5 発芽
「なるほど。そう来ましたか」
この言葉に反応したのは俺だけじゃなかった。一瞬よりもう少し長い間、ヒヤッとした緊張感が走った気がした。ピリピリした空気にちょっとだけ怯えてしまう。
「男性の皆様、シャワーお先に使わせて頂きましたー」
女神かと思った。このタイミングの良さは女神でしょ。他の女性陣も「どうもー」と口々に言いながら大ホールに入ってきて、空気は一気に華やかに、とまではいかない。全員ジャージだから。それでも孤独な1日を過ごし、男だけの晩餐会を終えた後だけに思うのだ。
ああ、やっぱり女性はいい。無条件にいい。
感慨に耽りながらシャワーのある屋外への移動を始める。空の弁当箱を入れるためのケースに運んで、女性陣にさようなら。俺はなんとなく右隣の紳士と左隣の青年と3人で行動を共にした。
「さっきのあのセリフ」
ぼーっと並んでシャワーの順番待ちしている時、ポツリと一人言でも言う感じで紳士が言った。
「一話目の感想に入ってました」
なんと!
「僕は三話目の感想にありましたね」
ええー?
「俺も一話目でした。何だこれ?って思いましたよ」
俺も告白。
「僕は、おちょくってるのかと、バカにされてる気がしましたね」
青年がちょっと怒りを込めて言うと、紳士が大きく頷いた。
なんじゃこれーという感情を言葉にしたらそうなるのか。さすが皆小説を書いているだけあって日本語が上手いと感心して頷く俺。おそらく同調しているように見えただろう。
「あの様子だと口癖になってるようですが、文字だけだとそんなこと分かりませんしね。怖いですね。日頃何気なく使ってる言葉も、活字だけだとひどく意味が込められて見える」
青年の言葉に紳士は頷かなかった。
「先程シャワーの件で騒いでいた元女性がいましたよね。彼はあの方のお孫さんのようですよ」
…元女性。紳士は意外と毒舌かもしれない。
しかしあのパワフルな我の持ち主の血縁というだけで、単なる口癖から黒い感想に逆戻りしてしまう。それを口に出すと、
「言葉が通じないものに対して、得体の知れない恐怖を抱いてしまうんですよね」「小動物でも恐れる人はうんぬんかんぬん」「そもそも妖怪とはあーでこーで」と盛り上がり始める二人。そして運命のイタズラ的にまた真ん中にいる俺。右見て「へー」左見て「ふーん」とやってるうちに、人が集まってくる。
いや、お婆さんと孫の話だったよね? 妖怪談に盛り上がる人びとに囲まれて、パワフル婆さんとなるほど少年が頭の中で妖怪に変わってくる俺を許して!
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就寝は開放されたスペースをご利用頂けます。寝袋持参でお越しください。
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預けた荷物から寝袋を返してもらって就寝する。開放スペースは大ホールと中ホールの二ヶ所だ。見てみようと思っていた中ホールへ足を運ぶ。何故か3人で。変な話で盛り上がる人達だが、一緒にいて居心地の悪い人達ではない。
中ホールは女性陣が数名就寝の準備中で、見学できる雰囲気ではなかった。ちゃきちゃきの奥さま風の女性、先程の女神様が仕切っていた。曰く「シャワーを譲って貰ったし、人数的にも合理的」とのことで、大ホールが男性用就寝スペースに決まったと教えられた。
大ホールでは180㎝男からの大歓迎を受ける。早めにシャワーと食事を済ませていたため消灯時間の変更を知らず、スケジュール通りにやって来たら女性たちに注目され、要するに心細かったと嘆き節で訴えられた。まだ食事中の女性たちに聞こえないように、顔を近づけてヒソヒソ声で嘆く180㎝男。ザマアミロ。尚、俺たちより先に来た男たちは状況を把握していて、大ホールの片隅でガッチリ固まっていた。偶然にも全員実用的な、つまりオシャレじゃない眼鏡をかけている。そのためか持ち前のフレンドリーな性格を全否定されそうな軍団に見え、話しかけられなかったそうだ。失礼な奴だと思う。が、俺も晩餐会で話してなかったら同じ印象を受けたかもしれない。
「ところで、何でまだいるの?」
クリアしたから、とっくに帰ったものと思っていた俺の素朴な疑問をぶつけたら、紳士と青年に驚かれた。
「あ、クリアしても参加してるんですよ。感想数の都合ですかね。イベント終了までは同じ条件で感想書かないといけないんですよ」
サラッと答える180㎝男は、やっぱりイケてると思う。両隣で更に驚くお二方。
そうなんですよ。このガタイでこの顔で乙女ゲームに転生しちゃったんですよ、こいつ。いや主人公は女の子だったけどね。
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朝食:大ホールにて午前6時から7時まで
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朝、パワフル婆さんのお元気な声で起こされた。大ホールに響き渡る声でお孫さん起こすのやーめーてー!と心の中で非難した。
朝食はサンドイッチとパックのコーヒー飲料のセットか、お握りとお茶のセットのいずれかを選べたので、お握りを選んだ。全員揃うと椅子が足りず、男性参加者は立ち食いした。とっとと食べて更新しようと思っていたのだが。
おい!ババア!今なんつった?
パワフル婆さんが語っていたのは現代の書店への愚痴だった。大手チェーン店ばかりで個性がない。チェーン店の店長は半年で転勤するから、自分の店に愛情がない。旅先で出会った趣味の良い品揃えをしている書店自慢(なんでお前が?)。そして最後にそういった良い書店が潰れている黒幕が取次だと。
「ふざけんな!」
思わず叫んでいた。大ホールがシンと静まる。一斉に俺に向いた視線が、俺の目線を追ってパワフル婆さんに向けられる。パワフル婆さんが怯んだのは一瞬。すぐに人を見下した目で得意気に語りだす。
「私は出版社の営業を二年間やったから、出版業界のことは詳しいのよ」
俺のじいさんは俺が中学2年の夏まで、地元の小さな駅前で小さな書店を営んでいた。漫画しか読まない俺にグチグチ言ってばかりの気難しいじいさんだったが、雑誌の付録を気前よくくれるから、店番やら棚卸しやらよく手伝った。
ある年の棚卸しは俺の両親が揃って風邪をひいて、じいさんと二人でやる事になった。ちっともはかどらない作業の中で、終わるのかよ、と俺が思い始めた頃に取次のおじさんが応援に来てくれた。
「来てくれると思ってたよ」
じいさんがニヤリと悪い顔で笑うのを俺は初めて見た。取次のおじさんは慣れてるみたいで苦笑してたな。そこからは激しくスピードアップして、いかにこの人がこの店を隅々まで把握しているか、理解出来て感心した。
じいさんが店を閉める決意を固めたのは、近所に大型書店が建ってから一年後の事だった。取次のおじさんが現れるなり、じいさんが見たこともない早い動きでおじさんの両肩に手を置くのを、たまたま居た俺は驚きながら見ていた。
「仕方ないよ。時代の流れだもん」
日頃の厳しい口調とは全然違うやるせない声。取次のおじさんは目を腕で隠して、それでも涙声までは隠せないままに謝った。
「一緒に泣いてくれるだけで充分だよ。一緒に頑張ってくれたもんね。一緒に泣けるのはあんただけだよ」
取次のおじさんは鼻をすすりながら自分の力不足を謝り続け、じいさんは実は泣きもせずにおじさんを励ましていた。
じいさんが数年前に亡くなった時も、取次のおじさんは葬式に来てくれた。
正直なとこ俺には取次の仕事がなんなのか全く分からないままだが、おじさんが月に何度か顔を出して、棚の配置変えとかじいさんと一緒にやっていたのは知っている。俺もよく手伝わされたからな。じいさんの本屋での記憶には、じいさんと取次のおじさんがセットになっている。それは、あの時は分からず、大人になってから理解出来たあの出来事の影響だと思う。じいさんが信じられないほど素早く動いたあの時、取次のおじさんは土下座しようとしていて、じいさんはさせまいと肩に手を置いたのだ。
俺の知っている取次っていうのは、あのおじさんだ。それを黒幕扱いしやがったぞ。このババア。
で?何で俺は両隣さんに腕を掴まれてるの?こんなお年寄り殴ったりしないよ?
「書店に営業に行くとよく店長さんに愚痴を聞かされたわあ。知ってる?本ってね、書店が欲しがって、出版社も入れたがっても取次がうんと言わないと入れられないのよ」
俺をターゲットに決めたくせにパワフル婆さんは、それでも業界に詳しい自慢のためか、全体に響き渡る大声で喋る。
そこへ何故か泣いてた娘さん登場。今日の背中は元気そうで何よりだとおもうが、背中に庇われてるようで複雑な心境だ。
「私は書店に勤めて7年になりますが、取次に品切れ以外で仕入れを断られたことはありませんよ?どちらの版元さんの営業をされてたのですか?パートで働いてらしたという事は実用ムックの版元さんですか?」
実用ムックとは?皆知ってるのか?もしかして常識なのか?俺が視線をさ迷わせると目があった青年が「手芸や料理の本ですよ」と囁き声で教えてくれた。やはり常識のようだ。情けない気分を味わっていると「学生時代にバイトしてたんで」と付け加えてくれた。そんなに顔に出ていたのだろうか。
「でもいつも店長さんに取次がうるさいから入れられないって」
ちょっと勢いをなくすパワフル婆さん
「それ、入れたくない時の決まり文句ですよ」
容赦のない娘さん。どうしちゃったの?
「そもそも取次さんなくしては、どうやっても1日5000冊~15000冊発売される新刊を手配できません。取次である程度客層に合わせて配本するから、それを書店で更に選別するだけですむんですよ?全ての版元さんの新刊を各店舗で指定するなんて不可能です」
「分かってるわよ。でも変なシステムだと思わない?読者が見えないのよ。欲しいと思うお客さんの顔が見えないじゃない。書店じゃなく取次が配本するなんて」
いい募るパワフル婆さん。分かってんの?本当に?論点変わってきてない?
「客層に合わせて配本って言いましたよね?本屋の客層とは読者ですけど?あなた好みの昭和の名作を揃えていない書店は読者が見えていない書店ですか?そもそも私の勤めるチェーン店では店長は短くても2年はいますね。転勤はそんなに頻繁じゃありません。愛着ももちろんありますよ。偏った知識で書店を語るのは不愉快なので止めて下さい」
怒ってたのか。確かに店長が店に愛情を持っていないと言われるのは、書店員にとってはヒドイ侮辱かもしれない。それにしても昭和の名作って、ハハハ。ちょっと肩が震える。まずいことに、こういう事は移るものだ。両隣さんたちの肩も震え始めてしまった。
俺の思い出を汚そうとしたパワフル婆さんは、やり込められた怒りか、はたまた俺たちの肩の震え故か、憎悪の眼差しを俺に向けてから、ふんっとばかりに顔を逸らしてホールから出ていった。ゴミも捨てずに。なるほど少年に集まる視線。
うん。君が捨てるしかないと思うの。
娘さん:都心のタワー書店員で地方書店の実情を知らない
パワフル婆さん:補充要員として雇われたパートさんは、出版業界の仕組みは実は全然分かっていない。
という設定です。全てを鵜呑みにしないで下さい。
「本ってね、書店が欲しがって、出版社も入れたがっても取次がうんと言わないと入れられないのよ」→書店と営業が欲しがっても、出版社で数字を調整することがあります。営業が入れたがっても、出版社が入れたがっていないという事です。返品恐いとか、刷り部数の都合とかで。