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月の花  作者: 雨咲はな
本編
9/34

act9.先着順、一名様限り



「──あれ、鏡花と拓海君?」

 声をかけると、前を歩いていた二人連れの男女が、同時に振り向いた。

「あっれ~、和葉さんじゃん。偶然だね、こんなところで」

 先に能天気な声で応えたのは、友人の方ではなく、その一つ年下の彼氏の方だ。

 こんなところ、といったって、ここは大勢の若者が闊歩する繁華街中心部の往来である。知った顔に出会うのは、確かに偶然だが、それほど珍しいことでもない。

「なによ、あんたたち、デート? やーね、こんな休日までベタベタして」

「休日だから、ベタベタとデートするんでしょ。学校ではなかなか一緒にいられないんだからさ」

 和葉の揶揄に拓海は反論したが、この二人はけっこう学校でもベタベタしているという評判だ。おもに一方的に拓海の方が。

 休日なので当然のことながら、顔を合わせた全員が私服を着ている。拓海はちょっと凝ったチェーン装飾の入ったTシャツと、あとはジーンズ、スニーカーという、まあ普通のいでたちである。にも関わらず、周囲を通り過ぎる女の子たちの視線を、間違いなく一身に惹きつけていた。和葉自身は、この少年の容姿にはまったく興味がないので、話している自分にまで向かってくる不躾な視線は、ただ不愉快にしか感じない。

「というわけで鏡花、拓海君はほっといて、あたしと一緒に買い物に行こうか。鬱陶しいでしょ、こんな環境」

 拓海の隣を歩いていて、ずっと他人の妬みとやっかみの目を受け続けていたのであろう友人を、このまま放置するにしのびず、ぐいとその手を引っ張ると、拓海が慌てて間に入った。

「ちょっと、何が『というわけで』なの。俺のキョーカちゃんに勝手に触らないでくれる?」


「……俺のキョーカちゃん?」


 と、突然割って入った少し高めの声は、和葉のものでもなければ鏡花のものでもない。拓海はきょとんとした顔で、その声の主を見るために、視線を下に向けた。

 最初からずっとそこにいた存在に、拓海がその時はじめて気がついたのは、その人物が、普通の状態では目に入らなかったからなのだろう。要するに、背が低すぎて、視界に入らなかったのだ。

「え、誰? っていうか、ちょっとお前、何してんの」

 後半でいきなり口調が咎めるようなものになったのは、その男の子が、和葉と拓海の間で取り合いになっていた鏡花の手とは反対の手を、既にちゃっかり握っていたからである。


 彼は拓海を無視して、鏡花ににっこりと愛想のいい笑顔を向けた。


「久しぶりだね、鏡花ちゃん。そのスカート、とってもよく似合ってる。綺麗な足が引き立ってて、可愛いよ」

「なっ……」

 その台詞に、二の句の継げなくなった拓海が固まってしまう。これは見物だわ、と和葉は完璧に無責任に面白がって、成り行きを眺めることにした。

 淡い色合いの、さらりとした生地で出来ているスカートを褒められた鏡花は、こころもち上半身を傾けると、男の子に向かって丁寧に礼を言った。


「ありがとう、実梨君。久しぶりだね、元気だった?」

「うん。またうちに遊びにきてよ、鏡花ちゃん。オレ、ずっと会いたくて、待ってるんだからさ」


 会話だけ聞いていると、まるで鏡花を口説いているかのようである。というか、本人はどうやら口説いている気満々らしいのが、その幼い顔立ちからも見て取れて、拓海の額になんだか不穏な筋がぴしりと入った。

「みのり?」

「あたしの弟。小学四年生」

 きつい口調で名前を繰り返す拓海に、和葉がしょうがなく必要最小限の説明をした。

「弟?……にしちゃ、随分、年が離れてるね」

「まあ、両親がウッカリミスでこさえちゃった子供ってやつ?」

「和葉さん、それ本人の前で問題発言だから。いや、それより、なんでこいつ、こんなにキョーカちゃんに馴れ馴れしいわけ」

 と、苦情を言ってるそばから、実梨は鏡花の耳の近くに両手を立てながら顔を寄せて、内緒話のようにひそひそと喋っては、くすくすと楽しそうに笑っている。漫画でよく見る「怒りマーク」が、拓海の頭にぷつぷつと幾つも現われるのを、和葉は見た(ような気がした)。

「お前、ちょっとくっつきすぎだよ、人の彼女に」

 非常に大人げないことを言いながら、拓海が実力行使で実梨の小さな身体を鏡花から引き剥がす。無論、手加減はしているのだろうが、こういうところ、姉にものすごくよく似た実梨は、わざわざ鏡花の方を向き、大げさに顔を顰めて見せた。

「いったー……。鏡花ちゃん、なんか乱暴だね、この人」

「わざとらしいこと言うな。つーか、鏡花ちゃんって呼ぶな、図々しい」

「拓海……」

 少し眉をしかめ、名を呼ぶ鏡花のその声は、恋人に対して完全に窘める口調になっている。


 その一瞬、実梨の瞳に勝ち誇るような色が素早く掠めたのを、鏡花以外の人間、つまり拓海と和葉ははっきりと見た。


 我が弟ながら狡猾な子だわ、と和葉は感心したが、拓海のほうはますます頭に血が昇ったらしかった。無理もない。

「何なのこいつ、このクソ可愛くない腹黒で生意気なガキ」

「拓海君拓海君、一応あたしの弟だから」

「拓海、小さな子に向かって、そういう言葉は使ったら駄目だよ」

「そうだよね、子供に乱暴な人間て、人間性を疑っちゃうよね。鏡花ちゃん、こんな奴とはさっさと別れたら?」

「……お~ま~え~は~……」

 尻馬に乗ってしゃらっと言った実梨の言葉に、拓海の中の、もとからそんなに多くはない忍耐力は、とうとう底を尽きたようだ。

 拓海は両手を動かすと、唐突にがしっと左手で実梨の下顎を固定し、拳にした右手を頭のてっぺんに押し当てた。

 え、という顔をした実梨に構わず、そのまま力一杯ぐりぐりと回す。ハタから見ると、年の離れた兄弟がじゃれ合っているような、なんとなく微笑ましい光景だが、今度のはかなり本気で痛かったらしく、「いででででで!」と、実梨は悲鳴を上げた。


 解放された頭を、すかさず自分の両手の掌で保護し、顔を上げた実梨は、先ほどまで装っていた可愛い無邪気さを振り払い、打って変わった形相で、ぎっと拓海を睨み付けた。


「何すんだよ、ほんっとにお前、オトナゲない奴だな! お前みたいな奴に、オレの鏡花ちゃんを預けられるもんか!」

 実梨は、猫を被るのを、もうすっかり放棄したらしい。

「……オレの鏡花ちゃん、だあ~?」

 拓海は拓海で、一番引っ掛かったのはその部分だったらしい。

 二人はしばらく険悪な雰囲気のまま睨み合っていたが、先に口火を切って怒鳴ったのは、かろうじて実年齢が下の実梨のほうだ。


「オレはな、鏡花ちゃんが去年、和葉に連れられてうちに遊びに来た時から、ずっと好きだったんだ! お前、付き合いだしたのは今年の春からなんだろ! 先に目をつけたオレのほうに優先権がある!」

「何言ってんだ! そんなことを言うなら俺なんて、キョーカちゃんとは幼稚園の時からの付き合いだっつーの! お前みたいなガキの入る余地は針の先ほどもあ・り・ま・せ・ん!」

「大体てめえのやり方は汚いんだよ! 土下座して頼み込むなんて、鏡花ちゃんの人のいいところにつけこんで! それで付き合ってもらえるならオレだってやってたのに! この卑怯者!」

「汚いもへったくれもあるか! 先にやったもん勝ちだ! 言っとくけど、二番煎じなんてしたって無駄だからな! ざまみろバーカ!」


 バカはお前だ、と突っ込んでいいものか、和葉としては非常に悩むところである。

 とても高校生と小学生が交わすものとは思えない低次元な罵り合いに、鏡花はどうやらかなり困惑しているようだった。なにしろものすごい勢いに、口を挟む隙がまったくないので、その場に突っ立って見ているしかないのだ。しかしどうでもいいが、この賑やかな衆人環視の中、目立って目立ってしょうがない。

「鏡花ちゃん!!」

 と、いきなり実梨がぐるんと顔を回して、その鏡花を振り向いた。

 幼いなりに、真剣さは伝わってくる表情だった。実梨はなかなか将来有望な、凛とした顔立ちをしているので、こういう真面目な顔をすると、子供とはいえ迫力がある。 


 その顔を見て、あらら、この子はこの子なりに、ちゃんと鏡花のことが好きだったのね……と、今まで全然本気にしていなかった和葉は、姉として、自分の態度をちょっとだけ反省した。


「鏡花ちゃん、こんな奴、やめといたほうがいいよ! 顔ばっかりよくて、中身がなさすぎ! こんなの、すぐに鏡花ちゃんに飽きて、他の女に乗り換えるに決まってる!」

「…………」

 それが小学四年生の言う台詞か、という問題はさておき、また怒鳴りつけようとした拓海を押しとどめ、鏡花はゆっくり膝を曲げて、頑なに眉を吊り上げた実梨と真正面から目を合わせた。

「……うん、それは、あるかもしれないけど」

 その淡々とした返事に、はあ?! と拓海は仰天して大声を上げた。

「ちょ、キョーカちゃん、そこは『拓海に限ってそんなこと絶対にない』とか、そういう否定があるべきなんじゃないの?!」

 焦って言い立てる声を、鏡花はそのままスルーすることに決めたらしい。静かな声で続けた。

「でも、今の拓海は、こんな私のことを好きだって言ってくれていて、私はそれが嬉しいことだな、って思ってるんだよ」

「…………」


 実梨は、ほんの束の間、泣きそうな顔をした。


「……鏡花ちゃん、こいつに強引に言われて、しょうがなく付き合ってるんだよね?」

「しょうがなく、で、誰かと付き合ったりは、しないと思う」

「……好き、なの?」

「うん」

「…………」

「…………」

 消え入りそうな小声に鏡花が頷くと、沈黙は二つ分、返ってきた。ひとつは悄然とうな垂れた実梨のもので、ひとつは、はっきりと顔を赤く染めた拓海のものだ。

 あらら、と和葉はまた思う。


 ──案外、純情だったりもするのねえ。


 その感想は、自分の弟と、友人の彼氏の二人に向けたものだったが、しかし和葉といえど、まだ子供の弟への愛情はちゃんとあるので、不憫さの方が上回り、ぽんぽんと小さな肩を叩いて慰めることにした。

「まあまあ。あんたの言うとおり、拓海君なんて、いつ他の女の子に目を移すかわかりゃしないんだから。その時は真っ先に教えてあげるから、そうしたら再チャレンジしてごらん。女の子を口説くには、そういう時が最高の狙い目なのよ」

「和葉さんまで、何言うのさ。俺みたいな一途な男を捕まえて」

「…………」

 拓海の不満そうな声に紛れて、実梨がちいさな溜め息をつくのが聞こえた。


 まだ子供なりに、彼はその感情の諸々を、複雑そうな息に代えて、なんとか外に吐き出すことにしたようだった。


 偉い偉い、と和葉は笑みを浮かべ、内心で弟を褒めた。

「よし、じゃあ仲良くなったところで、皆でお茶でも飲みに行こうか」

 元気に提案をすると、ええ~……というむくれた声が見事にハモった。

「全然仲良くなんかなってない。鏡花ちゃんはともかく、こいつとも、一緒に?」

「今日はせっかくのデートなのに、なんでこうも邪魔されなきゃなんないの?」

「うっさい。ほら、さっさと雰囲気のいいカフェでも見つけておいで。鏡花の隣を歩くこの場所は、とりあえず今は、あたしがもらうことにするから」

 二人の男を手で追い払うような仕草をしてから、抜かりなく鏡花の腕を取って絡める。二人はそれを見て、同時にかちんとしたらしかった。実はけっこう、気が合うのかもしれない。

「オレの鏡花ちゃんに……」

「俺の、キョーカちゃんね。ちぇっ、まあいいや、行こうぜ実梨。俺もホントのとこ、喉が渇いた」

「あっ、じゃあ、お茶飲む時は、オレが鏡花ちゃんの隣な!」

「何言ってんだ、キョーカちゃんの隣に座るのはいつだって俺って決まってんの」

「お前ってほんっと、子供だな! じゃあ、早いもん勝ち!」

 叫ぶやいなや、実梨が駆け出す。あっ、お前、ずるいぞ! と言いながら、拓海もその後を追って走って行った。


「精神年齢が同じだわね……」

 小さくなっていく二つの背中を見送りながら、呆れたようにそう呟いて、和葉は組んでいる友人の腕を突っついた。


「大体、鏡花にも責任があんのよ」

「え、私?」

 突然言われ、鏡花はぱちぱちと目を瞬いた。

「ほら、去年、あたしんちに遊びに来た時、実梨の相手をしながら、あんた、笑ったでしょう。楽しそうに」

 見せたのは一瞬だったが、その笑顔に、弟はコロリと参ってしまったのだ。

「普段無表情な分、ごく稀に笑ったりすると、威力絶大なんだからね。そこんとこ、自覚しなさい。ていうか、鏡花って、そんなに子供が好きだったっけ?」

「……うーん」

 和葉の疑問に、首を傾けた鏡花は曖昧に言葉を濁した。

「……あのね」

 ぽつりと言いかけ、一旦口を噤む。

「んん?」

 身を乗り出すようにして問い詰めると、鏡花は迷うような顔をしてから、再度、口を開いた。

「……あのね、実梨君って、なんだか、似てるんだよね」


 昔の、拓海に──と、続けて呟くその顔は、気のせいか、ほんのりと朱色に染まっているような。


「…………」

 なるほど。

 滅多に見られない友人のそんな顔を見ながら、何が「なるほど」なのかは自分でもよく判らないものの、和葉はやたらと感慨深く、なるほどねえ……と、心の中で何度も唸るようにして、頷いた。





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