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一:捧げものはこむすめ

「……おい、何だこれは」

 日差し眩しい晴れ空の昼下がり。

 そのお山をとりまとめている男ーーミカフツは、もともと不機嫌そうな顔をさらにゆがめてそう聞いた。

 ミカフツは人間の成人した男よりやや筋肉質の体躯であり、全身は細いながらもしなやかである。枯茶色の着物を適当に着て、ちょうど横でくつろいでいる黒毛の巨犬を肘かけがわりに右腕をあずけていた。たまに巨犬をなでるとうれしそうにのどをならす。


 ミカフツの前に突き出された、肌を除きすべてが苔色の小男は、困ったようにへらへら笑う。その傍らには、みすぼらしい身なりの小さな娘がちょんと正座している。


「そうはおっしゃいましても、オレは届けものをおとどけに参っただけで」

「とどけものだ? 人間の子供を頼んだおぼえはないぞ」

「いやあ、ですよねー。つい先ほど、お山の入り口に置かれてあったんですよ。それをお届けに……」

 へこへこと苔色男は下手に話す。苔色男の言葉に、ミカフツはおしげもなく舌うちした。

「供物ってヤツか。着物を見るに、麓のあの村のもんだな? ちかごろ子供を捧げる村の者が増えて仕方がないんだが」

「そりゃ、麓ちかくの村は今たいへんですからねえ。最近は日照りが続いて作物が枯れる。かとおもいきや、今度は大雨で住まいが流される。ついでに作物も一緒に流れてく。こうなりゃお山の神々にお静まり願おうとして子供を捧げるって考えが出てきてもおかしくはないですよ」

「勘違いはなはだしい。俺らは人間なんぞ食わん。我らが子を食う親がどこにいるってんだ」

 ミカフツの眉間のしわが増えていく。声に怒気がはらみ、腹の底にひびく。


「旦那はそうでもね、人間も同じように考えるかっていうとそれはまた別のおはなしでしょう」

「うっせえやかましいその口閉じろコケ野郎」

「ひどい! オレは単に届けにきただけであって、オレがこの子を連れてきたわけじゃないですよー!」

「……はぁ。だいたい、村の天災は俺らのしわざじゃない。この辺に近づいた別の神がやったんだろう。祀る相手を間違えてる」

「とは言っても、人間にどの神が祟ったかとか怒りに触れたかとか、そんなん区別のつきようがないでしょう。たまたま、このお山が近くて、嵐がこのお山からやってきたように見えたから、旦那の祠にこの子をおいてったんじゃないですかね」

「てめえの意見はどうでもいい」

「重ねて申し上げますが旦那ひどい」

 苔男の声色にはあきらめがにじんでいる。ミカフツの理不尽さをよく知っているからこそそうしてため息がつけるのだ。


 ミカフツは苔男から目を離し、隣で縮こまっている小娘に視線を移した。


 顔が真っ青なのは体の具合がわるいからではない。目の前にでんと座るこのミカフツにおびえているだけだ。小娘の体が小刻みにふるえているのも同じ理由からだろう。


 ミカフツの目を引いたのは、小娘の髪だ。色が抜けおちたかのように白い。

 青黒く光るミカフツの髪とは全くことなる。ミカフツの髪もそれなりに目をひいてきたが、小娘はそれよりもはるか上かもわからない。


「いいじゃないの、引き取ってやれば」

 鈴のような女の声が、奥から響いてきた。小娘だけは声のした方にふりかえらなかった。

「……アマネ、ひとごとだと思ってんじゃねえぞ」

 アマネと呼ばれた女はにっと笑ってまるで動じない。低くくぐもったミカフツの声も、アマネにとってはなじみ深い声にしかならない。


 薄紅のまっすぐ伸びた髪を適当に結い上げており、やわらかそうな着物からのぞける手足は細い。

「このお山には潤いが少ない。どこもかしこも色気のない男ばっかりじゃないか。少しは女っ気がほしいと思っていたのさ」

「だったらてめえが預かれ」

「あんたへの供物だろう? アタシが受け取るわけにはいかないね」

「だったら俺からオマエに送ってやる。ありがたく受け取れ念願の女だろ」

「丁重にお断りするよ。このお山で女に何か贈るって行動の意味を知らんあんたじゃないだろ?」

「……まあな」

 ミカフツの支配するお山において、女が男に、男が女に贈り物を捧げるという行為は、夫婦の契りを交わすという意味につながる。

 もちろん贈る物にもよるが、供物として自分に捧げられた物を誰かに譲るという行為は、契りととらわれることがほとんどだった。


「ま、冗談はおいておくとしてね。引き取っておやりよ。どうせ食わないんだろ? だったらそばにおいて身の回りの世話でもさせればいいんじゃないのかい。あんた、驚くほどだらしないからねえ」

「大きなお世話だ。食いもんは焼けばだいたい食えるし、着物だってブツを隠せりゃいい。このお山にゃエラい神もいねえんだ。着飾る必要もない」

「まったくだめだねえ。このお山の大将はあんただろ、ミカフツ。少しは身なりをしゃんとしてくれ。

 っていうかあんたの話じゃないよ。この子の話だろ?」

 目をつり上げてアマネは小娘にすりよる。子を案じる母親のように、その手つきはやさしかった。

「必要ないなら供物として食えば?」

「だーから、俺は人を食わねえってんだろ」

「ならこの子が一人でも生きていけるように、あんたが責任もって世話をしな。アタシもてつだうからさ」

 ミカフツは頭をがしがし掻いた。

「……ガトーとライは」

「大歓迎なんじゃないかねえ? 聞いて見る?」

 アマネがにっと笑って後ろに視線をうつす。


 いつの間にやら、そこにはふたりほど客人がたっていた。

 一人はミカフツの従える巨犬をゆうに越える大男。せせこましいミカフツのねぐらに入ることができたのが不思議なほどだ。

 黄土色の毛皮の着物をもこもこにはおったその男の目つきは穏やかだった。

 その隣に陣取る細身の男は楽しそうに顔をゆがめている。にやにやとつりあげた口端からはとがった牙が見えかくれしていた。

 この男もミカフツとは違って高価そうな生地の着物をまとっている。ところどころの刺繍が黄緑色に反射して光っていた。

 大男がガトー、細身の男はライという。ミカフツとアマネと席を並べる、このお山をまとめる大将たち。


 彼らはいつしか、四方津神(よもつかみ)と称されるようになった。


「さて、いかがかね」

 アマネが改めてガトーとライにたずねた。

「いいんじゃないの。ミカフツは身の回りのことがいい加減すぎるから、そのあたりの世話をしてくれる誰かが必要だとつねづね思っていたよ」

 のんびりとした口調でガトーが言う。

「ガトー……、あんた、俺のことをそんな風に見てたのか」

「うん。でも私だけじゃないと思うけどねえ。ミカフツは強いし頼りになるけど、そのぶんだらしないのも事実だよ。おまえがちびっ子のころから見守ってきた私としては、そろそろおまえも大人になるべきかねえと思うのさ」

「ほう俺が子供とな」

「自分の着物も満足に洗えないモンを大人とはいわないでしょ」

 ミカフツは反論できずに言葉につまる。


「ひッひひ! ミカフツがガトーのジジイに言いくるめられてんの!」

「その口引き裂くぞ、ライ」

「おぉこわいこわい! オレもジジイと姐さんに賛成。ガキの扱いに困って慌てふためくてめえとかすっげえ見物! たのしみ!」

「見られねえようにオマエの目を今のうちにつぶしとくか」

「ひーッひひひ! やれるもんならやってみろよ! つぶされる前にミカフツを八つ裂きにしてやる!!」

「ライ、その子が怖がるから、いつもの減らず口はおしまいにしてくれ」

 ガトーがいさめる。へえい、とライは素直に引き下がった。


「聞いての通りだよ、ミカフツ。私らとしては、何も問題はない。

 その子をそばにおいてあげな」

 四方津神の古株であるガトーがとどめをさした。生まれた時からずっと世話になっているガトーに言われてしまうと、さすがのミカフツもこれ以上反抗するのは気がひけた。


 苔男の隣に縮こまっている小娘をもう一度見下ろす。

 ぼろきれに貧相な体を包んでいる以外に何も着ていない。全身汚れていて白髪がそのぶんよけいにきわだつ。


「……しかたねーな」

 ミカフツは黒犬においていた手を離す。

「もらったもんのケジメはつけてやる。

 ただ子供の面倒なんて見たことがないから、どうすりゃいいかわからん。そん時はオマエらの手を借りる。いいか?」

「いいよ。困ったときはいつでも聞きにおいで」

 ガトーの快諾を皮切りに、アマネもライも楽しそうにうなずいた。

「聞いての通りだ。オマエはこれから俺の従者になれ。わかったか」

 小娘は顔を真っ青にしながらそろそろとうなずく。その首肯はひどく弱い。ここにつれてこられてから、小娘は一度もしゃべっていなかった。


「おい、聞いてんのか」

 低い声で小娘に問いつめる。小さな体をさらにちぢこめた。

「なんかしゃべれ。言葉がきけねえのか」

「ちょ……っ、旦那、そんな言ったらよけい声出したくなくなりますって」

「やかましい苔野郎」

「旦那ー? 子供ってのはでかいものに自然とビビるもんですよ。もうちっと優しく、やさしーく……」

「あん?」

「ごめんね、お嬢ちゃん。怖がらせるつもりはなかったんだよ」

 アマネが小娘に寄り添った。小娘の緊張が少しとけた。

「お名前、なんてーの? アタシはアマネ、そこにいるのがミカフツだ。ミカフツがあんたの仕える主人になる。わかるかい?」

 小娘はうなずいた。

「あんたは? お名前を教えてもらえるかい?」

 アマネが聞いても小娘は応えない。アマネだけでなく、ガトーが聞いても苔男が聞いても、ライが半ば脅してみても小娘は一言も声を出さなかった。


 これはまずいな、とガトーはミカフツを伺った。いつまで経っても小娘が何も言わない。このままだんまりを決められては、ミカフツの怒りが頂点に達する。ミカフツは怒りやすい。ちょっとしたことで切れてしまう。

 

「……名前がねえのか」

 お? とガトーは目を見開いた。意外とまだ怒りには届いていなかった。

「小娘、名前はあるか、ないか」

 小娘は首を横に振る。ミカフツはふうっと息をはいた。


「じゃあシロだ。

 オマエに名前をやる。今日からオマエはシロ。わかったか」

「ちょっと、ミカフツ! もう少しまともな名前をつけないか!」

「うるせえ、凝った名前だと逆に呼べなくなるだろうが」

「もう……、お嬢ちゃん、いいかい?」

 小娘はためらいがちにうなずいた。

「決まりだな。じゃあシロ、明日から俺のもとで生活しろ。わからないことがあったらアマネに聞け。ガトーでも構わんが、ライにだけは聞くな。食われる」

「おおーい、いわれなき悪評を立たせないでくれよ。オレは子供を食う趣味はないってぇ、ひひひ」

「女のことは皆目わからん。しばらくはアマネにこのお山のことを教えてもらえ。それでいいな」

「もちろん。じゃあ、今日はシロを預かるよ。ちゃんとした着物を着せてあげないとね。おいで、シロ」

 アマネが手をさしのべた手をとろうとして、シロは一瞬とまった。

 目の前にえらそうに居座るミカフツに向かって、深々と礼をする。

「んあ?」

「はは……、旦那が主人だってわかったんでしょうな」

「まあ……、アマネに従われるよりはいい」

 アマネの手をとるシロは、ミカフツをうかがいながら、ミカフツの屋敷をあとにしていった。


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