二:アマネ
最初の数日のうち、シロと名づけられた供物はアマネのもとで暮らしていた。
ミカフツの従者としてすべきことは何か、一通りおそわった。
食事の用意や着物の洗濯、お山の中へ食材をとりにいったり、屋敷をきれいにそうじしたりと、そのほとんどは身分の高い人間に仕える従者とかわらない。
シロはアマネ相手でも決して口をきかなかった。
かといってアマネとシロがまったく意志を通じさせることができなかったといえばそうでもなく。
シロはしゃべらない代わりに、身振り手振りや目でうったえることで自分の気持ちをアマネに伝えた。
実際アマネはシロの意をきちんとくみとっている。わからない時はあれこれ聞いてたしかめた。
アマネやミカフツだけでなく、シロはライやガトーにさえ何も言わなかった。
誰かの意を読みとるのが上手なアマネやガトーは特に不便だとは思っていなかった。そもそも誰かをきづかうどころか考えもしないライは、だんまりのシロを相手にしても変わらない。「なんだこいつ、ひとっこともしゃべらねえでおもしろいな!」と笑うほどであった。
ミカフツはつねに不機嫌顔でシロの一挙一動を見守るだけだった。「何かひとことくらい言え」という怒りをぐっとこらえてはいた。言おうとすると、ガトーの咳払いが背後から響いてきたからだ。
ミカフツに限らず苔男に対してさえ、シロは声を発することがない。七日ほどたってもひと月たっても、それは変わらなかった。
そしてひと月と数日を過ぎたころになると、シロはミカフツの従者としてもうしぶんないていどにはしっかりしてきた。
「いやあ、あの子はよくがんばったよ」
ミカフツの屋敷にいつの間にかおじゃましたアマネは、今までのシロの成長ぶりをしみじみと思い返していた。
「最初はねえ、桶にくんだ水をこぼすし、掃除したとおもったら集めた塵をふっとばすし、器は割るし木の枝に着物ひっかけるし」
「ああ、そうだったな」
ガトーが持ってきた茶葉でシロにいれてもらった苦茶をすすり、ミカフツは相づちをうつ。
「何かへまをするたびにあんたがにらむもんだから、あの子もそのたび泣きそうになってふるえてさ。っていうか、あんたもよく怒らずにいられたね」
「小娘に何かしてもらえるなんて期待は最初からしてない」
「おや、意外と割り切っていたんだね」
「だがまあ、最近はしっかり働くようになって助かってる。……まあ、そこはアマネのおかげだ。感謝する」
「アタシは何もしてないよ。あんたから感謝の言葉をもらうなんて思わなかった。それも悪くはないね」
「……で、シロは何か話したか?」
「何も」
ミカフツはシロに手招きし、「ガトーのところへコレを持って行け。場所はわかるか?」と小さな包みを手わたした。ガトーやライの屋敷には以前から何度もうかがっているため、四方津神の屋敷の場所だけであればシロはわかる。
シロはうなずいて、ミカフツの屋敷をあとにする。
その後ろ姿が消えていくのを見守って、アマネはさっきまでの上機嫌な笑顔をきゅっとひきしめた。
「こっちの言葉がわからないわけじゃないんだろうが、それでもだんまりきめこむには長すぎる」
「しゃべらないんじゃなく、しゃべれないんじゃないかねえ? ちょっと心配になってきたよ、あたし」
「ガトーが診たところ、べつに病をもっているわけではないそうだ」
「病がないならいいよアタシは」
「俺も。だからどうってわけじゃねえけど、まあ気になっただけだ。
ひょっとしたら意地悪して俺だけ口を利かないってことかと思ったのだ」
「おやあ? あんたでも女々しいこと考えるんだねぇ? 意地悪されるようなことしてる自覚がおありってことかい?」
「うるせえ」
ミカフツは苦茶を飲み干した。
「何もないならいい。いいったら良いんだよ」
「へえへえ、わかっておりますよ、ミカフツ様様」
「わかってねえだろが」
「わかってるわかってる」
「嘘つけ!」
きゃっきゃとアマネが笑う。ほどなくして、シロが戻ってきた。
「ああ、おかえり。迷わずいけたか」
ミカフツの何気ない一言に、シロはしっかりうなずいた。
「そうか。少し休んだら飯を用意しろ」
「アタシも手伝うよ、シロ」
そうしてシロとアマネは、厨房へ引っ込んだ。