princesse du nuit #6
咲夜さんには送ってもらえないから、当初の予定通りに電車で行かなくてはならない。
まぁ、それについては仕方無いことだから良いのだけど、凛ちゃん達に、送ってもらうのは無理になったと連絡をしなくてはならない。
羚がまた、何か色々聞いてきそうで面倒くさい。
「護。少しだけ後ろを向いていてもらえますか? 」
「わ、分かりました」
咲夜さんが、佳奈を着替えさせるのだろう。良かった。頼まれなくて……。さすがにそれは頼まれたとしても、断ったと思うが……。
「失礼しますね」
「あぁ…………」
佳奈の辛そうな声と一緒に、衣擦れの音も聞こえてくる。
「護はこれを選んだのですね……」
何かまずかったのだろうか。下着は何も見ずに取ったわけだし。
「何か駄目でしたか……? 」
「そういうわけではないです。ただ、護は緑色が好きなのかなぁって、思っただけです」
「まぁ……」
嫌いな色ではない。というか、あまりこの色が好きだとか嫌いだとかを考えたことがない。
咲夜さんが緑色と言ったということは、適当に選んだ下着の色もパジャマと一緒で緑色だったというわけだ。
「終わりました。もう大丈夫ですよ」
ちょっとした地獄を味わって数分、ようやくそれから解放された。
寝ている佳奈はしんどそうではあっが、さっきよりかは大丈夫そうにも見えた。
「私、これから佳奈お嬢様のためにお粥を作ってきますね」
「はい。分かりました」
俺も朝ご飯を食べないといけないな……。
「護の朝ご飯もここに持ってきましょうか? 」
「はい。お願いします」
この家を出るギリギリまでは佳奈を見ておきたい。心配だし。
「分かりました。ではしばらく待っていてくださいね」
「はい」
俺は寝ている佳奈に近づき、その髪を撫でる。
……綺麗だよな……。
本当なら、こんなことをしている場合ではないのだけれど、何故かこうしたい衝動に駆られたんだ。別にこれくらい良いだろう?
「護か………………」
佳奈が目を開け、俺を見つめる。
「もうすぐ咲夜さんがお粥持ってきてくれますから」
「そうか……。護今日も用があるのだろう? その……、時間大丈夫なのか…………? 」
「えぇ。大丈夫です」
これは嘘だ。
もう六時を回っているし、集合時間の九時には間に合わない可能性がある。
かかる時間が二時間くらいなのだが、それは風見駅からではなく家の近くの黒石駅からかかる時間だ。ここからならその時間にプラス三十分はかかるだろう。
よって、もう間に合わない。少しだけ遅れる程度だ。凛ちゃん達も、事情を分かってくれるだろう。
「なら……、良かった。護……」
「はい? 」
「こんなに私に近づいていると……、風邪移るぞ…………? 」
「俺に移って、佳奈が元気になってくれたら嬉しいですね」
「まったく…………。護らしいな……」
「俺らしいですか……? 」
「あぁ。護は……、何時にここを出る? 」
「七時くらいですかね……」
もう間に合わないというのが分かっているから、いつ出ても良いような気もするが、しーちゃん達に迷惑をかけるわけにはいかない。
「なら……、それまでは私の傍にいてくれるんだな……? 」
「はい」
佳奈は嬉しそうに笑った。
「佳奈。電話しても良いですか? 」
「あぁ。気にしなくて良い」
「ありがとうございます」
佳奈の承諾を得られたので、佳奈の頭を撫でていた手を離し、扉の近くに置いていた自分の鞄の中から携帯を取り出す。
佳奈と距離を取り電話しようとすると。
「護……」
「はい? 」
「そばにいてくれるんじゃなかったのか……? 」
「いるじゃないですか」
「私の横にいて欲しいんだ……」
こんな甘えている佳奈を見るのは始めてだ。レアだ。
「分かりました。でもうるさいですよ? 」
「大丈夫だ。私に聞こえてくるのは護の声だけだからな」
こんな風に頼まれたら、断れない。
俺はベットの近くに戻り、佳奈の手を握った。佳奈の手は、汗で少し湿っていた。
「護…………? 」
「嫌……、でしたか? 」
「そんなことはない。むしろそうしてくれているほうが安心出来るし、嬉しい」
「なら、良かったです」
俺は佳奈の手を強く握り直して、もう一つの手で携帯を開けた。
しーちゃん、凛ちゃん、楓ちゃん、そして羚に連絡をし終えたタイミングで、扉の外から咲夜さんの声が聞こえた。
「護」
「どうしましたか? 」
「両手が塞がっているので、開けてもらえませんか? 」
「分かりました」
俺は一度佳奈の目を見てから、その手を離した。
「ありがとうございます」
咲夜さんはお盆を両手に持っていて、左の方に佳奈のお粥が、右の方に俺の朝ご飯があった。
「佳奈お嬢様の机の下に、小さい机が立てかけてありますから、それを取ってもらえますか? 」
咲夜さんの言われた通りそこに目をやると、本当にあった。本当に気づかなかった。
机の脚が閉じてあったので、それを出してからベットの近くに置く。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
咲夜さんは、俺が準備した机の上にお盆を置いた。
「スープしか用意出来なくてすいません」
「いえ。構いませんよ」
俺は佳奈側に腰をおろした。
「護、何時に出られるんですか? 」
「後三十分くらいで出る予定です」
「分かりました。なら、風見駅までは送って行きますね」
「別に大丈夫ですよ。佳奈の隣にいてあげてください」
「それくらいはさせてくれませんか? お世話になってるわけですし」
「でも…………」
俺は渋った。佳奈の隣には、咲夜さんがいた方が良いと思うからだ。
「護……。咲夜の言うことを聞いてほしい…………。私は大丈夫だから…………な? 」
「佳奈が言うなら……」
熱を引いている時は、少しくらい気持ちが弱くなったりするものだと思うが、佳奈が大丈夫というのなら大丈夫だろう。自分の身体のことは自分が一番知ってるわけだし。
「ありがとう……。護」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
二人からお礼を言われるとちょっと気恥ずかしい。まぁ、良い気分になるし、褒められて悪い気はしない。
咲夜さんが作ってくれた朝ご飯を食べ終えた時、もう七時になろうとしていた。
俺はすぐに食べ終えたのだが、佳奈はそういうわけにはいかなかった。座っているのも辛そうだったし、自分で食べるのには大変な部分があるだろう。
てっきり、咲夜さんが佳奈に食べさせてあげているものだと思っていたのだが、そんなことはなく、俺が佳奈に食べさせることになった。
まぁ、佳奈は嬉しそうにしてくれていたので、良かったといえば良かったのだが、とてつもなく恥ずかしかった。隣で咲夜さんもニヤニヤしていたし。
「そろそろ行きましょうか」
「はい」
「すぐ戻ってきますからね? 佳奈お嬢様」
「あぁ……。分かった」
家の外に出ると、雲が全然ない空が目に入った。一体さっきあんなに降っていた雨はどうなってしまったのだろうか。
「そこの噴水の前で待っていてください。すぐに車を出しますので」
「はい。分かりました」
空にある太陽はまだ六月だというのに、太陽下にいる人間を暑いと思わせるほどだった。薄着で良かったと思う。
何と無くだが、羚のテンションも、今のこの気温みたいに高くなっているのかもしれない。
テンションは低いより高い方が良いのだが、羚の場合は別だ。高すぎると、俺だとは手に負えない部分があるから、静かにしていてほしいと思う。
「お待たせしました」
昨日にも乗った車に、また乗る。
「飛ばしますか? 」
時間が無いから急いでほしいといえばそうなのだが。
「法律に引っかからない程度にお願いします」
「分かりました」
リモコンを操作し家の門を開けると、咲夜さんは思いっきりアクセルを踏んだ。