第13章 調子
第13章 調子
第1話 自分
「焦らずに生きて行こう」とする自分がいます。
「焦ってしまう」自分もいます。
「何のために生きているのか?」分からない自分もいます。
「生きている事自体が生きる意味だ」と、思っている自分もいます。
「深く考え過ぎてしまう」自分もいます。
そして、迷路に入り込んでしまう自分がいます。
「あるがままに」を受け入れきれていない自分がいます。
「足掻き続けている」自分がいます。
最近、自分の持つ病が、それほど重大なのか?
分からなくなる時があります。
酷く苦悩していた時と比べれば、快方に向かっているのでしょうか?
この比べる事を酷く嫌っている自分がいます。
これは、幼い時からそうでした。
自分を他の人と比べられる事に、酷く嫌悪感を覚えました。
僕自身は、誰と比べられなくとも自分が自分である事を知っています。
と、思います。
そして、その事が社会に順応しきれなかった原因でもあると思っています。
つまり、基準の事をいいたいのですが、次章以降という事でお願いします。
第2話 神経細胞
さて、問題は山積みですが、少しずつ学んで行こうと思います。
「白質とグリア細胞は、直接情報の伝達に係っていない」
と、いう前提で先に進みたいと思います。
可能性があるらしい事も分かりましたが、取り敢えず、考慮外としたいと思います。
あれっ、突然難解になりました。
今までも、難解でしたがレベルを数段上げて難解になりました。
少しずつ、歩みます(学びます)。
神経細胞=ニュウロンとして先に進みます。
神経細胞≠ニュウロンという見方もあるようですが、考慮外としたいと思います。
神経細胞の機能は、情報処理と情報伝達に特化されているようです。
そして、細胞としての基本機能は保持しているようです。
つまり、新陳代謝を行うようです。
新陳代謝については、詳しく学ぶ必要があると思います。
しかし、ここでは簡単に理解しておこうと思います。
「細胞の外界から無機物あるいは有機化合物を取り入れて、自分に必要な
合成や化学反応を行う事」らしいです。
神経細胞は主として次の3つの部位に分けられるようです。
① 細胞体…細胞としての基本機能を持つ
② 樹状突起…信号を受け取る機能を持つ。1つの細胞に複数存在する
③ 軸索…信号を出力する機能を持つ。1つの細胞に基本的に1つ存在する
他に目を引いたのは、シナプス、活動電位です。
これについては、次章以降に学びたいと思います。
個人的に興味を持ったのが、細胞死にいくつか種類のある事です。
壊死は、不本意な細胞の死だと思います。
その他にも、いくつか型があるそうです。
その中で、自発的(あるいは計画的)に細胞死が起こる事があるそうです。
これを、PCDと呼ぶそうです。
学ぶ必要があるのかもしれません。
第3話 インスリン
以前「最小のタンパク質はインスリン」と学びました。
これは、51個のアミノ酸から構成されているそうです。
ネットでインスリンを検索すると目眩がしました。
情報量が多くて何処から手をつけていいのか分かりません。
タンパク質を構成するアミノ酸の個数と機能数は、
関係しないのでしょうか?
インスリンについては、後日でお願いします。
そこで、以前から気になっていた「残基」について調べました。
これは、特定の何かを示す言葉では無く、概念なのだそうです。
概念は、伝える事も学ぶ事も非常にやっかいな代物です。
さて、どうやって「残基」について学ぼうか?考えました。
結論は「困ったら学ぶ」事にしました。
但し、アミノ酸残基は、特定のものを示す可能性がありそうです。
N-末端とC-末端というものがあるそうです。
ついでだったので、気になっていたもう1つの言葉も調べました。
それは「相互作用」です。
これも、概念であり、特定の何かを示すものではないようです。
学び方に気を付けないと、錯誤に陥りそうです。
実体や本質を見失わないように学ぶ必要がありそうです。
第4話 空間
位置の問題を進展させようと、空間について調べてみました。
実体のないもののようです。
そして、定義もないようです。
泥沼に嵌まりそうなので保留にしておきます。
最近「保留」という言葉を好んで使うようになりました。
僕は、病を快方へと向かわせる過程で「諦め」というステップに
入った事があります。
何故ならば、
「何かを求めると、それを得られなかった時に反動が大きかった」
からです。
しかし、それは「絶望」とは、違う意味で考えました。
「再構築」という意味で考えました。
自分の「心」の在り方を変える事にしました。
自分を変える事は大変でした。
しかし、自分以外のものを変える事よりは、手段が多くありそうに
感じました。
話題から、逸れてしまいました。
機会があったならば、僕自身の「心」の変遷を書いて見ようと思います。
第5話 縄文時代
旧石器時代に、人が何を考えていたか?
想像して見ました。
「今日を生き延びる事」
「次世代の者を残す事」
が、最優先課題だったと思います。
しかし、その過程で人は「自分と他者が異なる」事に気付いたのでは
ないでしょうか?
そして、価値観が芽生え、基準を作りだして行ったのではないでしょうか?
「価値観と基準の妥当性」は、それを見る時代によって異なると考えます。
つまり、現代の「価値観と基準の妥当性」も後世の人達から見れば、
どのように映るか分かりません。
(実は、このようにして僕自身を慰めているのですが)
さて、人々は「価値観と基準」を持って縄文時代に突入したと考えます。
日本の縄文時代の時期は、地域によってかなりのばらつきがあるそうです。
基本的には、「約1万年前から紀元前3世紀ごろまでの約8000年間」
と、されているようです。
どの地域が基本になっているのか?
分かりません。
自然界では、1万年前ごろになると、気候が暖かくなって海面が上昇し、
今のような日本列島ができたそうです。
縄文式の土器が作られ、竪穴式の住居も造られたそうです。
何故、僕が歴史を振り返って見ているのか?
理由があります。
ですが、それは次章以降という事でお願いします。
第6話 リズム
実は本日、僕自身の調子があまりよくないのです。
何処が?
説明出来れば、調子の回復方法が見つかると思うのですが、
残念ながら、説明できません。
ただ、快方へのステップのある段階で気付いた事があります。
それは「リズム」です。
これも、説明できません。
世間でも「生活のリズム」が大切だと、よく言われます。
その事自体を否定出来ません。
その通りだと思います。
ですが「心」のリズムも必要だと思っています。
そのリズムを維持するためには「身体と頭の運動」が、
必要だと思っています。
無理をしてでも、リズムを維持する必要があると思っています。
無理だったのか?否か?は、結果が示してくれます。
僕への影響として示されます。
現在「調子やリズム」を他の人に分かり易く説明する方法としては、
数値だと思います。
ですが、僕の内側を数値化する事は出来ません。
今までも、稚拙な文章だったとは思いませんが、
本日の文章は、磨きのかかった稚拙な文章だと思います。
「すいません」




