて遮られた。
「貴様、鬼だな。父上の敵、ここで討ってやる」
声が聞こえたと同時に後ろから斬り上げられた。僕はすばやく避けることができた。その場に持っていた刀を引き抜き、抜刀の姿勢を取る。
「いきなり斬りかかるなんて失礼だぞ!」
「は? 鬼に無礼なんぞあるか。ここで殺す」
左からの袈裟斬り。刀身を横にして受け止めるが、相手の重心を活かした脇腹への蹴りに苦悶の声が出る。続けての燕返しが襲う。刀の動きに無駄がなく、とても速い。刀で再び受け止めるが、二連撃による攻撃で刀が弾け飛ぶ。
「死ね」
そんな微かな声が聞こえた気がする。右からの袈裟斬りで僕は肩から斬られた。痛みはあまりなかった。だが、大量で吹き出る鮮血で視界が覆われ、そのまま倒れる。
「き、君……何者だ?」
「別に、鬼に殺された者の子供だが、俺の親を殺した鬼とは違うようだな。貴様、貧弱すぎる。その頭についている角は飾りだったのか?」
「そっか……」
鬼はそこで意識を失った。ただ一度も想いを伝えられずに……
少年はその後、亀に連れられ海の中に沈んだ。
「咲夜!」
誰か呼ぶ声が聞こえる。
「ねぇ、咲夜ってば!」
僕のことを咲夜と呼ぶのは夢霧ぐらいしかいない……つまりはこの声は夢霧? それとも僕が生み出した幻聴?
「夢霧?」
目を開けると泣き顔の夢霧がいた。なんでそんな顔をするの? 僕は鬼だから君とはもう話せないのに……
「私ね、昨日は驚いたけど咲夜、あなた鬼だったんだね。でも、そんなの関係ない。人間でも鬼でも咲夜は咲夜なの! 私の大切な人なのだから。私、あなたの……」
――――あぁ、今まで僕が夢霧に対しての想いって、これか。
鬼は一つの答えを導き出したが、言葉にできることはなかった。
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