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月の花  作者: 雨咲はな
本編
13/34

act11.ご利用は計画的に



 お願いだから俺と付き合ってください、と、いきなり申し込まれた交際に鏡花が肯ってから、拓海は、直ちに、現在のようなベタベタとした態度になったわけではなかった。当たり前の話ではあるが。

 最初は学校の登下校を一緒にするところから始めることにしたのだけれど、それだって当初は、かなり節度のある振る舞いで接してくれていたと思う。

 小さな頃よく遊んでいた幼馴染とはいえ、距離を置いていた期間が長かったので、鏡花にしてみれば、拓海はすでに、自分のあとをくっついて歩いていた「可愛い年下の男の子」ではなく、背が伸びて声も低く落ち着いた「高校生の男の子」だ。久しぶりに彼と二人きりで並んで歩くことに、顔にこそ出さなくとも、鏡花はかなり緊張していたし、アガッてもいた。

 拓海はそんな鏡花を気遣うように、話しかける声はどこまでも優しく、口調もなるべく気軽にと心掛けてくれているようだった。彼の口から出るのは、これから向かう二人の高校のことであったり、近所で起こった出来事のことだったり、よく遊んだ昔のことであったりと色々だったが、それも鏡花が返事に困らないような無難な話題をわざわざ選んでいるようなのが窺えた。

 そして、並んで歩く二人の間には、常に人一人分くらいの隙間が空いていた。


 ──今にして思うと、拓海は拓海なりに、そうやって鏡花との距離を少しずつ測って、見極めようとしていたのかもしれない。


 拓海の、鏡花に対する態度や言動からは、いつも余裕みたいなものが滲み出ていて、鏡花は、(決して皮肉ではなく)拓海は女の子の扱い方に慣れているのだなあと感心させられるばかりであったけれど、それでもやっぱり、二人の間にぽっかりと「思い出を共有しない時間」というものがあるのは本当で、そこに何がしかのぎこちなさが生まれてしまっていることは、拓海のほうでも気がついていたのだろう。

 だからこそ拓海はちょっとずつ鏡花の心をほぐすよう努力していたようだったし、彼のその姿を見て、そういうさりげない優しさを持ち合わせているところは昔とちっとも変わらないんだな、ということに、ある時ふいに思い至った鏡花は、それからはぐんと気持ちが楽にもなった。

 そうして、いつの間にか、鏡花は構えることなく拓海とお喋りを楽しめるようにもなっていて、二人の間の隙間は徐々にだが、縮まってもいった。それからこれもいつの間にか、拓海はごく自然に鏡花の手を握るようにもなっていた。はじめの時はさすがに照れたが、自分の手をぎゅうっと握る拓海がにこにこしてあまりにも嬉しそうだったから、鏡花自身もなんとなく嬉しくなって笑ってしまったことを覚えている。

 ──で、そうやって、たびたび手を繋ぐことにも鏡花が慣れてきた頃のこと。

 デートからの帰り、夕闇が落ちて少し暗くなってきた道を、やっぱり手を繋いで二人で歩きながら、珍しく無口だった拓海は、唐突に立ち止まり、真顔で鏡花に向き直ってこう言ったのだ。

「……キョーカちゃん、キスしていい?」



 それ以来、拓海は律儀に、必ず毎回そうやって事前に承諾を得る。

 腕を伸ばす前だったり、上半身を傾けて耳元で囁いてみたり、唇が触れ合う寸前で断る選択肢は残されていないんじゃないかと思えるほどギリギリの時点であったり、それは時と状況により、いろいろなのだけれど。

 それでも、欠かさず、毎回。

 キョーカちゃん、キスしていい?──と。



          ***



 それを聞いて、和葉は無遠慮に、机をばんばんと叩きながら、げらげらと笑い転げた。

「…………」

 和葉の前に座っている拓海は、机に顔を突っ伏して、無言のままだ。

 なんで自分は、こんな、もっのすごくプライベートなことを、ついうっかり口にしてしまったのだろう。しかも、おそらくこの世の中で一番喋ってはいけない人物に。

 拓海の背後では、友人の陽介と宙人が、

「アホの子だ」

「アホの子だな」

 と、ぼそぼそ囁き合っている。反論できないのが悔しい。


 ──拓海はただ、放課後、暇そうにしている友人を引き連れて、鏡花のいる教室へと遊びに来ただけなのである。

 鏡花の傍には悪魔、もとい和葉がくっついているのは判っていたため、友人たちにそちらの相手を押し付けて、自分はさっさと鏡花を連れて二人きりで帰ろうと画策していただけなのだ。


 それなのに何故、今の自分は、こんな風に言いたくないことまで洗いざらい言わされて、和葉に思い切り笑われているのだろう。しかも、最初は確か、「二人っていつもどういうところに遊びに行ってんのー」という、非常にどうでもいいような質問を投げられただけだったはず。それが気づいてみれば、どうして、「キスする時には必ず事前確認」なんていう重要案件について口を滑らせている羽目になっているんだか。どんな誘導尋問なんだよ、と、自分の迂闊さと口の軽さを棚に上げ、心の中で罵るしかない。

 表情はあまり変わらないものの、実はかなりの恥ずかしがり屋である鏡花は、さっきからずっと、顔を俯かせ、小さくなっていた。何度か逃げる機会も窺っていたようだが、制服のスカートの端っこを、和葉にぎっちりと握られているためままならないのである。可哀想だ。半分以上は、拓海のせいだが。


「けど、別に鏡花は今更、断ったりしないんでしょ。じゃあもうそんなこと、いちいち言わなくていいんじゃないの?」

「俺なりのけじめなの」


 頭を机の上に置いたまま、ぷいっと横を向いてふてくされたように言うと、和葉はそれまで大口を開けて容赦なく笑っていた顔を不意に消して、その代わり、にやりという意味ありげな笑みを口許に乗せた。

「ははん、読めたわよ」

「…………」

 何が読めたんだかさっぱり判らないが、とにかく嫌な予感だけは否応なく湧き上がり、拓海はすぐさま座っていた椅子から立ち上がった。

「じゃ、キョーカちゃん、帰ろうか」

「何が読めたんすかー?」

 逃げようとする拓海の後ろで、屈託なく宙人が問いかける。こいつは何度も会っている鏡花の前では未だに不自然に緊張するくせに、和葉に対しては初対面からえらくフレンドリーだ。多分、良くも悪くも「女性」っぽくないからだろう。お前みたいな奴は一生彼女なしでいるがいい、と思わず心の中で呪いを唱えてしまう。

 鏡花の手を引こうとしている拓海に構わず、片手で友人のスカートを握ったまま、もう片方の手で自分の顎の下を撫ぜ、和葉はふふんと笑いながらもったいぶって続けた。


「つまり、それは拓海君の計画よね」


「へ?」

 間抜けな声を出したのは宙人だが、そう言いたいのは拓海だって同じだ。「計画」ってなんだ。

「だからさ」

 と、和葉はにやにやと笑っている。この腹黒い人物は、鏡花の味方としてなら非常に頼もしいのだが、人をからかって楽しむことにおいては手に負えない。

「……キスするたびに、『キスしていい?』って訊くわけでしょ。何回も何回も繰り返すうちに、そんなの習慣化して、鏡花だって何も考えずに頷くようになるわよね。そうやって段々感覚を麻痺させていって、ある日こっそりそれを、『してもいい?』っていう質問に変えて、うっかりと鏡花がそのまま頷いたところを、しめしめとばかりに押し倒そうとゆー……」

「ちょっと!!」

 慌てて大声で遮る。

「なに言ってんの?! 俺の純情をそうやって踏みにじろうとすんの、やめてくれる?!」

 顔が赤くなったのは思ってもいなかったことを言われて憤慨しているからであって、図星を指されたせいでは、断じてない。ないのだが、友人二人はそうは受け取らなかったようだった。この二人の中での「拓海」というのは、一体どういう男として成立しているのか疑問だ。

「……お前、そんな深淵な謀略を……」

「勉強になるな。さすがに回数ばかりをこなしてるわけじゃないってことか」

「こらっ!!」

 心の底から感心するようなその言葉は、どちらも、間違っても最愛の彼女に聞かせたいようなものではない。更に慌てて叫ぶ拓海の横では、和葉ががしっと鏡花の両手を包むようにして力強く握り締めている。

「いい、鏡花? 拓海君が『してもいい?』って訊ねてきたら、ちゃんと『なにを?』って返すのよ。そのまま頷いたりしちゃだめよ。これからキスする時も、ちゃんと用心して聞くようにするのよ、判った?」

「…………」

 鏡花は、わざとらしく真顔で忠告する友人の顔を見て、それからちらりと拓海のほうを見た。

 いつもと同じ顔なのに、ものすごく含むところがあるように見えたのは、拓海の側にもほんのちょびっとだけ、やましいものがあったからかもしれない。

「……あの……」

「ちがっ、違うよ?! キョーカちゃん! 俺、別にそんな計画とかしてるわけじゃなくて、いやそりゃ、今一瞬、いい考えだな、とか思っちゃったことは否定しないけど、あくまでもそれは今思ったことであって、前々から思ってたわけじゃないから! 事前に訊いてるのは、突然キスして、キョーカちゃんをびっくりさせちゃいけないかなと思ったりするからであって──えっ、ちょっと待って、だったら俺、ホントにキョーカちゃんを押し倒す時、なんて言えばいいわけさ!『してもいい?』って訊いたら、まるで和葉さんの言うとおり、計画の一部だったみたいじゃん!」

 焦るあまり、言わなくてもいいようなことまで言ってしまっている拓海は、ますます混乱の極致にあるらしい。和葉と陽介と宙人が、頭を寄せてぼそぼそと話した。


「……なんで自分で盛大に墓穴を掘ってることに気づかないのかな」

「拓海君て、思ったことを心に留めておくことが、とことん出来ない性分なのねー」

「俺はこいつほど自分に正直な男を、他に知りません」

「うるさいよ、外野!!」


 八つ当たりのように拓海が怒鳴る。ちょっと半泣きだ。面白い玩具を見つけてご満悦の和葉がまた笑い、すっかり悪ノリしはじめた陽介と宙人が囃し立てた。

 五人しかいない教室なのに、その騒ぎは底抜けに陽気で騒々しくて賑やかで──だから多分、その場にいた誰も、気づいてはいなかっただろう。

 ひとり、騒ぎの輪から外れて静かにしていた鏡花が、その時になって、堪らずにくすくすと小さく笑い出していたことを。


 その笑顔が、楽しそうで、そのくせ優しくて、とびきり可愛かったことも。



          ***



 ──はじめて、二人がキスした時。


「……キョーカちゃん、キスしていい?」

 低い声でぼそりとそう言って、鏡花の方を向いた拓海は、ほんの少し視線を下に落としていた。

 それから上目遣いに鏡花の顔を窺うその顔は、なんだか強情を張った子供のような、頑なな色が見える。口はへの字に曲がっていて、まるで怒ってでもいるかのようだった。

 言われた言葉よりも、その表情のほうに戸惑って、鏡花が少し首を傾げたまま黙っていると、拓海はまた視線を自分の足許へと戻してしまった。わずかに見える彼の唇が、更にきつく結ばれる。

 それを見て、鏡花はようやく気づいた。


 ──拓海は、怖がっているのだ。


 鏡花に断られること、拒絶されることを、なにより怖れている。だから、こんなに怒ったような顔で、動くこともしないで、拳にした両手を強く握り締めて、ひどく緊張しているのだ。

 そういえば、いちばん最初に手を握った時、拓海はずっと前方を向いたままだった。握り返したら、すぐにほっとしたような顔になって、こちらを向いて明るく笑ったけれど。

 そう──よくよく考えてみたら、「付き合って」と言われた時だって、鏡花は拓海の顔を見ていない。土下座して、ずっと伏せられたままだったからだ。「いいよ」と返した時に上げた顔が、輝くような笑顔だったから、今まで気づかなかった。

 あの時も、伏せられていた表情は、こんな風に硬く強張っていたかもしれないのに。

「……いいよ」

 と静かに答えたら、ぱっと拓海が面を上げた。


 瞬間、何かを訴えるような──申し訳なさそうな、顔をした、ようにも見えた。

 でも、結局何も言わずに、口を噤んで目を伏せた。


 ゆっくりと、拓海の整った顔が、自分のそれに近付いてくる。

 鏡花にとってもはじめての口付けだ、緊張しないわけがない。どうしたらいいのか判らなかったので、とりあえず目を閉じた。

 気配が限りなく寄せられたと思ったら、そうっと、唇に触れたものがあった。

 柔らかい──と思った途端に、強く押し付けられるようにくっついて、少し離れたかと思うと、軽く啄ばまれた。そうしてまたゆるやかに重ねられる。お互いの息が熱いほどに、近かった。

 頬に当てられた温かい感触に、拓海の手の平だ、と意識する。それは大きくて、優しくて、まるで包むようで、羞恥心より、安心する気持ちのほうがよほど大きかった。

 ……その手は、ほんの少しだけ、震えていたけれど。




 それから、いくたびも口付けを交わしてきたけれど、毎回、拓海は同じことを訊ねる。

 キスしていい?

 その声に混じる、未だ完全にはなくならない、少しばかりの不安と怖れを、鏡花は知っている。気づいている。

 彼のそういう不安や怖れが、どういう理由で存在しているものなのかは、判らない。

 でも、鏡花がその言葉に頷くと、今の拓海は嬉しそうに笑う。

 その笑顔を、鏡花はとても、愛おしいと思うのだ。





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