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月の花  作者: 雨咲はな
本編
12/34

intermission.Ⅰ -過去編-



 小学校からちらほらとあった「告白」というヤツが、中学入学と共に、ぐんと増加した。

 ──なんなんだろうなあ、と、拓海は不思議に思わずにいられない。

 もともと彼は、一人の例外はあっても、女の子とお喋りをするよりは同い年の男の子達とわいわい騒いでいるのが楽しい、という性格だったので、好き、と言ってくる子たちとは、あまり会話をしたことも、更に言うと、自分にとっては面識すらないという場合が多かった。

 そんなんでどうして「好き」だなんて言えるのか理解出来なかったから、付き合って欲しい、という要望を断ることにも躊躇はなかった。拓海には拓海の事情というものがあるし、自分の顔が「好き」の理由なのだとしたら、自分よりももっと顔のいい男が現われたのならすぐそちらに気が移るのだろう、とも思えたからだ。

 もし、拓海が生まれついての女好き、という性分だったら、ひょっとして人生というものはものすごく楽しいものであったのかもしれないのだが、実際そうではないのだからしょうがない。断るたびに、一方的に腹を立てられたり、傷つかれたり、泣かれたりして、正直なところ、中学一年生の時点ですでに、拓海はそういうことに心底からうんざりしていたのだった。


「俺、好きな子がいるから、付き合えない」


 ……だからその時も、拓海はいつものようにちょっとばかり冷淡に、毎度繰り返したお馴染みの台詞を口にした。

 中学校に入って、それこそまだ半年ほどしか経っていないのに、一体何度この言葉を言ったことだろう。数えるのもイヤだから、数えはしないけれど。

 相手は、一学年上の女の子で、はきはきしていてそれなりに可愛い子ではあったが、同時に気の強そうな子でもあった。そして、場数はそこそこ踏んでいたとはいえ、こういうタイプは対応を誤ると厄介だ、なんてことに気づけるほど、この当時の拓海は大人ではなかった。


 ──早い話、二人共に、あまりに未熟で、子供だったのだ。

 だから、目の前にいる人間が、自分と同じように複雑な感情を持っていて、それを知るためには優しさや思い遣る心が必要だ、なんてこと、お互いにちっとも判ってはいなかったのである。


「好きな子? その子と、付き合ってるの?」

 と、女の子は訊ねてきた。基本的に嘘をつくのが得意ではない拓海は、正直に首を横に振る。

「付き合ってない。けど、俺はいずれ付き合いたいと思ってるし、付き合うんだったらその子じゃないと嫌だとも思ってるから」

 女の子はそれを聞いて、案に相違して、快活にあははと笑った。それから、「なーんだ、じゃあ、拓海君の片思いなんだー」と、ぐっさり胸に突き刺さるようなことを言ったが、拓海はかえって、笑い飛ばされたことにほっとした。いつもだと、ここでごねられるか、泣かれるかのどちらかなのだ。

 上目遣いに拓海を見上げながら、女の子は悪戯っぽく笑った。

「……ねえ、好きな子って、誰? 同じ学校の子でしょ? 一年生?」

「いや……」

 その問いに言葉を濁した拓海は多分、今までとは違うその子の態度に、ちょっと当惑もしていたのだと思う。同じ質問はこれまで何回かされたことがあったが、それはこんな陽性な口調ではなく、まるで詰問のようなものばかりであったからだ。だからこそ、「そんなこと、あんたに関係ない」と、冷たく突っ撥ねてこられたのに、こんな風に明るくあっけらかんと訊かれると、なんとなくそういう態度を取るのも躊躇われる。

「一年生じゃないの? ええ~、じゃあひょっとして、あたしと同じ学年だったりして」

 女の子は、更に楽しそうに笑いながら畳みかけてきた。告白を断られ、気落ちしている様子は、少なくとも拓海にはまったく感じられなかった。浮かんでいる笑顔は、仲の良い友人にでも向けられるようなもので、さばさばしているくらいだった。


 ……だから、拓海はつい、油断した。


「うん、まあね」

 と、口を滑らせてしまったのだ。まるで、友達に話しているような気軽な気持ちになって。

 それを聞いて、女の子はますます目を輝かせた。「ええっ、誰?!」と、トーンを上げて聞いてくるその声には、純粋に、驚きと好奇心しかない──ように、聞こえた。

 とはいえ、さすがに拓海も、名前を出すことまではしなかった。警戒心というより、今までずっと自分の胸にだけ秘めてきたその名を、こんな見知らぬ他人も同然の女の子に聞かせるのが嫌だった、という気持ちが強かったのだろう。

「誰って──それは秘密だけど、ちっちゃい頃からよく一緒に遊んでた子でさ」

「へえ。幼馴染ってやつ?」

「まあ、そうだね」

 それくらいは認めてしまっても、どうせ誰のことか判りゃしない、と、拓海は完全に高を括っていた。この女の子とは小学校が違うから、昔のことは知らないはずだという読みもあったし、なにしろこの数年、彼女とはわざと自分から距離を置いて、ずっと疎遠にしているのだ。未来への遠大な計画の一部として。


「──俺さ、ずっと、その子のことが好きだったんだ」


 独り言のように呟く拓海のその言葉に、女の子は、「そっかー」と、また笑った。

 顔は笑っていても、その目は全然笑っていなかったなんてこと、まだまだ気持ち的に幼かったその時の拓海は、まるで気づいてはいなかった。




 ……そんなことがあったことすら、すっかり忘れてしまっていた三ヵ月後。

 委員会に出た拓海は、同じ委員の仕事についている二年生の男子に、突然声をかけられた。相手は拓海と同じ地区に住む人物であるから、当然ながら、鏡花のことも知っている。

「なあ、お前ってさあ、あの子と昔、仲良かったよなあ?」

 と、彼は鏡花の姓を口にした。一瞬、鼓動が跳ねたものの、拓海は愛想のいい笑顔を取り繕う。

「うん、そうだね。けど、最近は全然接触ないなあ。道ですれ違えば、挨拶くらいはするけどさ」

 その挨拶の瞬間、拓海がどれほど気合を入れて「さりげなく」を見せかけ、バクバクと喧しい心臓を宥めながら素知らぬ振りをしているのかということは、もちろん、口には出さない。

「だよなー……」

 二年生は、呟くようにそう言うと、それきり口を噤んでしまった。

 なんだよ、まさかこいつ、彼女に気があるとか告白したいとか、そんなことじゃないだろうな、と拓海は内心かなり穏やかではない。そんなことだったら、死んでも妨害してやる。

 どうやっても睨み付けるようになってしまう拓海の視線にも気づかずに、二年生は何事かを考えているようだったが、やがて、ぼそりと、落とすように言葉を漏らした。


「俺さあ、今、あの子と同じクラスなんだけど、ちょっと、可哀想なことになっててさ」


「……可哀想なこと?」

 思いがけない内容に、貼り付けていた笑みをすっと消して、問い返す。

 ──胸がざわざわ騒ぐような、嫌な予感がした。

「うーん、まあ、イジメ、っていうの?」

「イジメ?」

 無意識に、声が尖がってしまう。

 子供の頃から、大人しくて、口下手なせいか何を言われてもあまり口答えというものをしない鏡花は、よく男の子たちに苛められていたけれど、それは大部分、「困った姿が可愛いから」という子供っぽい好意の裏返しだった。しかし、現在彼女の身に降りかかっているのは、それとは根本的に異なるものだろう。

「なんで?」

 表情こそいつもあまり変わらない鏡花だが、彼女の性質が、非常に素直で穏やかなことは、誰より拓海がよく知っている。けっして自分から目立つようなことはしないし、他人にだって、呆れるほど優しい。一体、彼女の何処に、イジメの対象にする口実なんてあるのかと、拓海の口調は自然、憤懣の込められたものになる。

 しかし、その質問には、二年生も戸惑うように首を捻るだけだった。


「それがよく判らないんだ。……なんかさ、三ヶ月前くらいかな、ものすごく唐突に、『いっつも無表情で、気持ち悪いよね』なんて言い出したグループが出てきて、イジメが始まったんだよ。それまで、そんなこと、言われてもいなかったのにな。愛想がないって言ったって、話しかけりゃ普通に答えるし、笑うこともないけど、怒ることもないしさ。まあ、大人しい優等生、ってカンジで、クラスでも特に浮いていなかったのに、ホント突然で、不思議なくらいだった。──今じゃあの子、そのグループに引きずられるように、大半の女子から無視されて、かなり孤立してる。お前がまだあの子と仲がいいんなら、ちょっと陰ながら力になってやれよ、って言うつもりだったんだけど」


 まあでも、女の世界ばっかりは、男には迂闊に手出しできないよな、と勝手に結論を出し、溜め息をつくと、二年生は拓海の前から立ち去ってしまった。

「…………」

 その場に残された拓海は、ぐっと自分の拳を強く握った。

 それはそうだろう、と拓海だって思う。下手に男の自分が口出しなんてしようものなら、事態はもっと複雑に紛糾して、取り返しのつかないことにもなりかねない。黙って静観し、出来るものなら他の女子には見えないところで励ましてやれ、という彼の言い分は、まったくもって納得のいく言い分だった。

 けれど。

 ……けれど、拓海は我慢ならなかったのだ。鏡花がつらい思いをしていることにも、理不尽な仕打ちにも、腸が煮えくり返るほど頭にきて、居ても立ってもいられなかった。

 だから、とにかく様子を見てみようと思い、鏡花のクラスまでこっそりと覗きに行って──そしてそこで、拓海ははじめて、知ったのだった。

 その時になって、ようやく。



 鏡花を苛めているグループの中心にいる人物、そのイジメの発端となるようなことを唐突に言い出した女の子が、三ヶ月前、自分に告白してきたあの二年生だということを。



          ***



 ふう、と小さな息をつきながら、鏡花は学校からの帰り道を歩いていた。

 今日もダメだったなあ……と、心の中で呟いて、視線を下に向ける。そこに見えるのは、自分の長く伸びた影くらいなのだが。

 勇気を出してクラスの女の子たちに自分から話しかけても、返ってくるのは気まずい沈黙か、あからさまな無視だけだ。そうすることによってしか、事態の収束の仕方が自分には判らないのだからしょうがないのだけれど、こういうことがもう三ヶ月近くも続くと、さすがに心が折れそうになってしまう。

 こんなことになった、そもそもの理由が、鏡花自身には思い当たらないというのも、状況を解決できない原因の一つなのだろう。表情が変わらない、と言われても、それは以前からのことだし、それを「気持ち悪い」と言われるのなら、おそらく相手にそう思わせるに至ったきっかけなり何なりがある筈なのだろうと思うのだが、考えても考えても思いつかない。

 それを真っ先に言い出した女の子と鏡花は、もとからそんなに親交があったわけでもない。言葉を交わしたことくらいはあったが、それもただ単に用件を伝えるくらいの内容でしかなかったように思う。いつも笑顔を浮かべているような活発な子で、何をするにもリーダーシップをとるタイプの彼女は、どちらかといえば、鏡花にだって親切に接してくれていた。


 ──きっと、彼女を怒らせるような不始末を、鏡花がしてしまったのだろう。


 何も考えていないわけではないけれど、感情を表に出すことも、それを言葉に変換することも苦手な鏡花は、昔から、他人を喜ばせたり楽しませたりすることが上手に出来ない。逆に、苛々させてしまうことの方が多いのも知っている。だから、問題があったとすれば、多分間違いなく鏡花の方なのだろう。でも、それが「何」であったのかが判らないのでは、謝りようもない。

 ……自分がどうして人を不愉快にさせたのか、自覚もないなんて、本当に最悪だ。

 ふう、ともう一度溜め息をついた時。


「……キョーカちゃん」


 と、後ろから、ちいさな声がかけられた。

 振り返ると、幼馴染の男の子が、俯きがちに立っていた。彼から声をかけてくるのは、非常に久しぶりだ。

 ああ、懐かしいな、この呼び方──と、鏡花は思わず目元を和ませた。

 幼稚園の頃から、周りの大人が何度「鏡花ちゃん、だよ」と直しても、小さな拓海はたどたどしい口調で、「キョーカちゃん」と繰り返して、皆の微笑を誘っていたものだっけ。

「た」

 拓海、と名を呼びかけて、途中で思い留まる。もう中学生になって背も高くなった男の子に対して、昔のままの呼び方をしたら、不快にさせてしまうかもしれないと思ったからだ。

 ただでさえ、子供ではない現在の彼はもう、鏡花に必要以上近寄らないようにしているようだし。

 とはいえ、じゃあなんと呼べばいいのか思いつかず、戸惑う鏡花は、言葉を続けられないままその場に立ち尽くしてしまうしかない。せっかく拓海のほうから珍しく声をかけてきてくれたのに、上手いこと会話を繋げることができないなんて、ああ、本当に、どうして自分はこんなにも、何もかもが不器用なのだろう。

 拓海は俯いたまま、鏡花の方を見もしなかった。顔色が悪いようだが、もしかして、気分でも悪いのかなと心配になってくる。

 どうしたの? と聞こうとして口を開きかけたら、彼は再び、絞り出すようにして言葉を出した。


「……キョーカちゃん、俺……」

 その唇の端は、微かに震えているように見える。


 泣きそうだ──と、鏡花は不意に思った。

 子供の頃、拓海のこんな顔を見たことがあることを思い出す。そうだ、あれは、幼い鏡花が、近所の男の子達に他愛ないイジワルをされた時だ。

 泣いている鏡花を心配して、自分よりもよっぽど身体の大きな男の子達に怒って向かっていって、そして返り討ちにあって、悔しそうに泣いていた拓海。


 ごめんな、あいつら、やっつけてやれなかったよ、キョーカちゃん。

 ごめんな、守ってあげられなくて、本当にごめん──


 もしかして、とひとつの疑問が鏡花の胸に湧いた。

 ……もしかして、今の鏡花の状況が、彼の耳にまで届いてしまったのだろうか。それでまた、子供の時のように、不甲斐ない鏡花のことを心配してくれているのだろうか。もう、今ではほとんど関わりのない幼馴染ではあっても。

 優しい子だから。


「大丈夫だよ」

 咄嗟に、何を考えるまでもなく、その言葉は勝手に鏡花の口から滑り落ちていた。


 拓海が、驚いたように顔を上げる。昔と比べて、随分と精悍さが増したけれど、まだあどけなさが残るその顔を、鏡花は真っ直ぐ見返した。

 こんな優しい拓海も、小学校の高学年になってから、急によそよそしくなってしまった。あれだけいつも一緒にいて、同じ思い出を共有した彼は、今ではもう挨拶くらいしかしない。鏡花は今までそのことを、男の子特有の照れなのかと解釈していたのだけれど、それは違うかもしれないと、今更になって思いついた。


 ──それもこれも、きっと、鏡花がつまらない人間であるからだ。


 クラスメートの女の子たちのように、何か不愉快な思いをさせてしまったのかもしれない。彼を怒らせるようなことを、やっぱり自分でも気づかないうちにしてしまったのかも。けれど拓海は優しいから、そんなことは指摘しないで、ただ黙って距離を置いていったのだ。でなければ、こんな風に急激に疎遠になったりはしないだろう。

 この子でさえ呆れてしまうほど、鏡花はあまりにも無知で鈍感な人間だったということだ。


 ……こんな自分だから、人が離れていってしまうのは、しょうがない。


「大丈夫だから」

 もう一度、同じ言葉を繰り返す。

 拓海に心配をさせてしまうことだけは避けたい、と思った。これ以上、この子の善意を甘受するわけにはいかない。鏡花がいくらつまらない人間であっても、拓海のこの優しさにつけこんで、巻き込んでしまうことだけは、自分に対して許さない。

 拓海は、鏡花の言葉を聞いて、一瞬、更に泣きそうに顔を歪めた。ああ、そんな顔をしないで、と心の底から願うように思う。

 私はいいから、大丈夫だから。


 ──いつもみたいに、笑っていてね。


「……ごめん」

 聞こえるか聞こえないかくらいの小声で拓海は呟いて、ぱっと身を翻し、駆けていってしまった。どうして拓海が謝るのか、よく判らない。

 去っていく背中を見送り、また息を吐く。これで三度目だが、先ほどまでのように、そこにやりきれない暗さは混じっていなかった。


 頑張らなくちゃ、と顔を上げ、青い空を見ながら思う。


 あの幼馴染の男の子に、もう心配をさせたりしないように、鏡花はきちんとこの問題と向き合って、自分の手で解決しなくては。

 幸い、クラスの全員が鏡花を無視しているわけではない。今までと変わらない態度で付き合ってくれて、「あたしは鏡花のこと判ってるから、頑張りなよ」と励ましてくれる友人もごく少数だがいるし、誰も見ていない場所でなら、こっそり話しかけてくれる女の子も何人かいる。大丈夫、希望の光はある。

 「鏡花」という人間は、もう変えようがないけれど、悪いところがあるなら改めて、不愉快な思いをさせたならちゃんと謝って、少しずつでも良い方向へいくように。

 ……頑張ろう。

 鏡花は、今度こそ前を向いて、歩き出した。





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