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五重奏 ~クインテット~  作者: 村谷 直
第弐幕 流転
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其ノ三

 

 違道の屋敷に入ると大樹は客間へと通された。

 小姓は主人を呼んで参りますと言ってすぐに屋敷の奥へ消えてしまい、今は大樹だけである。

 一人には広すぎる客間をぐるりと見渡しながら、大樹は物思いに(ふけ)っていた。

 違道には二人の子供がいる。考太(こうた)弥生(やよい)という兄妹だ。

 彼らとは年が近く、親同士の仲の良さも手伝って殆ど兄弟のように育った。

 特に兄の考太とは同年の生まれということもあり、大樹にとっては親友とも言える存在だ。

 昔はこの屋敷にもよく通ったものだが、ここ最近はすっかり足が遠のいてしまっていた。二人は元気だろうか?

 ぼうっとそんなことを考えていると、ぱたぱたと控えめな足音が廊下から聞こえてきて意識が引き戻された。

兄様(あにさま)! 志村の兄様!」

 鈴を転がすような愛らしい声と共に客間に飛び込んできたのは、今まさにどうしているだろうかと思っていた違道兄妹の妹、弥生だ。

 弥生は大樹の姿を認めるなり崩れ落ちるようにその腕に縋り付き、袖を強く掴んでは目を潤ませ見上げてきた。

「良かった……志茂村のことを聞いて、心配していたんです。ご無事で本当に良かった……」

 大きく息を吐く弥生の顔はすっかり青ざめていて、相当気遣わしく思っていたようだ。

 不安にさせて申し訳なく思う一方で、大樹にはそんな弥生の気持ちが嬉しかった。

「心配してくれたのか。ありがとうな」

 実の兄と同じように慕ってくれるこの三つ下の少女を、大樹もまた実の妹のように可愛がっていた。

 今にも泣き出しそうな弥生の頭をよしよしと撫でてやると漸く安堵したのか、もう一度だけ小さく息を吐き出すと弥生は少しだけ笑顔を見せた。

「本当に心配したんですよ。兄様だってずっと落ち着かない様子で」

「そういえば考太は? 一緒じゃなかったのか?」

「それが、志村の兄様がいらしたことを知らせようとしたら姿が見えなくて。郷の方に下りてるのかしら」

「そうか」

 後で捜してみるよと大樹が言い掛けたところでどかどかと大きな足音が廊下から聞こえ、二人してそちらに目を向ける。

「大樹! 無事であったか!」

 現れるなり開口一番そう言って喜びを(あら)わにしたのは違道家当主・違道道元(ちがみちどうげん)である。

 道元は病床の身であるとは思えぬ程押し出しの立派な体躯を揺らしどっかと畳に腰を下ろすと大樹を上から下まで()めるようにじっくり見、改めて満足げに笑ってみせた。

 大樹も元気そうな違道氏の様子に逆に安堵の表情を浮かべる。

「ご無沙汰しています。違道の父上もお変わりが無いようで安心しました」

「ふん、このわしが病如きに後れを取ると思うか? 小姓どもは何かにつけてやれ体を(いた)われと申すが、この程度ならばまだまだ、息災だわい」

 道元は呵呵(かか)と笑い、鷹揚(おうよう)に構えて向かいに座す大樹を愉快そうに見返してきた。

 道元の話しぶりに大樹も思わず頬を緩める。

 違道氏は長く臓腑(ぞうふ)(わずら)っているのだが、いつ会ってもこの偉丈夫(いじょうぶ)はそれを感じさせないくらい豪快に笑ってみせるのだ。

 大樹の横に座り直した弥生もその様子を見てふふと笑みを零していた。

「それは何よりです。父も、違道の父上のことは(いた)く案じておりましたから」

「大介か……大樹、志茂村のことは既に聞き及んではおるが、お前の父や村の者達はどうなった?」

 急に神妙な顔つきになった道元に釣られるように大樹の表情にも陰が差す。

 大樹が静かに首を横に振ると、その意図を読み取った道元はそうか、と小さく呟くだけだった。

「今小者に村の周辺を調べさせておる。いずれ皆の行く方も知れよう」

「ご配慮、痛み入ります。ご病床の身に要らぬご心配をお掛けして申し訳ありません」

「そう言うな。志茂村はわしの預かる土地でもあるし、何よりわしと志村の仲だ。遠慮は無用ぞ」

「ありがとうございます」

 大樹は道元の厚意に感謝し、深く(こうべ)を垂れた。

 志村と違道は神器の守り手ということを抜きにしても家同士の繋がりが非常に深い。

 志茂村と富谷郷の距離的な近さも勿論あるのだが、何より大介と道元が幼馴染であり、童の頃には共に山野を駆け回った仲であるということが大きいだろう。

 成長し道元が名主の地位を受け継ぎ、大介が諸国放浪の旅に出てからもその絆は変わらず、こうして子供達が大きくなった今でもそれは続いていた。

「それよりも大樹よ。志茂村で起きたこと、お前の判る範囲で構わん、詳しく聞かせてくれるか」

 道元が本題を切り出す。

 隣にいる弥生のことが気になったが、道元が追い払う様子もなく、また弥生自身も聞くつもりでこちらに注目している。

 大樹は背筋を伸ばして居住まいを正すと、己の知る限りのことを語った。

 邪気の復活、襲撃、父より神器を託されたこと、這這(ほうほう)の体でここまで逃れてきたこと――

 話を進めるうちに道元の顔が苦渋に満ちたものに変わっていくのを見ながら、また弥生の表情に不安の色が広がっていくのを感じながら、大樹は一つ息を吐いて言葉を結んだ。

「――おれが知るのはそれだけです。襲撃者が何者かは判りませんが、八坂に何かがあったのは間違いないかと」

 最後のは三村との会話で導き出された結論だが、間違いではないだろう。

 恐らく道元にしても今回の邪気の復活は寝耳に水のことの筈だ。

 その胸中は如何ばかりかと案じながら大樹が道元の言葉を待っていると、道元は眉間を指で摘み暫し沈思(ちんし)した後、徐に袖口から一通の書状を取り出しては大樹に投げて寄越した。

「これは?」

「八坂からの宣布(せんぷ)だ。今朝方、下人(げにん)が持ってきた」

 道元が顎で読んでみろと促すので、大樹は訝しみながら恐る恐る書状を拾い上げ、広げて目を通しだした。

 そして、その内容に反射的に道元を見る。

 書を握る手が知らず震えだした。

「父上、これは……!」

椿(つばき)の奴め、大それた事を抜かしてきよったわ……!!」

 忌々しげに息巻く道元からは、怒気が立ち昇るようである。

 その様子に思わず身を堅くしたが、大樹はもう一度書状に視線を落とし、震える手を押さえつけながらその内容を確かめるように読み出した。

 

『――各家御大(かくけおんだい)におかれては、移ろいの気配(けわい)(せつ)と感じておられることと存じ上げる。()くて一夜(ひとよ)果敢無(はかな)きを(うら)わば、いざ我が手本(たもと)にて世の(しの)ぶるを共にせまし。是非あらば御一同、(つら)ねては()りて()されたし。御大賢明なる御決断の程、所期(しょき)()ってお待ち申し上げる――八坂家当代・八坂椿』

 

 一見、ただの各家当主へ、移ろいゆく季節を共に愛でようという、宴の誘い状にも思える。

 だがそこに込められた真意は、そのように軽いものでは決して無い。

 書状の主は、各家の当主へ、こう告げているのだ。

 ――時代は移り変わり、人世(ひとよ)はやがて終わりを告げる。行く末を愁う者は我に帰順(きじゅん)せよ、と。

 これは紛れもなく宣戦布告を意味していた。

 八坂の、五大家への反乱だ。

「父上、では、志茂村を襲ったのは……」

 言葉を紡ぐ声が掠れた。信じ難い事実に心が揺れ動いて止まない。

 道元は渋面のまま頷き、大樹の推測を肯定した。

「八坂の仕業で間違いなかろう。彼奴(きゃつ)め、邪気の封印を解き、その力を利用して叛旗(はんき)(ひるがえ)しおったのだ!」

「そんな……!」

 大樹は書状を握り締めたまま絶句した。

 八坂家の裏切り――それは大樹にとって、否他の封印守達にとっても晴天の霹靂(へきれき)と言うべき事実である。

 邪気の封印の守護とは六大家が一丸となって背負うべき使命だ。

 それなのに八坂は使命に背いて邪気の封印を解き、あろうことかその力を持って残る五家に牙を剥いたのだ。

 六大家始まって以来の、前代未聞の事態であった。

「どうして、何故、八坂が? どうして、いきなり裏切るなんて……」

「椿の真意までは分からん。だが、事実として志茂村が襲われ、それを示唆する内容を書で寄越してきおった。恐らく志茂村の件は四家への脅しのつもりなのだろうよ。となれば彼奴の叛意は疑うべくもあるまい」

「そんな……これから一体どうすれば!」

 大樹は弥生がいることも忘れ、思わず腰を浮かせた。

 八坂家は封印の要とも言える一族だ。その彼らが裏切ったとなれば、これ以上の惨事が起こらない筈が無い。

 しかも意図的に志茂村を襲ったということは、つまり彼らは邪気を操る術を持っていることにもなる。並の(わざ)では討ち果たすことの出来ぬ邪気をして、それはあまりに脅威である。

 すると道元が手を挙げ、窘めるように大樹を制止した。

「落ち着け、大樹。恐らくこの書状は他の三家にも渡っている筈。雄樹(ゆうき)家はもとより、時雨(しぐれ)(きょう)の一族も、八坂などの軍門に下るとは思えぬ。ともなれば激突は必至。しかし彼奴らには邪気がついている。あれを討ち果たすのは神器以外では困難だ。故に急ぎ、神器を一箇所(ひとかしょ)に集結させる必要がある」

「神器……」

 大樹は座り直すと右側に置いた『正崇』に視線を落とした。

 神器――邪気を討ち滅ぼすことの出来る唯一の武器。そして、父の安否が判らぬ今、この神刀『正崇』の使い手は己しかいない。

 大樹の視線の意味を汲み取ったか、道元が深く頷いてみせる。

「解かっておるな、大樹。行方の知れぬ大介に代わり、お前が神刀の継承者として戦地に赴かねばならぬ」

「でも、おれは……おれに、父上のようには……」

 (ろく)に剣の修行もしていない自分に、そんな大役が務まるだろうか。

 不安が急速に胸を満たしてゆく。膝の上に置いた拳が無様に震えた。

 隣の弥生が覚束ない様子で大樹と道元の間に視線を彷徨わせている。

 そんな大樹の様子に(ごう)を煮やしたか、道元が大きく息を吸った、その時だ。

「旦那様! 大変でございます!!」

 ばたばたと慌しい足音と共に先程の小姓が駆け込んでくる。血の気の引いた顔は真っ青で、冷や汗をだらだらと流していた。

「何事だ、騒々しい!」

「大変なのでございます! 旦那様のお言い付け通り『曹恃(そうじ)』をお持ちしようとしましたらば、蔵から『曹恃』が無くなっていたのでございます!!」

 小姓の言葉に、大樹だけでなく道元も腰を浮かせた。

「な……なんだと!!? あそこには厳重に鍵を掛けていた筈だぞ!!」

「いかさま! し、しかしながら、その……」

「なんだ! はっきり言え!!」

「ど、どうやら若様が持ち出されたようなのです! 外回りの者が大物(おおもの)を抱えて郷の外へ走っていく若様を見かけたとのことで、恐らくは……」

 大樹はびくりと肩を震わせた。

 横目でちらりと覗き見た道元の顔が、火を噴出さんばかりの憤怒を浮かべていたからだ。

 その姿や、仁王像も()くやと言った所である。

 こうなった道元は怖い。非常に怖い。

 如何に病痾(びょうあ)にあろうと、道元の怒りの凄まじさが衰えることは一切無い。それは大樹自身、嫌という程よく知っていた。

 弥生など手で顔を覆って俯いてしまっている。

 最も弥生の場合道元を怖れているのではなく、呆れと情けなさで居た堪れなくなっているのであろうが。

 残念なことに道元が息子に雷を落とすのは殆ど日常茶飯事のようなものである。屋敷に通っていた頃はよくそのとばっちりを食わされたものだ。

 しかし毎度のこととは言え、今回ばかりはあまりに間が悪かった。

 大樹はなるべく道元を刺激しないよう、恐る恐る声を掛けた。

「あの、父上……」

「大樹ぃ!!!」

「はいぃっ!!!」

「今すぐあの馬鹿息子を追え!! 首根っこをひっ捕まえて来い!!!」

 ぎらぎらした鋭い眼光に射抜かれ、大樹は思わず身を縮こませた。

 地を揺るがすような怒声も怖いが、睨み付けてくるその眼もまた恐ろしい。血まで凍りつきそうだ。

「いや、あの、でも、考太がどこに向かったか……」

「あの馬鹿のことだ! 大方(おおかた)志茂村の仇を取ろうと馬鹿正直に八坂の元へ向かったのであろう! この書状を受け取った奴が目を通しておらん筈はないからな! あの馬鹿め! 単騎で向かったところで潰されるのが落ちだと解からんのか、馬鹿めが!!!」

 さすがに馬鹿馬鹿言い過ぎではないだろうかと思ったが、それを指摘するだけの度胸は大樹には無い。

「良いか大樹! こうなっては仕方ない、今は一刻を争う時だ。あの馬鹿を捕まえたらそのまま市川(いちかわ)へと向かえ! 神器が散り散りになっておるままでは彼奴らの思う壺。神器は五つ揃わねば意味を成さんのだ。それは三家の者達も承知している筈。恐らく既に陣を組む手筈を整えているだろう。まず先に田賀谷(たがや)殿の元へ神器を持ってゆくのだ。あの馬鹿とて違道の総領、いずれは神器を継承する身なのだ。それが早まったと思って、お前達二人は神器の継承者として田賀谷殿、ひいては雄樹殿に従うのだ! 良いな!!」

 異論は認めんと言わんばかりの道元の勢いに、大樹はたじたじである。当然、否を唱えられる筈も無い。

 しかし躊躇う気持ちがまだ生きていたのか、恭順(きょうじゅん)の言葉もまた口から出ようとせず、(せめ)ぎ合いを始める心を前に大樹はどうすることも出来なくなってしまった。

 するとその間隙(かんげき)を突くように弥生がばっと顔を上げた。

「お父様! 弥生も志村の兄様に付いて参ります!」

「ええっ!? ちょっと、弥生!?」

 出し抜けの弥生の決意に度肝を抜かされる大樹である。

 しかし弥生の表情は真剣そのものだ。

「待て弥生、危険な旅になるかもしれないんだぞ!? 女のお前を連れて行ける訳がないだろう!」

「危険は承知の上です! でも、このまま兄様達の安否を案じて待つくらいならお側にいた方が遥かにましです! 志茂村の変事を聞いた時は本当に生きた心地がしませんでした……それに比べれば、旅の危険の方が弥生はずっとよいです!」

「いや、そうは言っても……」

「よし、分かった! 弥生も大樹と共に行け!」

「ってえええええ!!!! ち、父上!!?」

 思わず立ち上がって道元を凝視する。

 何の冗談かと思って見れば、当の道元の顔は真剣そのものである。――怒気の余韻で頬が紅潮(こうちょう)したままだが。

 道元はふんと強く息を吐いて腕を組むと険しい表情で大樹と弥生を見た。

「弥生! お前も女の身とて違道の娘なれば戦を怖れていてはならん! 常に気転を持ち、兄二人をよく助けるのだぞ!」

「はい! お父様、ありがとうございます!」

「まっ待ってください父上! いくらなんでもそれは……」

「異論は認めん! いいから貴様はさっさとあの馬鹿を追い掛けんか!!!」

「はいぃぃっ!!!!!」

 こうして流されるまま、大樹は神器の継承者として、弥生と共に旅立つことになったのであった。

 

 

 

下人…使いの者。

御大…御大将の意。一家の主の親しみを込めた呼び方。

所期…期待の意。

帰順…服従すること。

病痾…長い間治らない病のこと。

 

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