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月の花  作者: 雨咲はな
本編
16/34

act14.君に恋の花束を



「俺さー、明日から三日間、北海道なんだよね」

 と、拓海が言ったのが、木曜日の下校途中のことだ。

「…………」

 隣を歩いていた鏡花が、拓海のほうを振り向く。そこにあるのは、やっぱり普段どおりの顔だったが、「……そうなの?」と聞き返すまでに、非常に微妙な間があった──気がした。

 したのだが、拓海はその間を、ああ、突然だからびっくりしたのか、と、解釈してしまった。それ自体は以前から決まっていたことだったのに、鏡花に言うのを忘れていたのだ。迂闊である。いろいろな意味で。

「うん、十歳ほど年の離れた俺の従兄がいてね、三年くらい前から仕事で北海道に住んでるんだけど、今度、そこで知り合った彼女と結婚することになったんだって。俺のこと結構可愛がってくれた人でさ、式にも呼んでもらったから、親と一緒に行ってくるつもりなんだ。結婚式は土曜日なんだけど、お袋がせっかく北海道に行くなら遊ぶ時間も取りたいって言うもんで、家族旅行も兼ねて、明日の朝から日曜の夜まで」

「土曜日が結婚式、なんだ」

 ぽそりと呟く鏡花の言葉に、そうそう、と明るく返事をする拓海は、あー、やっぱりキョーカちゃんも女の子だから、そういうのに興味があるのかなー、……なんてことにしか考えの及ばない、どこまでも能天気な男であった。

「そんなわけで、俺、明日は学校休むから、こうしてキョーカちゃんと一緒に帰れないんだけど」

「うん」

「土日もデートできないんだけど」

「うん」

「三日間、顔が見られないんだけど」

「うん」

「キョーカちゃん、寂しくない?」

「…………」

 鏡花は拓海の顔を見て、少し口を噤んだあと、わずかに下に目線を落としながら、

「……ちょっと、寂しいかな」

 と、はにかむように控えめに言った。

 ほとんど強引に言わせたくせに、「でしょ?」と悦に入っている拓海の上機嫌な表情が可笑しかったのか、口許を淡く綻ばせる。

「じゃあ、気をつけてね」

 と言う鏡花は、いつもとまったく変わらない穏やかで優しげな瞳をしていて、拓海は、その言葉に対しても、「ちゃんとお土産買ってくるからねー」と、笑顔で応えただけだった。

 なーんにも、判っていないまま。



          ***



 拓海が小さい頃から「航兄ちゃん」と呼んで慕っていた従兄の航一は、ちょっと見ない間にすっかり一人前の社会人になって、そつなく披露宴で新郎役を務めていた。

 式次第は順調に進行し、新婦のお色直しの間、では皆様ご歓談を──ということになって、着慣れないスーツ姿の拓海が、はあ、と息を抜いていると、

「よう、わざわざ来てくれてありがとな、拓海」

 と、後ろから声がかけられた。


 振り向けば、そこにはつい先ほどまで雛壇に澄ました顔で座っていた新郎が、気さくな態度で笑いかけている。


 手にビール瓶を持っているところからして、どうやら酌をしながら招待客の間を挨拶して廻っていたらしい。正月に親族で顔を合わせると、毎年のようにいい加減な出任せを並べて俺からお年玉を巻き上げていたあの航兄ちゃんがねえ……と思うと、しみじみと感慨深い。

「おめでと、航兄ちゃん。お嫁さん、キレイな人だね」

 花嫁となった女性はもともと可愛い人だったし、特に幸福そうな瞳の輝きが、その彼女をますます美しく見せていたので、お愛想でもなんでもなく、率直に正直に拓海は言った。あの清楚な白いウエディングドレスに身を包んだのがキョーカちゃんだったら、もっと綺麗だったんだろうけどなあ、という更に正直な感想は、心の中に留めておいたのだが。

「いやー、そうだろう」

 謙遜する気もないらしい航一は、すっかり目尻を下げてデレデレだ。なるほど、陽介や宙人にキョーカちゃんの話をする時、俺はこういう顔をしているんだな、と拓海は納得した。確かに、「アホだ」と言われても否定できない顔をしている。

「彼女の妹も、可愛い子なんだぜ」

 意味ありげに航一が言って、そっと新婦側の親族席を目顔で示した。別に変な下心があってそう言ってるわけじゃないことは、そこに座っている若い女の子の姿をちらりと視界に入れただけで、すぐに判った。


 ドレスアップしたその女の子が、頬を上気させ、ひたすら熱っぽい視線を投げかけているのは、本日から自分の義兄になる航一ではなく、どう考えても拓海のほうだったからだ。


 なので、拓海はなるべくそちらに顔は向けないようにして、従兄に対しては「ふーん」と、殊更素っ気なく返事をしたのだが、航一には通じなかった。いや、通じたに違いないのだが、彼はそれを平然と無視した。

「俺さあ、お前のケータイ番号とメアドを聞き出してくるように、さっきこっそり頼まれちゃってさ。式が終わってからでもいいから、さらさらっと書いて渡してやってくれよ」

「絶対やだ」

「そう言うなよー、減るもんじゃなし。ちっちゃい頃、お前を可愛がってやったイトコのお兄さんが、嫁の実家で肩身の狭い思いをしてもいいのか?」

「式が始まる前、新郎の親族控え室で耳にした『航兄ちゃんの派手な女性遍歴』をぶちまけて、もっと肩身の狭い思いをさせることも出来るけど」

「すまん俺が悪かった」

 掌を返したように、航一は平身低頭で謝った。ちなみに彼は母方の従兄である。顔もなかなかの男前だが、軽さの具合も母や自分によく似ている。血の繋がりって怖い。


「……航兄ちゃんてさあ、結構いろんな女の人と付き合ったんだよね?」


 間違っても結婚式の真っ最中に話題にするような内容でないことは承知の上なので、拓海はこそっと声を潜めて訊ねてみた。航一は別に嫌な顔もせず、楽しそうに上半身を傾け、耳を寄せる。

「その中でも、あの人をお嫁さんに選んだのって、どういう決め手があったの?」

「はは、そーだなあ」

 目を細めて笑う航一に、昔の腕白だった頃の面影はほとんど残っていない。これまできっと、多くの女性達と恋愛したりイザコザがあったりしてきたのだろうけれど、そういう過去は過去としてきちんと自分の中に取り込んで懐かしめる、落ち着いた大人になっていた。

「──まあ、状況とかタイミングとか、そういうのがあったってのも本当なんだけどな。うーん、なんていうか、こいつの前でだと、俺は俺でいられるなあ、って感じたのが大きかったのかな」

「……俺は、俺で?」

「自然体でいられるっつーか。居心地が良くて安心するっつーか。喧嘩もよくするし、腹が立つこともたくさんあるんだけど、他の女の子と笑ったりお喋りしたりしてるより、こいつとぎゃんぎゃん言い争いしてる方がいいやって、ある時、思っちゃったんだよなあ。そういうの、『魔がさす』って言うのかもしれねえんだけど」

 そう言って、航一はあははと笑った。

「腹が立っても、振り回されても、すっげえ泣きたい気分になったとしても、他の誰かじゃダメで、こいつじゃないと嫌だ、と思ったんだよな。……うっわ、俺、なんかものすごくノロケてない?」

「うん、恥ずかしげもなくノロケ全開だね」

 拓海が言うと、航一はさすがに少し、照れくさそうな顔になった。「お前もそういう子が見つかるといいよな」と最後まで惚気てから、拓海の肩を軽くぽんと叩き、他の招待客に挨拶するためその場を離れていく。

「うん……」

 小さな声で頷いてテーブルの上の飲み物のグラスに手を伸ばしながら、年上の従兄の背中に向かって、拓海は心の中だけで続けた。

(──見つかってるんだ、もう)


 ずっとずっと前から、見つけていた。

 どうしても、他の誰かでは、ダメだった。

 その人じゃなければ嫌だと思ったから、無理矢理のように手に入れた。

 後悔はないけど、罪悪感は離れない。

 ……航兄ちゃん、俺は時々、不安になるんだよ。

 恋人同士の間に「結末」があるとしたら、自分たちのそれは、一体どんな形をしているんだろうって──



 やがて、お色直しを終えた新婦が、盛大な拍手で式場に迎えられた。

 彼女が手にしている鮮やかな色とりどりの花々で作られたブーケを見て、キョーカちゃんがこれを持ったらどんなに似合うかな、なんてことを、拓海はぼんやりと考えていた。



          ***



 披露宴が終わって、拓海の両親や他の親族は、めいめいにお茶を飲みに行ったり、ホテルに帰ったりしたのだが、拓海はそのまま二次会へと引っ張っていかれた。

 そこで、新婦の友人だという年上のお姉さんたちに囲まれて、嬌声を上げられたり彼女の有無を根掘り葉掘り問われたりして過ごし、疲労困憊した拓海がようやく両親のいるホテルへと帰ったのは、もう夜の八時過ぎになってからのことだ。

 げっそりしながらやっとスーツを脱ぎ捨てる息子を尻目に、両親はこれからホテルの最上階にあるラウンジで、大人の時間を楽しむのだと盛り上がっている。

 ああそう、と投げやりな返事をしてから、何の気なしに携帯を開いて、メールが一件届いていることに気づいた。

 そういえば今日はずっとバタバタしていて、ろくにチェックもしてなかったんだっけ……と思いつつ、それを確認してみた拓海は、


「え、キョーカちゃん?」

 と、驚いて声を上げた。


 鏡花がメールを寄越すなんて、珍しい。というか、そもそも、自分たちは普段から滅多にメールのやり取りをしないのだ。ちまちま文字を打っているより、鏡花の声を直接聞いたほうが何万倍もいい、と拓海は考えているし、メールを出すより家に行ってしまったほうがよっぽど早い、というご近所さんならではの事情もある。そして鏡花は、用事もないのにメールを出す、ということをまずしない。

 そのメールに、タイトルは入っていなかった。何かあったのかな、と心配半分でメールを開けると、とんでもない冒頭の一文が、まず目に入った。



 ──誕生日おめでとう、拓海。



「あーーーーーーっっ!!!」

 ホテルの狭い一室を揺るがすほどの大音響で悲鳴を上げた拓海に、今にも出かけようとしていた両親が、ドアの手前で何事かと振り返る。

「今日、俺の誕生日じゃん!!」

「…………」

 明らかに、どう見ても明らかに、拓海の父と母は、一瞬、「そうだっけ?」という顔をした。

 それからわざとらしく、二人揃ってにこやかな笑みを貼り付ける。

「そうそう、そうよねー、もちろん忘れてないわよー、可愛いわが子の誕生日ですもん」

「いやあ、今日はめでたいことが重なる素晴らしい日だなあ。じゃ、そーゆーことで、父さんと母さんは、ラウンジでお前の誕生日の祝杯をあげてくるから」

「あんたら、ホントに俺の実の親か!」

 拓海の怒鳴り声にも構わずに、二人は鼻歌を口ずさみながら、ドアを開けて出て行ってしまった。我が親ながら、どこまでも軽い。自分に似ていると自覚できる分、腹立ちも倍増だ。

 いや、この場合問題なのは、薄情な両親ではなく鏡花である。慌ててメールの文章に目を戻した拓海は、続きを読んで、くらりと眩暈がした。



 プレゼントも一応用意したので、帰ってきてから渡します。

 ……でも、そんなに大したものじゃないので、過剰な期待はしないでね。



「プ、プレゼント……」

 呻くように言って、頭を抱える。

 まさか、「プレゼントは私」なんていう夢の展開ではないのだろうが、きっとそのプレゼントは、数日前から、鏡花が拓海のために、考えて悩んで選んでくれていたものなのだろう。ひょっとしたら、料理も得意だが菓子作りだって得意な鏡花が、ケーキでも焼いてくれるつもりだったかもしれない。

 ああ、道理で、あの時、微妙な間があったわけだ。顔には出さなくても、鏡花はあの時内心で、どれだけ失望して落胆しただろう。

 拓海が、自分の誕生日をすっかり忘れていたのが問題なのではない、鏡花の心遣いを無神経に台無しにしてしまったことこそが、大問題なのだ。

 多分、鏡花は鏡花で、いろいろと考えて計画していたのではないか。二人が付き合ってからはじめて迎える拓海の誕生日。それなのに、自分は「これから三日間北海道」なんていう一言で、それを振り払ってしまった。もしこれが逆の立場であったなら、拓海は拗ねる。ものすごくしつこく拗ねる。けれど鏡花は、「気をつけてね」と優しく拓海を送り出してくれた。何も言わずに。

 なんで俺ってこうなんだ、と拓海は心の底から自己嫌悪に陥りそうになった。鏡花が、いつだって自分の感情よりも、他人のそれを優先させてしまう性格だということは判っているつもりだったのに、こんな大事なことを見逃して、気づきもしないで。

 ──相手のことを考えもせず、自分の想いをぶつけるだけなら、それは本当に、ただの子供とおんなじだ。



 では、結婚式と家族旅行を楽しんできてください。

 また、月曜日に。



 素っ気ない文章は鏡花らしいとも言えるが、彼女なりの気遣いでもあるのだろう。きっとこのメールだって、出そうかどうしようか、散々迷ったに違いない。親戚の結婚式と家族旅行の最中に……なんて、いかにも鏡花が遠慮しそうなことである。

 だから昨日も電話はかかってこなかったし、今日も明日も、彼女のほうからは絶対に、かけてくることはない。


 ……それでも、こうやって、誕生日当日に「おめでとう」と拓海に言うことを、選んでくれたのだ。


 今から電話してみようかなあ、と携帯の画面を睨みながら、非常に悩む。しかし一体なんて言えばいいものか。下手に謝ったりすると、かえって鏡花に、メールしたことを後悔させそうだ。子供の頃からの付き合いとはいえ、こういう時の彼女の思考は、拓海にもまったく読みきれない。

「ううーん……」

 と唸りながら、無意識に指を動かしていたら、長い改行が続いた後で、唐突に、また再び文章が現われたので驚いた。

 え、なんか、ものすごい長い間の取り方だな。なんでキョーカちゃん、こんな打ち方するんだろう。あやうく気づかずに閉じてしまうところだったじゃないか。

 こんな、まるで、ひっそりと隠すように。



 ……今まで、誕生日というのは、単にひとつ年を重ねる時の行事、という認識しかなかったのですが、十六年前のこの日がなければ、拓海はこの世にいなかったのだなあと思うと、何かに感謝したい気持ちになりますね。

 誕生日をお祝いすることの意味が、少し、わかりました。



「…………」

 どーしよ、今すぐ飛行機に乗って帰りたい。

 と、拓海は本気で思った。

 いっそ、自分の予定だけキャンセルして、明日の朝イチで帰ろうかな。いやしかし、そういうことをしても、きっと鏡花は喜ばないよな。ていうか、悲しんじゃいそうだよな。そういえば、まだお土産も買ってないし。

 うん、明日は予定通り、ちゃんと家族旅行の続きをして、帰ったら、すぐに鏡花に会いに行こう。

 拓海は確かにまだまだ子供だが、ずっと子供であり続けることは望んでいないので、たとえ失敗したって、落ち込んでばかりはいられない。自分の気持ちを押しつけるだけじゃなく、落胆させたのならそれ以上の喜びを、優しさを貰ったのならそれ以上の優しさで包めるように、考えて迷って努力しなくちゃいけないのだ。

 腹が立つのも、振り回されるのも、泣きたくなってしまうのも、その相手は鏡花でないと嫌だから。

 ……二人の未来を、ずっと先まで繋げられるように。

 結局、悩んだ末に、電話をするのはやめて、拓海は鏡花に倣って、メールをすることにした。

 


 ──会いたいよ。



 という、一文だけのそのメールに、鏡花からの返事はただ一言、「私も」というもので、それを見た拓海はホテルのベッドの上で悶絶し、部屋に帰ってきた両親に頭の中身を心配されるハメになった。

 たまには、メールも悪くない。




 ……明日は、両手から零れるくらい、たくさんの土産を買っていこう。

 それと、そうだ、花──綺麗な花を。

 今日の花嫁さんが持っていたブーケのように立派なものは無理だけど、キョーカちゃんに似合いそうな、可愛い花をいっぱい持って、彼女に会いに行こう。

 ありったけの、恋心を込めて。





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