曇りのち #3
持ってきていないと言ったが、それは嘘だ。さざなみに来るのだ。持ってこないわけがない。だけど、咲夜は嘘をついた。
(まぁ…………)
何度も繰り返す。咲夜は外から見ている存在。それだけでいいのだ。深いとこまでは進まない。それに、この先の海は、皆のための時間だ。咲夜が護を取るわけにはいかない。
(泳げないですし)
無駄に時間を使ってしまう。手伝おうと、手を差し伸べてくれるのは明白だ。普通であるならそれはとても嬉しいことではあるが、自分のために使われる時間など、ここではいらない。もったいない。
「どのあたりにしますか? 杏様」
「人が多いからねぇ……。ちょっとでも少ないところでいいんだけど」
「同感です」
貸し切ったりしているわけではない。加えて、雨上がりだといえども、夏のシーズン。人が多くて当たり前。だけど、だけども。だからといって、そこに混ざる気はあまりない。そこは、咲夜も思っていたことだ。
「まぁ、そういう場所もありそうだがな」
人が多い、といっても、場所が広い。さざなみは広い。時間をかけて探してみればきっとある。
「それでいいよね? 皆っ!」
〇
杏先輩の言葉に、俺は頷く。当然だ。ちょっとくらいは、人が少ないほうがいい。
人混みが苦手というわけでもないが、こっちは人が多い。青春部全員が、となると。もしこれが、薫とか、薫の家族と旅行とかだったらあまり気にしなかっただろうが。
海の方に視線を送りながら、海沿いの道をずんずん進んでいく。人が少ないところ。あまり見つからない。いくら海に面している部分が多いといえども、シーズンがシーズンだ。ある程度は妥協しないといけないんだと思う。
まぁ、それはこちらの希望なだけ。見つからなかったら見つからなかったで諦めるしかない。
「あのあたりとか……、どうでしょうか……?」
咲夜さんが教えてくれる。
少ない、というほどのものでもないが、旅館の前の人の多さに比べれば、幾分がそれはマシになっている。このあたりで落ち着けるのがいいだろうか。
十分くらい歩いた。汗もかいてきて、目の前に広がる青々とした海が、だんだんと恋しくなってきた。
「どうだろうな。私個人的には問題ない」
うんうん。俺的にも、このへんで良いと思う。仕方なく、といえばそうなってしまうわけだが。
「やっぱり多いんだねぇ……」
「仕方ないな、これに関しては」
「それはそうだけど……」
心愛は、もっと少ないところが良さげな雰囲気。海に入りたい、というのが皆の共通意見。
「まぁ、いいかな。うん」
〇
道路から階段を下り、砂浜へ。二十分ほど歩いた疲れなどを感じさせない走りで、心愛達が駆け出していく。
(あらあら……)
「持ちましょうか? 咲夜さん」
「いいえ。大丈夫ですよ、護様」
ビーチパラソル二本。もうすでに、護にはパラソルを立てる時に必要になる道具などを持ってもらっている。これらは、咲夜が誰かに頼まれることなく自分の意思で持ってきたものだ。これ以上、護に持たせるわけにはいかない。
「この辺りにしましょうか」
丁度いいスペースがあった。
「手伝いますよ」
「お願いします。護様」
二本あるから、それぞれ分担して行えばすぐ終わる。
二本あるとしても、全員がパラソル内に入ることは出来ないかもしれない。ギリギリか。麻枝家には二本しかなかった。気が付いた時にはもう、新しいのを買う余裕はなかった。
「護君、手伝うよ」
「咲夜、私も手伝う」
葵が護に、佳奈が咲夜に手伝いを申し出る。全員で組み立てる必要はない。これくらいの人数でいい。
「それでは、さっさと組み立ててしまいましょうか」
素早く、素早く。
〇
「やろうか」
「そうですね」
手伝うと自分から申し出た葵であったが、組み立て方を知っているわけではない。逆に疎い。友達と、家族と、こういう所に出掛けることが少ないからだ。触れてこなかったから知らなくて当然である。
だが、これはチャンスである。次、同じ場面の時に有利になる。それに、今、心愛と薫の二人の頭の中には膿で遊ぶことしかない。葵もそれに混ざろうと想ったが、すんでのところで踏みとどまった。護の近くにいれるチャンスを見逃すわけにはいかない。
「護君は知ってるんですか?」
「あぁ。旅行には毎年行ってる方だし、薫の家族とも行ったりしてるからな。こういうことには詳しいつもり。手伝わされるし」
「なるほど………………」
そうだ。そうだった。護と薫は幼馴染み。家族ぐるみで付き合いがある。忘れてはいかないことだ。
「はい、スコップ」
「掘れば…………良いんですよね?」
「だな。結構掘らないといけないから面倒だったりするんだけどな…………………………っと」
隣に置いてあるパラソル。テレビでよく見たりするような、真っ直ぐ立てるタイプのビーチパラソルではないようだ。斜め。組み立てての完成形はおそらく、前が大きく開けている感じだろうか。左右と後ろにはフラップがついていて、その先端を砂に埋め込む形だ。
「どれくらい掘ればいいんですか?」
「んー……。三十センチくらいじゃないか? それくらいでいいと思うぞ」
「分かりました」
〇
「やらかしたぁ……………………」
流れるように海に飛び込んだ成美。護を呼ぼうと後ろを振り返ると、待っていたのは後悔だった。
(あーあ……)
手伝おうと思っていたのに。考えていたのに。海を目の前にすると忘れてしまった。その結果、護は取られてしまった。葵に。
この位置から、葵がどういう表情をしているのか読み取ることは難しい。だが、笑みを浮かべて満喫していることだけは分かる。
(まぁ、でも……)
周りを見てみても、多分、このことを思っているのは成美だけであろう。杏は端から考えてないだろうし、今日を楽しみにしていた心愛も気にしていない。薫と渚は身体を海水にはつけず、砂浜のあたりで遊んでいる。
「ひゃー、冷たくて気持ちいいねぇーー」
「杏先輩!?」
ビシャ。水の攻撃を受け視線を前に戻してみると、満面の笑みを浮かべた杏がいた。
「顔が暗いよ? 成美」
「そ、そんなことないです」
もう一回くる。今度は大丈夫だ。
「あたしにもかかってます。杏先輩」
そんな杏の隣でイルカの浮き輪に乗ってぷかぷかと浮いている心愛が、ムスッとした態度を示す。
「成美先輩」
「なに?」
「先輩、かなり露骨じゃないですか……?」
「露骨……………………?」
「護に対して、ってことです。皆知ってるから大丈夫ですけど」
「そーかなー? あんまり自覚はないけど……」
「さっきもアイツを見てたじゃないですか」
「あはは。そうだったね」
苦笑をもって心愛に返答する。
意識。その気持ちは強くなっているだろう。心愛につかれた通り。部屋が同じなのだから仕方ない。変に意識しないようには心がけているものの、いつもより隣にいたいと、護のためになりたいと、思ってしまう。もうこれは、仕方のないことなのだ。結果を出していかないといけない。
「心愛はさ、どれくらい好き? 護のこと」
「こーれくらいですっ。……………………っと」
イルカに乗ったままの心愛が両手を大きく広げ表現してくれる。その反動もあってバランスを崩しそうになったが、すかさず成美が手を差しのべる。
「あぶないよー」
「びっくりした…………………………」
冷や汗タラリ。
話の続きをしようか。
「私も、やっぱり好きだよ。護にのことが。心愛達の気持ちも知ってるけどね。だからといって、諦めることにはならない」
「当然じゃないですか。負けるつもりは……、ありません」
(っと……?)
少しの間があった。成美はそれを見逃さなかった。
〇
(なんでかなぁ…………………………)
心愛は自分にいらっとする。
負けるつもりはない。護のことが好きだから、勝つ。勝つための努力をしている。それなのに、スラっと声を続けることが出来なかった。
大きな波が一つやってくる。イルカの浮き輪を使ってプカプカ浮いている心愛は、成美と杏とは違って流されてしまう。砂浜の方に。
(いいなぁ……)
護と葵、そして、佳奈と咲夜が、せっせと準備をしてくれている。もし、少しでも念頭に置いていたら、護の隣にいたのは葵ではなく心愛になっていただろう。
(はぁ……)
これは前から思っていることだし、青春部の皆も知っていることだと思うが、同級生の中で一番護との触れ合いが少ないのは、もちろん心愛だ。
幼馴染みでもない。学級委員長でもない。クラスメイト。それだけしかない。それだけの繋がりは、下手すれば、一つ上二つ上の先輩達にも負ける可能性がある。頑張らないといけないんだけど。
「ぬー……」
こればっかりは、考えていても仕方のないこと。気が付けば考えてしまっていることだけど、動いていくしかない。行動を。
「護のところ……、いってきます」
「いってらっしゃい。心愛」
「はい」
杏が背中を押してくれる。頑張らないと。
〇
「これで……、最後ですね」
「助かった。葵」
「いえ。護君を手伝うことが出来て良かったです」
「ありがとう」
暑い。完全に晴れてしまっている。本当に、さっきまでの雨はなんだったのか。まぁ、この方がいいんだけれど、これほどまでに汗をかいてしまうのは少々嫌だ。
「そっちも終わったようだな」
「あ、はい」
背後から佳奈の声が。
「無事終わりましたね」
大きめのビーチパラソルが二本。ここが自分達の場所ということを示している。
「遊んできていいですよ。佳奈お嬢様。護様。葵様」
「おまえはどうするんだ?」
「私は……、しばらくここで待機しております」
「それでいいのか……………………?」
歩いている時も言っていたが、咲夜さんがそうなってしまうのは立場的なものがある。どうしようもないといえばそうなるが、皆で頼むことを考えないと。
俺が考えるのか。いつも通り、杏先輩が考えるのか。そこは自由だが。




