ナイト・メア #2
だが、どれくらい成長したのか。具体的なところまでは分からない。言ってしまえば、見るだけだと自分でも分からないほどの成長だ。気にすることはない。とても些細なことなのだろう。
自分の、胸に手を当て考える。
こんなところが成長したところで、それはどうにもならない。表面ではない、内面的に成長することが必要だ。寛大な心が必要だ。
「護はもう出たかな……」
変に時間を使ってしまった。男子と女子。それだけでお風呂の差があるのに、余計に待たせてしまうことになりかねない。
「……っ。しょっと…………」
もうここで寝巻きに着替えておく。部屋に戻ってからでもいいのだが、そうすると、また護を待たせる形になってしまう。時間が無駄になる。
「まぁ………………」
別に気にする必要はまったくないほどであるが、なんとなく、なんとなく。
「よし」
護のもとにもどろう。予定の時間を少しだけ過ぎてしまっている。やはり過ぎてしまった。待たせてしまった。
でも、護は、待っていってくれる。ずっと待っていてくれるだろう。そう思いたい。
〇
「さっぱりしたー」
少しだけまだ髪が濡れている。成美を待たせるわけにもいかなかったので、ドライヤーで少々乾かしただけで出てきてしまった。まぁ、あんまりやりすぎてもいけないから丁度よかったのかもしれないが。
「成美は……まだか」
時計を見たらまだ十時にすらなっていない。早過ぎた。急ぎ過ぎた。もう少しゆっくりできただろう。明日はもう少しはやめに風呂に入ってのんびりしたいものだ。折角の旅行だし、家の風呂場とはやはり違う。そりゃ、家の方が落ち着けるが、こちらは開放感がある。
……まぁ……。
自分一人の空間というのは、おそらくここしかないだろう。そう考えるとなんか笑ってしまう。部屋は成美と一緒だ。そもそも、男が自分しかいない。周りは女の子だけ。慣れているのは慣れているけれど、いろんな意味でのんびりできるのはここだけだと本当に思う。
「おまたせー、護」
俺の肩をちょんと突く形で気付かせてくれる。
「はい」
気づいたら十分くらい経ってた。あっという間だった。人を待つことが苦手ではないし、それが長いとも思わない。
来た道を同じようにして戻る。
ポカポカ。少し暑いくらい。廊下を流れる冷房の風が本当に涼しい。
俺もそうだが、成美の今の服も半袖だ。多分、成美はパジャマだろう。いくらパジャマといえども、こんなくそ暑い時期に、薄くても長袖は少し遠慮したいところである。
「あ、これ、パジャマだよ」
聞いたわけでもないのに答えが返ってくる。
「やっぱりそうでしたか」
ピンク色の、可愛らしいのが視界の右端で動く。ちょこちょこ、という感じではない。胸を張って、背筋を伸ばして、キビキビとしている。
「どうかな? この前買ったばっかりのパジャマなんだけど」
前びらきの、夏仕様のパジャマだ。もこもこしているわけではない。薄い薄い下地だ。その成美の主張している胸が、その服のボタンを押し上げている。弾けそう、までは……いかないだろう。
「いいですね」
視界をさげれば、成美の胸元が。少しだけ悪い感じがする。
すっと、成美が何故か胸元のボタンを一つ外した。それほど暑くはないし、それに、半袖だ。もうすでに涼しさを求める必要はない。冷房もきいているというのに。
「あ、悠樹もきてたよ」
「そうなんですか? 」
悠樹もギリギリである。
「すれ違ってはいないんだね」
「まぁ、そうですね」
成美がお風呂から出ようとしたそのタイミングで悠樹が入ってきたのだろう。まぁ、その時間を五分くらいとすると丁度入れ違いになったということになる。
「ねぇ、護? 」
「どうしましたか? 」
下から俺を覗くように。こういう風にされると、成美が同級生か下級生に見えてくる。下から上目遣いで見られるというのはなかなか。基本的に俺が身長高い方だから自然とそうなってしまうのだけれど。いってしまえば、青春部のメンバーも大方背が高い。女子の、この時期の平均身長なんてものは知らないけれど、百六十くらい超えていたら普通に高い部類に入るだろう。
「私って変わったかな? 成長したかな? 」
似たような質問が、前にもあったそんな気がする。その時、俺はなんと答えただろうか。一緒の答えを返す必要があるのだろうか。
いや、ないだろう。成美は付け足している。「成長したかな? 」聞きたいのは、「変わったかな? 」ではなくて、「成長したかな? 」のほうだろう。
「どうかな? 」
成美は前傾姿勢。俺の行き先を封じようとしている。必然的に歩みをとめてしまう。
「おっと……。ごめん、護。部屋にはやく戻ろうか」
急に謝りの言葉が飛んでくる。
「え…………えぇ」
答えを後回しに。少し考えてということなのだろうか。
「廊下にずっといたら冷えそうだしねぇ。廊下で長話はやめておきたいね」
成美の言う通りである。これでも涼しいものでもあるが、どうせなら部屋に戻り自然に風で涼みたい。そう思う。
〇
「ただいま」
部屋に戻ると、佳奈と薫が出迎えてくれる。
「おかえり」
「おかえりなさい」
ストン、と、さっき自分が寝てしまっていた場所に腰を下ろす。どの場所で寝るか、なんてものをわいわいと決めても良かったけれど、そんなことをする前に自分が寝てしまっていたから、ここはもう自分の場所だ。場所的に一番奥、入りから一番遠い。
「そこでいいのか? 」
「ん」
……仕方がない……。
本音を言うならば近い方が良いわけではあるが、そのほうが抜け出すには最適なわけであるが、結局のところ、この後、抜け出す必要性がない。
これが護の家であるならば、護の部屋に侵入しようという気分に駆られてそれを行動に移してしまうが、ここは出先であるし、その先には成美もいる。護だけがそこにいるわけではない。
それに加え、何気無しに部屋に入れれわけでもない。物理的なオートロックという壁。唐突に侵入するというわけにもいかない。必ず事前に確認を取らないといけない。
……むぅ……。
そうなれば成美が入れてくれるわけがないし、時間的にもそれを護が良しとするわけがない。どうしようもないというわけだ。
……護……。
あんまり護と話せていない。せっかくの場所だというのに。部屋も違う。成美に取られた。
「…………む……」
自分は勝ち組だ。もう決着は付いてる。許されない。護の隣にいるべきは悠樹だ。他はその次の番手。控えていればいい。
……やきもち……。
「………………………………? 」
やきもちを焼いている。悠樹は今、自分をそう思った。そして不思議に思う。
「なぁ、悠樹? 」
「なに? 」
佳奈から声が飛んでくる。佳奈の位置は真ん中。薫がその向こう。薫が一番入り口に近いわけだ。
「明日、杏のやつ何をしてくると思う? 」
「私に聞く? 」
想像の上をいく杏。考えるだけ無駄なのかもしれない。
「あぁ」
「今日は何もなかったですしね」
薫が苦笑しながら佳奈の隣に移動する。
「杏が静かにしているわけがない。悠樹だってそう思っているだろう? 」
「ん」
当然だ。だって、杏なのだから。何もしないわけがないのだ。もし、この旅行が静かに、何も特別なことがなく終わってしまうことがあるのなら、それは逆におかしいともいえる。
別にそういうポジションに杏がいるだけで、他がやっても構わないわけだ。
もちろん、それを悠樹がやってもいいわけだ。悠樹が先頭に立ち、杏の様に皆が楽しめるようなことを考えそれを実行に移す。
……でも……。
悠樹にはできない。そこまで考えることができない。護一人を楽しませる。それなら出来るかもしれない。悠樹と護だけ。もし、これが出来なければ、それはもう護の彼女失格の可能性だってあるだろう。
……何も出来ない……。
わけではない。そういうことにしておく。やったら、やってみたら、案外、悠樹にも出来ることなのかもしれない。実際、七夕パーティーは成美が発案者だ。杏ではない。それでありながら、成功した。
……何が、違う……?
行動に移せた成美と、自分の違いはどこにある? 何が違う? その差はどこにある? その差はなんだ?
「………………」
考えることはたくさんだ。
言ってしまえば、もう悠樹は勝ち組だ。手に入れたいものを手に入れた。
だから、躍起になる必要はない。呑気に過ごしていても何ら問題はない。そういう風にこの場を過ごせるのは悠樹だけだ。悠樹だけに与えられたものだ。
「寝る」
「そうか。もう十一時前だしな」
「ん」
いつもどれくらいの時間を睡眠に当ててるのかと言われれば、それは日によって違いすぎて答えられないが、ここは明日のためにも寝ておいたほうがいいと判断する。
枕投げだとか、こういう状況でお遊びですることはあるだろうが、そういったことを悠樹はしようとは思わない。面倒だし、それを横目で見ていたことはあったけれども。
「私達もそろそろ寝るか」
「はい、そうですね」
佳奈と薫もゴソゴソと、布団に潜りはじめる。
もうすぐ今日も終わりだ。明日。本番は明日からか。色々と、全体的に。
何もなかった。今日は。
……まぁ……。
それは護と一緒の部屋になれなかったなら。予定していたことが何もできなかったから。初日から大幅な予定のズレである。
「気にしない……………………」
気にしないことにする。うん。それがいいのだ。
自分は護の彼女だ。勝者だ。
「なぁ、悠樹? 」
「ん? 」
佳奈の声が右耳に届く。その方向を向いてみても佳奈と視線が合うことはない。佳奈の目は天井に向いている。
「いや、なんでもない」
「……………………ん 」
そう言いつつも、佳奈の視線が悠樹に移ってくる。
……何かある……。
〇
……ん……?
佳奈は首をかしげる。自分自身に対して。なんでもない。そう言った。言ったのに、視線が悠樹の方に向いてしまった。
……はぁ……。
よく分からない。自分が。悠樹が。
悠樹のことが気になる。同じ部屋になったからか。はたまた、それとは関係ないところからきているのか。
……ともかくだ……。
なぜか気にかけてしまう。
さっきの質問もだ。わざわざ、佳奈は薫ではなく悠樹に質問した。そこに深い意味はないのだが。
「なに……? 」
「いや……、なんでもない」
ずらす。悠樹から天井に、そして薫の方へ。
……もう寝たか……。
確証はない。目は閉じてる。それだけ。
「むー……」
悠樹の声が後ろから聞こえてくる。本当に、今言うことはない。
それにしても、あの時、悠樹は護の部屋に向かったのだろう。
理由は聞いていない。別に聞いたところでどうしようもないし、ある程度のことはわかっている。少しわからないことがあるだけだ。そこが引っかかっているだけだ。
まだ日はある。まだ残されている。それなのに、悠樹は、すぐに護の部屋に向かった。それだけ、護と話がしたいのか、一緒にいたいのか。
……悠樹だけではないがな……。
そのあたりの想いについては、もちろん、悠樹だけではない。佳奈だって薫だって、みんなそうだ。運良く護と同じ部屋に、なんて思っていた。
今、その位置に成美がいる。自分ではない。
……焦っているのか……?
さざなみにきてから、主に薫と悠樹しか見ていない。だから、二人の比較しかできない。
薫は晩ご飯とお風呂以外でこの部屋から出ていない。幼馴染みの余裕というやつか、ただのんびりしているだけなのか、焦っても仕方ないと思っているのか、どう思っているのかは分からない。
悠樹は逆に、護の側にいようとしている。実際、部屋を決めるとき佳奈は席を外していたが、後から薫から聞いた。残念そうにしていたと。
……この差は……。
何を意味しているのだろうか。分からない。
護の近くにいたい。当然だ。せっかく、近くに護がいるのだから。普通だと会うのにも時間が必要だ。でも、今日は、これからは、この旅館にいる間は楽だ。そこで行動をしようとするのは分かる。逆に、薫はいつもが近いからする必要がない。
……こういうことなのだろうか……。
自分の中で一つの結論が出た。本当はどうなのか分からないけれど、佳奈はこれで納得することにした。
〇
「ごめんねぇ。雪菜ちゃん」
「あ……、い、いえ……。大丈夫です……………………」
沙耶の謝罪の言葉に、雪菜が細々とした声で返す。申し訳なさそうな感じが見てとれる。
「護も、出発が明日だったら良かったのに」
「わ、私が……確認してなかったのが……悪かったですから……」
護に会いにきた雪菜。しかし、今日、護はいない。明日も明後日もだ。少しの間護がいない。でもそれは、沙耶にとっては長い。護を見ていたい。
「旅行…………」
「ん? どうしたの? 」
「旅行っていいなぁ………………って……少し、だけ…………思います……」
「そうだよねぇ。それに、護が今行ってるのさざなみだし、余計に、ね? 」
「はい」
さざなみ。この辺りでは、有名な旅館である。ここからは、御崎市の、中心からは外れているわけではあるが、海が近くにあることもあり、かなりの人が毎年集まる。
「行ったことある? 雪菜ちゃんは」
「えっと…………、さざなみに、ですか? 」
「うん。私はまだないんだよねぇ」
家族旅行。安田家とも一緒に家族旅行。多ければ夏の間だけで、二回三回行くこともあった。だが、まだ、さざなみに行ったことはなかった。
「……私も、ないです。行ってみたい……ですよね」
「うんうん」
調べれば、情報は簡単に手に入る。サイトなど、外観などもある程度は分かるし、コメントを読めばどういったサービスがあるかなども理解できるだろう。
だが、それは、他人の情報でしかない。自分で感じたものではない。だから、行ってみたいのだ。自分で、さざなみがどういった旅館であるのかを知りたい。
……で……。
そこに護もいればバッチリだ。護を連れて行くのならさざなみには行けないが、この際、どうでもいい。護と旅行に行きたい。
「計画して……いきますか? まーくんも連れて…………」
「あ、雪菜ちゃんが計画してくれるの? 」
「も、もしっ……、良かったら………………ですけど…………。沙耶さんの……予定も、あると思いますし……」
「私は大丈夫だよ」
大体のんびりしている。何か、一日まるまる家を空ける用事なんてものは滅多にない。だから、大丈夫。
……むしろ……。
「予定を合わせるのは、護とのほうが難しいかもね」
「あ……………………そ、そうですね…………。んー……」
……本当に……。
困ったものだ。気がつけば、他の人に護を取られている。沙耶がこっちに帰ってきてから、護が休みの日に家にいることなんてどれくらいあっただろうか。よく遊びにいってる。むしろ、家族なのに触れ合っている時間が少ないような気がしなくもない。
「…………………………ふむ……」
……それはいけないねぇ……。
いけない。ダメダメだ。
……お姉ちゃんと一緒にいないと……。
そうだ。そうなのだ。弟は姉の言うことを聞くものだ。姉と一緒にいるものだ。
弟は姉のものだ。




