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月の花  作者: 雨咲はな
番外編
31/34

extra1.デート指南



 ──やめたほうがいいんじゃないかなあ、と陽介は思っていたのだ。



「なあ拓海! 女の子が喜ぶデートって、どんなんだと思う?!」

 悲愴な顔つきをした宙人に、突然そう泣きつかれた時、「デート?」と問い返した拓海は、ただ、きょとんとしていた。

 けっこう付き合いの長い陽介が思うに、拓海という男は、自分の彼女に対しては必要以上に暑苦しいやつであるが、それ以外の人間に対してはかなりクールである。

 だからその時も、少し目を丸くはしていたものの、宙人に向ける拓海の可愛い顔には特に、心配とか同情とか優しさとかは、まったく浮かんでいなかった。

 友情がない、とまでは言わないが、拓海の中ではおそらく、それは大分優先順位が低いものなのだ。もちろん、ぶっちぎって一番上にあるのが「鏡花」なのは言うまでもないとして。

 宙人だって、それは判っているのだろうに、それでもその男にこうやって相談を持ちかけずにいられなかったのは、よほど切羽詰っているということなのだろう。拓海がその手のことに経験豊富なのはよく知っていることだし。

 それは判る。理解も出来る。

 しかし。


 ……やめたほうがいいんじゃないかなあ、と、この時点で陽介は思った。


 かといって、それを宙人に忠告するのも憚られて、陽介は口を噤んだまま成り行きを見守るしかない。

 なんでかって、じゃあ陽介が考えてくれよ、なんて矛先をこちらに変えられては困るからだ。冷静に事態を分析することは出来ても、陽介は宙人と同様、圧倒的に実体験が不足している。


「なに、チュー太君、デートすんの?」


 教室の自分の椅子に長い足を組んで座ったまま訊ねる拓海の声には、幾ばくかの好奇心くらいはあるものの、身を乗り出して根掘り葉掘り聞き出そうとするような強い興味までは見えなかった。自分たちの年代で、こういう話が出てくるとありがちな、嫉妬交じりの揶揄や下品な絡み方もしない。

 それは別に、拓海の品性が優れているというわけでは全然なく、今更、そんなことを囃し立てたり妬んだりする必要がないからなのだろう。つまりモテ男の余裕というやつだ。そう思うと陽介なんかは無性にムカつくのだが、現在の宙人には、その態度が非常に頼もしく見えたらしかった。


「うん、そうなんだ」


 ほっとしたような顔をして、途端にもじもじとしはじめる。

 高校二年生ともなると、もうすでに女の子との付き合いを何度か経験して、ある程度進んでしまっている拓海のような男もいるが、宙人のようにウブで純情な男だって、まだまだ世の中には数多く存在しているのである。

「なんかさあ、今日、クラスの女の子と話をしててさ。いや、最初は、なんでもない会話だったんだぜ? でも、どういう経緯だったのか俺もよく覚えてないんだけど、たまたま今やってる映画の話になって、観たいなーってその子が言うから、何気なしに、『じゃあ一緒に行こうか』って言ったら、そうだね、なんてあっさり頷かれちゃってさ!」

 経過を一気にまくし立てて報告する宙人は、興奮して声が上擦っている。陽介は友人の上首尾を悔しく思う以前に、おいおい大丈夫か、と心配になってしまった。

「そうなんだ、よかったね」

 拓海は、にこ、と笑ってそう言った。

 女の子ならこの笑顔にコロリと参るのだろうが、陽介はもちろん見抜いている。


 こいつ絶対、「どうでもいい」とか考えてやがる。もうちょっと親身になって聞いてやれよ。


 しかし、すっかり頭が別の方向に飛んでいる宙人は、拓海の関心の薄さを、自分への思い遣りと完全に取り違えたようだった。いっそう縋るような目になって、切々と訴えはじめる。気の毒だ。

「それでさ、その時は特に何とも思わなかったのに、時間が経てば経つほど、緊張してきちゃってさ。よく考えたら、俺、一対一で女の子とデートしたことないし、なんか下手なことして、つまんないとか思われたらどうしよう? なあっ、拓海、どういうデートコースを選べば、女の子って喜ぶんだろ?! 教えてくれ!」

 もうここまでくると、恥も外聞も、ついでにプライドもない。放っておくと土下座をしてまで教えを請うような必死さである。ますます気の毒だ。

「どういうってさあ……」

 掴みかからんばかりのその勢いに、さすがに拓海は少し戸惑ったように曖昧に言った。


「映画を観に行くんでしょ? だったら、そうやることもないじゃん。映画観て、お茶飲んで、お喋りしてるうち、もう暗くなってるくらいじゃん。俺は、せっかくキョーカちゃんと一緒にいるっていうのに、顔も見られないし話も出来ないから、映画って好きじゃないんだけど」


 そんなお前が特殊なんだということを、いい加減そろそろ自覚して欲しい、と陽介は内心で思った。

「暗くなっちゃったら、あとはやることって限られてるし」

 ものすごく何でもないことのようにそう続けられて、宙人は仰天して顔を赤くした。

「ば、ばか! いくらなんでも、初デートでそこまでいけるわけないだろ!」

 悲鳴を上げるように切り返されて、拓海が少し怪訝な面持ちになる。口には出さないが、「そうなの?」と思っているのがありありだ。こいつ……と陽介は顔が引き攣ってしまうのを抑えられない。

「いや、だからさ、お茶するって、たとえばどんな店を選べばいいと思う? やっぱり、前もって調べといた方がいいのかな」

「前もって調べる……」

 涙ぐましいことを言う宙人に、拓海は更に不可解そうに眉を寄せた。

「……意味が、よくわかんないんだけど」

「え、だから、女の子が喜びそうなカフェとかさ。可愛かったり、オシャレだったりする店に連れて行ったほうがいいんだろ? 拓海だって、鏡花さんとのデートでは、そういう店に行ったりするんじゃないのか?」

 目を瞬いて、宙人が問いかける。

 そういえば、拓海たち二人がいつもどんなデートをしているかなんて、陽介も詳しくは聞いたことがない。つい自分も耳を傾ける姿勢になったが、拓海はあっさりと首を横に振った。


「カフェなんて、滅多に入ったことない。ああいう所って高いし。この学校はバイト禁止だろ? 俺もキョーカちゃんも、そんなに財布に余裕があるわけじゃないからね」


「……そう、なのか?」

 宙人は意外そうに首を傾げた。

「だって、お茶なんてどこだって飲めるじゃん。ファミレスでも、マックでも。公園に行って、缶ジュースとか飲みながら、延々話してることもある」

「いや、でも、それは拓海と鏡花さんが、もう一年も付き合ってる仲だから出来ることであってさ……」

「最初っから、俺たちそんな感じだけど」

「…………」

 宙人の顔には、明らかに困惑が浮かんでいた。そういうもんなのか……? という気持ちと、いやでも最初のデートで缶ジュースってどうなの、という気持ちで揺れているらしい。この場合、経験不足というのが致命的なんだろうなあ、と陽介は思うが、自分だってそうなので、口は挟めない。


「……え、と、じゃあ、お茶のことはとりあえずいいとして」

 宙人はこの難しい問題を据え置くことにしたようだ。


「メシを食いに行ったりする場合は?」

「それも適当だなあ。キョーカちゃんて、量はあんまり食べないけど、基本的に好き嫌いはないし。俺がキョーカちゃんちで食べさせてもらうことも多いし。どっか外に出掛ける時は、キョーカちゃんが弁当を作ってくれることもある。あー、そうそう、それがもう、すっげえ美味くってさあ、卵焼きって家によって味が違うらしいけど、やっぱり俺はキョーカちゃんの作るのが最高だなー」

 心の底からどうでもいいことを言って、拓海はデレデレだ。

「…………」

 宙人は口を閉じて考え込んでいる。

 このあたりで、そろそろ、拓海の言うことは全っ然参考にならない、ということに気がついてもよさそうなものなのに、混乱しかかった今の宙人の頭では、正常な判断が出来ないらしかった。


 その友人にちゃんと言ってやるべきかどうか陽介が悩んでいる間に、二人の会話はどんどん続いていった。


「外で食べる時は、たとえば、何を?」

「だからいろいろだって。ファミレスとか、麺類とか」

「麺類……パスタとか?」

「そばとかラーメンとか。金はないけど腹減った、って時は、牛丼屋に行ったり」

「ええええーーっ?!」

 そこで驚いて叫んだのは宙人だけではなく陽介もだった。顔はよくても中身は普通の男子高校生である拓海はともかく、あの大人しそうな鏡花さんが、牛丼?! と本気で衝撃だ。

 そんな二人を見て、拓海はかえって驚いたらしく、「へ?」という形に口を開けた。

「なんで? キョーカちゃん、けっこう好きだけど。ネギのいっぱい乗ったやつ」

 ネギはともかく、鏡花が牛丼を食べている姿というのが非常に想像しづらいから驚いているのだが、拓海はあっけらかんとして言った。

 それから何を思い出したのか、「あ、でもさあ」と、突然目尻を下げる。

「俺なんか大盛りでも足りないくらいなのに、キョーカちゃんは、並でも『多すぎて食べきれない』とか困っててさ。結局俺が残りを食ったんだけど、どうしてこんなちょっとで腹が膨れるのかなあって、すごい不思議だった。可愛いよなあ、そう思わない?」

「…………」

 その後も拓海のアホは可愛い可愛いとうわ言のようなことを言い続けていたが、それは無視して、陽介はとてつもなくしんみりとした気分になった。というか、しみじみと悲しくなった。

 ──なんか。


 彼女と二人で小綺麗なカフェに行った、なんて話より、牛丼を分けて食べた、なんていう貧乏くさいこの話の方が、数十倍も羨ましく思えてしまうのは何故なのだ。

 くそう、視界が滲んで前が見えん。


「……牛丼……」

 ぶつぶつと呟く宙人も、多分そうなのだろう。虚ろになってきた目は、混乱を通り越して、呆然としている。

「それはそれで、羨ま……けど、いや、でも、牛丼はいくらなんでもさ……それとも、そういうのが高校生のデートのあるべき姿なのか……?」

 違う違う、落ち着け。

 陽介はやっと心を決めて、宙人にそう言ってやろうとしたのだが、間に合わなかった。

 そうする前に、拓海が口を開いたからだ。


「だってさあ、チュー太君。デートってのは、本来、好きな女の子と時間を過ごすためにあるわけでしょ。だったら別に、店や食うものなんて、どうだっていいんじゃないの? お喋りして、楽しませて、その子の笑った顔が見られれば、それで幸せじゃん。どうせなら、そっち方面で努力したら?」


 拓海の言うことは、まったくもって正論だ。正論すぎて、陽介はやっぱり何も言えなくなった。

 けれどその言葉は、ただでさえ混乱していた宙人にとって、トドメの一撃となってしまったようだった。

「そ、そうか」

 と、目の覚めたような顔をして、宙人が拓海の手をがしっと力強く握る。

「判ったよ、拓海。俺が間違ってた。デートにおいて、店や食い物なんて、どうだっていいんだよな!」

「…………」

 決意と共にそう言い切る宙人に、陽介が一体何を言えただろう。




          ***



 ……まあ、予想はしていたことなのだけれど。

 「デートにおいて、入る店や食べるもののチョイスなんてどうでもいい」というコンセプトで臨んだ宙人の初デートは、散々な結果に終わったらしい。つまり早い話が、惨敗だ。

 これでまたしばらく、宙人の「彼女いない歴」は更新されることが決定的になったわけである。拓海ではなく、他の人間に初デートの心得を聞いておけば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。

 いや、拓海の言うことは別に間違ってない。この男にしては珍しく、正しすぎるくらいである。

 実際、そのデートで拓海は幸せなんだろうし、鏡花も楽しませているのだろう。

 ──けどそれは、拓海の側に、根本的に宙人とは全然違うものがあるからだ。


 顔を見ているだけで楽しい、という恋心とか。

 相手をひたすら大事に思う気持ちとか。

 互いへの信頼や、愛情の深さとか。

 その根本的に違う部分を無視して、デート方法だけ真似したって、上手くいくわけがないじゃないか。



 ……だから、拓海にそんなことを訊くのは、やめたほうがいいんじゃないかなあ、と陽介は思ったのである。





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