princesse du nuit #3
「本当にこのまま寝るんですか……? 」
「うん。私はもう寝るからな」
「…………」
一度外した手をもう一度握ると、佳奈は目を閉じてしまった。
こんなに距離が近くないなら寝れるのかもしれない。しかし、今は数センチしか離れていない目の前に、佳奈がいる。さっきまた、手を繋がれてしまったため、離れることも出来ない。
……寝れるのか? こんな状況で……。
佳奈の顔も、俺と同じように赤くなっているが、すぐに寝てしまうことだろう。
……寝ないと駄目なんだけどな……。
咲夜さんに送ってもらえるから、最初考えた時間より早くは出なくても良いが、このままだと明日の朝起きれないなんて事態も、考えられる。
……あ、羚に連絡してないや……。
しーちゃんに集合場所やらを教えてもらった後、羚にも伝え、一緒に行くことにしたのだが、後で集合時間決めようなんてことを言っておきながら、何もしていなかった。
……ヤバイな……。
こっちは送ってもらうことになったし、羚には一人で鳥宮駅まで行ってもらわなければならない。咲夜さんに頼んだら、快く承諾してくれて、一緒に乗せていってくれるかもしれない。
……あ、でも凛ちゃん達と一緒なのかな……。
家が近いと言っていたし、わざわざ現地で待ち合わせる必要が、あの三人にはない。
……考えても仕方ないか……。
今考えても、どうにもならない。早く起きて、連絡するしかない。まぁ、起きれるかは怪しいところではあるが……。
「寝よ……」
俺は一応目を閉じた。寝れるかどうか分からないけど。
……寝れない……。
この体制じゃ時計を見ることも出来ないし、今が何時かも分からない。二時くらいになってるかもしれないし、もしかしたら、三時とかにもなってるかもしれない。
佳奈はもうとっくに寝てしまっているし、佳奈の寝息が普通に感じられる。
佳奈の顔がすぐそこ、数センチの距離にあるということは、佳奈の唇もそこにあるということである。
「すぅ……」
閉じていた佳奈の唇が、艶しく開く。
「…………っ!! 」
俺は顔をそらすことが出来ないので、目を瞑る。
……寝れねぇよ……。
「……護様…………」
「ひあっ…………っっ」
寝返りでもうったのだろう、咲夜さんが俺の背中にぴったりとくっついてきた。
その衝撃で、佳奈の唇と俺の唇との距離が数ミリまでに近づいてしまう。
……あ、危ないっ……。
俺は寸前で、佳奈とキスをしてしまうという出来事を回避した。
回避したとしても、この状態が俺の理性にとって危険だということは、何ら変わりない。
「…………っ」
口を動かすことが出来ない。動かそうものなら、佳奈の唇と俺の唇とが触れてしまう。
といっても、この姿勢から抜け出すことは出来ない。
背中に咲夜さんがいるため、身体を動かすことが出来ないのだ。
……どうすんだ……。これ……。
どうすることも出来ない現実が、そこにある。
いっそのこと、キスしてしまえば楽になる…………、わけがない。
咲夜さんがすこしでも俺の背中から離れてくれれば、この状況を打開することが出来るだろう。
しかし、いつ訪れるか分からない希望は待ってられない。
「護様…………」
咲夜さんは、またしても寝言で俺を呼ぶ。俺が夢に出てきているのだろうか。
それを合図とするように、咲夜さんの手が俺のお腹に回ってくる。俺に抱きつくかのように。
咲夜さんの寝相が悪いのか。それとも実は起きていて、この状況を楽しんでこんなことをしているのかもしれない。もし後者だとするならば、後で少しだけ怒りたいほどである。前者であると信じたい。
「……さくやさーん……」
俺はなるべく口を開かないようにして、背中にいる咲夜さんに声をかけた。
「…………すぅ」
案の定、咲夜さんから返ってきたのは、俺の背中をくすぐる寝息だけだった。
……さて……、どうすっかなぁ……。
勝手に瞼が下がってくれるわけがないし、当たり前だが、寝れるわけがない。普通に挟まれているより、危険な状態になっているのだ。
「まもる………………」
今度は佳奈が寝言で俺を呼ぶ。
……喋らないで佳奈っ……。
幸い、佳奈はごにょごにょと小さく口を動かしただけだった。
それですら、今は危険なんだけど……。
「まもる……」
今度は佳奈はさっきより大きめに口を開き、こちらとの距離を詰めるように。
……動いたらダメだって……。
「…………んっ!!!! 」
俺の唇が、佳奈の唇によって塞がれた。
……あぁ、キス……、しちゃったよ……。
佳奈の舌が、俺の唇の上を少しだけ動く。
……っっっっっっ!!!!
さっきの状態で動けなかったのだから、勿論、この状態でも動くことが出来ない。
「はぁぁ……………………」
佳奈の口からもれた息が、俺の方にへと伝わってくる。
「……っ!!!! 」
さっきよりも柔らかい感覚を持って、佳奈の舌が俺の唇の上を這う。
「ちゅっ……、っ……」
「…………っ」
耐え切れなくなった俺は、後ろに咲夜さんがいるのにも関わらず、自分の唇を佳奈のそれと引き剥がすように、身体を後ろにへと動かした。
「んっ……、ん? 」
まだ寝ている佳奈を起こさないようにしながら、俺は佳奈と繋がっている手を離し、咲夜さんのほうを向いた。
「護……? 」
俺が後ろに下がってしまったことにより、咲夜さんは起きてしまったらしい。
「あぁ、すいません。起こしてしまいましたね……」
「気にしないでください。それにしても、今まで起きていたのですか? 」
「え、まぁ……」
さっきまでのことなんて、口には出せない。佳奈が寝ていたしても、佳奈とキスをしてしまったなんてことは。
「何をしていらしたのかは、聞かないでおきましょう」
……はぁ……、良かった……。
俺は心の中で安堵する。
「しょっと…………」
咲夜さんはもぞもぞと動きだし、どこからか携帯を取り出した。
ベットの周りには佳奈の時計しか置いてないし、咲夜さんの服は少しだけ透けているようにも見えるネグリジェだ。携帯をしまっておくところなんてものは無いはずである。
「もう四時半ですね……」
咲夜さんはそう言いながら、ベットから出てしまった。
「もう起きるんですか? 」
「えぇ」
咲夜の睡眠時間は三時間ちょっとだ。俺ならこんな少ない睡眠時間では、その日眠た過ぎて大変なことになりそうだ。
「眠たくないんですか……? 」
「少し眠たいですが、護の……、いえ何でも無いです」
「ん? 」
咲夜さんが珍しくも口を濁した。
「私はこの後しなければならないことがあるので、護も寝るなら寝ておいてくださいね」
「もう寝れませんよ。今から寝てしまったら恐らく昼頃までは起きてこれません」
「そうですか。なら、着替えます? もう護の服も乾いてますし」
そう言われ、俺は咲夜さんの服を着ていたことを思い出した。
「わ……。そうですね」
「じゃ、持って来ますから待っていてください」
「あ、はい……」
咲夜さんは、俺がはいと言うよりも先に部屋から出て行ってしまった。
「…………」
ベットに潜ったままというのも何か気まずいから、俺もベットから出て、佳奈が毎日勉強する時に座っているであろう椅子に腰をおろした。
ベットが部屋の入り口から見て左端に寄せてあって、今俺がいる場所はそれの丁度反対側。佳奈の寝顔がよく見える。
佳奈はさっきまでのことは何も無かったかのように、気持ち良さそうに寝ている。
佳奈はこの後普通に起きて、いつも通りに接してくれることだろう。というか、そうしてくれないと困る。
「護。戻って来ました」
咲夜さんが戻ってきた。本当にすぐだ。
咲夜さんは、俺が昨日着ていた服を渡してくれる。
「ありがとうございます」
「護は今日も出かけるんでしたよね? 」
「はい。そうですけど……」
「雨……、降ってますよ?」
「……え? 」
寝ている佳奈を置いて、手渡された服を手に持ったまま咲夜さんについて行き、部屋を出る。
「ほら、見てください」
佳奈の部屋から出て、三階のベランダにへと出る。
そのベランダは、横にも前にも広く大きいものだった。
この家は、コの字の形になっているから、反対側にも繋がっているのだろう。
屋根もついているから雨で濡れることは無い。
「本当ですね……」
その雨は、俺に外に出るなと言っているかの如く、強く降っていた。遠くでは、雷鳴が轟く音さえも聞こえる。
家に出る前に天気予報でも見てこれば良かったなぁ、と俺は後悔する。
昨日の朝の時点でとても晴れていたから、明日所謂今日、雨が降るなんて微塵も思っていなかった。
「護? どうされますか? 」
「雨といっても映画を見るのは家の中ですからね……。それは出来るかもしれませんが、買い物は出来ないかもしれませんね……」
この雨の中、傘をさしながらショッピングをするというのは、少しばかり無理があるだろう。
傘では防げないほどの雨が降っている。
「買い物は無理でしょうね…………」
「まぁ、もうちょっと時間経ったら連絡してみます」
「はい。それが良さそうですね」
俺達はその会話を最後に、リビングから出て三階の廊下に戻った。
「じゃ、私は残りの用事を片付けてきますね」
「あ、はい」
「そのまま朝食も作るので、出来たら呼びにきますね」
「分かりました」
佳奈の部屋の前まで一緒に歩き、咲夜さんが階段を下りたのを確認してから、俺は佳奈の部屋に戻った。
「ふぅ……」
さっきは気づかなかったが、雨が降っている音は佳奈の部屋からも聞こえるほどだった。気にし始めたら、余計に降っているようにも聞こえる。
そんな中、佳奈はまだ寝ている。起こすのもあれだし、まだ寝かせておくほうが良いだろう。
咲夜さんが呼びにきた時か、それよりちょっと前に起こせれば、それで良いと思う。
「ん……? 」
部屋の扉の近くに置いてあった自分の鞄から、携帯のバイブレーションの音が聞こえた。
……こんな時間に……?
俺はそう思いながらも慌てて、携帯を取り耳に当てる。
「もしもし? 」
「あ、こんな時間にごめんなさい。護君。凛です」
凛ちゃんのいつも通りの声が、携帯越しから聞こえる。
「凛ちゃん? どうしたんだ? 」
「護君は、今雨降ってるの知ってますか? 」
「うん、知ってるよ。今確認したから」
「そうですか。それにしても護君。こんな時間から起きているのですか? 」
「いや……、今日はたまたま。凛ちゃんこそ、こんな時間にびっくりしたよ」
まぁ、色々あったのだが、言うわけにはいかない。しーちゃんほどでは無いが、聞かれるかもしれないし。
「色々やることがあって、四時に目覚ましをセットしていたのです」
「やること? 」
「まぁ、そんなことより……」
話を変えられた。
「今日……、どうしますか……? 」




