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月の花  作者: 雨咲はな
本編
15/34

act13.探しものは何ですか?



 学校から家に帰り着いて、ふう、と息をついた途端、携帯が鳴った。

 液晶に表示された発信者の名前を見て眉を寄せ、出ようかどうしようか逡巡すること数秒。

 観念して耳に当て、もしもし、と応え──ようとしたのだが、その前に、

「陽介え~……俺はもう駄目だ……」

 という、地の底から湧き出すような友人の低い声が、おどろおどろしく小さな機械から飛び出してきた。

「…………」

 やっぱり出るんじゃなかった……と、陽介は心の底から後悔した。



          ***



「キョーカちゃんと、喧嘩したんだ……」

 嫌々ながら足を運んだ拓海の部屋で、拓海は床に座ってしょんぼりとうな垂れながら、そう呟いた。 

 へえ、と陽介が驚くように返したのは、直情径行型の拓海はともかく、あの鏡花さんが喧嘩なんてしたりすんのか、と意外だったためである。笑うところも見たことがないが、彼女が怒るところは、もっと想像出来ない。陽介なら百回くらいは怒るだろうと思われる拓海の態度にも、鏡花さんはいつだって寛容に鷹揚に接していて、実を言えば、ちょっと甘やかしすぎだとひそかに憤慨していたくらいなのだ。

 なので、陽介は間を置くことなく、目の前の友人に対して、解決への具体策を明示した。


「謝れ。お前が悪い」


「……まだ、俺、なんにも話してないよね? なんで俺が一方的に悪いことになってんのさ」

 むくれた顔を上げて、拓海が言い返す。こうして親切に相談に乗ってやっているのに偉そうに、と陽介はちょっとむっとした。俺は本当は、お前ら二人のことには、一ミリだって関わりたくないんだぞ。

「聞かなくたって、お前が悪いに決まってる。何をしたんだよ、一体。図に乗りすぎて我侭放題を言いまくったのか。今度こそ強引に鏡花さんを押し倒したのか。それとも浮気でもしたか」

「…………。お前、俺をどういう男だと思ってんの? 浮気なんて、俺がするわけないでしょ」

 あとの二つについては「するわけない」と否定しないあたり、正直な男である。

「じゃ、何したんだよ。あの鏡花さんが怒るなんて」

「いや、キョーカちゃんは怒ってない。俺が怒った」

「は……?」

 意味が判らなくて問い返すと、拓海は少しバツが悪そうにそっぽを向いた。床の上で胡坐をかいていた長い足の片方を立て、膝の上で頬杖をつく。

 尖った顎や結ばれた口許からは、そこはかとない哀愁が滲み出していて、どんな格好をしても絵になるヤツだなあ、と陽介は感心しきりだ。

 中身は結構なアホなんだがなあ。

「お前が怒ったって、なんだよそれ。何かをしたのはお前じゃなくて鏡花さんなのか」

「いや……」

 言葉を濁してから、一旦口を噤む。

 顔を明後日の方向に向けながら、拓海はぽつぽつと、事の顛末を話しだした。

 ──それは要約すると、こんなようなことだ。



 今日の放課後、いつものように鏡花さんと仲良く帰ろうとしていた拓海は、校舎を出る直前の靴箱の手前で、クラスメートの女の子に呼び止められた。

 その子は、拓海に向かって、近くある体育祭に向けて、色々と決めたいことや相談したいことがあるから、実行委員である拓海に残って欲しい、という旨を告げた。

 しかし拓海の言い分としては、実行委員は何も拓海だけではないのだし(クラスに五人いる)、そもそも好きでなった役割でもない(推薦制なのである)。だからわざわざ自分だけが、決められた日以外の放課後にまでそんな仕事をする意思もなきゃ、必要性も感じない。つまり知ったこっちゃないから帰る──というようなことを、もう少し婉曲な表現で、女の子に言った。

 そんな風にしてにべもなく拓海が依頼を断ったのは、どうもその女の子の態度に、「拓海が彼女と一緒に帰るのをなんとか阻止したい。あわよくば拓海ともう少し親密になりたい」、との気持ちが明らかに見えたから、という理由が大きかったらしい。話しかける時も、わざわざ拓海と鏡花さんとの間に割り込むようにしてきたというのだから、その女の子もなかなかのツワモノだ。

 だから、拓海は敢えてその子を冷たくあしらって、お終いにしようとした……のに。


 傍でそのやり取りを聞いていた鏡花さんが、「だったら私、先に帰るから、拓海は実行委員の仕事を──」と言い出したために、事態は急変した。


 早い話、その言葉にかっとなった拓海が、怒りの矛先を、今度は鏡花さんに向けたわけだ。

「なに、それ。キョーカちゃん、自分が何言ってるのか、判ってる?」

 女の子のミエミエの仕草と思惑に、鏡花さんだって気づかないはずがない。それを気づいている上でそんなことを言うのかと、拓海は強い口調で鏡花さんに詰め寄った。その剣幕にビビッて、女の子はその時点で早々に退散したのだが、拓海の怒りは収まらなかった。

 じゃあ、キョーカちゃんはたとえば、俺が目の前で女の子に告白されたとしても、そうやって遠慮して引いちゃうわけ? 俺がキョーカちゃんを放って他の女の子と何処かへ行ったとしても、気にしないってこと? 俺がキョーカちゃん以外の女の子と二人きりでいても、構わない? ああそうか、つまりキョーカちゃんは、俺のこと、その程度にしか考えてないんだね──

 語気も荒く言い募る拓海の言葉を、鏡花さんはいつもとあまり変わらない顔で、反論も反発もせずじっと聞いていたらしい。

 しかし、やがてふっと俯くと、

「……ごめん」

 と一言、囁くような小さな声で言って、拓海にくるりと背を向け、その場から走り去った──のだそうだ。



「…………」

 開いた口が塞がらなかったので、馬鹿みたいにぽかんと開けたまま、話を聞き終えた陽介は、ひたすら唖然とした。

 どうしてその状況で拓海が怒るのかも判らなきゃ、その局面で謝ってしまう鏡花さんという人も判らない。

 だが判らないことだらけのその話の中で、陽介にもひとつだけ、ハッキリと判ることがある。


 ──やっぱり、お前が悪いんじゃねえか。


「謝れ!!」

「やだ!!」

 陽介の怒号に、間髪いれず拓海が言い返す。アホの子のくせに生意気な、と、ますます腹立たしい。

「言っておくが、それは断じて『喧嘩』なんかじゃないからな。『拓海の身勝手な理屈で一方的に鏡花さんを怒って困らせた理不尽な話』だ。悪いのは圧倒的にお前だ! さっさと謝れ! 鏡花さんにも、貴重な時間を無駄にした俺にもだ!」

「俺は悪くない! いや、俺が悪いのかもしんないけど、キョーカちゃんだって悪い!」

「だから鏡花さんは謝ったんだろ、『ごめん』って!」

「ちがう、逃げたんだ! キョーカちゃんは、俺を責めることも、俺の言葉を否定することも、俺と話し合うこともしないで、そこから逃げた! 俺と正面から向き合うことを、避けたんだ!」

「…………」

 陽介はそこで口を閉じ、まじまじと拓海を見つめた。

 もとから喜怒哀楽の判りやすい、良く言えば自分に正直な、悪く言えば子供のように感情的な男ではあるが、こんな風にぎらついた目をして、頑固に口を曲げている拓海を見るのは、陽介にとってもはじめてだ。

 ああ、そうか、とこの時になってようやく、陽介も理解した。


 ……拓海は、傷ついているんだ。


 拓海が彼女に執着するほどには、自分に執着してくれない鏡花さんに。その想いの深さの違いに。拓海の言葉に一言も言い返さず、拓海の前から去ってしまった、鏡花さんの態度に。

 それが判ってしまったので、陽介ももう、怒るのをやめた。その代わり、黙って息を吐く。

 沈黙の中で、ぼそりと拓海が言葉を落とした。

「キョーカちゃんてさ……多分、俺のこと、好きでいてくれるんだと思うけど」

 むっつりした顔で唐突にそんなことを言い出した拓海の視線は、ずっと床に向けられている。

「手を繋いでもいい? って訊いても、キスしてもいい? って訊いても、『いいよ』って返してくれる。ひょっとしたら、触ってもいい? って訊いても、やってもいい? って訊いても、同じように『いいよ』って、答えてくれるのかもしれない」

「…………」


 冗談なのか下ネタなのかと訝って、拓海の横顔を覗いてみたが、恐ろしいことに完全に真顔だった。


 その真顔のまま、拓海はぽつりと呟く。

「……でも、俺が『別れたい』って言っても、キョーカちゃんは同じようにそうやって、あっさりと『いいよ』って言うのかもしんない」

「あり得るな」

「いや、そこは肯定するところじゃないと思うんだけど」

「お前が二股かける素振りでも見せようもんなら、『私はいいから、その子とお幸せにね』なんつって、十秒くらいで身を引く結論を出しそうだよな、鏡花さんて」

「洒落にならないから、そういう縁起でもないこと言うの、やめてくれる?」

 本気で嫌そうな顔になって陽介を睨み、あー……と唸るような声を出しながら、拓海はごろりとその場に転がった。

「……でもさあ」

 その拓海を視界に入れつつ、けれど目線は別の方へとやったまま、陽介は言った。

 別に、慰めるつもりもないのだが、単にその方がフェアだと思うので、自分が思ったところを正直に述べることにする。時に迷惑をかけられたりもするが、陽介だって、今まで二人を近くで見てきたうちの一人なのだし。

「鏡花さんは、多分、おまえのことが好きだと思う」

「多分てなんだよ、失礼だな」

 ついさっき、自分でそう言ったくせに。


「だけど、その『好き』の、表現の仕方が、お前とは違うんじゃねえのかな。いや、むしろお前みたいに、露骨過ぎるくらいあけすけに愛情表現する奴が珍しいくらいのもんだと思うんだけど。考えや、気持ちの出し方なんかには、別に恋人同士に限ったことじゃなく、友達でも、家族でも、多かれ少なかれ、ずれや差異があって当然だろ、違う人間なんだからさ。そういう溝を埋めていくか、違いは違いとして認めるか、そこは努力しかないんじゃねえ? 根底にあるのは、同じ種類のものなんだろうし」


 床に顔を伏せた拓海からは、何も返事がなかった。

 所詮、女の子と一対一で付き合ったことのない自分が何を言ったところで、説得力などないことは陽介にも判っている。それに結局、こんなことは当人同士で片を付けるしかない、ということも。

「鏡花さんに電話しろよ、な?」

「…………」

 諭すように言っても、拓海はその場から動かない。あーあ、すっかり意地になっちゃって、しょーがねえな。

 やれやれと溜め息をついて、動こうとはしない友人の代わりに、陽介は座っていた床から立ち上がり、窓際にある勉強机に近付いた。机の上に載っている、拓海の携帯を取ろうとして手を伸ばしかけ──

 ぴたりと、動きを止めた。

 拓海の部屋は、位置的に家の玄関のすぐ真上にある。だから机に面した窓から見えるのは、玄関前の道路だ。


 ……その道路に、女の子がひとり、ぽつりと立っている。


 その子の視線は真っ直ぐ前を向いているから、上からは、可愛らしいつむじが見えるだけだ。女の子が見ているのは、この家の玄関ドアだろう。両手を腰の後ろで組んで、足を踏み出しかけてまた戻す、ということを繰り返し、困ったように首を傾げたりしている。

「おい、拓海」

 呼びかけると、いかにも大儀そうな動作で拓海が顔を上げた。顎で窓の下を指し示す陽介に怪訝な表情をして、自分も立ち上がって窓に近付き、それを見て、目を見開く。

 キョーカちゃん、と小さな声が、その口から漏れた。

 そのままじっと固まっているので、「行かないのか?」と声をかけたが、拓海はまただんまりだ。

 さすがに、焦れったくなってきた。


 ──鏡花さんはきちんとお前と向き合うためにここに来たってのに、今度はお前が逃げるのかよ。


 仕方ない、と陽介はわざとらしく頓狂な声を上げる。今日は友情の大盤振る舞いだ。

「鏡花さん、いつからあそこにいるんだろうなあ~」

「……え」

「一分前かな、十分前かな。もしかして、三十分とか一時間とか、ああしてうろうろしてんのかもしれないよな。もう夕方になって、大分冷え込んできたってのになあ。鏡花さんがインターホン鳴らす決心をするまで、あとどれくらい時間が掛かるのか、ここでこのまま見学するか? 風も冷たくなって、あんな薄着じゃ、間違いなく風邪を引きそうだけど」

「…………」

 拓海はやっぱり何も言わなかった。

 が、すぐに素早く身を翻し、乱暴なくらい勢いよくドアを開け、部屋を出て行った。続いて、階段を駆け下りる騒々しい音と、ほんの一瞬、躊躇うような間があってから、玄関のドアを開ける音がする。

「まったく、世話が焼ける」

 と、陽介は窓の外に目をやりながら、呆れたように呟いた。

 口許に、苦笑を浮かべつつ。




 ……多分。

 好きなら独占欲があって当然、と拓海は考えているのだろうし、鏡花さんは、いくら好きでも、自分の感情で相手を縛ることがあってはいけない、と考えているのではないか。

 陽介はそれほど鏡花さんについて知っているわけではないから、そこはもう、推測でしかないのだが。


 同じ「好き」でも、形は違う。


 その形は目に見えなくて、あるのかどうかも判らない不確かなものでもあり、時に焦ったり、もどかしくなってしまったりするのだろう。違う形なのだから、今日みたいにすれ違うこともあって、鏡花さんは困惑し、拓海は彼女に当たってしまう。そしてお互いに、傷ついて傷つけて、落ち込んで、後悔することになるわけだ。

 ハタから見ると、羨ましいほど二人の関係はうまくいっているように見えるけれど、それでもやっぱり悩んだり、迷ったりせずにはいられないのが、恋っていうものなのかな。

 厄介だけど、止められない。枝道に入り込みながらでも、悩んで迷って進んでいくしかない。


 何かを求め続けて、何かを探し続けて。



          ***



 ──窓の下では、れっきとした公道であるにも関わらず、拓海が鏡花さんの肩に、自分の頭をきつく押し付け、目を閉じていた。

 謝ったのか、謝っていないのかは判らないが、そこはもう、陽介の関知するところではない。

 しかしまあ、とりあえず、二人の両手がそれぞれしっかりと握られているところからして、仲直りは出来たようだ。世話が焼ける……と、もう一度思う。俺に彼女が出来て、迷い道にはまり込んだ時に、この借りはまとめて返してもらおう。

 そこでふと、待てよ、と陽介は顔を顰めた。


 考えてみたら、あの二人があんな場所でああしている限り、自分は外に出られないということではないか。従って、家にも帰れない。まだ英語の課題を終わらせていないのに。

 さっさと拓海が戻ってくるのを願うのみだが、あの様子では、あとどれくらい待たされるのか、全くもって予測不可能だ。


 あーあ、と溜め息をついて、陽介は窓を離れ、拓海のベッドに寝転がった。

 退屈しのぎに床に放置されたままの雑誌をぺらぺらと捲っているうちに、なんだか無性に可笑しくなって、くすくすと笑い出してしまう。

 拓海もアホだが、自分もアホだ。関わりたくないと言いつつ、結局首を突っ込んで、こんな目に遭って。

 しかし思い返してみれば、中学時代、拓海はいろんな女の子と付き合ってはいたが、その子達の話を、陽介の前でしたことは一度もなかった。あまりそういうことには興味がなさそうだったのに、一年生の終わり頃からいきなり女の子と遊びだして、それもちょっと不思議だったのだけれど。

 惚気はおろか、付き合っている彼女がどんな子なのかも口にしたことがない。だから陽介は、拓海の彼女の名前も顔も知らないという場合がほとんどだった。たまに、他の友人から話を聞いたり、一緒にいるところを自分で見かけて、ああ、あの子なのかと思う程度で。

 ましてや、拓海が彼女のことでこんな風に怒ったり、悩んだり、落ち込んだりしたところも、見たことがない。相手は結構ころころと入れ替わっているようだったが、どの子にしても、付き合うに至った経緯も知らなければ、別れる理由だってまったく知らない。別れたあとだって、拓海はいつもと変わらず明るく笑っていたし。

 きっと拓海にとって、中学の時に付き合っていた女の子たちと、鏡花さんとでは、その意味合いが全然違うのだろう。以前の女の子たちには、気の毒な話だとは思うのだけれども。

 それでもやっばり、今の拓海は本当に幸せそうに見えるから、友人の陽介としては、それは拓海にとって良いことだったと思わずにいられない。祝福せずには、いられない。苦笑いしながらも。

 関わり合いにはなりたくないし、本当に、時々、ものすごく迷惑なんだけど。


 ……けれど、陽介は、あの二人を見ているのが、決して嫌いじゃない。





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