第25章 学び(3)
第25章 学び(3)
第1話 章の始めに(NP問題)
最初に、少し纏めをしたいと思います。
グラフ理論の基礎を少しかじった事で、考え方の幅が広がったように感じます。
以前、NP問題の研究者には次の「2通りの人達が存在する」と述べました。
① 計算量理論の研究者:NP完全とNP困難の違いについて重要な意味を持つ。
② アルゴリズム論の研究者:NP完全とNP困難の違いについて
それほど重要な意味を持たない。
①の人達の目的はO(n!)をO(n^c)レベルに落とす事だと解釈しています。
しかし(n^c)レベルが実用的か?否か?の判断は、僕には出来ません。
②の人達の目的は、O(n!)をより速く解く方法を、組み立てる事だと思います。
しかし、nがいくつで、どのくらいの速度で解ければ「NP問題」を解いた。
と、言えるのでしょうか?
更に、NP問題が解けたとしても、もっと大きな問題もあります。
① O(n!)<O(n^n)
② 次話に回します。
だと、思います。
この問題に突き当たるのは、何年、何十年、何百年先なのでしょうか?
第2話 章の始めに(神経細胞)
神経細胞をノードとして考えます。
シナプスをエッジとして考えます。
トポグラフィックマッピング「神経地図形成」は、グラフに置き換えて考える事が、
出来ると考えます。
つまり、 神経地図形成はグラフG(V,E)に置き換えられると言う事です。
但し、集合(V)は、異質な細胞群になると考えられます。
また、集合(E)もいくつかの種別や重さを持っていると考えられます。
つまり、グラフG({V1、V2...Vn},{E1、E2...En})となります。
V1、V2、Vn、E1、E2、Enは、それぞれが同質の集合となります。
これは、上話の②に相当すると思います。
僕自身が未だ問題の意味をよく理解していません。
つまり、探索する側がどういう姿をとればいいのか分かりません。
第3話 章の始めに(歴史)
歴史に関しては、明確なノードやエッジを示す事が、出来ません。
直感的にグラフ様を示していると、感じるだけです。
大きな事件や出来事をノードとして見ても、エッジが探せません。
もっと、視点を変えたり、粘ったりしなければならないのかもしれません。
第4話 集合論(3)
ブール代数について、学びます。
と、思いましたが、いつかの機会にしたいと思います。
理由は、
① これ以上集合論を学んでも、辿り着く先が目的地にならない事
② 集合論の表記方法が、ここの文章上で難しい事
などです。
僕の解法に必要な、集合の表記方法は学んだと思います。
なので、次章は、位相幾何学を学びたいと思います。
第5話 神経細胞(4)
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以下 Wikipediaより
樹状突起は、神経細胞の一部。
神経細胞が、外部からの刺激や他の神経細胞の軸索から送り出される情報を
受け取るために、細胞体から樹木の枝のように分岐した複数の突起のこと。
樹状突起には、他の神経細胞との間のシナプスが多くあり、
シナプス部位が受け取った情報が、細胞体内で活動電位を発生させて電気信号に変換され、
軸索を通って軸索末端に達するとグルタミン酸などの神経伝達物質が放出され、
これを次の神経細胞が受け取ることによって情報を伝達する。
小脳の神経細胞の一つであるプルキンエ細胞のように、
特徴的な形状の樹状突起を持つ神経細胞もある。
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ここまで、学んで来ましたが、得るものは少なかったようです。
但し、大きなものは得たと思います。
それは、第2話で述べた「グラフ化出来る可能性がある」と、いう事です。
なので、神経細胞は、トポグラフィックマッピング「神経地図形成」を学んで
終りにしたいと思います。
第6話 縄文時代(8)
(岩手県)
① 御所野遺跡…段丘平坦面のほぼ中央に配石遺構があり、
それを中心に縄文時代中期後半に営まれた大規模集落が広がっている。
台地は、奈良時代から平安時代初頭にかけて終末期古墳が構築されている。
墳丘はすでに失われているが、いずれも馬蹄形の周溝をもち、
外径8-9メートルの規模をもち、計20基を確認している。
平安時代後期には東側と西側の地域に集落が営まれ、
竪穴住居や土坑、溝跡などの遺構を検出している。
さらに、中世には台地の西側が城館として利用されたらしく、
竪穴遺構が見つかっている。
このように、縄文時代以降も人びとによって継続的に台地が利用されてきたことが、
調査の結果判明した。
(青森県)
① 大平山元I遺跡…16,500年前(暦年較正年代法による)とされる世界最古の
縄文土器が出土されたと言われている。
② 亀ヶ岡遺跡…縄文時代晩期の集落遺跡。遮光器土偶が出土した。
③ 小牧野遺跡…縄文時代前半の遺跡。三内丸山遺跡の南に位置する。
環状列石が出土。湧水遺構(現在も湧水が存在する)。個性的な墓が多い。
遺跡からは柱の跡と見られる穴が見つかっている。
そのため、ここに何らかの建物が存在していたと推測される。
僕にとって、目新しい発見はありませんでした。
ただ、僕の「空想、妄想」を膨らませてくれました。
次章に「三内丸山遺跡」を記述して、日本史は当面、中断させたいと思います。
第7話 章の最後に
やはり「TSPの解法」は避けて通れないようです。
僕の内側が望んでいるようです。
その結果は予測出来ません。
僕の「心」に平穏を齎してくれる事を、願います。
もし、一部でも解法に興味を持ち、利用されたい方が居られたならば、
一報してくだされば、幸いです。
軍事利用や悪意のための利用以外には、拒否するつもりは全くありません。
最も「僕の解法が有益である」との前提が先に来ます。
数年前の事なので、記憶の欠けているところがあるかもしれません。
おそらく、無いと思いますが、その時は、記述中(または記述後)に訂正が、
入るかもしれません。
僕自身(そして何人かの方)で、5年くらい検証しました。
論理破綻は無いと思っています。
でも、あるかもしれません。
探索速度のベンチやプログラム・コーディングは、自殺願望期に入ってしまったので、
行っていません。
そして「結合」部分が未だ明確では、ありません。
その当時の資料やPCは、全て焼却してしまいました。
「資料やPCを見る事」自体が、僕に恐怖を与えたからです。
次章は、中途半端な話題を打ち切りに持って行きたいと思っています。
その次の章は、
① 今までの振り返り
② 「TSPの解法」
のどちらかに、なると思います。
「TSPの解法」は、第27章か第28章から始めたいと思います。




