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月の花  作者: 雨咲はな
本編
3/34

act3.妹とガチバトル



 部活を終えて家に帰る途中、携帯が鳴った。

 耳に当てると、「雪菜?」と、落ち着いた声が聞こえて、雪菜はぱっと顔を綻ばせた。

「あっ、お姉ちゃん」

 一気に弾む口調に、隣を歩いていた友人達が、「……出たよ、シスコン雪菜」と、ぼそぼそ囁いたようだが、まったく気にならない。

「お母さんから連絡あって、今日遅くなるんだって」

 姉の言葉に、雪菜はふうんと返事をした。

 自分たち姉妹が小さい頃からずっと外で働いていて、今では会社でそれなりに責任のある立場にいるらしい母の帰りが、仕事で多忙な父親と同じく、深夜近くまで遅くなるのは、別に今日に始まったことではない。

「それで、ついでに買い物して帰るから。夕飯、何がいい?」

 遅くなる母の代わりに、娘らが家事を引き受けるのも、雪菜の家ではごく普通のことだ。雪菜も掃除や洗濯などを手伝ったりするが、生来の不器用さが祟って食事作りだけはどうにも不得意なため、家族の健康のために母不在の場合の料理全般は、姉が一手に担っている。

 そして、姉の鏡花は、そういう時は必ず、妹の雪菜の希望を最優先にしてくれるのだった。

「えっとね、じゃあ、カレーがいいな。今日部活ハードだったし、お腹が空いたから、たくさん作って」

 甘えるように言うと、携帯の向こうから、判った、と返事があった。じゃあ気をつけてね、と付け加えられてから、通話が切れる。電車でなければ行けない高校に通う鏡花とは違い、自宅と中学校があまり離れていない雪菜のほうは、もうあと五分もしないうちに家に到着するというのに、姉はあれで心配性だ。


 けれどその心配は、自分が姉の「特別」であるのを示していることが判るから、雪菜はどうしたって気分よく浮かれてしまう。


「今日、お姉さんがご飯作るの?」

 横で聞いていた友人に聞かれて、振り向いた雪菜はにこにこと頷く。友人は、ちょっと呆れたような顔をした。

「なんでそんなに嬉しそうなんだか、よくわかんない。いつものことだけど」

「あたしにも姉貴がいるけど、全然会話なんてないよ。たまたま自分が先に生まれたってだけで、なんか偉そうだしさあ」

「それに言っちゃなんだけど、雪菜のお姉さんて、あんまり優しそうでもない……っていうか」

 最後に口を挟んだ友人は、そこまで言ってもごもごと口を噤んだ。どうせ、「無表情すぎて怖い」と続けようとでもしたのだろう。幼い頃からそんなことは言われ慣れているので腹は立たないが、その代わり、雪菜はその友人に対してちょっと憐憫の目を向けた。

「お姉ちゃんはすごく優しいよ。ま、そんなこと、知ってるのはあたしだけだし、それでちっとも構わないけど」


 姉の鏡花が、あのあんまり変わらない表情の裏で、どんなに優しくて、真っ直ぐで、愛情深い性質であるか、ということ。

 ──それは自分さえ知っていればいい、と雪菜は思うのである。


 友人達は、雪菜の答えを聞いて、一斉に、駄目だこりゃ、という表情をしたが、すぐに気を取り直して、今度は好奇心に満ちた目を向けた。

「あ、でもさあ、お姉さんの彼氏って、拓海先輩でしょ。カッコよくて可愛くて、すっごくモテてたじゃない。あたし達は去年一年間しか同じ学校にいられなかったけど、雪菜はひょっとしたら、一生近くにいられる可能性もあるってことだよね。いいなあ~」

「………………」

 友人達は無邪気にきゃっきゃっと羨ましがったが、その名前を聞いた途端、雪菜の機嫌は一直線に下降していった。

「一生なんて、冗談じゃないわ」

 吐き捨てるように言い切ると、友人達は怪訝そうに顔を見合わせた。



          ***



「ただいま」

 と、スーパーの袋を提げて家に帰ってきたのは、姉ではなかった。

 いや、正確に言うと、帰ってきた姉の後ろに、上機嫌で荷物持ちをする男がくっついてきたのだ。それを目に入れて、雪菜は心底から嫌そうな顔をした。

「……なんで、拓ちゃんまでいるのよ」

「だって、今日はキョーカちゃんの手料理なんだろ? そんなものが食べられる機会、あんまりないし」

「なによ、一緒に食べていくつもり?! 図々しいわね!」

 雪菜は食ってかかったが、もとより繊細さとはかけ離れた図太い相手は、まるっきり気にかける様子もない。

「いいじゃない、雪菜。どっちにしろたくさん作るつもりだったんだし、拓海も雪菜と一緒で、カレーが大好物なんだって」

 台所に向かって歩きながら淡々として言う姉に、お姉ちゃんが作るカレーがでしょ、と言い返したくなってしまったが、要するにそれは結局、確かに自分と一緒であることに気づき、むっとしたまま口を閉じる。

「あー、楽しみだなあ、俺たちの結婚生活の予行演習。ね、キョーカちゃん」

 ちゃっかり鏡花の肩に手を廻しながら、浮かれた調子で馬鹿なことを言うその男の足を、雪菜は思い切り踏んづけてやった。




 ──そんなわけで、不本意ながら現在、雪菜は拓海と二人きりで、リビングのソファに座って大人しく食事が出来るのを待つ羽目になっている。

 カレーを作るのを手伝う、と雪菜と拓海が同時に言い出し、しかもお互いに相手が邪魔だと口喧嘩を始めて、結果、二人とも鏡花に台所から追い出されたのである。本当だったら今頃は姉妹仲良く台所に立っていただろうことを考えると、腹立ちは倍増だ。多分、それは面白くなさそうな顔をしている目の前の男も同様だと思うのだが。

「……拓ちゃんなんて」

 と、雪菜はぼそりと低い声で切り出した。

 テレビからは夕方のニュースが結構大きな音量で流れているし、ダイニングと一体化していてリビングとは切り離されている隣の台所には、自分の話し声までは届かないだろう。


「拓ちゃんなんて、高校からいきなりお姉ちゃんに接近していったくせに。中学校では、ちっともお姉ちゃんの傍にいなかったくせに。なに企んでるの?」


 鏡花と雪菜と拓海は、三人纏めてひとくくりに「幼馴染」と呼ばれているけれど、雪菜にしたらそれは少し違和感がある。確かに小学校低学年くらいまでは三人で遊んだ記憶もあるけれど、それはもっぱら、鏡花と、鏡花にまとわりつく拓海と、二人の邪魔をする雪菜、という形で成り立っていたもののような気がする。つまり、現状とほぼ変わらないわけだが。

 でも、気がついた時には、拓海は自分たちと一緒にいるより男友達と遊ぶ方を優先しだしていて、特に鏡花が中学校に上がってからは話しかけてきたりもしなかった。

 鏡花との間に喧嘩でもあったのかなあ、と思ったのだけれど、姉に聞いても「覚えがない」ということだったし、要するに興味がなくなったのね、と雪菜は拓海に対して、少しばかり軽蔑にも似た感情を覚えていたくらいなのだ。


 ──それなのに、自分が高校生になるや否や交際を迫るだなんて、何か裏があるに決まっている。

 

 雪菜の台詞に、拓海が無言で顔を向けた。

「拓ちゃん、中学では結構女の子と遊んでたりしてたんでしょ。なのに、なんで今になってお姉ちゃんにちょっかいなんてかけるのよ。お姉ちゃんをからかってんの? ただのおふざけのつもりなの? それとも、お姉ちゃんだったら適当に遊んで捨てたって、文句も言わないだろうと高を括ってでもいるの?」

 舌鋒鋭く言い立てるが、拓海は眉も動かさない。普段、ちゃらちゃらしていていつも愛想のいい笑顔を貼り付けたような拓海が表情を動かさないでいるのは、正直少し怖いような気もしたが、負けてなるもんかと雪菜は更に語調を強めた。


 お姉ちゃんを守ってあげられるのは、あたししかいないんだから。


「お姉ちゃん、中学の頃、苛められてたことがあったの、拓ちゃん、知らないでしょう。『何考えてるか判らなくて、気味が悪い』とか言われて、一時期、クラスの大半の女子に無視されていたりしたんだから。同じ中学に通ってたっていうのに、拓ちゃんなんて、そんなことも知らないで、自分ばっかりのほほんと楽しい毎日を送ってたくせに──」

「俺が何かしていたら、キョーカちゃんは救われたのか?」


 必死になって続ける言葉を不意に断ち切られ、雪菜は驚いて、え、と拓海を見返す。

 拓海は少しだけ、唇の端を歪めるようにして上げていた。


「俺が庇って、手を差し伸べていたら、イジメは止んだのか? そんなことないだろ。逆に、もっと陰湿に、酷くなっていた可能性が高いだろ。言っちゃなんだけど、俺、女の子には人気あったみたいだし。そんな俺が介入すれば、事はもっと悪化していくのは判りきってるだろ」


 拓海の声は、いつもの彼らしからぬ冷静なもので、雪菜はかなり混乱してしまう。普段の拓海の軽くて明るい言動は、もしかして演技だったのか? と穿った考え方をしてしまうほど、見たことのない顔、聞いたことのない口調だった。

 もしかして、今の拓海は、かなり怒っているのかもしれない。


 ……誰に? 雪菜に? 鏡花を苛めた人たちに?

 それとも、自分、に?


「キョーカちゃんは、ある時期、確かに一部の女子から無視されてたりしたこともあったけど、それでもキョーカちゃんのことを理解してくれる友人にも恵まれてた。何より、キョーカちゃんは、自分の意思で、自分の力で、状況を打破しようとする努力もしてた。キョーカちゃんはお前に対して、学校で苛めに遭ってるなんてことを口にして言ったのか? だからつらいと弱音を吐いたか? 救いを求めたか?」

「…………」

 雪菜がその事実を知ったのは、たまたま友人の姉にそういう話を聞いたからだ。鏡花は自分に対しても両親に対しても、決してそんなことを言いはしなかったし、問いただしても、「そんなことはないよ、大丈夫」と、まるで変わらない顔で答えるだけだった。

「で──でも、それは、あたしに心配をかけまいとして……」

「だとしても、結果として、キョーカちゃんは自力で、その問題を解消した」

「…………」

 冷たく言い放たれて、雪菜は凍りついた。

 何も知らずにへらへら遊んでいるとばかり思っていた拓海が、ちゃんとそれを知っていたこと、そして実は自分よりも余程正確に事態を受け止めていたことを知って、心の底からショックを受けていた。

「キョーカちゃんは、お前が思ってるほど頼りない人間じゃないんだよ。誰かに庇護されることを求めて、それで満足しきってしまうような人間でもない。雪菜は、キョーカちゃんを手の中に入れて大事に守ってるつもりなんだろうけど、本当は」

「……うるさい!」

 狼狽し動揺し、気づいたら、感情のままに大声で拓海を怒鳴りつけていた。

 聞きたくない、と耳を塞いで理解を拒絶する、子供のような自分がいるのも自覚していたけれど、雪菜はそれを止められない。

 「自分よりも姉のことをよく判っている人間」なんて、存在してはいけなかったのに。



 ──だって、雪菜にとって、昔から姉は、ほとんど家にいない「母」の代わりだった。

 いつでも、どんな時でも、まず第一に自分のことを真っ先に考えて、気遣ってくれる、唯一の存在だった。

 誰から見放されても、お姉ちゃんだけは、あたしの味方でいてくれる。そう思えば、何よりも安心できたし、自信も持てた。

 昔から我が強くて、両親にも教師にも手を焼かれていた雪菜にとって、自分のありのままの姿を肯定して受け入れてくれる姉は、安心して地に足をつけるための、たったひとつの心の拠り所でもあった。

 だから、雪菜は一生懸命、姉を守ろうとするのだ。失いたくないと、誰にも渡したくないと、駄々をこねるのだ。

 幼い心そのままに。



「……どうかした? 雪菜」

 さすがに大きな声が聞こえてしまったらしく、鏡花が台所から様子を窺いに来た。

 雪菜は思わずその姉に駆け寄って、力いっぱい抱きついた。拓海が文句を言う声が耳に入ってきたが、もちろん無視だ。

「お姉ちゃん、もし拓ちゃんとあたしが海で溺れてたら、どっちを助ける?」

 唐突過ぎる質問だなとは自分でも思ったが、鏡花はすぐに、「雪菜」と答えてくれた。

「…………」

 ああ──と、心からほっとした。


 きっと、雪菜が自分の中にある何かを乗り越えて、もうちょっとだけ「大人」になるまで、鏡花はこうやって、自分のことを一番に選んでくれるのだろう。

 こんな、身勝手な、自分のことしか考えないような妹でも。

 こういう姉だから、雪菜は大好きなのだ。


 瞳の端に滲んだ涙を、姉に気づかれないようにこっそり拭った。

「あっ、ひどい! ひどいよキョーカちゃん! 即答かよ!」

 拓海が情けない声を出して叫ぶ。先刻までの口調を微塵も感じさせない、まるで普段通りの軽いものだ。ちょっと前までとてつもなく苛々とした拓海のそういう声だが、何故か今は許せる気がした。

「だって、拓海は泳げるじゃない」

「そういう問題じゃないでしょ。ていうか、今、キョーカちゃんは非常に重要な二者択一をしたってことに、気づいてないでしょ」

「雪菜、カレー出来たよ。食べようか」

「ちょっと、まだ俺の話終わってないし」

「食べよう、食べよう。文句があるなら、拓ちゃん自分ちに帰りなよ」

「やだ、絶対やだ。キョーカちゃんの作ったカレーを食べないうちは、死んでも死に切れない」

「カレーは、誰が作っても大体同じ味だよ、拓海」

 いつもとまったく変わりないやり取りをして、わいわいと騒ぎながら(騒いでいたのはおもに拓海と雪菜だけだが)、表情は変わらないのになんとなくほんわかと楽しそうな姉を横目で見て、雪菜はそっと溜め息をついた。

 あーあ。

 寂しいし、嫌だし、やっぱり腹も立つし、内心はとても一言で言い表せないほど複雑なので、その全てをひっくるめ、溜め息交じりに、あーあ、と。


 ──あーあ、しょうがない。拓ちゃんだけは、認めてやるか。



          ***



 三人でカレーを食べ、トランプなどで遊んでから、夜の九時過ぎになって、ようやく拓海は自分の家に帰ると言い出した。

 ひどく名残惜しげな、未練たっぷりの顔つきだった。

「外、真っ暗だよ。キョーカちゃん、怖いから家まで送って」

 どの口がそんなことをしゃあしゃあと言うか、と雪菜は頭に血を昇らせた。

「あ、うん、判った」

「何言ってんのよ、お姉ちゃん! そんなに甘やかしちゃ駄目でしょ! 真っ暗な中、女の子に家まで送らせて、そのあと一人で帰らせるなんて!」

「あ、大丈夫大丈夫。俺んちまで着いたら、そのあとでまた俺がキョーカちゃんをここまで送るし」

「その行為に一体なんの意味があるのよ!!」

 雪菜は激しく突っ込んだし、「ホントに……」と、鏡花も訳の判らない顔をして呟いたが、結局、拓海に押し切られ、二人はドアを開けて出て行ってしまった。



 ──で。

 拓海の家はここから三軒先だというのに、姉が帰ってきたのはそれから三十分もしてからで、相変わらずいつもと同じ顔をしていたけれど、その頬はほんのわずか、赤らんでいた。

「~~もう、やっぱり許さないし、認めないっ!」

 それを見て、怒り狂った雪菜の、絶対に邪魔してやるううっ!! と、新たな決意を誓う叫びが、夜の闇にこだました。





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