曇りのち #1
「雨降りそうだな……」
昨日、夜遅くまで起きていたわけだが、寝過ごすことはなかった。成美より先に起きている。
「……………………ん」
というか、そこは置いておいて。問題は天気だ。晴れていない。窓から見えるその空は、昨日や一昨日の清々しいほどまでの青空などではなく、ところどころに、灰色の雲が見えている。
もし、雨が降ってきたら? 俺には分からない。出発前に一応天気予報を見ていたが、雨マークはついていなかったように思える。皆、雨が降るとは思っていないだろう。だって、まだ海に入っていない。
もしかしたら、入れない、という可能性が出てきてしまった。想定外。旅館でのんびりする、というのが悪いわけではないが、漣に来ている以上、目の前に海が広がっているのだから、やっぱり、もったいない。一度は入っておきたいと思う。
「ん……………………っ。ま……護?」
「おはようございます」
まだ眠そう。俺だってそう。六時過ぎ。五時間ほどの睡眠時間だった。
「まだ寝てても大丈夫ですよ。俺が起こしますから」
朝ご飯のバイキングまで、あと一時間くらいある。まだ寝れる。
「……分かった…………。じゃぁ……頼むね……?」
「了解しました」
成美の声が聞こえなくなる。俺は寝ないようにしないと。俺が寝てしまったら笑えない。でも、成美の寝顔を見ていたら寝てしまいそうだ。
「暇だな」
何かすることがあるわけではない。テレビを見るにしても、まだ朝早いし、成美がまた起きてしまう可能性がある。
(外でるか……………)
外といっても、部屋の外。旅館外に出るつもりはまったくない。
〇
「あぁ……………………、これはこれは……」
一番に目を覚ます。咲夜だ。ロビー。ソファに腰掛けながら、その入口から外を眺める。
どんより、というほどではないが、雨が降る確率が高そうな空模様。残念。
「どうしましょうか……………………」
心愛が海に入りたいと言っていた。雨が降ってしまったらそうも行かなくなる。杏もそれを認めていた。
「仕方ないですね」
何をするか。考えるのは咲夜の仕事ではない。杏の仕事だ。咲夜は見守る側だ。こちらから指示を出す必要はない。支えることだけでいい。
「咲夜さん?」
「護様ではないですか」
「おはようございます」
「はい。おはようございます」
背後から回り込むようにして隣にくる護。
「残念ですね。この天気は」
「ですねぇ……………………………………」
どうなるだろう。今日は三日目。まだ最終日が残っている。だが、最後。忙しくなるだろう。海、なんてものにかまけている時間はないと思われる。
「あ……………………」
護と一緒に空を眺めて、どれくらいの時間が経っただろうか。だんだんと雨雲はその色を増していき、ついに。
「ふってきた……………………」
ポツポツ。目に見える程度の雨が降ってきてしまった。残念。
「護様? 天気予報、見てもらえますか?」
「分かりました」
携帯を部屋に置いてきてしまった。この先の天気を確認する手段を、咲夜は持っていない。護に聞くしかない。
「んー…………。昼には、って感じですかね」
「ありがとうございます」
おそらく、もう、杏は起きているだろう。そして、今の咲夜と護みたいに落ち込んでいる。
(いや)
杏のことだ。もう次のことを考えているだろう。くよくよ。引きずらないタイプだ。咲夜はそういう風に見ている。杏のことを。
「戻りましょうか」
「ですね」
ここにいても仕方ない。見ていても雨が止むわけではない。
〇
「雨だ…………………………………………本当に……………………?」
自分の声がいつもより弱々しいことに、杏は気付く。上手く出ない。理由は簡単。雨が降っているからだ。自分の予定が崩れてしまいそうだからだ。
「どうしよう……」
悩んでる暇はない。現実は、雨。変わらない。悩んだところで変わらない。いつもの、いつも通りの杏なら。
「心愛はまだ寝てる……。咲夜さんはいないし……」
こんなに不安に思うことはなかっただろう。すぐに、次の案を考えることができた。そして、それを行動に移すことができた。全く出来ていない。
(おかしい……)
昨日までの自分なら。なんか違う。杏は分かっている。自分がおかしいことくらい。
「咲夜さん、はやく…………………」
帰ってきて欲しい。意見をほしい。どうしたらいいのか。杏に、それを教えて欲しい。自分では決められない。決める力を失ってしましょう。
ガチャ。
「咲夜さん……っ!!!!!!」
「き、杏様……!!??」
身体が無意識に動いてしまっていた。咲夜に抱きついてしまっていた、
「どうかしましたか?」
咲夜はいつも通りだ。想定外なことが起こっている今も。
「杏様がそれではダメです。いつもみたいに、皆を引っ張ってくださらないと」
「分かってる……。分かってるんですけど……。急に、怖くなって……………………」
「怖い………………………ですか?」
「はい……」
もうこれは、自分でも分からない。
急に陥ってしまった。感情に支配されてしまった。自然には逆らえない。そこまでは、さすがに杏の力は及ばない。そこを考慮して、予定を立てないといけない。それが出来ていなかった。
「一緒に考えましょう」
「……………………」
「何も、今日一日中、雨が降る、というわけではないのですから」
「え……………………? そうなんですか?」
「えぇ」
「なんだ……………………」
(びっくりした……)
なら、あまり問題はない。数時間のズレは生じるものの、丸ごと予定が合わなくなるわけではない。そのズレを解消できるように、動けばいいだけである。
「落ち着きましたか?」
「はい」
深呼吸をする。
(ふぅ……)
早とちり、早とちり。いけない。もっと慎重にならないと。いつも通りの杏でいないといけない。リーダーとして、先頭に立っていないといけない。
「さぁ! 時間だね」
七時になった。三日目の始まりだ。
〇
「おかえり、護」
俺が部屋に戻ってくると、すぐに成美が声をかけてくれる。
「起きていたんですね」
まぁ、もうすぐ七時だ。アラームをかけていたが、七時になったら、俺が起こすつもりでいた。その手間が省けた。
「うん…………」
なんか元気がない? 気のせいか?
「雨なんだね……。今日」
「あぁ……………………」
さっきの俺と同じように、成美はカーテンを開けて外を見ている。
「でも、昼には止むそうですよ」
「そうなんだ」
「朝は何も出来ないんだ……………………」
「まぁ、そうですね」
杏先輩が何を予定していたかは知らないが、外出の予定があったりしたら、それは全て昼からになってしまう。だが、これも予定だ。予報だから、もちろん外れる可能性もある。雨が止まないかもしれない。そうなった時、どうするのか。
(まぁ、いいか)
今頃、杏先輩は考えている頃だと思う。
「三日目で降っちゃうかー……………………」
昨日がよかったなー。成美はそう付け足した。
「降らないにこしたことはないですけどね」
「それは、ね」
心愛が海に行きたいとか言っていたような気もするし、今日降るよりかは昨日、という思いになるのは分かる。
予定が崩れてしまうのは面倒だ。
「どうする? 護」
「何がですか?」
「お昼まで、何がしたい?」
「別に、何か特別にしたいことはないですよ?」
「おっけー」
いつも通りの返事を、俺は成美に返す。最近こういうことが増えてきてしまっているような気がする。自分の主張というか、他人任せ。その方が楽ではある。自分で決めるよりかははるかに。
〇
朝ご飯の時、杏先輩から連絡があった。雨だから、止むまでは自由に、という通達。思っていた通りである。
海。雨が降った後の海に入るのは少し遠慮したくなるが、時間がないから仕方がない。ここしかない。
まぁ、それほど降っているわけではない。それほど影響はないと思いたい。楽しみにしていたわけだし。入らない。そういう選択肢は取りたくない。
「あー……………………」
部屋に戻るとすぐに、隣にいる成美が寂しそうに息をもらす。
「後二回かぁ……………………」
「何がですか?」
「ここのご飯を食べられるの」
「あぁ」
(それもそうか)
もう三日目。今日の夜と明日の朝。昼前にはチェックアウトだから、それだけ。この旅館にいれる時間も、だんだんと短くなってきた。あっという間だ。
「昨日の続きをするからねー」
「はい」
浴衣の話。昨日は時間も時間だったので、選ぶだけにした。あの場所には戻らない。この部屋のクローゼットにしまってある。俺は、あまり見ていない。三人がどういったものを選んだのかを。
「楽しみにしてて」
「はい」
〇
「やっぱりお昼からかぁ……………………」
天気予報を携帯で確認してみた。今においても降水確率は三十%ほど。十二時頃には十%。雨雲の予報を見ても、このさざなみ周辺から雨雲が消えてなくなるのは、丁度十二時頃からである。
「テレビでもそのように言ってますね」
テレビから流れてくる予報も、杏がさっき見たことと同じことを伝えてくれている。あと三時間少し。何をしようか。
「心愛様がいないですね」
「護のところに行くって」
「ほぅ」
(何をするのかな?)
自由。そう言ったのは杏だ。何をするのも自由。ということは、護と遊ぶのも自由。この時間は、誰が護をとってもいいわけだ。
だが、杏は自分の部屋にいる。杏は先を見据えている。今は、自分の時間ではない。後から。ちゃんと考えた。落ち込んでばかりはいられないから。護のことを考えた。どうやったら護の隣にいることが出来るのかを考えた。
「時間まで、杏様はどうするんですか?」
「んー…………………………………………」
正直なところ、昼からのことしか考えていない。護を基準にしか考えていない。それでいい。少なくともこの間は。
「館内を動き回るわけにもいかないし……」
「外にも出れないですしね」
大浴場の近くに、ちょっとしたゲームセンターがあったような気がするが、杏の趣味に合うようなものではない。小学生くらいを対象としたゲームが並んでいたような。
「佳奈のところでも行こうかな……………………」
「お嬢様のところには……、悠樹様と薫様もいらっしゃいますね」
「うん。もしかしたら、悠樹と薫のどっちかはいないかもしれないけど、佳奈ならいると思うんだ」




