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月の花  作者: 雨咲はな
本編
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act1.ケータイ攻防戦



「あっ、もしもし~。キョーカちゃん?」

 携帯の向こうから聞こえるどこまでも軽いその声は、軽いだけでなく、元気いっぱいでよく通って鼓膜を直撃し、思わず鏡花の眉を寄せさせた。

 眉を寄せてから、そういえばこの声の主は自分の「彼氏」とか「恋人」とか呼ばれる人物であったことを思い出し、仮にもそういう人間から電話を貰って眉を寄せてはいけないのではないかと思い至って、自分の行為をちょっと反省した。この間、約十秒。

「もしもし、もしもしキョーカちゃん、聞こえてる?」

 その十秒の間、無言が続いたわけなので、相手は携帯の電波状況が悪いのかとでも思ったらしい。更に音量が跳ね上がり、再度鏡花の耳にぴりぴり響く。そのうち、耳鼻科に通わなくてはいけなくなったらどうしよう。

「聞こえてる」

 いつも「淡々としすぎてて怖い」と評されている声で返事をすると、携帯の向こうから、ホッとしたような感情が伝わってきた。顔も見えないし、声も発していないのに、どうしてそういうのを伝えられることが出来るのか不思議だ。ただでさえ感情表現が苦手で、顔を見合わせていてさえ、何を考えているのか他人にはさっぱり判らないらしい鏡花にとっては、羨ましい限りである。

 そういえば以前、そんなようなことをぽつぽつと口にしたことがあったっけ。その時の話し相手でもあり、この電話の向こうにいる人物でもある拓海は、もともと可愛らしい造作をした顔をでれりと崩して、

「そりゃあ、愛だよ、愛。俺が何を考えて、何を思ってるか、キョーカちゃんが知りたいと思う気持ちがあるからさ」

 と、何の根拠もなくきっぱり断言していたのだったが。


 そうかなあ。

 でも、学校のみんなも、「拓海君は、顔を見ただけで何を考えてるのかすぐ判る」って言ってるけど。

 それも愛なのかな。

 確かに、拓海は昔から、誰からも愛される得な性分をしていた。


「で、キョーカちゃん、今、何してんの?」

 鏡花の愛想のない返答は今に始まったことではないので、まったく気にした素振りもなく、拓海は上機嫌な声で問いかけてきた。特に用事はなくても、彼は毎日のようにこうしてまめに電話をかけてくるのだ。

「テレビを見てる」

「へえ、キョーカちゃんがテレビ見るの、珍しいね。何かやってたっけ?」

「時代劇」

 ああ、と携帯の向こうから、笑い声がした。

 厭味でも嘲りでもない、本当に楽しそうなその声を聞いて、そうか、拓海が誰からも愛されるのを、「得」だなんて表現してはいけないな、と鏡花は内心で自分を戒めた。


 彼のこういう真っ直ぐな心根は、子供の頃からあった天性のもので、決して計算や打算などでなされているわけではないのだから。

 それゆえに彼が愛されるのは、自然の摂理というものである。


「キョーカちゃん、時代劇好きだもんな、昔から」

 拓海の声音に、少しだけ優しいものが混じる。

「うん」

 と、鏡花は返事をして、電話では見えもしないのに頷いた。

 なんで子供の時から自分がそれを好きなのかというと、多分、時代劇というのが、非常にシンプルかつ判りやすい作りになっているからなのだろう。

 善人は善人、悪人は悪人を貫いて、矛盾とか葛藤とかを綺麗さっぱり無視しつつ、見事なくらいワンパターンな起承転結を踏襲し、最後は必ず一件落着、メデタシメデタシで終結する。そこには入り組んだ感情のもつれとか、どろどろした愛憎劇の入り込む余地もない。

 そういうのを見ると、鏡花はいつも、なんだかひどく、安心するのだった。

「なに、テレビはリビングで見てるの? それとも自分の部屋?」

 どうしてそんなことが気になるのかなと疑問に思いながらも、「リビング」と答えると、携帯の向こうでほんの一瞬の間が空き、すぐに陽気な声で提案があがった。


「だったらさあ、一緒に見ようよ、キョーカちゃんの部屋で。俺、今からそっちに行くからさ」


「え、今から?」

 訊き返す鏡花の声音は、他の人間が聞いたら普段とまるで変わらないトーンである。しかしそこはそれ、家族であるからして、同じくリビングでテレビを見ていた妹の雪菜はその中に微妙な驚きが入っているのを敏感に感じ取ったらしく、怪訝そうに姉の方を振り向いた。

「でも、もう八時過ぎだよ。外、真っ暗だし」

「まだ全然早いじゃん。俺んちからキョーカちゃんちまで、一分もかかんないし、親だってキョーカちゃんちに行くって言えば何も言わないよ」

 拓海の家は、鏡花の家の三軒先に建っているのだ。

「うーん、でも、何もわざわざ。時代劇見たいなら、拓海も自分の家で見れば?」

 自分としてはかなり真っ当なことを言ったつもりなのだが、拓海は明らかにその答えが気に入らないらしかった。

「俺ひとりで見たって意味ないでしょ。キョーカちゃんの部屋で、キョーカちゃんと一緒に見ることに意義があるんでしょ、恋人同士なんだから」

「『恋人同士』の定義に、『一緒に時代劇を見る』っていうのは入ってないと思う」

「いいから、俺今から家を出るから。いいよね?」

 何がいいからなのかさっぱり判らなかったが、畳みかけるように早口で言われ、それでなくても口下手な鏡花はもうそれ以上、反論の言葉を口から出すきっかけが掴めない。

 声が揺れているところから察するに、どうやら拓海は携帯で話しながら、すでに出かける用意でもしているらしい。それだったらもうしょうがないかなあ……とぼんやり考えていると、不意に自分の手からするりと携帯を抜き取られた。


「ちょっと拓ちゃん、なによ、今からうちにでも来るつもり?」

 刺々しい声で、鏡花から奪い取った携帯に話しかけたのは、妹の雪菜だった。


 声は聞こえないが、なんだよ雪菜かよ、お前関係ないだろ──というようなことを、拓海は言っているようだ。

「関係なくないでしょ、お姉ちゃんはねえ、今あたしと仲良くテレビ見てんの。お姉ちゃん時代劇好きなのに最近じゃ滅多にテレビでやんないから、特番のやる今日は特別と思って、ホントはバラエティ見たいの我慢して、お姉ちゃんと一緒に見てんのよ。だから邪魔しないでよね」

「え、雪菜、他に見たいのがあったんだ。だったら私、自分の部屋で見るから──」

 と、鏡花は妹に向かって言ったのだが、それはつるりと無視された。

「大体黙って聞いてりゃなによ、恋人同士なんて図々しい。お姉ちゃんの高校に追いかけて入ったと思ったら、入学式の日にいきなりうちにやって来て、土下座して『付き合ってください』って頼み込んで、強引に付き合ってるだけのくせに」

 雪菜はとてもはっきりした性格の子なので、物を言う時はぽんぽんと言う。

 その横顔を見ながら、この妹も変わった子だなあ、と表情は変わらないのだが、心の中ではしみじみとして、鏡花は思っていた。


 ……学校では。

 ポーカーフェイスというよりは無表情、クールというよりは無愛想な鏡花と、入学時から「アイドルみたい」と騒がれた華やかな容姿、その上あくまで明るく爽やかなノリの拓海とでは、どう考えても釣り合わないと思われているし、実際、面と向かって言われたことが何度もある。

 その場合、幼馴染として不憫に思ったんだろう、と同情されるのはもちろん拓海のほうで、「恋人同士なんて図々しい」と言われているのが鏡花だ。

 拓海のほうから土下座までして「付き合って」と言われた、というのは嘘じゃない。ただ、そんなことをうっかり口を滑らせて言った日には、なんの妄想かとドン引きされることも目に見えているので黙っているだけなのだが、結果として、どうしてこの二人が付き合っているのか判らない人たちには、ますます鏡花が腹立たしく見えるらしい。

 外見からしても性格からしても、拓海が女の子達にもてるのはよく判るし、その拓海がどうしてよりにもよって自分のような人間を選んだのか、鏡花自身にもさっぱり判らないので、まあいろいろと言われるのは仕方ないかもな──と自分でも思っているというのに、唯一、優しいこの妹だけは、いつもいつも鏡花のことを庇ってくれているのだった。


(いい子だよね)

 と、あくまで顔には出さずにひとり感慨に耽る鏡花を余所に、拓海と雪菜はしばらくぎゃんぎゃんと言い争っていたが、ぷんぷん怒りながら、妹は携帯を突き返してきた。

「いい、お姉ちゃん。絶対に家に来させちゃ駄目よ、こんな時間にお姉ちゃんの部屋で二人きりなんて、下心ミエミエすぎてお話にもならないってのよ。お姉ちゃんをそんな貞操の危機に陥らせるような真似、あたしの目の黒いうちは、絶対に許さないから」

「はあ、貞操の危機……」

 古い言葉を知ってるんだね、偉いなあと感心しながら携帯を再び耳に当てると、そちらからも興奮した拓海の声が飛び込んできた。

「なんだよ、あいつ! 大体さあ、昔っから俺がキョーカちゃんと仲良くなろうとするのを、どんだけ雪菜に邪魔されたか知れないっていうのにさ。俺とキョーカちゃんはもうちゃんとした恋人同士になったんだから、邪魔される筋合いないだろ。生意気なんだよ、中坊のくせに!」

「…………」

 あなたもわりと最近まで中坊だったじゃないですか──と喉元まで出てきた言葉を、鏡花はなんとか呑み込んだ。一才年下、ということを拓海は案外真剣に気にしていて、そういったことを鏡花本人に言われると、たいそう傷つくらしいのである。

「えーと、じゃあ、そういうわけなので、拓海は自分の家でテレビを見てね」

 鏡花がそう言うと、勝ち誇った笑い声と、失望のブーイングが同時に響いた。ひとつは携帯の外側、ひとつは携帯の中からだ。

「ひどいよ、キョーカちゃん! 俺と雪菜のどっちが好きなのさ!」

「うーん、雪菜かな」

 鏡花と違って愛嬌もあって顔も可愛い雪菜なのに、小さい頃からこんな不出来な姉のことをずっと守ってくれたのだ。そのあたりの愛情と信頼は、はっきりいって、幼馴染の比ではない。

 そういえば、昔の拓海も、小さいナリで一生懸命、イジメの標的にされやすい鏡花のことを随分と心配してくれていたのだっけ。でも小学校高学年くらいから急に疎遠になりだして、中学生の時などはほとんど口もきかなかったのだけれど。


 ──それがどうして、高校生になった途端、「付き合って」ということになったのだろう?


 そんなことを考えて首を傾げている間にも、携帯からは、がんがん拓海の抗議の声が鳴り響いている。比喩的な意味ではなく、耳が痛い。「彼氏」よりも妹をあっさり取ったことに、心底憤慨しているようだ。

「なんだよ、キョーカちゃん! 俺よりシスコンの妹を取るのかよ!」

「ああ、シスコン……」

 鏡花の答えを聞いて、妹の方はすっかり満足した顔で、鼻歌まで歌いながらまたテレビに目をやっている。その姿を見て、そうか、これをシスコンというのか、と非常に納得した。

「つまり、拓海もそういう……」

「ちょ、違うからね?! 言っておくけど、俺は雪菜みたいにシスコン気分でキョーカちゃんを好きだって言ってるわけじゃないからね?! そこんところ、誤解しないでよ?!」

 まだ何も言っていないのに、拓海はものすごく慌てた口調で遮った。こんなに焦るところからして、やっぱり自分でもなにがし自覚しているところがあるのではあるまいか。

 だったら、自分も、これからは姉のように拓海に接したほうがいいのだろうか。

「まあ、とにかく拓海、今日のところは諦めて。明日になったらまた学校で会うんだし」

 ほんの少し宥めるような言い方になったのが、拓海にはかちんときたらしい。

「いいよ、キョーカちゃんなんて、どうせ俺より妹といた方が楽しいんだもんな」

 すっかり拗ねてしまったようなのが、携帯を通しても伝わってくる。喜んでも怒っても感情の起伏が判りやすい、というのは拓海の美徳だなあ、と鏡花は素直に思うので、もちろんそれで不快になったりはしない。ちょっと子供っぽいなとは思うけれど、そういうところも決して嫌いではない。

 しかし鏡花の内心は、拓海のように携帯を通じては伝わらないようで、自分で言っているうちに、拓海はどんどん不機嫌になってきたようだった。

「そりゃあ俺の方から強引に告白したんだけどさ、けど、キョーカちゃんだって『いいよ』って言ってくれたってことは、少なくとも俺のこと好きでいてくれるわけでしょ。だったらもうちょっと二人の時間を大事にしてくれたって良さそうなもんじゃん」

「……でも、学校の行き帰りも一緒にいるわけだし、拓海はしょっちゅううちにも遊びに来るし、結構二人で過ごす時間って多いと思うけど」

「それだって、いつも俺のほうからでしょ。デートだってなんだって、キョーカちゃんから積極的に誘ってきたことなんて一度もないでしょ。そういうの、俺だって時々寂しくなっちゃうでしょ」

「…………」

 そういうものなのか……と、鏡花は生真面目に言われた言葉を反芻した。

 なにしろ「お付き合い」というのが、自分にとってこれが初めての経験なので、こういうものかと思いながらやって来ていたわけなのだけれど、それが拓海に寂しい思いをさせていたとは気づかなかった。


 本当に私は駄目だなあ、と反省する。


 ここはやはり、姉のような気持ちで、もう拓海を自由にした方がいいのかもしれない。きっと自分なんかより、可愛くて性格も愛想も良くて、ちゃんと拓海を大事にする子が他にいくらでもいるだろうし。

 携帯の向こうで、拓海はまだむくれている。

「こういうことが続くとね、俺だって気の迷いが起きないとも限らないし。だからさ、もうちょっと」

「うん、判った」

「俺のこと……って、は? 判ったって、何が」

「私はやっぱり、拓海にとっての『いい彼女』にはなれないみたいだね。ごめん。私のことは気にしないで、もっと他にいい子を探してくれていいから」

「え、ちょっ」

 本人としては真摯な気持ちで、しかし他人からするとどこまでも冷淡にしか聞こえない声と言い方でそれだけ言うと、それなりにしんみりしながら鏡花は通話を切った。

 切るや否や、間髪入れず着信音が鳴る。

 妹が座っているソファに身を沈めて笑い死にしそうになっている中、「?」と思いながら耳に当てると、もしもしと言う前に、

「ゴメンナサイ、嘘です!!」

 という拓海の悲鳴のような声が、小さな機械から大音量で飛び出してきた。





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