Wherever you are
春ですね。
そう言えばやっと、桜が咲き始めました。ここへ来る途中、電車の中から見たんです。あの用水路の歩道橋が見える団地の桜並木。いつもは何気なく通り過ぎるのに、満開になると、すっごく綺麗で。明るい花びらが、きらきら散って。
いつか山手線のドアの窓から、おんなじ風にして見たかも知れない。あなたといたときに。そう思ってしばらく、考えてしまいました。でもたぶん、別の人だったかも知れない。並んで近くを歩いているときも、わたしたちはあまり目を合わさなかったから。いつもそうだったと思います。あなたとの思い出が、もっとちゃんと欲しかった。
元気にしていますか。
ああやっぱり、元気にしてますかになっちゃいますね。でもわたしとは、あなたとは。その言葉を口にするだけで分かる。それくらい、色々あったから、色々考えたのに、色々あった分、一周してシンプルに戻っちゃったんですね。でもこれ、呼びかけみたいなものです。返事を期待して問いかけてるわけじゃない、だから安心して。わたしもこの言葉を口にすれば、そこにいないあなたにもう一回、話しかけられるかも知れない。そう思って書いてみただけだから。もし、これを読んでいたのなら、もうちょっとだけ我慢して、話を聞いて下さい。
ちなみに今いるのは、三軒茶屋のスタジオです。あなたが最初に、わたしの前で自分の演奏を聴かせてくれたスタジオ。リペアしたわたしのエレアコを、弾いてみせてくれたあのブースの中です。これから曲の仮歌を入れます。コンビニのカフェラテ飲みながら、編曲するスタッフさんたちを見てます。レコーディングについては、わたしは、あなたに説明出来るようなことなんて何もないんだけど、一応、とりあえず(一応ととりあえず、本当はどっちが相応しいんだろう)。
文字で語ると、わたしはおしゃべりになりますね。と、言っても無駄なことを話して行ったり来たりしているだけ。わたしの中には、本当はこんなノイズだらけだから、思った通りのことを口に出来ないんだ。そう思うと時々もどかしくって、足が勝手に歩き出してしまいそうになる。
バイオリンが弾けなくなったときも、そうだった。今のは違う、わたしが本当に出したい感情じゃない、問題はただそう、思い過ぎていただけのこと。
「才能とか、成績とか、そんなのは置いといて」
あなたは言った。
「ただ好きなことが一生出来たらそれで幸せなんだと思って、やることがあればいい」
「誰の話?」
わたしが冷たく言うと、
「誰かの話」
あなたはそのときだけ、わたしの目を見なかった。
今思えばあれは、あなた自身の話だったんです。
「なにそれ」
わたしが理解するには時間が掛かりすぎたけど、素敵な言葉でした。
完璧なものなんか、ないんです。どれほど遠回りしたって、求めているものはシンプルなものなんです。初めから、正解だけを捜しても意味がない。大体のことから手探りで掴みとって行くしかない。やることはいつもシンプルなことだけです。
他に数えきれないほど表現がある、好きだ、と言う、言葉と同じ。
今わたしは、あなたがいる場所にたどり着きたい。もう一回、あなたの声を生で聴きたい。あなたに触れたい。行動にしたとしたら、ただ一つの動作です。
笠間のヴィンテージギターの工房に行ってきました。北茨城の山の中。陶芸の小さな工房や、窯焼きのパン屋さんがある通り。あなたの話していた風景でした。
ひげのオーナーさん、とてもいい人ですね。こっそり顔を出したわたしを見て、ちょっとびっくりしたみたいでしたけど、親切にしてくれました。お店にあったマーティンD45あなたがメンテナンスしたそうですね。
「クラシックの世界には、戻らないんだってね」
わたしは小さく頷きました。卒業した春から、本格的に音楽活動を始めること。そしてそれは、ギターを弾くだけじゃなくって、歌まで唄うこと。どれも、あなたに出会えたから決心したことです。
「ボーカルをとってみたら」
あなたの提案は、いつも唐突でした。それに正直、嫌でした。その頃、わたしはステージに立つことを考えるだけで精いっぱいだったし、ギターすらもやっともう一回、人前で弾けるようになったくらいなのに。
「大丈夫だよ、才能あるよ」
わたしは最初、全然、あなたの言葉が信じられなかった。ただシンプルに、やらなきゃいけない、と思って、やっただけだった。
「やらなきゃいけない、と思って出来るのがすでに、すごいんだけどね」
と、あなたはいつもお世辞か本当か、分からないことを言った。
「練習と違って、ステージは一発勝負だ。その中で練習してきたことだってこなさなきゃいけないのに、決められたこと以上のことをやるのは、恐ろしく難しい。バンドのみんなを道連れにする地獄の綱渡りだ。ごく限られた人間にしか許されないし、バンドが共同作業だって知ってる人間なら、決してやっちゃいけない。でも、あえてそれをやっちまうのが本当の才能なんだ」
「ジャズがスケールを多用するのを見ても分かるように、地獄の綱渡りにもルールはある。登頂困難な雪山にも、ルートがあるようにね。例えば、優れたバンドはジャムが出来る。連中は沢山の山岳ルートを共有しているからだ。あくなき個人の反復練習と、バンドのジャム演奏が、この屋台骨を支える。極論を言えば、アドリブは、アドリブじゃない。格闘技で言えば習いこまれた型や演武と同じ。練習しつくした得意技の組み合わせなんだ」
「でも、そんな連中を吹っ飛ばすほどすごいステージをやり続けたやつがいる。たった三枚のオリジナルアルバムとその中のいくつかの楽曲だけね。その存在は永遠に歴史に残ったんだ」
ジミ・ヘンドリックスの再来・生まれ変わり。そんな肩書を背負って登場したギタリストやソロシンガーは星の数ほどいたけど、あなたはわたしにそんな期待を背負わせた。わたしにはまるでぴんと来なかったけど、周囲はどんどん、あなたの言うことを信じた。いつの間にかわたしは、そんな扱いを受けていた。わたしはただ、あなたに言われた通り、そのとき出来ることだけを必死にやってきただけだったのに。あなたがアップした動画に火がついて、話はどんどん大きくなった。
「ジミヘンはギター職人泣かせのギタリストだった」
わたしの白のストラトをちゃら弾きしながら、あなたはよく言った。
「愛器と言えばこのストラトキャスターだけど、何でも弾いた。ギブソンもフライングⅤも。それどころか、ちょくちょく人から借りたギターさえも弾いた。左利きのギターなんてそうざらにないのにね。借りるときは右利き用のギターの弦を逆に張り替えて弾いていたんだ」
天才楽器を選ばず。あなたはそう言ったけど、わたしはジミヘンみたいにはいかなかった。あなたの択んだギターやあなたの作った音でしか、弾きたくなかった。
あなたに怒られるかも知れないけど、ジミヘン、やばいですよね。
白いストラトキャスターに、サイケデリックな衣装。そしてあの大きなアフロヘア。映像に残ったジミヘンを観たとき、あれがあんまりキャラが立ちすぎてて。「わたしには絶対無理!」って言ったけど、あなたはもちろん、あの衣装を真似しろと言ったんじゃなかった。本当に伝えたかったことは違うんだって、今は分かってます。
わたしもいつか、彼のステージでのパフォーマンスそのものに惹かれていっていったから。
奇抜な衣装に包まれた、細長い脚。野生の象のようにおおらかに澄んだ目。あんなに豊かなディープボイスなのに、ときどき神経質そうにひきつる唇と、ピアニストを思わせる細く長い指。どこまでも突っ込んでいく音の波。ファズのノイズで味付けされたブルース。
頭の真後ろにギターを置いて背中で弾いたかと思えば、顔をフレットに押し付けて歯で弾いたり。やってることは滅茶苦茶。でもいつの間にか音楽の中にいる彼に、目が離せなくなっていた。同じギタリストとしてじゃない。シンガーとしてでもない。この人は、ステージの音楽の中に棲んでいるんだ。わたしもこんな風になりたい。こんな風に、音楽に身を任せて、音楽の中に棲んでみたい。
あなたの狙いは、成功したと思います。ギターにしがみついて、ステージでおびえていたわたしは、初めて前向きになれました。歌を唄うこと以外では。
「ジミヘンは自分の声が嫌いだったって、知ってる?」
あなたの言うことが信じられなくて、調べてみたけどやっぱり本当でした。『パープル・ヘイズ』も『フォクシー・レディ』も、ジミヘンのボーカルじゃなきゃだめなのに。『見張り塔の上からずっと』なんて、オリジナルのボブ・ディランよりスリリングで妖しいです。でも彼は、自分の声が嫌いだった。だから最後に組んだバンドは、別の人が歌っているんですね。
「君も自分の声が嫌い?」
唄わないわたしに、あなたはそう尋ねましたね。でも、違います。上手く説明出来なかったけど、わたしは自分の『言葉』が嫌いなんです。
例えば歌で一番使う言葉って、たぶん『好き』ですよね。あなたが好き、そんな歌詞で検索したら、検索エンジンが破裂しちゃうくらいの歌が出てくるでしょう。わたしの好き、はたぶん、あの中に埋もれてしまうんです。
もっと伝えたい、感じたい気持ちがあるのに。自分で書いたことも、他人の歌も。わたしが択び、使う『言葉』は軽い。だったらいっそ、黙っていたかったんです。ジミヘンだって「じゃあ、黙ってなよ」て言ったと思います。会ったことないけど。
そこから先は、もう話しましたよね。いっぱいケンカもしたと思います。わたしの『好き』は一番、伝えたい人に伝わらなかった。あなたがここにいないことを、怒っているんじゃなくて。わたしの反省として。わたしの想いは軽率だったんです。
わたしが、誰にも邪魔される権利なんかない、と思っていた『好き』はあなたの人生を傷つけたんです。わたしの『好き』は軽い。軽い上に、わたしたちを幸せにしなかった。意味のない言葉です。存在してはいけなかった『好き』。それはわたしに音楽の中に棲む意志すらも失わせそうでした。
でも。
あなたが最後に、残していってくれた音源が、わたしを支えてくれました。
「ギタークラフトになったら、プレイの夢は捨てなくちゃならない」
あなたは言ってました。笠間にいた、あなたの師匠からもお話を聞きました。ギター職人は工具で指を吹っ飛ばすことだって、ざらだそうですね。
「君の『言葉』が軽いなら、僕の作る『音楽』だって軽いんだ。でも最後に君に伝えたいことがあるから。だからこの曲を贈ります」
メモを見たとき、身体が震えました。ギタリストとして、コンポーザーとしてあなたの最期の音源です。たった五分三十秒の録音データ。何度も、何度も、聴きました。それはわたしがそこに『棲める』、音楽でした。決して軽くなんてない。あなたが好きな音楽、音楽をプレイすることにこめた気持ち、それが全部こめられていました。
だから今度はわたしが、『言葉』で応える番です。
詞は前の日に、いつものファミレスで一人で書き上げました。あなたに伝えたい言葉を全部書き出して、それを一個ずつ削っていったら、この言葉が残りました。たぶんこれが今のあなたに伝えたい、わたしの精一杯です。
色んなことがありましたね。
でも、わたしの想いは変わりません。ただ、伝え方を間違ってしまっただけ。
ギブソンのメンフィス工場は、いいところだそうですね。あなたが作ったギターをいつか、わたしも弾いてみたいです。お互いに相手に求めたものを持ち寄って、いつか。どこかで。あなたに会えることを、わたしはこれからもずっと想っています。
先生。
あなたが教師で、わたしが生徒じゃなかったら。今頃わたしたちは自由だった。でも、そうでなかったらわたしたちの運命は交わらなかったかも知れません。だからもう、後悔はしないんです。ただ前に進みたい。その気持ちだけをあなたに伝えたいんです。
あなたがどこにいようとも。
それがあなたの音源に、わたしがつけたタイトルです。メンフィスの人だったら、英語でこう言うんでしょうか。
Wherever you are
I love you.
変わらず愛しています。
だからいつかあなたに、この歌が直接、届けられたなら。あなたにまた、会える日が来るなら。わたしはあなたと過ごせる春を、ここで待ちたいと思います。あなたと山手線から桜が見たい。桜の花びら降る並木道を一緒に歩きたい。そんな日を願って。
これから歌います。わたしはずっと、あなたを想っています。
今年初めて桜を見た日 わたしから ただ一人のあなたへ