5メートル先、魔王【超短編】
ほっこりしてもらいたい
遂に僕はここまでやって来た。
数々の強敵を打ち倒し、仲間の裏切りを乗り越え、そして僕は今ここにいる。
手を伸ばして触れるのは、重厚で巨大な扉。そう、この世を恐怖へ陥れた魔王が待つ部屋の扉だ。
「よし、行こう」
僕はその扉をゆっくりと押……そうとして、一度止まった。
考えろ、僕。
相手はあの魔王なんだ。そして、僕は誇り高き勇者。よーく考えたら、勝負とかの前に礼節をわきまえねばいけないだろう。
自分の格好を確認してみる。
服には帰り血がこびりつき、ブーツは泥だらけ。こんな姿で魔王の前に出るには失礼に当たるかもしれない。
「まずは、服の洗濯だな」
僕はその場にしゃがみこみ、魔法でちょっとした桶と洗濯板を製作。
それに水を注いだら、服を脱いで洗い始める。
大体汚れが落ちたら、風の魔法で一気に乾かす。森の賢者に頼み込んで魔法を教えてもらったのは、やはり間違いではなかった。
そしてブーツを綺麗に拭き上げ、髪もカジュアルな感じにセット。最後にシュッシュとラベンダーの香りの香水を自分に振りかければ完璧だ。
「よし、準備は整った」
僕は扉に再び手をかける。
……いや、待て。よく考えたら、絶対勝手に入っちゃいけないよな、これ。
魔王に敬意を示すためには、勝手に入るなんてもってのほか。……そうだ。
コンコン。
「魔王様のお部屋でしょうか」
僕は二度ノックをして、そう声をかける。
そして、しばし待つがなかなか応答がない。もう一度ノックをしようかと考えてい時、かちゃりと小気味の良い音と共に扉の鍵が開いたようだ。
……うむ、やはりノックは正解だったな。
そう確信しながら、僕は扉を開いた。
「失礼します」
「うん、まぁ座って。ごめん、いま緑茶しかないんだけど、それでいいかな」
「……え?」
そこにあったのは、驚くほど小さな部屋だった。
確か、東方の国の建築素材の畳がたった、6枚だけ敷かれた小さな部屋。その部屋の中心の『ちゃぶ台』とか言うテーブルに魔王は突っ伏していた。
え、えっと、こうやって気を使われた時ってなんて言えばいいんだっけ……?
「こんな時はね、お構いなく、って言うんだよ、勇者くん。ま、勝手にお構いするんだけどね」
そう言ってにへらと笑う魔王の表情には邪気など全く感じられない。
とりあえず僕は、そこに座ることにした。
「はい、お茶。結構熱いからね」
「あ、ありがとうございます」
慣れた手つきで『きゅうす』とかいうポットから茶を注ぐと魔王は僕にそれを差し出した。
これは、毒……?
いや、出されたものは何だって頂くのが礼儀というものじゃないのか。
と、いうことで僕はその茶に口をつける。
「美味しい……」
「でしょ! いやぁ、この美味しさがわかるかぁ。勇者くん、なかなかいい舌してるねぇ」
「そんなことないですよ」
「いやいやあるって。というか、勇者くん身だしなみしっかりしてるねぇ」
そう言って、魔王は僕の洋服を手で撫で始めた。
「本当に偉いねぇ。服なんてまだ汚れひとつないじゃん。……ん? すんすん……ラベンダー?」
「こ、これは……!」
「へぇー、香水かぁ。あんまり強い匂いは好きじゃないけど、こういう優しい香りだったら……いいかも」
魔王はちゃぶ台に四つん這いになって乗り、僕の方へ来ると、僕の胸に顔を埋めてすんすんと匂いを嗅ぎだした。
「すんすん……くんくん……うぅーん、いい香り」
「あ、あの……」
「え?あぁ、ごめん。我を忘れちゃってたよ」
体は寄せたまま、下からこちらを見上げ、魔王はウィンクをした。そして、ズルズルと後ろに下がってもといた位置に戻る。
「あ、そうだ。ひとつ言っとかなきゃ」
「なんでしょう?」
「えっと、ノックは3回したほうがいいかな。二回はトイレのノックだし」
「えぇ? そうなんですか?」
「少なくとも、うちの国ではそうだけど」
うちの国って……。
僕はアンデットやゴブリンなんていうモンスターたちがトイレでノックしている風景を想像し、笑ってしまった。
「まぁ、それはいいとして、勇者くん、君は何をしに来たのかな?」
「あ、ちょっと用事があったんですけど、もうういです」
「そっか。じゃあ、また来なよ。今度は茶菓子も用意しておいてあげよう」
「それは嬉しいですね。では」
「またな!」
そうして、僕は踵を返し魔王の部屋を出た。その時僕がなんとも言い難いほっこりとした気持ちだったということは、言わないでおこう。