4. ひとがたの娘
本編開始よりだいぶ前の、テンちゃんのお父さんとテンちゃんのお話です。
「廃棄、ですか?」
聞きとがめて、確認する。足下の台車にはみっつの大きな箱があった。人がひとり、横になって入れるくらいの、大きな……棺のような、箱。
「そうだ、南條君。この三体は廃棄だ。焼却場まで運んでくれたまえ」
教授の言葉に、絶句する。昨日まで開発していた素体なのに……。
うなだれて、しかし上の決定に異を唱える程、彼は感情的ではなかった。そうだ、なかったはずだ。研究所の廊下、ゴロゴロと台車を押しながら、自分は感情的ではないと、繰り返し呪った。
焼却場の職員に、どの研究室から運んできたものかを伝える。職員は手元の用紙に、彼の言葉をメモし、そして確認した。
「AS・E10、三体、焼却処分で間違いないですね?」
焼却処分。白い肌が、ちりちりと灰になる様が浮かんだ。生まれないままに死ぬのか。焼却場職員の手袋、熱から手を守るための分厚いもの。すすで汚れたそれが、棺に触れるのを、彼は見ていた。見ながら、ことばを発した。
「――待って、下さい。もう一度研究室に確認を」
言いながら、本意は別の所にあった。三体ある、その内、一体くらいならば――。
「そうですか、わかりました。では、そこの内線を使って下さい」
手袋が壁に掛かった端末を示した。
手帳を取り出し、研究室の番号を確認する。内線などあまり使わないので勝手が良く分からない。しかしこういうものは誰にでも使えるように造られているのだ。少なくともそう思って臨めばたいていのものは扱える。
受話器を耳に当てると、呼び出し音が響いた。後はこれがちゃんと自分の研究室につながれば、それでいい。
「……はい」
聞き慣れた教授の声に、安堵する。
「もしもし、南條です。教授――」
「ん、廃棄前の確認かね?」
「それなんですが……あの、E10を……一体引き取っても構いませんでしょうか」
「うん?」
「別の研究室のスタッフには、廃棄になった素体を養子として引き取った方が何人もいると聞いていますが」
「ああ、そういうことか。そうだな、君が引き取りたいというなら、それは構わない。書類も書こう。しかしだな、南條君」
受話器の向こうからため息のような音が聞こえた。
「君も知っているだろう、E10は情緒があまり豊かではないのだよ……元々家庭用ではないし。愛想のない子にしか育たないぞ」
言われて、振り向く。台車の上の、みっつの棺。生まれる前に死んでいく、人の形をしたもの。
「もし養子が欲しいのならほかの研究室から廃棄で出たもっと性能の良い素体を――」
「いえ……教授、私は……アレが欲しいんです」
電話線の先の相手に、視線で示しても通じないことは分かっていたが。この目がとらえた、そしてどうしてかそらすことが出来ない、あの棺桶。
自分が引き取れるのは、多くても一体だろう。E10が必要な栄養量は普通の人間の十分の一と仕様書にはあったから、食費の心配はそれほどでは無いのだろうけれど。……。
様々な心配事が一気に思いついて、彼はあたまがパンクしそうだった。子育てなんて、そんな難しいことは分からない。でもそうだ、誰もがやってきたことなのだから――そうでなければ人類はとっくに滅亡している――、誰にでも出来るようになっているはずだ。少なくとも、そう思って臨まなければ。
「教授、E10の二体を廃棄、一体を私が引き取るということで、よろしいでしょうか」
「……分かった、好きにしなさい」
ゴロゴロと、台車を押していく。最寄りの交差点までは、同僚が車に乗せてくれたが、そこから先は台車で運ばなくてはならない。
家に帰ったらまずはセットアップ……、そして明日は、必要なものを買いそろえて――いや、まずは何が必要なのかを考えなくてはならない。
夕日が赤い。強い光は、焼却場の炎を思わせた。死ぬはずだったもの――現にこれと一緒にあった二体は、炎の中で死んだ。しかし、これは、この一体だけは。生きるのだ……これから、自分と一緒に。
* * *
帰宅して、迎えてくれたテンに今日の様子を聞いた。食事をとった時間、トイレに行った回数、体調の善し悪しと、電話や来客がなかったかどうか……。
「お父さんは、いつもより帰りが遅いね」
そんなことを言う。ネクタイをゆるめる手を止めて、彼女の方へ視線を寄せた。
何でもない顔。基本的にテンはいつも無表情だ。無感情でないことは、仕様書にも明記してあるし、つぶさに観察すればすぐに知れることだ。ただ、感情を表情として出すことがあまりない。
「明日も、明後日も遅くなる?」
小首をかしげて、聞いてくる。その動作は、以前教えたのだ。質問をする時は、語尾を上げて、首をかしげるようにと。テンはすぐにそれを覚えて、いつも忘れずに行う。
「……そうだね、もうしばらくは、遅くなると思う」
ネクタイをネクタイ掛けにかける。納期が近いのだ。進度は順調とは決して言えない。残業はいくらしても足りないくらいだ。
「もうしばらくって、どれくらい?」
テンは先ほどの状態から、更に首をかしげた。どうにも不自然な姿勢だ。彼はテンの方へ手を伸ばして、首を元に戻してやりながら言った。
「どれくらいかは、お父さんにも分からないんだ」
今のままの進行では、納期には間に合いそうにない。そもそも期日の方が無茶なのだ。だとすれば、納期を過ぎても、まだこの忙しさが続くかも知れない。
「そう」
テンはこちらの回答に満足したのか、パタパタと部屋を出て行った。風呂場のドアが開く音がして、閉まる音がした。テンは再び戻ってきて言った。
「お風呂、今なら温かいよ」
「分かった、ありがとう」
わざわざ自分で温度を確かめに行ったのか……、テンの手はぬれているようだった。
風呂から上がると、テンはすでに床についているようだった。眠っているのかと思って、顔をのぞき込んだら、ぱちりと目があった。
「眠くないの?」
聞くと、ううんと首を振る。布団を手で引っ張って、顔を半分隠す。目だけでこちらを見るテンに、彼は動揺した。こんなポーズは初めて見た。テンが何を表現したいのか、よく分からない。
疑問は残ったが、とりあえず、灯りを消して、自分も布団に入った。テンの方を伺うと、別段こちらを見ているというわけでもない。このまま寝てしまってもいいのだろうかと少し気になったが、少しだけだった。布団に入れば睡魔にあらがうのは不可能だとすぐに知れた。
「……うさん、お父さん」
眠りについて、まだそれほど時間は経っていなかっただろう。テンの声に目をさました。布団の中で横っ腹をつんつんとつつかれていた。
「お父さん」
「どうしたんだ、テン。どこか痛いのか? 気持ち悪い?」
テンの方を見る。明かりのない中でも、テンの顔が無表情なのだけはよく分かった。
「痛くない。気持ち悪くない」
「じゃあ、どうしたの?」
「……さむい」
はて、と思う。手を伸ばして、テンの額に触れてみた。熱はないようだが、寒気がするというなら、風邪だろうか……。押し入れには、もう一枚毛布があったはずだ。
「寒いなら、もっと布団を出そうか。他にして欲しいことは?」
立ち上がろうとすると、テンはこちらの腕をつかんだ。
「布団はいらない。身体は寒くない」
分からなくて、テンの顔を見る。やっぱり何か表情があるようには思えないのだが……。
(……身体は?)
ふと思う。引っかかる表現だ。身体は寒くない……身体は。じゃあ、こころが?
「……テン、それは、さみしいって言うんじゃないのかな」
「さみしい?」
「そう。お父さんがなかなか帰ってこなくて、つまらなかった? 悲しかった?」
問うと、テンは考え込むような仕草をみせた。その後、小さくうなずく。
「だったらきっと、それはさみしいってことだと思う」
「……さみしい」
初めて聞くことばを、テンはかみしめるようにつぶやいた。
「テン、さみしい思いをさせてごめんね。もう少しだけ、我慢してね」
あたまをなでてやる。
自分は結局、この子が育っていくために、万全のことなど出来ないのだ。自分が出来ることしか、出来ない。それは当たり前じゃないか。仕事に行く間、この子を家でひとりきりにしてしまうのは、どうしても仕方ないのだ……。
でも引き受けたのだ。この子を育てることを。捨てられて死ぬはずだったこの子を、自分が、自分だけが、引き受けたのだ。
万全のことなど出来なくていい。どんな理想も、どんな最善も、結局は実際にかなわないのだから。今ここでこの子を引き受けて共にいるのは自分なのだから。未熟で、知識もなく、仕事も忙しい自分。だけれどその自分しか、この子の親にはならなかったのだから。
出来ることだけ、やればいいのだ。だから、どうか――。
「テン、赦してね……お父さんのこと赦して」
納品が終わったら、休暇はテンの好きなようにしてやろう。それまでは、もう少しだけ、我慢して欲しい。
どれほどのことを分かったのかは知れないが、それでもテンは深くうなずいた。
I'm your Father.