力なき〈騎士〉の日常
「さぁ。何故、この戦いは終わっていないと言われるのか。その意味は、〈騎士〉の血を引くあなた方なら、分かるでしょうが、しかし、お父様からこれだけは聞くようにと命を受けたので、こうして聞いた次第です」
年老いた白髪の男は、自身の前に座る三人の視線を気にしながら質問をした。質問するのは自分の意志ではなく、命じられたので仕方なくと言い訳がましく言う彼は、ハイトペイン家に伝わる教師であった。
教師という立場を使い、強気に三人を教育するようにと、一国の王であり、彼らの父、ホーン・ハイトペインに言われていた。
だが、前任の教育者が、彼らの機嫌を損ねたために、仕事を追い出されたことも説明されていたので、恐縮してしまうのは無理もない。
追い出した原因は『彼ら』ではなく、『彼』なのだろうが。
「あのさ。俺はこれまでに、〈騎士〉の血を受け継ぐものとして、いくつものモンスターを倒したし、〈魔王の能力(デビル・アビリティ)〉を持った人間も捕らえた。その俺に、お前は、今更何を聞いているんだ?」
前任の教育担当を追い出した男は、鋭い視線を教師に向けた。
「あ、えーと……、は、はははは」
「誰が笑えって言ったよ。お前、俺が誰だか分かってるのか? 俺が質問したら、それ以外に答えるな」
「も、勿論分かってます。コウ・ハイトペイン様」
「なら、何故、俺にその質問をした! 馬鹿にしているのか!」
コウ・ハイトペインと呼ばれた男は、自分の机に向かって足を踵から振り上げて落とした。
彼は教育を受ける間、机に脚を乗せて腕を組み、つまらなそうに舌打ちを繰り返していた。その態度は決して良いものではない。
短く刈りあげられた銀色の髪。
見るモノを見下している三白眼。
その表情だけで、彼の素行が良くないのが分かる。
コウに対して正面から注意出来る人間は、この王国内には、ほぼいないだろう。
いるとしたら――、
「困ってるじゃないの。やめてあげなさい」
「でも……。姉さん」
姉であるミナ・ハイトペインくらいか。
コウとは対照的に長く真っ直ぐに伸びた銀色の髪は、彼女の仕草一つ一つで、妖艶に踊るかのようだ。大人びたミステリアスな雰囲気は、何人もの男を魅了していた。
「彼が言っていることは本当でしょうよ。心配性な父が、私達に対して遠まわしに問いかけているのです。自分で聞けばいいのにね。……ふふふっ」
教師を通じて自分たちに質問をしてきた父が可笑しかったのか、唇に手を当てて上品に笑う。
「ねぇ……。カイ。良かったらあなたが答えて上げなさい」
この部屋――三人の教育スペースとして作られた場所。三人だけのためとはいえ、そのスペースは膨大に取られており、一番後ろに座る少年から、教師までの距離は、20メートルほど離れていた。コウとミナは目の前にいるのにだ。
ミナに名を呼ばれた少年は、ゆっくりと腰を上げた。
まだ、少年と呼ぶに相応しい。
中性的な顔に細い体躯。
〈騎士〉と呼ぶにはいささか心もとない。
「僕は……。でも、いいんですか? 姉様。兄様……」
見た目の通りにか細い声で、カイは兄姉の顔を伺った。
だが、小さなカイの声では、離れた距離を超えて言葉を届けることが出来なかったようで、
「あん!? 聞こえねぇよ! もっと大きな声で話せ!」
兄に怒鳴られたしまった。
ボリュームを上げて再度、質問する。
「あの! 僕が答えてもいいんですか!?」
「うるせぇ!」
コウが机に向かって踵を落とした。先ほどの音より大きく響く。コウの怒声も相まって、「すいません」と小さな声で何度も謝った。
彼もまた、〈騎士〉の血筋を引いているのだが、その扱いは一族の中でも酷いものだ。兄であるコウからは、弟として扱われたことがない。
邪魔者として生きてきた。
「こら、やめなさいって……。カイ、別にあなたが答えてもいいわよ。ねぇ。先生」
「あ、は、はい。も、勿論です」
ミナに促された教師の男は、早く答えさせて、この教室から抜け出したいという思惑を隠そうともしなかった。
早く答えて終わらせてくれと、眼を充血させてカイを見ていた。
「えっと……。〈騎士の技能(ブレイブ・スキル)〉と〈魔王の能力(デビル・アビリティ)〉は、今も尚、人から人に受け継がれ、影響を与えているからです」
「ええ。その通りです」
〈騎士〉と〈魔王〉の戦いは地形を変えただけで終わらなかった。
百の特殊能力を手にしていた〈騎士〉と〈魔王〉。彼らは、命が消える瞬間、その力を人々に託したのだ。
〈騎士〉が残した力を〈騎士の技能(ブレイブ・スキル)〉と呼び、〈魔王〉が残した力を〈魔王の能力〉と呼んだ。
人知を超えたその力に、今を生きる人々は振り回されていた。ここにいる〈騎士〉の血を引いた三人も例外ではない。
「かー。よく覚えてるなー。関係ないことなのに。感心しちまうなー!」
カイが答えたことがよほど面白くないのか、ワザと両手を叩いて褒める言葉を吐く。だが、言葉の内容と心の内容は全く、正反対のことを思っているのは、教師にもミナにも、そして、カイ自身にも分かっていた。
そもそも、兄であるコウが、カイを褒めることなど、天と地がひっくり返っても在り得ないことなのだが。
「…………」
「黙ってないで何か言ってみろよ、駄目騎士くん?」
「…………」
「だから、俺が何か言えっつってんだから、いつまでも黙ってんじゃねぇよ!」
バァンと机を蹴りだし、席を立った。
面倒なことが起こる前に、立ち去ろうと教師は荷物を纏めて出て行ってしまった。本来ならば、率先して制さなければならない大人は、我先にと帰ってしまった。
「こーら。やめなってば」
「姉さんは黙ってくれ。これは、俺とこいつの問題だ」
「はぁ……。まあ、いいわ」
一応、止めはしたが、そこまで本気で止めようとは思っていなかったのだろう。教師に続くように立ち上がると、その美しい銀色の髪を翻して、教室を後にした。
これでもう、カイを完全に助けてくれる人間はいなくなった。
「ご、ごめんなさい。兄様……」
「今更、謝ったって、おせーんだよ」
離れた場所に座っていたカイは、自ら怒っている兄の元に近づいた。そうしなければ、コウがまた、怒りのボルテージを高めるのは、これまでの経験から分かっていた。
こうなってしまっては、無傷でここから出るのは不可能だ。
痛みを最小限に納めなければと、カイは頭を回転させる。
「僕みたいな、〈騎士の技能|(ブレイブ・スキル〉を受け継げなかった、駄目で無能な男が、〈騎士〉の生まれ変わり――いえ、〈騎士〉よりも、格好良く気品あふれる兄様に逆らってしまい、申し訳ありませんでした!)
兄がこの世界で一番の男だと言わんばかりに褒めちぎり、自分の詫びる気持ちの深さを表すために、腰を90度よりも深く沈めた。
ここまですれば、精々、髪を掴んで顔を挙げられ、嫌味の一つを言われてお終いの筈だ。
カイはその痛みに備えると、予想通りに自身の前髪を、無造作に掴まれた。
「おい。分かってんなら、次から答えろよ」
「はい。兄様。本当に申し訳ありませんでした」
「けっ。なんでお前みたいな無能を、いつまでもここに置いとくんだろうな。さっさと追い出して、モンスターの餌にでもすればいいのによ」
最後の言葉までも、カイが予想していたものと同じだった。
(単細胞な無能はどっちだよ)
兄の背中に心の中で投げかけるが、どうあがいても勝てない力の差は、自身が一番知っていた。一人残された教室で、カイはその無力さに拳を握りしめるのだった。