第1章 始めに
第1章 始めに
第1話 悩み
僕は、何に属するのだろう。
多くのものに属しているような気がする。
だが、大元は何処なのだろうか。
いや、何処という表現が、そもそも間違っているのだろう。
僕は、何者なのだろう。
僕は、いくつの構成要素から出来ているのだろう。
少なくとも、僕の纏っている服装は、僕ではない。
右腕が、失われても僕は、僕なのだろう。
何故、こんな事を考えるのだろう。
何時からこんな事を考え出したのだろう。
何時も無意味だ。
過去は、過去なのだ。
現在の僕が存在するための同じ過去なのだ。
僕は、数年前に自殺願望まで行って来た。
生まれ変わったのではない。
生き残っただけだ。
僕は、自殺願望の数年前にアルコール依存症と宣告された。
はい。お医者様に。
その時は、それほど深刻ではなかった。
その後、3回のスリップ。
スリップとは、業界用語で再飲酒の事だ。
深刻な事態を招いたのは、3回目のスリップの時だ。
宣告された時、1回目の入院を2ヶ月した。
1、2回目のスリップの時は、自力で飲酒を止めた。
そのお陰で、入院までは、行かなかった。
その2回のスリップで学べば良かったのだ。
2回のスリップは僕に対して、何も学びを与えてくれなかった。
おそらく、
「もっと、落ちろ」
こう、誰かが言ったのだろうと思う。
3回目のスリップが酷かった。
1日目、コップ1杯の日本酒。
2日目、コップ2杯の日本酒。
3日目、コップ4杯の日本酒。
4日目以降は、記憶にない。
部屋中にうず高く盛り上がる酒瓶やペットボトル。
頭の中を駆け巡るのは、生きていたくない。
酒を煽る。
寝る。目が覚めなければいいのにと思いながら眠りに付く。
だが、眼が覚める。離脱症状(禁断症状)が襲う。
酒を煽る。
この時が、「ほっと」する一瞬だ。
離脱症状が収まるからだ。
だが、又、「生きていたくない」
酒を煽る。
酒を煽っていれば、いつか死ねると思ったのだろうか。
酒の在庫がなくなれば、酔っ払い運転で、買い溜めに走る。
途中、橋を渡りながら「川に突っ込もうか」
本能が止めたのだろうか。
この頃の記憶は、断片的にしか残っていない。
ついに、その日がやってきた。
僕は、その日がくる事を知らなかった。
「底つき」
僕の身体がアルコールの摂取を拒否し始めた。
結果として、離脱症状が収まらない。
酔っ払い運転で、病院に駆け込んだ。
第2話 興味
アルコール依存症の事は、折りに着け綴ってみようと思う。
病院に駆け込んだ瞬間から入院が決まった。
僕が、今ここにいるという事は、退院したという事だ。
アルコール依存症を治す薬も方法も、現在の医学は持っていない。
唯一の延命方法は「断酒」だけだ。
「断酒」の定義は「一生お酒を飲まない」だ。
飲酒を続行すると、依存症でない人の何倍以上もの速さで寿命が失われて行く。
極端ではなく、飲酒した直後に死を迎える人もいるらしい。
アルコール依存症者の平均寿命は、52歳のようだ。
この数字に僕は、懐疑的だがその事は、いつの日にか。
アルコール依存症者は、基本的に当事者同士でのミーティングを
義務付けられる。
(他の地域では、断酒会やAAという活動が活発らしい事を後で知る)
もちろん、最大のテーマは如何にして「断酒」をするかだ。
ミーティングには、退院した人も任意で加わる事が出来る。
「アルコール以外に興味を持つ事が大切だ」
ほとんどの人の意見が、それに集まる。(僕の出席したミーティングでは)
僕は、趣味も興味も無かった。
ただ、平穏に日々を暮らして行きたかっただけだ。
だが、それが難しい。
退院すると、入院時とは異なる環境に置かれる。
僕は「自閉症」「対人恐怖症」になった。
退院後の1年は、これを克服する事に費やされた。
僕が係る人には、積極的にアルコール依存症者である事を告げた。
この費やされた時間が無駄だったとは思わない。
「心」に重みや変化がある事を知った。
全てを知ったのではない。ある事を知っただけだ。
「自閉症」「対人恐怖症」だった僕が、人と積極的に係ろうとしたのが、
翌年からだ。
だが、現実に打ちのめされる。
お金が最優先の世界らしい。
命や人の心(気持ち)は、二の次未満らしい。
僕も病気になる前は、そうだったのかと思うと「ぞっ」とした。
「自閉症」「対人恐怖症」は、陰を潜めたが、今度は厭世感が襲ってきた。
不思議な事に「生きていたくない」とは、思わなかった。
「生きてから死ぬ」事が、生きて行く基礎となった。
何故、そういう心境になったのかは、分からない。
ただ、足掻いたり、もがいたりして見る事にした。
ある日、思い出した。
20年以上かけて、解法を求めた数学の問題だった。
この問題は、完全に解法を得たのではなかったが、僕自身が納得できるところで、
区切りをつけたものだった。
この解法を世に出すつもりはない。
誰かの評価が欲しいわけでもない。
誰かから、対価を貰って取り組んだ問題でもない。
ただ、この解法を求めていた時に得た副産物が、僕の職に影響を与えた事は事実としてある。
そして、未だ残余の副産物もある。
興味として、この副産物と一緒に足掻いたり、もがいたりしてみようと思う。
第3話 集合
冒頭で、
僕は、何に属するのだろう。
多くのものに属しているような気がする。
だが、大元は何処なのだろうか。
と、述べた。
実を言うと、集合の事を述べたかったのだ。
現在の心境を言うと、僕は、何かの全体集合に属していて、その全体集合も
もっと大きな全体集合に属していると考えている。
そして、それは、有限回なのか、無限回なのかは分からないが、延々と続くものだと思っている。
現時点で、有限回か無限回かを議論する事は無意味だと、僕は思う。
そして、哲学的な記述をしたいとは思わない。
と、いうより哲学的に記述する事が僕には出来ない。
名称を「集合」ではなく「集質」にしたいと思う。
何故なら、僕の述べたい事は、集合論とは異質だと思うからである。
これは、僕が正しくて、集合論が過ちだと言っているのではない。
そして、集合と集質を錯誤しないためにも必要だと思う。
これから、述べて行く事は、僕の足掻きやもがきであり、何らかの成果を求めるもので
ない事は、断言できる。
(出来れば、「心」の重みや変化の事が少しでも分かればいいなという淡い期待もあります)
僕は、職(生活のための仕事)で論理を少しかじった。
論理は、「真」と「偽」で全てを表現する。
僕のこれからの記述には、これに「中」「外」を加えたいと思う。
「中」とは、「真」と「偽」の中間である。
「外」とは、「真」と「偽」の外にあるものである。
これで、充分なのか自信はないが、この世界が「真」と「偽」だけで成り立っていない事は、
明らかだと思う。
全体集質は、部分集質を持つ。
全体集質は、部分集質を加算したものではない。
全体集質は、部分集質の全ての質を集めたものである。(未だ、演算方法が未定です)
部分集質は、重なりを許す。又、重ならない事も許す。
部分集質は、重なり合っている部分集質のみ認識できる。
部分集質は、全体集質の命令でのみ変化できる。
部分集質は、全体集質の命令を完結しないと、次の命令を受け取れない。
全体集質は、上位の全体集質からの命令で変化する。
部分集質を一人の人として物語を進めたいと思います。
その過程で、上記の条件が変わるかもしれません。
いえ、きっと変わると思います。
但し、自己矛盾を起こすような都合のいい変わり方はしません。
第3話の締めくくりとして、僕自身を表現する事は、現存する科学や式では、
出来ないと思っています。