知りたいと思うその気持ち
「あの人、誰だっけなぁ……………………」
本日の顧客情報。それがフロントに置かれているのだが、少々、チェックインやチェックアウトのため確認することができなかった。
思い出せない。直接はあったことがないのだから、思い出せないのは当然といえば当然なのだが。
何か、こう、つまっている。モヤモヤする。
親が言っていた。自分達の知り合いがくるから、と。花蓮は考える。もしかしたら、さっきの娘が、そうなのではないのかと。
「てことは……」
思い出したほうがいいだろう。声をかけたほうがいいだろう。もう一回、この旅館内で出会うのを待つか、タイミングを見計らってフロントにまた行くか。二択。夕方、六時。また忙しくなってくる。早いうちに、このモヤモヤをどうにかしたい。
「花蓮さーん」
身内ではない、雇っている従業員さんが声をかけてくれる。
「どうしましか? 」
長襦袢はいったん、脱いでいる。花蓮の二回目の休憩時間はまだある。手伝いが終わるまでは、これが最後の休憩時間であろう。のんびりしたい。
「これ、見たいと思っていたのではないですか? 」
「え? 」
そういう従業員さんの手には、一つのファイルがあった。そう、まさしく、さっき、花蓮が諦めていた顧客情報が入っているファイルだ。あまり持ち出しは良くなかったりするのだが、この際、それは置いておこう。
「あ…………、持ってきてくれたんですか」
立ち上がって、ぺこりと頭をさげる。
「顔に…………出てたりしましたか? 」
直接、情報が見たいとは言っていない。ただ、フロントの周りをウロウロはしていたけれども。
「ふふ……。かなり」
行動からも分かってしまったのだろう。
「それで、誰か、友達が来てたりするんですか? 」
「いえ……。そういうわけではないんです」
「はぁ」
「知り合いが、といっても、私の知り合いではなく、親の知り合いなんですけど、その人が来てるらしい……来てるんですよ」
らしい、ではないだろう。多分、さっき見た人だ。
「で、その人の名前は? 」
「それがですね…………」
苦笑しながら花蓮は声を返す。
「覚えてないんですよ。あったこともなくて………………………」
「え……? 」
「少しおかしいですよね」
なんとなく、花蓮も分かっている。
「気になるん……ですよね。何故か」
会ってしゃべりたい。端的に言えば、そういうことにはなるのだろうか。
「親の知り合いということは、浅間家と相手の家、ここに関係があるってことですよね」
家同士が関係ある。なら、子供同士も。一般的にはそうなるかもしれないけれど、花蓮のところにそういった関係はない。言ってしまえば、そこまで、仲が良いというわけではないのだろう。現に、こうして、花蓮は思い出すことができていない。
「なら、一介の従業員である私には関わりないというか、分かり得ない話になってしまいますね」
「あはは……」
無論、家族だけで経営してるわけではない。そんなので営業できるわけがないし、回らない。十数人の従業員がいる。
「後で、元の場所に戻しておいてもらえますか? 私、まだ休憩でなかったりするので」
「あ、なんか……すいません」
わざわざ持ってきてくれたのだ。感謝。
「いえいえ。それでは」
何かをするというわけでもなく、時間がゆっくりとすぎていく。成美と同じ部屋にいるけれど、だからといって、特に何もしてない。杏先輩や他からもメールや電話でなどもきてないし、他の人も動いてないのだろう。
渚先輩が来て以来、なにも変化はない。部屋に置かれているテレビを見たり、世間話をしてみたり。もちろん、それは長続きはしない。
「もう六時だねぇ。護」
「そうですね」
特に、そこから会話が繋がるわけではない。出会った当初のような関係ではないし、何か話題はあるのだろうが、何も出てこない。
成美の手に握られているリモコンによって、テレビのチャンネルが連続で変えられる。
「新聞ありますよ? 成美」
「んー……? 適当に変えてるだけよ」
何かを見たい。そういうわけではないのだろう。暇な時、俺だって、チャンネルをポチポチしたりする。こう、暇をつぶしてくれるような番組を見つけるために。
今、暇だ、ということになる。俺もそう感じているし、それは、成美も同じだろう。
……私、何してんだろ……。
憂鬱。少しだけ、憂鬱。
護が隣にいるのに、二人きりなのに、誰の邪魔も入らないのに。成美は何もしていない。無駄に時間を過ごしている。
……本当に……。
本当に、これでいいのだろうか。
……まぁ……。
でも、それは自分だけではないのだ。この間の動きの無さ。それぞれがそれぞれで何かを考えている。明日からなにをするのか。もしくは、この後、なにをするのか。
もう夕方。時間的には一日の終わりが近づいてくる。だが、成美からすれば、まだ何もしていない。強いて、何かをしたと言うのであれば、それは、護に寄り添うように、護の肩を借りてお昼寝をしたくらいのことだろう。
それが、今後どういう意味を成してくるのか。もちろん、そんなことは今の成美には分からない。良い方向に動くのか、悪い方向に動くのか。それすらも、分からない。
……暇だ……。
と、自分は思っているのだろう。やることがないわけではない。やりたいことはたくさんある。護とやりたいこと、青春部としてやりたいこと。
だけど、だけど、だ。
身体が動かない。やらなくちゃいけない。それは痛いほどにわかってる。
のんびりとしてる暇はない。そんなこと前から分かっていることだ。この旅館に来る前からも分かっていることだ。
「だめだなぁ……………………」
「ですねぇ。面白い番組、見つかりません」
二人そろって、テレビの画面を見つめている。画面が切り替わる間のちょっとしたブラックアウト。その時に、互いの顔が映る。
「チャンネル自体は家とそんなに変わらないのに……」
気持ちの持ちようが、家と、こことではやはり違う。それが、気持ちにも現れている、そういうことなのだろう。
「ねー、真弓せんぱーい」
畳の上にゴロンと寝転んでいるララは、失礼だと思いつつもその体制のまま真弓に声をかける。真弓もランも同じように寝転んでいる。ランはうつ伏せになっていて、今にも寝そうな雰囲気だ。
「んー? どうしたの? 」
「お腹すいたー」
後何分か経てばお腹がキュルキュルと鳴り出してしまいそうだ。護に聞かれるわけではないから、どうでもいいといえばどうでもいいのだけれど。
「そうだねぇ………………」
時間も時間だ。夜ご飯の時間。
このさざなみの旅館を予約する時、朝夜のご飯を予約の段階から抜く、そういう風に三人で決めた。バイキング形式が基本なため、ほいほいそんなところに出ていけば、鉢合わせになる可能性があるからだ。
バイキングの時間が始まったとしてもそれにララ達はありつけないし、お腹を満たそうと思えばこの旅館から一旦外に出て探すことになる。
「暑いし外も出たくなーい……」
「それは言っても仕方ないよ」
こっちに出てきているから、街の中にいるよりかは幾分涼しいわけではあるが、それでも、夏、八月、暑いことに変わりはない。外に出ることさえ億劫である。
「部屋に運んでもらうやつでもよかったかもね」
「うん…………」
出来るだけ、不意に出会うことを避けた。それに、お金も足りなかった。安い旅館ではない。高校生が、自身でお金を出し合って行くには少々敷居の高い旅館でもあった。
「もう仕方ないけどねぇ……」
真弓の声にだんだんと覇気がなくなってきている。
「真弓先輩も眠たい? 」
「少しは。ララも? 」
「ううん。僕じゃなくてランのほう」
「ん? あ……、ほんとだ」
重そうに身体を起こした真弓は、ララの向こうにいるランに焦点を当てる。
「あはは」
真弓から乾いた笑いがもれる。
「どうするー? 」
夜ご飯をどうするか。質問の意図はそれだけではない。その後も含まれている、とララは思う。
ララ的には、目先のご飯のことも気になるけれど、お腹もへっているけれど、どうしたいか、何をしたいのか考えるなら、当然、明日からの過ごし方になる。
「……………………」
明日、自分達の横に護はいるのだろうか。どれだけ、護をこちら側に置いておくことができるのだろうか。それによって、やれることが変わってくるだろう。
楽しみだといえば楽しみではあるが、不安がないわけではない。半分半分。いや、不安六割くらい。
「このあたり、何かあるのかなぁ? 」
勢いよく身体を起こしたララは、すぐさま携帯を取り出し調べ始めた。それに合わせ、真弓も身体を起こす。
「やっぱり魚かな」
ララの携帯画面を覗きながら、真弓は案を出してみる。
周りには海。少しここからは離れた位置になってしまうけれど、市場があるとも佳奈が言っていたのを思い出す。
「二人は嫌いな食べ物とかないの? 」
「あまりないよ。真弓先輩は? 」
「ん、私もあまり」
基本的に嫌いなものはない。自分でも料理をする時もあるから、その料理の幅を広げるために、そういったものは極力作らないようにしている。
「ここまで来てファミレス、ってのはさすがにないよね」
「うん、そうだねぇ……」
意味がない。それならこの漣じゃなくても家の近くでいい。
……まぁ……。
食事は目的に含まれていない。目的は護だ。護と少しでも一緒にいる。三人の共通理解。そのために、ここにきている。
言ってしまえば、護と会うのもここじゃなくても会える。もう夏休みに入っているのだから、連絡して都合を合わせればいい。無論、それでもいいのだが、この違う環境において、どうなるか。自分達になにができるか。この三人で、後から青春部に入ったこの三人で、どこまでやれるか。
……叶わない……。
そう。その可能性は高いだろう。いや、真弓には可能性がないように思える。
何を持って勝てというのだろうか。自分達の何をもってすれば叶うのだろうか。分からない。
「ラン起こしてから考えようか」
「うん」
そろそろランも。三人で一緒だ。二人にしてみれば真弓はいらないかもしれない。二人に比べたら想いの強さもない。
だけど、真弓は年長者だ。色々知ってる。恋については劣るかもしれないけれど、人生経験的に、そこで負けることはない。
……いや……。
でも、二人は、ララとランは、ハーフであり、外国からこちらに引っ越してきている。そこにどんな背景があるのか。普通に引っ越してきただけなのか。知らないのは知らないけれど。




