二十五:わかれ
おどろおどろしい雰囲気を持っていたはずの最奥の祠は、一変して澄み切った空気を生み出している。
元凶である祟り神が、力を抑えるシロを隣に置いているからだろうか。
なぎ倒された木々からは雨の滴がしたたり落ちる。
その木にもたれかかっている大きな影一つ。思わずシロは駆け寄った。
「あっ、こら」
祟り神はそう言うも、本気でシロを止めるていでもなかった。
「ミカフツ様!」
小さな手がミカフツの肩を揺する。
ごくわずかな揺れでも、ミカフツを起こすには足りたらしい。うめき声ひとつもらして、ミカフツの瞼がひらいていく。
「う」
「ミカフツ様……」
シロがほっと胸をなでおろす。
「……しろ?」
「はい! シロです!」
「何でここに……、来るなって、言っただろ」
「申し訳ありません、お言いつけを破ってしまって。
でも、これにはいろいろとわけがあります。それを詳しくお話しすることはできないのですけど……」
「ワケ? いったいなにが……」
シロを抱き寄せようとしたが、シロを祟り神に取られた。
うすぼんやりした頭が覚醒していく。ミカフツは思い出した。自分が祟り神と対峙したことを。そして簡単に敗れたことを。
シロの小さな腕をつかんで引き寄せたその者は、マガツキの体にとりついた祟り神だった。視認するや、ミカフツの表情がとたんにけわしくなる。
「おまえ……!」
「目が覚めたようで何より」
今にも殴りかかりたい衝動にかられるが、ミカフツにはそれがかなわない。何もできない。体が鉛のように重いのだ。
祟り神は腰を下ろしてミカフツと目線を合わせる。
「四方津神ならば、多少あらっぽくしてもへっちゃらだったようだ。すぐに傷がふさがっている。まあ、体を思い通りに動かすのはもう少し時間が要るとみた」
「うっせーな、何でシロをおまえが連れてんだ!」
「あちらの屋敷へ行って、私がシロを連れてきた。もちろんシロの了承は得ている」
「嘘こくな……! シロがオマエなんかに、」
「ミカフツ様、ほんとうですっ。わたしの意志でここにおります!」
「お、おまえ、口裏あわせろって脅されてんじゃ……」
「脅されていません。わたしは、わたしじしん考えてここにおりますもの!」
シロは強く断言する。そもそもシロは嘘をつくのが下手だ。たとえ祟り神に脅されていたとしたら、必ずどこかでぼろをだす。
ミカフツがみた限り、そんな素振りは感じなかった。ということは、苦しいことに事実なんだろう。
「シロは我々祟り神をしずめる一族の子だ。力の制御ができるまで、この子はわたしがもらう」
「あぁ……!?」
食べる前の供物を横取りされたに等しい行為だ。そんなの許されることじゃない。
「ミカフツ様、おさえてください。
わたしが祟り神様のもとへいれば、お山は晴れます。嵐はさっぱりなくなりました。ですから、何の問題もないです」
「おおありだぞ、シロ! おまえは俺の供物だろう!」
「わかっております。ですから、わたしは考えて考えて、祟り神様のもとに行くと決めたんです」
「何言って……」
供物が供物の頭でもって、自分を食う神のもとから去るということだ。供物が逃げることは珍しくない。食われる恐怖に駆られて、惨めに逃げる供物たちをミカフツは何度も目にしてきた。
今回のシロも同じことだ。別段、楽しみにとっておいた菓子がなくなる感覚に過ぎない。残念ではあるが命に関わる痛手ではない。本来ならば。
だが今のミカフツにはそれが耐えられない。シロのいない明日なんて想像できない。明日から気の遠くなる年月を、ひとりっきりで過ごすことになるのか?
「ですので、わたしはミカフツ様のもとを、いちど離れます。
供物として、持ち場を離れてしまってごめんなさい……。
祟り神様をお待たせできませんから、わたしは行きます。ミカフツ様も一度、お屋敷に戻ってお体を休めて、」
シロの手を、ミカフツがつかんだ。力を少し入れればつぶせる。その怪力自慢のミカフツからは、力が抜けていた。
「ミカフツ様」
シロがミカフツの手を握り返す。
力強い微笑が、ミカフツに向けられた。
「わたしのことは心配しないで」
ミカフツの手が、するっと落ちた。




